明け方まで雨が降っていたようだ。再び降りそうな厚い雲のなかを、横浜駅近くまで歩いた。一応退職者会ニュースの原稿もできあがり、他の役員に送信した後なので、気分的にはずいぶん楽になった。
短時間であったが、いつものオフィス街の傍にある喫茶店でも周囲の騒音に惑わされこともなく、また眠気に襲われるわけでもなく、「古墳と埴輪」(和田晴吾、岩波新書)を40頁余り。すでに読み終わったところを思い出すため10頁ほどさかのぼって読んだ。
ちょっと面白いと思った指摘があった。
「棺の多くが船棺となると、死者と船との関係は船が使われる場面によって次のように整理できる。
a 死者を入れ埋葬する陽気としての船、または船形のもの
b 死者を古墳へと運ぶ乗り物としての船
c 死者の魂を他界へ運ぶ観念上の乗り物としての船
d 死後の世界で死者が使う観念上の乗り物としての船
船形の棺も、遺体を運ぶ船も、いづれも船が他界への乗り物であるという観念の上に成り立っている。古墳の儀礼が完成していく過程で、遺体を運ぶ船や他界への乗り物としての船が重視されると、据え付ける棺そのものは船である必然性がなくなっていった。古墳には死後の世界で死者が用いるといった発想の船は内容である。」(第2章「他界としての古墳」)
古墳の段階では魂と肉体についての死後の世界でのあり様に、両者が未分化なままの他界観であったことがうかがえるようだ。当時の人にとってはそれは特にこだわることではなかったのだろうが、時代の推移とともにその未分化であることが人びとの間に意識されるようになったのではないだろうか。
先日までの「日本霊異記の世界」の問題意識を忘れずに追って行きたい。
次回は第3から読み始める。