2004年、東京国立近代美術んかで開催された「国吉康雄展」から女性像を並べてみた。
この展覧会では実に多くの女性像が展示されていたが、私は特に女性像に着目して感想を述べてはいなかった。このブログにリンクの貼ってある「時には本の話でも‥」【⇒こちら】の東京国立近代美術館の所蔵作品展の感想に刺激を受けて、改めて図録をめくってみた。
国吉康雄の女性像は顔が非常によく似ている。同一人物を長期間にわたって描いたと思われる。幾つかを並べてみる。モデルは1935年に画家が再婚した女優・ダンサー・モデルのサラ・メゾと思われるが、私自身は断定できていない。
始めの作品は「カフェ」(1937年、ホイットニー美術館蔵)、次が「私は疲れた」(1938年、ホイットニー美術館像)、3枚目は「夜明けがくる」(1944年、岡山県立美術館蔵)、4枚目が「女は廃墟を歩く」(1945-46年、メナード美術館蔵)。この女性の表情を追ってみると、国吉康雄の社会に対するかかわり方、姿勢が反映されているように思える。
1930年代の女性像はしたたかに生きてはいるが、どこか退廃的で、投げやりでもあり、生きる意欲というものがあまり感じられない。退廃をそのまま受け入れて、底に身をひたしているような画家の生き方がどこかから匂ってくる。
1940年代、特に第二次世界大戦となった1940年以降の作品は、国吉のアメリカでの日本人排斥運動を背景として、故郷喪失者としての国吉康雄の内省的な姿勢を示しているように思われる。「夜明けがくる」に描かれた女性からは退廃の匂いは私は嗅げなかった。終戦直後の「女は廃墟を歩く」に至って、実にたくましい生活者としての女性像となっていく。いづれも同じような顔立ちの女性であるが、社会とのかかわりでは受動から能動へ、すべてに受け身から自らが何かをつかみ取ろうとする強固な意志を私は感じ取った。
この時期、国吉康雄は「ここ数年間の戦争は、わたしのたくさんの作品の背景をなしてきた。なにも戦場を描く必要はない。破壊や生命の喪失、生と死との間の彷徨、そして孤独といった、戦争の暗示を描く」と述べている。
ここに国吉康雄の祖国批判、そして米国流民主主義なるものの欺瞞をもとらようとする姿勢、社会への強烈な違和感と、それに立ち向かう作者を感じ取ることができるとおもう。しかしこれ以降、国吉康雄は「時代の感情的な二重性を描いている」と述べた仮面をかぶった人物像に移行していく。
そして美術家組合の会長などにつくが、時代という嵐に飲み込まれたかのように、新たに冷戦といった社会状況の中での苦闘が開始される。残念ながら戦後まもなく1954年、胃がんのため国吉は63歳で没してしまう。
彼女を繰り返しモデルとしていますが、描いた女性の生活実態には違いがあるように描いていると思います。女優のようにモデルに「演じさせている」のだと思います。
再婚したころから亡くなるまで、アメリカ社会、国際社会の複雑な対立構造に翻弄された国吉でした。