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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の贅沢

2014年12月11日 19時20分12秒 | 料理関連&お酒
 本日のお酒はプレミアムなビールと、玉ねぎの輪切りにチーズとベーコンを交互に挟んで電子レンジで加熱した簡単ツマミを口にしながら聞いている。

 この玉ねぎバーガーは、玉ねぎを厚さ5ミリから1センチの厚さに輪切りにし、ベーコンを3センチ位に切ったものを4~5枚、とろけるチーズを1枚を適当に手でちぎったものを交互に玉ねぎの輪切りに挟んでから、茶碗程度の深めの皿に入れて電子レンジで加熱する。1度加熱が終わり出来上がりの音がしたら皿ごと取り出して、5分ほどおいてまた加熱したらできあがり。
 玉ねぎから水分がかなり出て半分はスープに浸かる。玉ねぎはしゃきしゃきとした食感が残って多少辛みが残っているほうが私は好みである。
 食べる前に粗びきの胡椒をたっぷりかけ、塩を一つまみ、醤油を軽くかけるとなかなかおいしい。
 ビールがよく合う。本日の贅沢ビールは「グランドキリン ジ・アロマ」という白いラベルのビール。


メンデルスゾーン「バイオリン協奏曲」

2014年12月11日 17時35分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 昨日聞いたメンデルスゾーンの「バイオリンソナタ」、久しぶりにメンデルスゾーンの華麗なメロディーを聴くのも悪くないな、と思った。本日は「バイオリン協奏曲」をひっぱり出してきた。
 1986年に発売された千住真理子のデビュー作ともいえるCDである。小さい頃から天才少女と騒がれ、それも原因だったらしいが20歳から2年ほど演奏から遠ざかっていた。そして復活して最初のCDがこのメンデルスゾーンとチャイコフスキーのバイオリン協奏曲である。
 2曲ともバイオリン協奏曲の定番といわれ、「メン・チャイ」といえばバイオリン協奏曲の代名詞でもある。あまりに有名過ぎて独自の演奏スタイルを出すのがまた困難な曲であるが、両曲とも実に丁寧に弾いている印象だ。特にメンデルスゾーンの音は美しい。
 メンデルスゾーンの曲は親しみやすいメロディーが豊富である。しかもよく計算された構成の曲であると教わったことがある。しかし私は第2楽章以外あまり好みではなかった。この協奏曲は一度聴いたら忘れられないものであるが、かえってそういう曲想よりも低音で夜の闇になじんでいくような曲の方が私の好みなので、このCDもほとんど眠ったまま棚の肥やしになっていた。
 疲れた体が聞きたいと欲することもある、ということを昨日から実感している。


葬儀の準備完了

2014年12月11日 16時52分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は夕方から休養中。朝9時半から葬儀社に出向いて式場のチェックや設えの打合せ等を行った。少ない人数の集まりだが、友人たちで献花、思い出話、会食で故人を暖かく送るという趣旨でいろいろわがままをいわせてもらった。
 お昼に葬儀社を出て、最寄り駅の八丁畷駅のすぐ横の蕎麦店で暖かい蕎麦を食べた。アオサのたっぷり入ったお蕎麦がとても美味しかった。出汁も塩味が薄めだが昆布の味が適度にあり、珍しいことにほとんど色のない透明な汁であった。アオサの香りがひきたっていた。
 八丁畷の駅はいつも川崎駅方面から旧東海道を歩いてくるので、この飲食店街はまったく記憶にない。川崎駅方面から来ると旧東海道は京急の線路を踏切で渡って線路の陸側をとおることになる。ここは商店や飲食店はほとんどない。駅舎の海側にこのようにこじんまりとした小さな飲食店街が密集しているのに驚いた。夜になると居酒屋、スナックとなる小さなネオン街である。アーケードのある狭い通りもある。東海道沿いの古くからの町並みなのであろう。今まで知らなかったのが迂闊であった。
 今度写真を撮影してみたい。うまく雰囲気が伝えられるであろうか。

 横浜駅でコーヒータイムということでうつらうつらしていたら90分ほど寝てしまった。17時からの講座に出かける気力が無くなってしまったので、本日は自主休講。明日は喪服を着たまま午後一番の講座に出席してから、葬儀場に向かう。途中でお供えの果物を購入する。カメラマン役をするので書類一式も含めてリュックはひとまわり大きめのものにしないといけないようだ。

