本日は久しぶりに喫茶店で45分ほどの読書を行なうことが出来た。喫茶店の中は少し室温が低かったがかえってそれが良かったのかもしれない。
「世紀末芸術」(高階秀爾)の第2章を読んだ。
晴着を来た新成人の幾人かとすれ違ったが、その晴れやかな顔には私などは違和感を感じながら、これが現代の姿かと実感した。
年寄りの小言・愚痴とされるのは承知しているが、私のころは総中産階級と言われつつもまだ生活の格差は大きく、晴着を注文できない仲間が多数いた。着飾った成人式に対しては当初から私は違和感を持っていたし、成人の門出に行政や政治家にとやかく言われたくない、という思いが強烈にあった。「成人」という認証は、あくまでの家族の中で、地域の中で承認されることであって、国家や行政に偉そうな顔をされたくなかった。そういう風潮であった。その思いはいまだに持っている。
若い人たちが、今の国家や行政に対してどのような考えを持っているのか、知りたいという思いと、知っても交わることはないのかなという諦念が同時に私の中に存在する。これは多分墓場まで引きずる違和感だと思っている。