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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読書の「勘」

2021年11月02日 23時15分21秒 | 読書

 明日は昼前には所用で出かけなくてはいけなくなった。夜まで外出予定。
 明日も本日のように気持ちのいい日和との予報であるが、ウォーキング三昧とはなりそうもない。いつもの目標の歩数を歩けるか、それも難しいかもしれない。もっとも二日続けて2万歩近く歩くと、3日目は筋肉がつらい。
 先月は3日続けて2万歩超えて歩いたが、腰が痛くなりそうになった。危険である。脹脛と太腿の筋肉にも疲労がたまったようで、4日目は大幅に歩数を少なくせざるを得なかった。無理は禁物である。
 本日は先ほど21時前に軽く夜のウォーキング。あまり汗はかかずに帰宅。昼間は帰宅時に宵の明星を見ながら、夜はいつものとおり木星と土星、おうし座のアルデバランをチョロチョロと見ながら歩いた。星をじっくり見ることなく、20分程度で帰宅。

 明日は合間に「万葉の時代と風土」(中西進)を少しでも読み進めたい。本日の「日本美術の歴史」を紐解いた時の感じでは、読書の勘も戻ってきたように思う。

 読書週間にちなんで、というわけではないが読書について思いついたことを少々。
 「読書の『勘』」というのは今思いついた言葉だが、読む気力、行間を想像しようとする気力、次の行・次の段落・次の節に進もうとする気力のようなもののつもりである。あるいはそれらが持続する状態を言ったつもりである。
 多分10代の半ばがその「勘」が冴えて、充実していたとおもう。そして私の場合は、20代前半の学生の時よりも、30代のほうがより冴えて充実していたように思う。読書をしたいという切実さがもっとも強かったのではないか。
 現在の読むエネルギーはどこからやってくるのであろうか。「読書の勘」というものはどういうときに働きがよくなるのだろうか。
 



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