 夕食前にプレミアムビールと玉ねぎを使ったツマミを作って、CDでも聞いて今夜はのんびりしたい。

メンデルスゾーン「バイオリンソナタ」2曲

2014年12月10日 23時15分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 Nさんの葬儀の件、明日も朝10時までに葬儀社におもむく必要が出てきた。葬儀社には迷惑だろうが、いろいろと変更をお願いする項目が出てきた。宗教性を一切排除した友人達による葬儀を実践したいというのが、故人の意志でもあり、私たちの思いでもある。
 参列者もほぼきまり、「通夜」式はほぼフリートーキング形式で、献花の後は食事会は立食形式へと簡略化する。「告別」式も2人だけの送別の辞と再度の献花で終了とすることになった。
 ここまで簡略化すととなると、費用の点と自由な形式の葬儀という観点からは、最初から密葬形式、後日公的な場所を借りてお別れパーティーという形の方が良かったかもしれない。想定しきれない突然の葬儀、なかなか事前には準備しきれない。今後の教訓にしないといけない。

      

 本日聴いている曲は、メンデルスゾーンのバイオリンソナタのヘ短調作品4と、同じくヘ長調作品番号なし、の2曲。作品4の方は1823年の作曲でメンデルスゾーン14歳の時の作品。これが14歳の時の作品と聞くとびっくりしてしまう。天才といわれた作曲家の早熟ぶりがわかる。解説ではベートーベンの影響を強く受けていると記載してある。全体的に均整の取れた曲である。バイオリンの高音が美しいメロディーが多用されている。
 後者の作品番号のついていない曲は、1838年の作曲でメンデルスゾーン29歳という円熟期の作品。出版されたのは死から6年経っている。この曲がささげられたバイオリン奏者フェルディナンド・ダヴィートは後に有名なメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲もささげられた。第1楽章から一気に聴く人を魅了してしまうようにバイオリンの音は輝かしく美しい。

 ブラームスの曲を聴きなれた耳にはあまりに明るい曲想に大いに戸惑う。

二代目高橋竹山「海をわたる女唄シリーズ(その3)

2014年12月10日 08時41分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 昨夜は「二代目高橋竹山 「サラヴァ東京」第4回リサイタル「海をわたる女唄シリーズ(その3)」を聴いてきた。
 私はこの「海をわたる女唄シリーズ」は3回とも聴くことが出来た。毎回新しい曲を第二部の始めに入れている。今回は第一部の後半に、芭蕉の弟子惟然の始めたという風羅念仏を三味線と唄で復元する試みをした。それを江戸末期の井上井月の句を使って「井月風羅念仏」(井月バージョン)とする試み。
 井上井月は復本一郎氏の神奈川大学のエクステンション講座で取り上げていて、岩波文庫の井月集に目をとおしている。しかし昨晩取り上げていた句は、私は注目していない句ばかりで記憶に残っていなかった。女性ならではの視点からの評価ということなのだろうか?しかし目にしてみるとなかなかいい句だ。俳句の鑑賞の仕方と、「女唄」として見る鑑賞との差かもしれない。
 「南無阿弥陀仏」がさらに簡略化された「なもうだなもうだ」という繰り返しが、祈りの原型のように繰り返される。そのことによって酒と漂泊と放浪の芸能から、定住する庶民の祈りの形に、あるいは現実からあの世への架橋の手だてへと、高揚し変化していく。
 これは日本というユーラシア大陸の東端の世界だけの減少ではなくユーラシア大陸の西のアイルランドの民族の基層にも通じ、あるいは人類の祈りの形の普遍的なあり方にも通じることを思わせてくれる。それがアイルランドの現代詩人ヌーラ・ニー・ゴーノルの詩を通じて、思念として馳せていく。なかなか刺激的なライブである。
 今回は同じ詩人の「イー・ブラシル」という短い詩にも曲をつけていた。日本海の暗い情念を駆り立てるようなイメージと、このアイルランドの海の持つイメージの共通性に着目していると思える。たぶん海の持つ女性性、あるいは母性が最後のフレーン「おいで おいで/わたしのもとへ 全ての/弊(つか)れた者たちよ」に暗示されている。そんな風に理解した。
 同時に民話の世界の共通点としてあげられた「海の向こうの異界・楽園」と、こちら側の世の苦しみ多き現実、といった観念からの理解も可能であろう。
 「女唄」というこだわりからすれば、どちらがよりイメージが膨らむのであろうか。

