★大地いましづかに揺れよ油蝉 富沢赤黄男
先ほど挙げた句では、蝉の声は人の身体の中に入り込み鳴き続ける。人と共鳴するのが蝉の声である、という把握であった。
これは違って蝉の声が大地を揺るがす、というのである。地震ではないが、蝉の声には生命を生んだ地球をも揺るがすかもしれないエネルギーがあるとの把握である。
私は「閑さや岩にしみいる蝉の声 芭蕉」を連想した。蝉の声が岩にしみいる、という把握。両句とも蝉の声は人体の外にあって、生命体ではないものに入り込んでいく。
芭蕉では既に盛んな蝉の声に岩が共鳴して蝉しぐれがより立体的に聞こえてくる。高さも感じられる。
掲句では、蝉しぐれがはじまる瞬間の緊張とともに、大地からせり上がるように蝉の声が聞こえてくる。下からの包み込まれるイメージだろうか。
はじまりと極大、下からと上から、しみいると揺れ、対称的でありながら聞こえ方は「しづかに」と共通している。
私は芭蕉の句の蝉も油蝉だと昔から思っている。あのジィ・ジィという声でないと岩に「しみこん」でいかないのではないか、と思っているのだ。根拠などまるでない。
敢えて言えばミーン・ミーンと柔らかく鳴いて岩に浸みこまないので諦めて力が抜けるようにジーと音が低く弱くなっているように聞こえてしまうのだ。この声はやさし過ぎる。クマゼミのシャーもどこか弱い。ニイニイゼミでは時期が早すぎる。