Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「図書9月号」

2021年09月02日 13時16分00秒 | 読書

 昨晩からの雨が続いている。現在は5mm未満の本降りである。気象庁のレーダー画像では50mmを超える雨の区域が迫ってきたが、弱まり、最大20mm程度の雨で済んだ。



 昨晩から読み始めた「図書9月号」、読み終わった。今月は、16編のうち以下の11編に目を
通した。

・[表紙] 夢の言葉の不確かさ    司  修
「人間は毎晩夢を見ているらしいのです。昼の間も星々が天空で輝いているように。柳田国男が史幼年時代に見た日中の星々の輝きは奇跡ですが、私は本当のことだと思っています。人間の睡眠は夢のためにあるといえるかもしれません。‥私の場合、‥記憶にあるのは「面白い夢だったが綺麗に忘れた」です。無意識の底に沈殿しているのでしょうか。」
「「コロナウィルス」はTOKYOオリンピックの形まで変えてしまいましたが、核戦争の影までは消せません。人間にしか消せません。」
 前半は、夢を見ていると思われる記憶もあるものの、目覚めとともに100%きれいに記憶から消えてしまう私にも理解できる。そして夢という不思議なものの領域に触れてみたいというのが私の長年の願望である。余生の間には難しいそう。そのまま死という夢の中に入り込んでみるのも面白いかもしれない。

・咀嚼不能の石           古谷 旬
「2011年9月11日の米中枢同時多発テロ事件後の「対テロ戦争」下、アメリカの法、政治制度が憲法や国際法を逸脱し、「例外状態」に陥った‥。アフガニスタン戦争からの鉄平にともない、‥アメリカは国家間戦争からようやく脱却しつつあるのかもしれない。しかし当面「対テロ戦争」と「例外状態」が完了する見込みはなく、自由デモクラシー腐食の進行も避けえない‥。」

・無駄と遠まわりと、行き当たりばったりと  柳家三三

・時差式               柳 広司
「重要土地利用規制法には、「内閣総理大臣は、審議会の意見を聴かなければならない」とある。が彼らが自分たちに都合の悪い意見などはなから聴く気がないのは昨今の五輪強行開催の経緯からも明らかだ。‥ザル法の弊害は時差式で現れる。早期の廃止が被害をくい止める唯一の方法であろう。」

・身体を介する自己紹介        栗田隆子

・無教会と皇室            赤江達也
 どうしても理解不能な最後の段落。
「戦後日本のプロテスタント・キリスト教思想史は、無教会主義を「キリスト教の良心」とみなし、そのなかに「天皇制」否定する契機を見出そうとしてきたが、そこには強力な前提がある。「天皇制」とキリスト教とは本来的に相容れないはずだ、という信憑である。この信憑は「戦前」を否認しながら、戦後の反省と批判とを駆動してきた。だが、その戦後的な仮定を外してみるとき、日本近代社会とキリスト教の新たな光景が見えてくる。無教会と皇室のつながりは、その“現実”へと突き抜けるための通路なのである。
  特に下線の最後の二つの文章は、幾度か論考そのものを読み返したが、私の独海力では意味そのものがつかめなかった。

・読書の敵たち            大澤 聡

・王子様のいない星(後編)       吉田篤弘

・世代を超えてリレーされる笑顔    真鍋 真

・大泉黒石13 差別と虚無      四方田犬彦
「宇宙の偉大なる無関心という観念にまで到達したとき、『予言』という小説は被差別文学という範疇を平然と飛び越え、‥。宇宙が強いて来る運命に向かい対決を辞さない、人間の実存をめぐる思索へと展開していく。黒石が‥続編を執筆する予定でいたのではなかったかと推測しているが、もしそれが可能であったなら、続『予言』こしは戦後文学における埴谷雄高の『死霊』にも通じる、宇宙虚無論の試みとなり得たかもしれない。」

・「かるみ」という重み        長谷川櫂
「芭蕉はなぜ露骨な古典の引用から面影へ、さらに脱古典へと進んだが。確かに古典は俳句や連句に深みをもたらす。しかしながら、いや、だからこそ古典ほど重苦しく野暮なものはない。脱古典は古典主義者芭蕉にとって自殺行為にほかならなかった。密かに疲れ果てた芭蕉は『炭俵』の刊行を前に終焉の地大坂へ旅立つのである。」
 これはぜひ続きに注目したい。

 



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