 最後の曲も第1回から唄われ続けている「ファラオの娘」。これは私も回を追うごとにだんだん引き込まれていく。初回よりも2回目、さらに3回目と少しずつ唄い方も進化しているように感じる。次第に磨きがかかった来たという風に思える。
 「みんなが言った」は3回続いて謳われているが、私の頭ではどうもこれが理解できない。前回の解説に「「噂話」の暴力を、言葉の繰り返しによって身を守る「魔力」に変える」とあったのだが、この「変える」ところが演奏のどの場面に相当するのか、がどうしてもわからない。私の頭が固くなってしまったのだと思う。理屈で考える悪い癖なのだろう。言葉にとらわれずエネルギッシュな三味線と唄とピアノのコラボを「音」として楽しめばいいのかもしれない。
 この3ヶ月ごとのライブは私にとっては常に刺激的なライブである。

かなり冷えてきた

2014年12月09日 18時27分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
サラヴァ東京での2代目高橋竹山のライブを前に珈琲タイム中。
天気予報どおりだいぶ冷えてきた。
すっかりクリスマス気分にライトアップされている。こういうところに来ると私は落ち着かなくなる。違和感が先にたってしまう。もっと落ち着いた町並みがいいのだが……。
渋谷という繁華街に自分でやって来て文句を言うのはおかしいのは当然で、来なければよかったといつも自己嫌悪。あげくに喫茶店の奥に引きこもってしまう。
しかしこのライブの魅力に引き寄せられてしまう。会場に入れば、自分を取り戻して刺激ある演奏に頭が活発に反応する。
この落差も折り込み済みのライヴだとするとチョッと恐ろしい。

しかしライブ終了後、駅の傍の居酒屋の並ぶ界隈にたどり着くと、気持ちが落ち着く。ここら辺で1~2杯呑むと気持ちを日常に戻すことができる。



新しい眼鏡

2014年12月09日 08時43分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 日曜日に出来上がっていることになっていた眼鏡を昨日受け取った。私の眼鏡は近視と老眼。近視は右が0.1以下で、左もかろうじて0.1。これを共に1.2まで矯正をしていた。この強い矯正が原因で眼精疲労の要因となり、夕方になるとものが二重に見えたり、遠近感が喪失したりという症状が出ていたと説明を受けた。
 一応納得のいく説明だったので、その眼科医の処方してくれた眼鏡に変えてみた。これだと左右0.9までしか矯正されないが、とても楽になった。こめかみの筋肉がゆるんだように思える。あまり強い刺激が感じられない。
 40台後半に老眼となり遠近両用の眼鏡に変えたら、周囲が歪んで見えた。慣れるまでに1週間以上もかかった。初日、二日目は少し気持ち悪くなった。
 今回も慣れるまでが怖い思いをするようだ。昨日も新しい眼鏡に変えたのが夕方、見えにくい時間帯であった。そんな人混みの中を道路や駅の階段をいくつも通って帰宅したが、とても怖くて歩きにくかった。階段の遠近感がまだ新しい見え方慣れていない。今の時点でもしも山に行ったら下りはとても危険だ。夕方や夜のウオーキングも無理である。
時間が経って馴れても山に行くと遠くの景色が見にくいので不便かもしれない。その時は単眼鏡でも使うしかなさそうである。

 朝になって新しい眼鏡をかけたが、今までと違う見え方にまず戸惑った。まだまだ昔の眼鏡に条件反射のように視神経・脳が反応するのだろう。本日一日かけて見てさらに様子を見るしかない。美術館に行ったときどんな見え方になるのだろうか。



明日は二代目高橋竹山のリサイタル

2014年12月08日 23時46分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 明日の大きな楽しみのひとつはこれ。「二代目高橋竹山 「サラヴァ東京」第4回リサイタル「海をわたる女唄シリーズ(その3)」。
 私は4回のリサイタルのうち、「女唄シリーズ」を3回続けて聞いている。同じ曲でも毎回少しずつ違って聞こえる。だんだん迫力が増してくる。それはクライマックスになった時に、長身の二代目竹山の背筋がピント伸びて、背が高くなったように感じるほど、舞台の上で大きく見える。それは刻々と変化し成長する生物のように観客席に迫ってくるようだ。
 そんな変化が舞台から近い客席より手に取るように見える、いや感じることが出来るのが嬉しい。今回もまた楽しみである。

