☆「石垣りんの消滅まで」(池澤夏樹)
石垣りんの「崖」という作品を引用の上、池澤夏樹は次のように記す。
崖
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられてる
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所る。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
南の島々に何度となく通ったぼくは、サイパン島の通称バンザイ・クリフという場所をよく知っている。戦争に負けたら日本という国は消滅すと男どもに教えられて死んだ女たちのことも知っている。実際には日本という国は消滅しなかったし、今の時世を見ていると大日本帝国も消滅しなかったのかもしれないと思われる。ただ大USA帝国の一部に組み込まれただけなのかと。
それならば彼女たちの死は何だったのだ?
早とちりの勘違い?
そんなひどい話があっていいいのか?
崖から跳び下りる人々の姿をアメリカ軍は冷徹に撮影していた。1960年になって石垣りんはその映像を見たのかもしれない(少なくともぼく自身、時期はもとかく見た覚えがある)。その時期を境に日本は彼女たちの死をないことにしてしまった。だから彼女たちは「海にとどかない」。
ここで金子光晴の「落下傘」を思い出してもいい--「万一、地球の引力にそつぽむかれて、落ちても、落ちても着くところがないやうな、悲しいことになりませんように。」
レオナルド・フジタの戦争画を見ていて常に感じていた不満は、この石垣りんの詩の中にあるような気がする。全てではないが‥。
さて、私はこの池澤夏樹の文章を読みながらこの詩を目で追ったが、「まだひとりも海にとどかない」が理解できなかった。池澤夏樹の解説でようやく理解できた。バンザイ・クリフから跳び下りた彼女たちの行為と生への叫びが届くことのない世界、その世界を戦後の私たちはやはり暗闇の中のようにのそのそと歩いている。それが団塊の世代の背中を見ながら生きてきた私の歩みである。
この詩とフジタの「サイパン同胞臣節を全うす」を並べてみる。並べられた石垣りんはそのこと自体に怒るだろうが、お許しを願うしかない。
やはりレオナルド・フジタの人間観察への在り方への違和が私の中に繰り返し巻き起こる。それもかなり激しい渦が頭の中を駆け巡る。どうしてフジタはあの「サイパン同胞臣節を全うす」以降の自身の体験を見つめ続けなかったのだろうか。あの戦争画を描いた自分は置き去りにしてしまったのだろうか。自分の体験を抉ろうとしなかったのだろうか。戦後のフジタの歩みはどうして止まってしまったのだろうか。そんな疑問もまた巻き起こる。
だが、私も石垣りんという詩人の存在は知っていたが、読むことを避けてきた。食わず嫌いだったことしか考えられないが、どうも言葉が「強すぎる」詩は避けて通ってきたとしか言いようがない。読んでもいないので「強すぎる」という感慨も勝手なレッテル貼りでしかないのだが‥。
池澤夏樹もこの文章の次には、以下のように展開している。
もっと大きな、生活や社会からゆったりと距離を取った、鳥の眼からみたよう光景が彼女の詩に現われる--(石垣りんの「河口」を引用)
やっと彼女は世界の大きさに達した。‥人生の長い旅路の分だけ長くなった足を大地の上に長々と伸ばしね‥のびのびと横たわる。
その先、「声」という詩で彼女はめでたく消滅する。
石垣りんさんは
どこにいますか?
はい
ここにいます。
はい
このザブトンの温味が私です。
では
いなくなったら片付けましょう。
この「声」という作品はなかなかいい作品だと私は思った。きっと池澤夏樹も石垣りんのことばの強さに近寄りがたい何かを感じていたのかもしれない。しかし繰り返しになるが、死を前にした老いを読んだこの詩はいい。
フジタの晩年はみずからの墓所とした礼拝堂の建設にいそしんでそれを完成させて死を迎える。自らを荘厳することに執念を燃やす生き様、やはりこれも私には極めて遠い存在である。フジタという人格を放逐し受け入れようとしない日本という社会に対する違和を問い続けたかも知れないが、戦後生まれの私にはその問い続け方にはどうしても理解できないものが横たわる。
一方で戦争を問い続けたきた石垣りん、私の勝手な印象を捨て去っていつかは虚心に読みたいと思った。
まとまらないが感想はここまで。フジタについては、その4を記さないといけないとおもいつつとうとう年末を迎えてしまった。
石垣りんの「崖」という作品を引用の上、池澤夏樹は次のように記す。
崖
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられてる
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所る。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
南の島々に何度となく通ったぼくは、サイパン島の通称バンザイ・クリフという場所をよく知っている。戦争に負けたら日本という国は消滅すと男どもに教えられて死んだ女たちのことも知っている。実際には日本という国は消滅しなかったし、今の時世を見ていると大日本帝国も消滅しなかったのかもしれないと思われる。ただ大USA帝国の一部に組み込まれただけなのかと。
それならば彼女たちの死は何だったのだ?
