
こんなにも明るくて陽気のいい午前中にはちょっとそぐわない曲かもしれないが、ブラームスのバイオリン協奏曲を聴いている。
シュロモ・ミンツのバイオリンで、クラウディオ・アバド指揮のベルリンフィル、1987年の録音となっている。
この曲は1978年、ブラームス45歳の時である。交響曲第1番(1976年)、第2番(1977年)の直後で、大曲を毎年ひとつずつ書き上げている。
バイオリンの名手ヨーゼフ・ヨアヒムの助言を受けながら作曲されたといわれ、二人の共作のようなほどヨアヒムの助言を受け入れて作曲したことになっている。
特にブラームスは交響曲のように4楽章制を構想し、ヨアヒムの強い反対で現在の抒情的な第2楽章に変更となった。解説によれば「弱弱しいアダージヨ」(ブラームス)と表現したという。ブラームスは不本意だったようだ。そうかもしれない。ブラームスらしいシンフォニックな構成ではないかもしれない。
初演はヨアヒムの独走、ブラームスの指揮で翌1879年元旦に行われた。
しかし細部までかなり強いヨアヒムの助言とブラームスの主張との折り合いで日の目を見たこの曲だが、初演以降、両者の関係に微妙な影を落とすことになったと云われる。ブラームスはおそらくだいぶ燻った感情を抱いたのであろう。芸術家としての矜持にも触れる葛藤を経験したのであろうか。
私はこの第2楽章、第3楽章が特に気に入っている。ブラームスには申し訳ないが、私はヨアヒムに感謝しなくてはいけないのかもしれない。
ところが、サラサーテのバイオリン演奏が作曲の動機とされているが、出版譜をブラームスから送られた当のサラサーテはこの曲を生涯演奏しなかったということである。逸話によれば第二楽章のオーボエの美しいソロをバイオリンが受け継いで発展させるのだが、これは稀代の名演奏家サラサーテの自尊心を偉く傷つけたらしい。