本日の作業は終了

2014年12月08日 22時46分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は病院の支払いの一部と、葬儀場との最終見積もりや式の進行表をもらい、これに人を当てはめることになった。これは他の方にお願いする。
 明日は休養日としようと思う。現役のころとは違い2日奮闘すると、限界に近くなる。明後日にアパートの大家さんに挨拶に行き、賃貸契約の解除の手続きを進めることをお願いしに行く。そして部屋の片付け・清掃の下見をお願いする。作業を担当する方は仲間のひとりなので気は楽である。
 徐々に輪郭が固まってきた。葬式はある意味では選挙とよく似ている。やらなくてはいけない作業は膨大だが、いろいろな人がさまざまに勝手に動いているようで、意外とどこかで整合性が取れた動きになるものである。また整合性のとれた動きにならないといくら有名な候補者でも負ける。
 不思議と式当日に向かって纏まっていくものだと思う。このように楽観的に考えながら作業をしないと、だんだん暗くなって行き詰ってしまうものである。
 いろいろな方から激励とアドバイスをいただいた。ブログ上では通りがかり人様と葦原の山姥様に、電話では2名の方からも手伝うぞ、という嬉しいお話をもらった。メールでも励ましをいただいた。ツイッターでも励ましていただいた。ありがとうございます。

 本日はこのブログをアップして作業は終了。

友人の死

2014年12月08日 11時35分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 このブログで私がお見舞いに通っていたNさんが昨日15時過ぎに亡くなられた。40年来の交友があるし、昔いろいろ教わったこともあるので、せめて葬儀と後処理くらいは事務処理をキチンとして無事に終わらせたい。

 昨日から友人への連絡、入院先からの撤収、葬儀社との調整、会計処理、もろもろの電話連絡は慌ただしい時間を過ごした。携帯電話と家の電話が鳴りっぱなしという事態になっている。
 本日もこれから病院への支払いや葬儀社との最終調整、葬儀の進行表の作成、住んでいたアパートの片付け、保険の支払い手続き、ただ一人の親族との連絡など考えるとパニックなってしまいそうなほどの処理事項がある。
 葬儀の後にも年金の手続き、国保の手続き、アパートの解約、光熱水費の解約などもしなくてはならない。共通の友人や地元の先輩・友人の大きな協力があってもこれだから、人が亡くなるということの重みが逆にひしひしと実感する。

 現役の時代ならば、職場の関係や労働組合の大きな関与があり、私の親族などの葬儀の時もこんなには大変ではなかった。連絡は葬儀社と親族、個人の友人などへの連絡だけで済んだ。

 さいわい友人にはアパートの片付けは、友人にマンション管理の専門会社の経営者がいるし、財産管理については税理士・公認会計士もいる。地元の先輩友人には医師もいる。出来るだけ事務・当面の会計処理をキチンとすることが私の仕事である。今回は出番はないが、測量士も一級建築士もいる。土木の専門家もいる。多士済々である。

年内のスケジュールはすべてこれらの手続きに追われそうである。個人を偲ぶゆとりは年を越してからになりそうである。

調整能力の低下

2014年12月07日 12時04分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 Nさんの件で朝から携帯電話が手放せないが、午後から団地の管理組合の諮問機関の会議が入っている。月に一度の会議で私が座長役、先月は所用で参加できなかったので本日はどうしても欠席するわけにはいかない。
 病院に行けるのはこの会議が終わってからとならざるを得ない。

 いろいろとスケジュールが立て込んで、融通の利かない状態が込み合っているときに限って突発的なことが飛び込んでくる。現役の時もそうだった。予定が予定どおり順調に回っているときはいいのだが、突如として何かが割り込んだり、予定外の事態が起きると行き詰ってしまう。スケジュールにゆとりがないときは本当に立ち往生してしまう。
 こんな時に調整が整わないとどうしていいかわからず途方に暮れるときもある。この調整能力がある意味とても重要な能力なのだ。このような突発的な事態が繰り返されると主体的に調整をすることが出来なくなって、些細なイレギュラーな事態にすら対応できなくなる。何らかの予期しない事態が発生した途端に調整することならできなくなってパニックになってしまう。へたをすると心的な症状が発現してしまう。こうなる前に立ち止って自分を客観的に見つめ、そして頭の整理、休養、息抜きが必要である。

