本日の午後はいつもの喫茶店で「世紀末芸術」(高階秀爾、ちくま学芸文庫)の第3章「世紀末芸術の特筆」を読み終えた。
喫茶店で調子よく読み進めていると、45分位したときに隣の席に6人ほどの高齢の女性の一団がやってきてにぎやかに座った。いやな予感がしたが、予感的中。騒がしいこと限りなし。15分ほどは黙って読書をしていたが、あまりの騒々しさに席を立ってしまった。
だが、悲しいことにどこかに行くあてもなく、やむなく有隣堂で文庫本コーナーをのぞき、そのままバスに乗車して帰宅。
「《アール・ヌーヴォーというものが、二次元の表面の芸術、緩やかに流れる曲線と精妙なかたち芸術、詩的な、時には象徴的な主題によるうつろいやすい美と豊麗な装飾の芸術、女性的、退廃的芸術てあるとするならば、クリムトこそはまさにその精髄と言ってよい》エディス・ホフマン女史のこの言葉は、クリムトの豊麗な芸術を正しく規定していると同時に、さらに世紀末芸術の本質をも見事に語っている。装飾性は世紀末芸術家たちの合言葉であった。」(「1 華麗な饗宴」の「装飾の復興」)
「《絵画作品とは、裸婦とか、戦場の馬とか、その他何らかの逸話的なものである前に、本質的に、ある一定の秩序のもとに集められた色彩によって覆われた平坦な面である。》二十世紀の絵画はすべてドニのこの定義から出発するのである。」(「1 華麗な饗宴」の「レアリスムへの反逆」)
「アラビアの建築装飾のように幾何学的形態を基本とし、シンメトリーと正確なリズムによって組み立てられるものではなく、動物や植物の形態の持つ自然性と不規則性とをその本質としていた。‥ルネッサンス以来の西欧合理主義は、パロック芸術の時代に続いて前世紀の末にふたたび、底知れぬ不気味な生命力の発現の前に席を譲ったのである。‥厳しい知的秩序よりも、虹のように多彩な感覚的豊麗さの方が、当時の人々にはいっそう好まれた‥。」(「1 華麗な饗宴」の「アラベスクの魔術」)
「抽象的表現と、幻想的表現主義と、二十世紀芸術の中心を形成するふたつの大きな潮流はすでに世紀末芸術の中にその萌芽を持っていたのである。」(「1 華麗な饗宴」の「アラベスクの魔術」)
「仮面彫刻というものは、写実的なものであっても幻想的なものであっても、つねに不気味な魔力を漂わせている。人間の顔を映し出してものでありながら、あきらかに人間そのものではない仮面は、いわば人間と物質との中間にあってそのどちらでもない不思議な存在となる。‥仮面をかぶることによって、神にでも悪魔にでもなれると信じこんでいるのである。十九世紀末以来現在にいたるまで、部族芸術の仮面彫刻が異常な関心を集めるようになったのも、単に風変わりなその表現形式のゆえのみではなく、そのような魔力、言葉を変えて言えば人間心理におよぼす影響力のゆえであった。人間の心理を無視して外の世界ばかりを追及していたレアリスム美学がついに破産して、新しい心理的権威が求められるようになった時代にさまざまなかたちで仮面が復活してきたことも当然‥。」(「3 よく見る夢」の「仮面」)
「印象派の世界は、完全に視覚でとらえられた空間の世界であった。‥彼らが求めたのは、とらえ難きかげろうや水の流れのある一瞬間における姿であり、刹那の影であってねゆらめきそのもの、流れそのものではなかった。彼らの風景は、鋭敏な感覚のレンズを通して定着された多彩なスナップ写真にほかならなかった‥。それに対してロートレックやロダンの試みたのは、当時ようやくうまれたばかりの映画と同じように、運動そのものを造形化しようということであった。造形芸術の中に、リズムやメロディーを、すなわち時間的な要素を導入しようとすることだったのである。」(「3 よく見る夢」の「華麗なる舞踏」)