明日からよむ予定の本は、「全国水害地名をゆく」(谷川彰英、インターナショナル新書)。地名の由来というものには興味があるが、体系的、網羅的な書物には接したことがない。自分なりにさまざまな書物からの断片的な知識を覚えている範囲で地名を見る。記憶違いや勘違いなどは日常茶飯事。それでも数討てば何とかなる、と楽観している。
水害地名にあたるものは何か、から始めないといけない程度の地域である。また水害地名と思っていたものが違っていたり、由来がズレて認識していたり、せめてそれらの訂正くらいはできるのかと期待している。また異説が多いのも地名である。これに振り回されることのないようにしたいものである。
関東大震災の展示や雑誌・新聞の記事に目を通して、9月中に読みたかったが、読んでいる書物の進展が遅くなり、10月にずれこんでしまった。
水害が続く昨今、決して無駄にはならないと思って購入した。
「弥勒」(宮田登、講談社学術文庫)をようやく読み終えた。本日読んだのは第8章「大本教の中の弥勒」と〝まとめ〟。
「日本の宗教社会の中で、弥勒を名乗ることを明示したのは富士講の身禄と、大本教の弥勒であった。‥民俗宗教としての、ミロク信仰の体系をを反映して現れてきているといえる。仏教の中の弥勒信仰とは違ったタイプを表すということが、こうした事例からうかがえる‥。」(第8章)
「日本の宗教社会には、未来に現れるメシアというものの出現を、具体的に説くという性格は、きわめて乏しいといえる。弥勒=メシアを待望して、至福千年というか、千年王国を展開するような宗教運動というものに欠けている‥。なぜそうなのかということについては、幾つか比較する視野をもって見るべきである。東南アジアから東アジアを含めた中で、弥勒信仰を、大乗仏教の文化圏の中で、それぞれの民族性に合わせて検討する必要がある‥。‥仏教的なものと、道教的なものと、陰陽道的なものと、それから日本に本来あったと思われる伝統宗教的なものが、ミックスされていることになる。どういう形の弥勒信仰が現れてきたのかという問題になる。」(あとがき)
「古代、中世の弥勒上生信仰を軸とした、貴族社会の弥勒信仰とは別に、辺境の地であった東国で、弥勒私年号というものが弥勒下生の大きなメルクマールになる‥。」
「天皇制が日本には存在しており、民衆の私年号設定に対し、公年号というかたちで統合された年号が一方にある点がひとつ注目される。‥天皇が制定する公年号が優先されるという伝統が古くからあった。天皇が追放されて別に外国から強力な支配者が入ってくるという歴史的な体験がない。‥土着の天童宗教が、白人の植民地支配に抵抗して世界の回復を求めるというラジカルな東南アジアや開発途上国の宗教運動とも、決して同様な構造を取らないというかたちになっている‥。‥弥勒信仰は、日本の文化の構造の特徴をいみじくも示してくると考えられる‥。」(あとがき)
宮田登はこの書では、私がこだわった弥勒信仰の展開がメシア信仰的な展開にならなかった原因については結論を出していない。
引き続き私なりのこだわりは持ち続けるしかない。また最後の引用の天皇制の特徴、外国からの侵略の有無についても、まだまだ議論の余地があると感じている。何事も結論的な議論は議論の展開の芽を潰してしまうと思われる。
本日から10月。休養日でのんびり。9月一か月の通算の歩数今年一番多かったが、あまり無理は出来ない。適度に休養日を設けたい。10月からはまた少し減らして膝の具合を確かめたい。歩数は多かったが、消費カロリーは多くはなっておらず、まだまだウォーキングという運動にはなっていない。時間をかけてふやしていきたい。
本日の日曜美術館は「野見山暁治」。途中から録画。午前中の会議は、外回りもあり炎天下の草むらの中を2500歩ほど歩いた。蚊に5箇所ほど刺された。心配したよりは少なかった。本日の外出はこれだけ。
一昨日読み終わりたかった「弥勒」(宮田登)を読み終わった。最後の第8章は「大本教の中の弥勒」。