 スケジュールの調整が無理になった段階では、あとは素直に関係者に事態の説明をして理解を仰ぎ、静かに事態の推移を見守るしかない場合というものがある。それまでの人間関係の作りかたや仕事の処理の誠実さがこのような時に生きてくるということに、行くたびも遭遇してきた。
 人は得てしてこのような事態に立ち至ると、誰かを悪者にして事態をすり抜けようとする。責任もフォローも放り出してしまう。私はこれだけはいつもしないように生きいきたいと思っている。そのとおりにはなかなかならないが。いろいろな仲間に結果として多くの迷惑をかけながらなんとか生きてきた。今はただ感謝のひとことである。

 今回も講座ならば欠席することは可能なのだが‥。現役時代よりも少ないスケジュールだが、いざというときの対応能力、調整能力は多分低下していると思う。


燃えつきてほしくないが‥

2014年12月07日 02時35分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 友人たちとの忘年会で、共通の友人Nさんの病状について報告し、今後のことなどを相談した。そして都合のつく人は早目に見舞いに行くのがいいのではないかということでみんなの了解を取ったところであった。すでに月曜日に見舞いに行くという人が何人かいて、私も合流することは決まっていた。そのような話のあとは、お酒を楽しく飲んでいた。
 3時間も経って終わりになる間際に、いつも見舞いに行っている病院から携帯に電話が入った。入院をしているNさんの具合がかなり悪くなったという。友人たちに慌ててそのことを伝え、私一人で急いで病院に向かった。すでに22時半を過ぎていた。裏口の救急外来の受付で了解を得て、病室に赴いた。
 これまでの部屋からナースステーションから目が届く病室に案内された。夜から意識が時々混濁するようになり、今は寝ているという。起しても構わないから、ということで看護師が去って行った。しかし私がゆすっても起きずに少し大きめの寝息をたてて気持ちよさそうに寝ている。
 起すのをあきらめてナースステーションに戻ると、看護師から危険な状態なのでいつどうなるかわからない状態だという。とりあえずその時点で、二次会に繰り出している仲間にできるだけ日曜日中に病院まで顔出しをするよう伝えた。
 あとは徹夜で病室にいてもしようがないので、今晩は看護師にお礼を言ってから帰宅した。

 Nさんは私よりも5歳上。私が横浜市に採用されたとき、横浜港の貨物の検数業務に従事していた。検数は、港湾荷役における積荷・揚荷の数量を調べる仕事である。一般社団法人日本貨物検数協会がその業務を行い、Nさんは横浜港でその業務に従事していた。給与等は公務員に準ずる扱いにはなっていたようだが、港の業務だけになかなか厳しいものがあったようだ。
 Nさんの所属する労働組合も、私の職場の労働組合もともに共産党色が強く、二人とも組合からは嫌がられ、排除される対象になっていた。二人でよく桜木町の駅の傍のビルの地下にある立ち飲み屋でお酒を飲みながら、愚痴をこぼし合っていた。
 そのような職場で組合活動で執行部とせめぎ合いながらの活動について、いろいろとアドバイスをしてくれた。お酒を飲むととめどもなく話が尽きないけれど、憎めない性格の先輩であった。あまり理論的にどうのこうのという性格でもなく、また実務にたけた活動をしていたわけではない。しかし労働組合のイロハもしらない私によく付き合ってくれた。
 私が末端の役員になんとかなって、一緒に活動する仲間を得てからはしょっちゅうは飲むことはなかったが、それでも共通の友人たちと年に数回は大久保駅のそばの飲み屋で一緒にワイワイと呑むことを40年続けてきた。
 私が自治労系の組合の支部を立ち上げたときなどもいろいろアドバイスをしてくれた。また労働組合の再編の中でNさんの組合もいろいろ流動的になって裁判沙汰になった時は、私も裁判所に幾度も傍聴に行ったりした。私が定年となり、大久保での飲み会に毎月出席するようになって、常連のNさんとの会話も多くなっていた。
 昨年大腸癌が見つかり切除はうまくいったが、腫瘍マーカーの数値が下がらない。咽喉癌が見つかり切除したのちも、こんどは食道癌がみつかり、さらに腰の痛みが増し骨髄への転移が見つかった。
 いろいろな検査を受けたにもかかわらず病巣がわからず、とうとうここまで悪化させてしまった。
 本人は抗癌治療については最後まで受けるという前向きな姿勢で、闘病していた。「今の病院にすべて任せて、それで治らなければしょうがない」といつも私に語っていた。そんなことをいいながらつい先月まで元気にしていたのだが、急に命の炎が弱くなってしまった。
 医師からはこれ以上の抗癌治療に耐えられない事態と私は告げられており、友人たちとの窓口をしてきた私は、その状態の報告も昨晩の忘年会でしたばかりであった。家族関係はもうないに等しいので、友人たちと相談しながら私が病院との窓口となっている。

