本日目をとおしたのは、次の8編
・ガリヴァーの囁き(前編) 吉田篤弘
「短い時間の中に多くの経験を詰め込んでしまうと、人間が本来備えている〈時〉に大きな負荷がかかります。負荷は肉体にも精神にも重くのしかかり、‥自らの寿命を全うできなくなるのです。‥わたしたちはそうした当たり前のことも判断できなくなりました。」
「外の世界を見聞するということは、いつでも、自分の内側を見つめることでした。」
・知識と社会の過去と未来 -М・ウェーバーから百年(3) 佐藤俊樹
「今回のパンデミックで、感染予測の数理モデルなどの計算社会科学的な用具(ツール)の強力さを実感した人は多いだろう。「数式だけで社会も解明できる」とする語りが、理工系を中心に、これからさらに増えてくるだろうし、それに対抗して、哲学や思想系からは、「コトバによる用具への反省こそが大切だ」といった語りが生み出されていくのだろう。けれども、その対立をくり返すだけならば、、19世紀末の‥自然科学vs.文化科学の図式と変わらない。現代の社会科学はその二項対立を抜け出すことから始まった。‥М・ウェーバーが100年前に始めた研究は、その路を照らす道標としいて、今も私たちに明るい光を投げかけている。」
・あれは奇跡だったのだろうか 高橋三千綱
「「冷酷な女医なんかに診察してほしくないから退院するんだ。無能力を覆い隠す医者なんかもぐりだとそういってくれ。ああ、これでストレスから解放された」。すると傍にいた男の看護師が笑い出した。私は彼の助けを借りて点滴をはずし、‥」
・瓦礫のなかの「四次元」 -2011年7月、釜石 亀山郁夫
・「俺の自叙伝」 四方田犬彦
・1916年、漱石と李光洙 斎藤真理子
「人の評価は棺を蓋うまでわからないとよく言われるが、棺を蓋ってもわからないことはわからないままだ。満鉄の招きで漱石が書いた「満韓ところどころ」や、「門」に出てくる伊藤博文暗殺事件への言及についてはさまざまな解釈がある。だが結局のところ、漱石自身が日本の帝国主義と朝鮮支配をどう考えていたのかは、私たちの想像の外にあるのではないか。‥漱石は死後68年めに伊藤博文に代わって千円札の肖像になり‥」
・音の祭り 橋本麻里
「音もまた、現世や日常とは異なる、聖なる時空・存在の到来を示し、あるいはそれ自身によって変貌を引き起こす、「かざり」の機能を揃えているのだ。」
・いのち、かがやく世界へ 長谷川櫂
この長谷川櫂の連載は、いつも死のにおいを漂わせている。その死のにおいからさまざまな「生け」が醸し出されていく。今号では平知盛の「見るべき程のことは見つ。いまは自害せんとて‥」の言葉の意味合いを解こうとしている。
引用の現代の俳句についても、死のにおいが色濃く写っている。
蛍来よ吾のここめのまんなかに 長井亜紀句集「夏へ」
春の水いのちにいのち宿りけり 々
蚕豆やどの子も莢にねむらせん 々