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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ショパン「マズルカ全曲」(アシュケナージ)

2016年03月07日 13時25分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 マズルカについてウィキペディアの解説は要約すると、
★マズルカは4分の3拍子を基本とする特徴的なリズムを持つ、ポロネーズと並んで有名なポーランドの民族舞踊およびその形式(舞曲)。第1拍は付点リズムが多く、第2もしくは第3拍にアクセントがある。マズルカの他に似たものとして、より速いテンポの「オベレク」、ゆっくりとしたテンポの「クヤヴィヤック」など、地方により多様な名称のものがある。19世紀のポーランド貴族のあいだで流行し、ショパンは諸地方の舞曲の要素を統合し、芸術作品として昇華させた。



 ピアニストの楠原祥子氏のホームページによる解説が、私にはわかりやすく、優れたものにおもえた。
★ショパンのマズルカとポロネーズ。対照的とも言える2つの舞曲は、ポーランドの土から生まれて最高の芸術まで出世した、もっとも幸運な民衆の旋律である。ポロネーズは男性の威厳や誇りを象徴し、力強いリズムが活気をもたらし、女性はかたわらに添えられた優美な花となる。
 しかしマズルカは違う。繊細で気ままと言えるほど変幻する気分は、むしろ女性的に表現され、ある時は憂愁の色濃く、たよりなく、寂しげで、時として高慢で、そして苦悩し、傷つき、すると今度はうぬぼれて、媚をうり誘惑の手を伸ばす。と思えば、恋慕にはにかみ、想いを隠そうとする。
 情熱と涙と汗にまみれた人間の営みの中にある、どんなわずかな心の動きもショパンは見逃さなかった。それらを和声の明暗を使って、光をあて影を落とし、色合いに変化をつける。現実と幻が次々現れるかのようだ。人の心に潜む、実と虚の二面性も聴こえてくる。陽気にステップを踏んでいるのに、足元の影に、不安や別れの悲しみがにじんでいる。踊りのリズムにのって、涙がつたう。その奥には蔑みが姿を見せる。入り組んだニュアンスのゆえに、マズルカを遠ざけてしまうことがあるが、マズルカは自分の心そのものだと想えばいい。いわば私自身なのだ。ショパンの時代も今も、変わることがない人間の心を、あるがままに微妙なひだまで映し出している。
 違うものがあるとすれば、それは、ショパンがポーランド語を使ったことだ。つまり、ショパンの肉体に流れる血を生んだ、母なる土地の声やリズムを用いて、音でつむいでいった。あえて難しい言葉を使わず、親しき友に話すような語り口で、燕尾服に盛装せず普段着でくつろいで、日記のように生涯書き綴った55曲のポーランド舞曲…それがショパンのマズルカである。
★ショパンのマズルカが、どれほど芸術化されたものになっているか。リストが”虹色の手”と評したその作曲技術とセンスによって、土から生まれた時の姿とは似ても似つかないものになった。ショパンのマズルカから民族性を感じ取ることはできるが、逆に、土着の旋律からショパンのマズルカを想像することなど、まず不可能だ。田舎の歯が数本しかないおばあちゃんの口ずさむ歌と、ショパンのマズルカは、路傍の石ころと、まばゆくカットをほどこしたダイヤモンドほどにかけ離れている。

 楠原祥子氏は楽曲の分析的な解説があり私にはとても参考になる。
→【http://home.att.ne.jp/banana/fpshoko/home/i-dvd200402.htm

 このCDは購入した時には一度は聴いたが、そのままになっていたと思う。マズルカという楽曲形式についてポーランドの舞曲に由来するということしか知らなかった。本日初めてこの形式についてネット検索をして上記のような解説に行き当たった。楠原祥子氏の解説は演奏家だけに私にはとても魅力あふれる解説である。ここに引用させてもらったのは一部で、ショパンの曲を取り上げながら解説を施してくれている。まだ全体を読みこめていないが、是非ともできるだけ理解したいものである。
 もともとの形式を借りながらも大胆にショパンならではの改変、昇華を行っているようだ。ポロネーズよりもショパンはこの形式になじんだのではないだろうか。土着の芸能を世界性を獲得する芸術にまで昇華するということの作曲家の作業と表現意欲、そしてそれを分析する作業、いづれも私にはできないがとても魅力を感じる営為であると思う。

                 


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