
雨<牛>(1947)
シベリア・シリーズの第1作。作者は「5月過ぎのホロンバイル。風の強い日は防塵眼鏡が必要な程の砂嵐であった。黄色い空を一掃するような夕立が終わると、わだちの跡の水たまりに、のぞき始めた青空が映って見える。大地があり、生きものがいればどこでも絵になると思った。復員後、国画展初出品の絵である。」と記しているから、日本軍としての駐屯地での体験に基づく絵である。
シベリア・シリーズでは翌1948年作の「埋葬」(これは題材は抑留期間中のものなので後に掲載予定)の2点のみが美しい青と緑の彩色がある。
これから、シベリア抑留を経て、死と飢えと忍従と絶望の世界へと突入していくわけで、作者の「大地があり、生きものがいればどこでも絵になると思った」世界とは正反対の世界に変わっていく。ここでの体験を絵にするということの重い苦闘には、シベリア・シリーズの第3作目の製作が1956年であるから、8年という時間的な経過を要したことになる。
香月泰男の絵は1955年ごろを境に、シベリア・シリーズ以外の絵も含めて一気に多彩な色を失ってモノクロームのような画面に変わる。黒と白と暗い黄色の世界に変わる。それは作者がシベリアの体験を、日本軍としての体験も含めてシベリア・シリーズとして世に問うには、その絵画に対する全的な姿勢の変更を強いられたということだろう。
この絵のポイントは青い二本の線だと思う。作者の文章からすると轍の後の水溜まりに映えた青い空だ。ハッとする美しさだ。香月泰男の目は美しい。
シベリア・シリーズの第1作。作者は「5月過ぎのホロンバイル。風の強い日は防塵眼鏡が必要な程の砂嵐であった。黄色い空を一掃するような夕立が終わると、わだちの跡の水たまりに、のぞき始めた青空が映って見える。大地があり、生きものがいればどこでも絵になると思った。復員後、国画展初出品の絵である。」と記しているから、日本軍としての駐屯地での体験に基づく絵である。
シベリア・シリーズでは翌1948年作の「埋葬」(これは題材は抑留期間中のものなので後に掲載予定)の2点のみが美しい青と緑の彩色がある。
これから、シベリア抑留を経て、死と飢えと忍従と絶望の世界へと突入していくわけで、作者の「大地があり、生きものがいればどこでも絵になると思った」世界とは正反対の世界に変わっていく。ここでの体験を絵にするということの重い苦闘には、シベリア・シリーズの第3作目の製作が1956年であるから、8年という時間的な経過を要したことになる。
香月泰男の絵は1955年ごろを境に、シベリア・シリーズ以外の絵も含めて一気に多彩な色を失ってモノクロームのような画面に変わる。黒と白と暗い黄色の世界に変わる。それは作者がシベリアの体験を、日本軍としての体験も含めてシベリア・シリーズとして世に問うには、その絵画に対する全的な姿勢の変更を強いられたということだろう。
この絵のポイントは青い二本の線だと思う。作者の文章からすると轍の後の水溜まりに映えた青い空だ。ハッとする美しさだ。香月泰男の目は美しい。