四月初めころ野山で宴を催したり、青々とした草を踏みように野山などを歩いて春を実感することをいう。
踏青などという語は使われることもなくなっている。青を踏むといわれても日常会話では意味は通じない。梅見、花見、山菜取り、蓬摘みなどの具体的なもののほうが通じる時代である。
しかし私はこの「青を踏む」という語感は好きである。
★青き踏む忘れたきこと道づれに 肥田美津子
★青き踏む心の翼ひろげつつ 阿部睦代
第1句、忘れたくとも忘れられないことは無理をして意識の外に追いやることはできない。いつまでも頭の片隅に残る。無理にもがいても仕方がない。思い切ってそんな嫌な忘れたいことを抱えつつ、春の野を歩めば、土の匂い、草の香り、木々の新芽の光、春の大気の香しさを身に纏うとよい。いつの間にかいといたくなるような忘れたいことは、意識の外に追いやられてしまう。春は、否自然の生き生きとした営みは人の悩みを吸い取ってくれる。
第2句、家を一歩出て歩き始めると心は不思議と解放される。特に春の陽気は他者に対して閉じてしまった気持ちを、徐々にではあるが確実にほどいてくれる。作者はその気分を「心の翼をひろげる」と表現した。
「青木を踏む」、確かに踏めばそこから春の陽気が踏んだ人の体に充満してくる。活力が編まれる。
踏青などという語は使われることもなくなっている。青を踏むといわれても日常会話では意味は通じない。梅見、花見、山菜取り、蓬摘みなどの具体的なもののほうが通じる時代である。
しかし私はこの「青を踏む」という語感は好きである。
★青き踏む忘れたきこと道づれに 肥田美津子
★青き踏む心の翼ひろげつつ 阿部睦代
第1句、忘れたくとも忘れられないことは無理をして意識の外に追いやることはできない。いつまでも頭の片隅に残る。無理にもがいても仕方がない。思い切ってそんな嫌な忘れたいことを抱えつつ、春の野を歩めば、土の匂い、草の香り、木々の新芽の光、春の大気の香しさを身に纏うとよい。いつの間にかいといたくなるような忘れたいことは、意識の外に追いやられてしまう。春は、否自然の生き生きとした営みは人の悩みを吸い取ってくれる。
第2句、家を一歩出て歩き始めると心は不思議と解放される。特に春の陽気は他者に対して閉じてしまった気持ちを、徐々にではあるが確実にほどいてくれる。作者はその気分を「心の翼をひろげる」と表現した。
「青木を踏む」、確かに踏めばそこから春の陽気が踏んだ人の体に充満してくる。活力が編まれる。