本日の午後からの予定がなくなった。ただし、友人たちとの忘年会の予約で、14時ころから東京駅構内を歩き回り、お店の候補を探してきた。人数は8人ほどなので、コースを頼むよりもそれぞれに好きなものを注文して、トータル金額を割り勘にしようと考えた。コースの方がお店の人には歓迎されるとはおもうが、好みの問題もあり、難しいところ。
15人を超えたら、それぞれが注文するのは、混雑する忘年会シーズンではお店に嫌われそうだし、店の混雑の具合では料理がなかなか出てこないことになる。
本日の東京駅、とても混雑していた。月曜日でもあのように混雑するのであろうか。サラリーマンだけでなく、小さな子どもをつれた家族連れ、高齢者のグループ、大学生と思しきグループ等々でいっぱいであった。
15時ころに居酒屋に入ってお酒を1合と冷奴で一息。店の奥の5人ほどの女子大学生のグループの大声のおしゃべりが否応なく耳に入ってきてびっくり。
就職活動の話だったが、「会社の説明会には、お父さんも一緒に会場まで来てくれると約束したので、嬉しかった」、「入社式には会社は家族席も用意するって聞いて安心した」。これは4年生が3年生に経験を話している場面のようでもある。
噂には聞いていたが、実際に耳にしたのは初めて。このような世界が日本に流通しているということに唖然とした。私のようなオジサンにはとても信じられない会話である。こんなことを大声で話をするということにも驚きである。企業も企業だが、親も親、子も子。20歳を超えた人の会話には私にはとても思えなかった。かなり落ち込んで、酔いが回って店を出てきた。本日は悪酔いしそうである。
わたしが落ち込んでも何も変わりはしないが‥。私の娘は、すべて自分で決めてきた。このようにならなくて良かった。
私が娘に説明会場まで同伴してほしい、といわれたら「甘ったれるな」と怒るし、入社式に親を招待する企業に勤めると聞いたら「そんな会社に入るな」といってしまったかもしれない。少なくとも出席はしない。
もしも子の就職した企業が今喧しい「ブラック企業」だったら、それは労働運動の末端に身を置いた人間として、あるいは社会人の先輩として、心底親身に相談にのってやりたいと思う。家族・親族・親、大学の就職あっせん部署の出るところはそこだと思う。いつも悲惨なニュースを聞くたびに、学校の就職あっせん部署の対応が報道されないことに疑問を持っている。学校と企業の癒着にもメスが入ってほしいと思う。ブラック企業の犠牲になった社員の家族・親族は、言葉にならない無念をかみしめておられるであろう。
15人を超えたら、それぞれが注文するのは、混雑する忘年会シーズンではお店に嫌われそうだし、店の混雑の具合では料理がなかなか出てこないことになる。
本日の東京駅、とても混雑していた。月曜日でもあのように混雑するのであろうか。サラリーマンだけでなく、小さな子どもをつれた家族連れ、高齢者のグループ、大学生と思しきグループ等々でいっぱいであった。
15時ころに居酒屋に入ってお酒を1合と冷奴で一息。店の奥の5人ほどの女子大学生のグループの大声のおしゃべりが否応なく耳に入ってきてびっくり。
就職活動の話だったが、「会社の説明会には、お父さんも一緒に会場まで来てくれると約束したので、嬉しかった」、「入社式には会社は家族席も用意するって聞いて安心した」。これは4年生が3年生に経験を話している場面のようでもある。
噂には聞いていたが、実際に耳にしたのは初めて。このような世界が日本に流通しているということに唖然とした。私のようなオジサンにはとても信じられない会話である。こんなことを大声で話をするということにも驚きである。企業も企業だが、親も親、子も子。20歳を超えた人の会話には私にはとても思えなかった。かなり落ち込んで、酔いが回って店を出てきた。本日は悪酔いしそうである。
わたしが落ち込んでも何も変わりはしないが‥。私の娘は、すべて自分で決めてきた。このようにならなくて良かった。
私が娘に説明会場まで同伴してほしい、といわれたら「甘ったれるな」と怒るし、入社式に親を招待する企業に勤めると聞いたら「そんな会社に入るな」といってしまったかもしれない。少なくとも出席はしない。
もしも子の就職した企業が今喧しい「ブラック企業」だったら、それは労働運動の末端に身を置いた人間として、あるいは社会人の先輩として、心底親身に相談にのってやりたいと思う。家族・親族・親、大学の就職あっせん部署の出るところはそこだと思う。いつも悲惨なニュースを聞くたびに、学校の就職あっせん部署の対応が報道されないことに疑問を持っている。学校と企業の癒着にもメスが入ってほしいと思う。ブラック企業の犠牲になった社員の家族・親族は、言葉にならない無念をかみしめておられるであろう。
私たちの20代初めにも「近頃の若者は‥」と居酒屋で絡まれて、言い合いになったこともありました。懐かしい40数年前ですが‥。