本日は「バロック美術 西洋美術の爛熟」(宮下規久朗)の第3章「死 殉教と疫病」を読了。いつものとおりとりあえず気になったところを引用してみる。
「殉教者たちは血みどろになりながら、いたって平静な表情をしており、時に笑みさえ浮かべている。こうしたむごたらしい場面(を描く殉教画)を見て歩くと、カトリック改革期のイエズス会の熱狂的な精神とその素朴な一途さが感じられて不思議な感覚にとらわれる。」(第1節 殉教画サイクル)
私にはこのような表現をしてしまうことはできない。中世の(あるいは古代から中世にかけて、そして現在にもモグラのように頭をもたげるのは東洋も西洋も同じと私は思う。排他的で攻撃的な)宗教というものの怖さにたじろぐ。「素朴な一途さ」という一言はあまりに一面的で、かつ軽すぎるのではないか。
「16世紀末は、殉教図サイクルのようなおぞましいまでの殉教がしきりに描かれたが、7世紀の神秘主義者たちは「霊的な殉教」という概念を掲げ、殉教を拷問や外的な攻撃による肉体の消滅のみならず、救済者の苦しみにかかわることを求めた。キリストへの狂おしいほどの熱情は、肉体的な痛みをも霊的な喜びに変容させた。残虐な死への恐怖は狂おしいまでの法悦にとってかわられ、湿っぽく薄暗い古刹の堂内から、新たに設計されたまばゆい光にあふれた劇場的空間へと移り変わった。」(第2節 死の荘厳化)
「絵馬の多くが今後のことを祈願して事前に奉納するのに対し、エクス・ヴォートは過去に起こった奇蹟に感謝して事後的に奉納」(第4節 エクス・ヴォート)
「エクス・ヴォートが急速に普及し、増加したのがバロック時代であり、貴族や富裕層に限らず、18世紀には庶民にまでその習慣が広がった。つねに需要があり、画家にとっては重要な仕事であった。」(第4節 エクス・ヴォート)
この第4節からの引用については、既に著者の他の著書にても読んだ気がしている。すぐに忘れる年寄りには助かる。