 これからどうなるかわからないが、当面は病院にかかりきりになるしかなさそうである。

これもひどい

2014年12月06日 10時35分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 こんなツイッターの記載があった。
 彼の党というのは、文化を政治の配下に置こうとしている。市民社会まで政治でコントロールしようとしている。まるで彼らが嫌う中国や北朝鮮の世界をまねているとしか思えない。彼らがそれらの国を嫌うのは、ひょっとして政治的な発想・出自が同じだからか‥。いづれにしてもひどいものである。
 政治が文化に介入し、支配し、利用するなんてことは断じて許されない。今のこの時代になってそのようなことを主張する政党は政党要件を満たさないような仕組みが必要だという意見も出てきてしまうのではないだろうか。

山本剛志氏:青木理「改憲と自主憲法制定の違いは」山田宏「石原氏は憲法を破棄するといったが、あの方には歴史的な思いもあるのでしょう。70年経って日本国憲法もそれなりに認められてきたので、改憲が現実的。憲法は権力を規定するだけでなく、日本の文化伝統を通して、理想を示す役割もある」

松井計氏:<憲法は権力を規定するだけでなく、日本の文化伝統を通して、理想を示す役割もある>って、憲法にそんな役割はない。んなこたあ、法律の仕事じゃない。あくまでも文化の仕事。しかも、この人たちが言ってるデントーやブンカなんて、真の日本の伝統でも文化でもないもの。>RT

参考

https://twitter.com/rawota/status/540871969780932609
https://twitter.com/matsuikei/status/540875208811229184

冬ばれの雲と空

2014年12月06日 09時51分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 4日ぶりにスケジュール表に予定が書き込まれている。昨日に続きよく晴れ渡っている。
 昨日は川崎病院の正面入り口から見えた雲がとても美しかった。グレーと白のコントラスト、空と雲のコントラスト、人工の建築物と空・雲の対比としばらく見とれていた。写真にとるとその雰囲気は半減以下になってしまった。
 特に建物の入れ方は難しい。写し込んだ建物が大きすぎた。


明日は忘年会第1号

2014年12月05日 23時56分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は15時から横浜の石川町駅傍で退職者会の会合、18時半から新宿の傍の大久保駅近くで忘年会の予定が入っている。
 この忘年会は私にとっては今年の忘年会第1号である。いつの間にか忘年会という感じである。あっという間というのではなく、時間を考える暇もなく12月の声を聞いたというのが実感である。時間が早いとか、ゆっくりだったとかいう感覚はない。毎日それなりに充実していて、好きなことをやっている、あるいは自分なりに充実した生活スタイルを身に着けたといったらいいのだろうか。それなりに満足している証だと思うことにしている。

 一応「幸せな定年後の生活」と思うことにしている。ただしこの3年でだいぶ散財をしている。将来の不安、生活の行き詰まりの予感はかなり確実なものとしてぶら下がっているが、「何とかなる」あるいは「そうなりゃそうなったでしようがない」と開き直っている。
しかしこのまま貨幣価値がどんどん下落して、インフレーションが進行すればもうどうしようもない。その時は日本全体の、特に高齢者全体がお手上げで状態である。私のように手に職のない、生き抜くための特技のない人間はもっとも不利なのである。それは自覚しつつこれまで生きてきた。今更変えようがない。開き直りである。

 午前中から15時までは予定がないので、可能ならば、年末に学生時代の友人達と予定している忘年会の会場探しで東京駅近辺を歩いてみるのもいいかもしれない。