早とちりの勘違い?
そんなひどい話があっていいいのか?
崖から跳び下りる人々の姿をアメリカ軍は冷徹に撮影していた。1960年になって石垣りんはその映像を見たのかもしれない(少なくともぼく自身、時期はもとかく見た覚えがある)。その時期を境に日本は彼女たちの死をないことにしてしまった。だから彼女たちは「海にとどかない」。
ここで金子光晴の「落下傘」を思い出してもいい--「万一、地球の引力にそつぽむかれて、落ちても、落ちても着くところがないやうな、悲しいことになりませんように。」
レオナルド・フジタの戦争画を見ていて常に感じていた不満は、この石垣りんの詩の中にあるような気がする。全てではないが‥。
さて、私はこの池澤夏樹の文章を読みながらこの詩を目で追ったが、「まだひとりも海にとどかない」が理解できなかった。池澤夏樹の解説でようやく理解できた。バンザイ・クリフから跳び下りた彼女たちの行為と生への叫びが届くことのない世界、その世界を戦後の私たちはやはり暗闇の中のようにのそのそと歩いている。それが団塊の世代の背中を見ながら生きてきた私の歩みである。
この詩とフジタの「サイパン同胞臣節を全うす」を並べてみる。並べられた石垣りんはそのこと自体に怒るだろうが、お許しを願うしかない。
やはりレオナルド・フジタの人間観察への在り方への違和が私の中に繰り返し巻き起こる。それもかなり激しい渦が頭の中を駆け巡る。どうしてフジタはあの「サイパン同胞臣節を全うす」以降の自身の体験を見つめ続けなかったのだろうか。あの戦争画を描いた自分は置き去りにしてしまったのだろうか。自分の体験を抉ろうとしなかったのだろうか。戦後のフジタの歩みはどうして止まってしまったのだろうか。そんな疑問もまた巻き起こる。
だが、私も石垣りんという詩人の存在は知っていたが、読むことを避けてきた。食わず嫌いだったことしか考えられないが、どうも言葉が「強すぎる」詩は避けて通ってきたとしか言いようがない。読んでもいないので「強すぎる」という感慨も勝手なレッテル貼りでしかないのだが‥。
池澤夏樹もこの文章の次には、以下のように展開している。
もっと大きな、生活や社会からゆったりと距離を取った、鳥の眼からみたよう光景が彼女の詩に現われる--(石垣りんの「河口」を引用)
やっと彼女は世界の大きさに達した。‥人生の長い旅路の分だけ長くなった足を大地の上に長々と伸ばしね‥のびのびと横たわる。
その先、「声」という詩で彼女はめでたく消滅する。
石垣りんさんは
どこにいますか?
はい
ここにいます。
はい
このザブトンの温味が私です。
では
いなくなったら片付けましょう。
この「声」という作品はなかなかいい作品だと私は思った。きっと池澤夏樹も石垣りんのことばの強さに近寄りがたい何かを感じていたのかもしれない。しかし繰り返しになるが、死を前にした老いを読んだこの詩はいい。
フジタの晩年はみずからの墓所とした礼拝堂の建設にいそしんでそれを完成させて死を迎える。自らを荘厳することに執念を燃やす生き様、やはりこれも私には極めて遠い存在である。フジタという人格を放逐し受け入れようとしない日本という社会に対する違和を問い続けたかも知れないが、戦後生まれの私にはその問い続け方にはどうしても理解できないものが横たわる。
一方で戦争を問い続けたきた石垣りん、私の勝手な印象を捨て去っていつかは虚心に読みたいと思った。
まとまらないが感想はここまで。フジタについては、その4を記さないといけないとおもいつつとうとう年末を迎えてしまった。
年賀状、奥様の志向が正しい。余白にはホッとするものね。
16.3キロはすごいが、使わない筋肉や関節を動かす事が大事かと‥8.3キロにして、お部屋で暖かくしてストレッチを‥なんて、聞くわけないが。
腹筋などを鍛えないといけないみたいですね。脇の下の贅肉がとても気になっています。