

展示作品の偏りのためか、作家自体の内発的なことなのか、私の鑑賞が限界なのか、よくわからないが、1980年代以降は油彩画等で惹かれた作品が見当たらなかった。たとえば〈小さな赤い帽子(1892-96)〉や<ライム・リジスの小さなバラ(1895)>などは人気があったようであるが、私には50歳代の新たなホイッスラーらしさを感じなかった。
表現上の新しい試みや新たな転移を試みたようにも思えなかった。技法と表現意欲の停滞なのだろうか。ラスキンとの裁判に勝利したものの破産などを経験した後、それなりの評価を得、さらにはこれまで子は設けても法律上の婚姻関係を結ばなかったホイッスラーが結婚をする。
どん底から生涯の安定期、そして回顧展などを開催するものの新たな表現にはたどり着かないのかな、などと無責任な感想を持っていた。


しかし若くして亡くなった妻を描いた作品〈バルコニーの傍で(1896)〉には引き込まれた。
前者は早い線描で大まかな感じがするが、末期癌の妻の最後の時間を捉えたことになっている。喪失感に溢れた雰囲気に何とも言えず惹かれる。
窓の外の円形のテムズ川の遠景の霞んでいる具合がいい。描かれた背景がわかっている分、見る方に思い入れがついて回ってしまって高評価になっているのかもしれないが、それだけではないとも思える。
同時期の〈テムズ川(1896)〉も同じく妻との最後の時間を過ごしたホテルの部屋で制作されたという。1870年代のノクターンの雰囲気がよみがえったような作品に思える。

これらの版画作品が気になったので、版画作品だけに限って再度みてまわったりした。シリーズものとしていくつかにまとまっているが、ヴェニスで描いた「ヴェニス、12点のエッチング集(ファースト・ヴェニス・セット)」と「26点のエッチング集(セカンド・ヴェニス・セット)」が印象に残っている。いづれもが1879年から翌年にかけて描かれている。
上の作品は「セカンド・ヴェニス・セット」から〈ノクターン:溶鉱炉〉(1879-80)である。夜に浮び上がる街中の鍛冶屋か金属を生産する小規模な溶鉱炉を描いている。明るい室内と外の闇が強いコントラストで描かれている。人間もこの風景の点景として描かれている。人間の存在が闇に溶け込んでいる。


このような版画が10年後の1989年にも作成されていた。
〈ダンス・ハウス:ノクターン(1889)と〈小さなノクターン、アムステルダム(1889)〉である。
前者は建物を輪郭で表現するのではなく、部屋から漏れ出る灯りで表現している。
後者は闇に浮かぶ、明かりの漏れた家を水面にも浮かび上がらせでいる。
いづれもの版画は光を実に効果的に表現しようとしており、私はとても惹かれた。版画もホイッスラーにはなくてはならない表現方法だったのであろう。
浮世絵に大きな影響を受けた画家であるが、このような版画は日本の江戸末期の版画にはない世界である。
最後に気付いたこと、浮世絵の人物画については鳥居清永の作品が挙げられているが、結局はホイッスラーは鳥居清永の作品からの影響は受けなかったと私は思う。歌川広重の風景画からは実に多くのものを取り入れている。構図、近景の処理、色調、風景の中の人物の捉え方等々。広重の影響は極めて大きいと言っていいのではないだろうか。
ホイッスラーという画家、魅力あふれる画家である。