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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「薄紙を剥がす」

2017年02月24日 20時05分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日マッサージをしてもらったから「坐骨神経痛は薄紙を剥がすように少しずつよくなる」といわれた。なるほどそういえば昔職場で私のように坐骨神経痛になった仲間に先輩がこんなことを言っていたなぁと思い出した。
 そして40代のときにある医師が「病気と戦うのに速攻はない」といっているのを聞いたことを思い出した。言っていることに間違いはないだろうが、病気を直すのに「戦う」とか「速攻」だとかの戦陣訓のようなキツイ尖った言葉を使うことに違和感も覚えた。善意に解釈すれば、患者を鼓舞しているのかもしれない。しかし私なら「病気を治したり、克服するには、気長に構えよう」と云いたいと思ったことを思い出した。
 いつからだろうか、仕事でも「販売戦略」「開発戦略」だとか、「戦術会議」「正面突破」だとかの戦陣訓のような言葉が平然と使われるようになった。行政内部でも「戦略会議」「迂回作戦」などという言葉も使うようになった。私は使いたくないと即座に思った。今でもキツイ言葉、相手を攻撃対象とするような言葉づかいに聞こえてしまう。

 さて、本当は「薄皮を剥ぐ」ではなく「薄紙を剥がす」というのが元の言い方だったらしいとネットの情報であるが、ほんとうのところはどうなのだろうか。「薄紙を剥がす」のほうがもっとやさしく感じる。ただ私は「薄皮饅頭の皮をはがして中の餡がみえてくるように」、という風に解釈していた。これはどうも違うらしい。
 だから本日の鍼灸師から「薄皮を剥がすように少しずつ」という言葉を聞いたとき、温かい温泉まんじゅうなどを思い出して、なぜかほっとした。
 言葉づかいひとつでその人の人格というものが現われる。私の受けている施術が真に的を射ているのか、どうかは分らないところはあるが、それでもそのような言葉を使うかたが、もしも間違っていても「騙されてやろう」という気にはなる。
 喫茶店や居酒屋でとなりに陣取ったサラリーマンが、容赦のないキツイ攻撃的な言葉を連発しながらそこにいない上司や同僚をやり玉に挙げているのを聞くと、いつも「この会社はダメだな」と思う。言葉に相手に対するいたわりや尊敬の念が欠落している。そんな社会には私は違和感ばかりが先行する。
 嫌な社会にどんどんなっていく。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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そうだ。きつい語調がふえている (通りがかり人)
2017-02-25 07:59:25
鼓舞しているということも、あるだろう。自分を。but戦闘モードにもっていっていることの愚かしさを感じてしまう。心の鎮まりをなくせば、病気である。いつも攻撃を恐れ、より戦闘的になるからである。butほどほどに戦闘的というより、注意深く生きていく必要はありそうだ。氏の言うとおりだ。いやな世だ。
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通りがかり人様 (Fs)
2017-02-25 10:30:53
久しぶりのご訪問、ありがとうございます。
お子さんの入院、お母上の介護、ご自身の病気と厳しい状態だとうかがっています。
いかがでしょうか?
久しぶりにメールでも差し上げてもよろしいでしょうか?
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