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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書7月号」読了

2021年06月30日 21時47分23秒 | 読書

 毎号16編中、今月号で読んだので次の12編。



・[表紙] 人間の形        司  修
「(加計呂麻島の)古仁屋の港で聞いた海上タクシーのエンジン音を感じて、動いているのです。突然、目の前に水が飛び散るような青い光が広がり、小さな青い星々がグワーンと膨張していくのに、私は飛ばされもせず、何かが誕生したんだと喜んでいて、宇宙全体も人間の形をしているのかと驚きつつ、ハンモックに揺られている夢でした。」
 最近の司修の作品は明るい色彩が目につく。今回も海の色とも、生命の象徴とも言える青に吸い込まれる。島尾敏雄の「死の棘」、あるいは初期の戦争体験の諸作品を思い浮かべる青である。司修は「死の棘」の装幀者である。

・蛇の末娘            梨木香歩
「東北地方ではマムシグサのことを蛇の末娘(ばっこ)と呼ぶのだと教えてくれた方があった。蛇の末娘、聞いた瞬間、その響きに陶然とした。‥この名付けにまつわる流離譚もありそうだがみつからなかい。‥「蛇の末娘」都合四文字のイメージ喚起力のみが、彼あるいは彼女の物語のすべてなのかもしれない。だとしたら潔い。」

・(対談)歴史学を「ひらく」   吉村武彦・成田龍一
「(成田)古代史像が「明治期に創られた伝統」である、という論点です。大化改新により律令制国家ができた、公地公民制がどうにゆうされるという古代史像は、明治維新により近代国家がてぎ、版籍奉還がなされるという近代史像とパラレルになっています。近代の経験が古代史像に投影されています。そもそも明治維新のときには「王政復古」がスローガンになっており、古代史像と現時の歴史意識とが往還していた局面もあります。」
「(吉村)「公地公民」といういのも明治20年代から出てくる言葉゛てす。版籍奉還以降、日本の領土・領民をどう考えるかというところから出てきた言葉を実は今の教科書も使っている。」
「(吉村)夫婦別姓というのも、明治の戸籍作成時に初めて夫婦同姓が決まったので、それ以前は全部夫婦別姓なんです。じゃあ日本の古代・中世・近世の家族はみんなバラバラだったかというと、そんなことはあり得ないわけです。どうも一つの見方や制度が三、四世代続くと、みんな奈良時代から行われてきたことだ、と思ってしまう節がある」」

・猫とオリンピック        柳 広司
「復興五輪が国策となったことで人材や資材が東京に集中し、被災地では人手不足に加えて資材費が高騰、復興が著しく妨げられるというパラドキシカルな状況が発生する。一方でNHKはじめ民放テレビ各局、大手新聞、大手企業らはこぞってオリンピックスポンサーに名乗りを上げ、異議申し立ては事実上封殺される事態となった。」

・コロナ禍の中での音楽文化のゆくえ   沖澤のどか
「(ドイツは)アーティストが一つの大事な職業として認められているというのをすごく感じました。‥ロックダウンの時もまずはフリーの人たちが生き残るために、という感じで、給付金を申請するフォームがすぐに出来上がった。対象は個人と、あとは従業員五、六人までの小規模の会社。日本が最初に企業を援けたのと反対で、個人の支援から始まりました。それはすごく早かったです。」
「(ドイツ)とは社会保障の概念がだいぶ違う。ドイツは税金が高いので、失業したときの手当は手厚い。日本は生活保護の申請の難しさや、それを恥だと感じてしまう‥。(日本は)社会保障の制度は意外と整っていないように思います。」
「「不要不急」って、特にコロナになってから言われ始めたんですが、それを取り除いていったら、結局何が残るんだろうと思います。‥視点を変えると、何が不要不急か、というのは社会が成り立つためにそう思わされているだけでは。‥例えば日本が戦時中に贅沢はいけない、思い込まされて、どんどん貧しくなっていたのと一緒です。ドイツでは戦時中も演奏会をやっていたわけだし、ソビエトですら爆弾が降っている中、サンクトペテルブルクでは演奏会をやった。‥一見不要不急に見えるけれども、長い目で見たら、プラスになるものは何か、‥そこを見誤ると全員鬱状態になる‥」
「大阪がオーケストラの補助金をバサッとカットしてオーケストラが減ったりした‥。‥直接的な利益で見たら文化というのは真っ先にカットされがちですね。‥研究でも社会に役立つ研究にしか研究費を出さない、となると‥それで日本はどんどん後退してきている。」

・コロナ禍で学校現場はどう変わったのか? 江澤隆輔

・多感な自然児          安部日菜子

・宗教間の融和と寛容       今枝由郎

・時を超えるCDの中の歌声    片岡義男

・魯迅の「不安」(下)      三宝政美

・ドビュッシーとサロン      青柳いずみこ

・墓を買う            長谷川櫂
「人間はみな現生という現実の世界に生きていると思っているかもしれないが、じつは前世や来世というフィクションとまり幻想をたっぷりと含んだ世界で生きている。だからこそ人間は墓を立てるる墓は来世という幻想の上にたっている。」
 



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2 コメント

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コロナ禍の中での音楽文化 (inukshuk)
2021-07-01 12:02:39
続けてコメントします。
僕はアマチュア合唱団で活動しているのですが、不自由さを身をもって感じています。
昨年3月頃は国内外で集団感染のニュースもありましたが…二度の延期の後、今年5月に演奏会を(緊急事態宣言/蔓延防止措置対象地域外で)何とか開きました。マスク着用で歌い息切れしましたが…
「不要不急」の意味をもう一度考えたいものです。
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inukshuk様 (Fs)
2021-07-01 14:16:01
ご訪問ありがとうございます。コメント感謝いたします。
引用はしなかった個所で、沖澤のどか氏は、ドイツではリハーサルと本番前にきちんと無料の検査(多分PCR検査)を演者、聴衆がしたうえで、距離を取った上でマスクなしの演奏を行っていると述べています。
PCR検査を忌避し続けて、空港でも抗原検査しかしないという日本政府のPCR検査忌避の由来をもっと追求しないと、とてもではないが感染対策にはならないと思います。
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