
昨日に続いてショパンのピアノ協奏曲第1番を聴いている。演奏者はピアノと指揮がクリスティアン・ツィマーマン、オーケストラはポーランド祝祭管弦楽団で1999年の録音。ポーランド祝祭管弦楽団というのは、ツィマーマンがピアノソロと指揮者を兼ねて演奏するために編成された若いソリストや室内楽奏者からなるオーケストラ、とCDに添付された解説に記載がある。ツィマーマンは1956年ポーランド生まれのピアニスト。ピアノや演奏会場の音響効果、録音技術に対するこだわりは有名で、日本でも熱烈なファンを獲得していることは私も耳にしている。同時にポーランドでの戒厳令に対する抗議の亡命、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領の東欧政策への抗議などでも名を馳せている。
この政治的な運動には興味はそそられ、惹かれるものが大いにあったが、それと演奏の質とはイコールにはならないというのが私のいつもの判断なので、これらの行動をきっかけにCDをあえて購入するということはしていない。また当時はまだピアノという楽器には特に惹かれていもいなかった。実はこのCDを2000年頃に購入している。購入時に一度は聴いたと思うがそれ以降は聴いていない。手軽に一枚で二つの協奏曲を聴くことのできる昨日のエマニュエル・アックス盤を何回か聴いていただけである。
昨日の夜中に音を小さくして聴いてみて、ビックリした。ピアノについては私は、曲や演奏家の差を聴き分ける力量は今でもピアノを習った方と比べて格段に劣るものと思っているが、このツィマーマン、出だしのフレーズを聴いただけで、アックス盤とはまったく違う印象に驚いた。ピアノのメロディーラインが明確に浮き出てくる。ずっと優雅で音に厚みがあり、丁寧な演奏ということを感じた。なるほどこれは「完璧」にこだわる演奏家の演奏なのかと思える。ファンが多いということに納得した。悪く言えば隙が無さすぎるという不満があるかもしれない。
昨日オーケストレーションに単調さがあり、ショパンのオリジナリティではなく他のオーケストレーションの専門家の手になるらしいということを引用させてもらったが、そのようなことを感じさせない録音でもある。
ベートーベンやブラームスなどでは確かにピアノとオーケストラの競い合う感じであり、ショパンのピアノ協奏曲はピアノが主でオーケストラは伴奏に近いといわれる。それでも私の耳にはピアノとオーケストラはいいバランスで聴こえる。
再現部で静かに奏でられる主題の美しさに引き込まれるものがある。19歳というショパンの青年期の感情がたっぷりと詰められ、下手をすると演奏が甘い感傷に撒け、テンポが大きく揺れてしまいそうになりながら、厳格な拍子を確保することで踏みとどまっている印象を受けた。テンポの変化の代わりに強弱の差を大きくし、旋律と伴奏の差を明確にして曲の流れをコントロールしていると思える。
第2楽章はアックスが10分を切っているが、ツィマーマンは実に12分35秒もかけている。テンポがゆったりしている。ここではオーケストラとピアノソロとの美しい絡み合いが存分に聴くことが出来る。そして第3楽章に流れていく直前の2分間の緊張感の持続は、ソロピアノも弦楽器もともに、高度な技術よりも強い精神力が必要かと思われる。
フィナーレは再びピアノが大きなリードを占めている。第2楽章の緊張感を受けるフィナーレにしては出だしが少し重みに欠けるなというのが、この曲を初めて聴いた時からの感想である。最後に行くにしたがっての盛り上がりはなかなか楽しい。
第2楽章を独立で演奏することもあると聞いているが、このフィナーレも独立性が高いのではないか、というのは素人の私だけだろうか?


