Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「潮風と砂の考古学」図録読了

2019年02月01日 20時41分11秒 | 読書


 神奈川県立歴史博物館で2月17日まで開催している「潮風と砂の考古学」展の図録を読み終わった。
 展示で印象に残った縄文土器に「北屋敷式土器の深鉢」(東海地方からの搬入品と紹介されている) がある。平塚市内の構之内(かまえのうち)遺跡の土坑から出土したという。鉢の口縁部に6本の突起があり、それがどのような機能や飾りの意味を持っていたのかはわからないが、現代のわれわれにはわからない形である。特に機能重視の私たちには理解が出来ないが、当時の人びとにっては大切な造形だったのであろう。この明確な造形は印象に残った。
 さらに藤沢市内の弥生式の若尾山遺跡からでたという手焙型土器も印象に残った。
 古墳時代前期の大規模地震による津波や液状化で砂丘などの海岸やそこに近い低地の集落は甚大な被害があったらしい。古墳時代中期には集落の数が急激に減少しているとのことである。これも新しく知った。
 横須賀市内の蓼原古墳から出土したという琴弾埴輪もまた印象深い。琴を弾いているらしいのだが、琴の糸が土を3ミリくらいの直径で丸めている。それが数本表現されていた。
 鎌倉時代に作られたという和賀江嶋が何故衰退したのか、私の頭の中では謎であった。今回の図録では「和賀江嶋の構築により、鎌倉の港湾機能はより強化下に違いありません。ところが旧くからの港である滑川河口の潟湖は徐々に機能不全に陥ったようです。和賀江嶋が西からの流れをせき止めることによって漂砂が一帯に滞留してしまい、これに伴って潟湖内の離水・湿地化が進行してしまった‥」と記されている。

 その他、読み応えのある図録であった。
 

「図書2月号」 その3

2019年02月01日 19時03分26秒 | 読書
 打合せ終了後、桜木町駅まで歩いて喫茶店で十画の休憩&読書タイム。「図書2月号」の続きを読んだ。特に引用はしないが、目をとおしたのは以下のとおり。

・モダン語、あれ?これ?        山室信一
・寒の美味               辰巳芳子
・2月、寒さの中に芽生える春      円満字二郎
・安物を掴まされた男          三浦佑之

 さだまさし、冨原眞弓の2編は眼を通さなかった。

「春燈」という季語

2019年02月01日 11時01分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝から陽がさして明るい。昨日の雲が低く、暗い一日とは雰囲気がまるで違う。団地の管理組合の仕事を少しこなして、メールを送信。とりあえず一段落。
 これより組合の会館に出向いて午後からの打合せの予習を少々。

 昨晩歳時記をいくつかめくっていたら「寒燈」という季語が出てきた。寒さの厳しい冬の季節のともしびのことをいうとのこと。「冬の灯」というのは日常の言葉ではある。いづれも室内の灯りのことであるらしい。そういえば春灯という言葉があった。夏の灯、秋の灯という季語もあった。
 以前に盛んに使われていた語でも、今は普段使われない「季語」を使った句というのはあまり好まない。この「寒燈」というのも日常生活では死語に近い。短い語を求める俳句では貴重な言葉なのだろう。ただし表記に催される感覚をうまく表現したと思った句はいくつかある。逆に言えば使われなくなったことが残念な語ということである。そして「季感」はどんどん失われていく。

★辞書割つて一字を寒燈下に拾ふ     佐野まもる

 辞書という言葉もそのうち死語になるのであろうか。少なくとも「辞書を割る」という言葉のニュアンスすら伝わらなくなっていると思う。寒燈という言葉と同時に浮かんだのが「蛍雪」。これも卒業式の唄の表現でしかお目にかからない時代である。だいたい蛍が家の軒先まで来る時代ではない。私も「蛍雪」は受検雑誌名と卒業式の唄でしかしらない。

雪は降らず

2019年02月01日 01時42分51秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 レインアイよこはまの画面を見る限り雨の区域は南へ去りつつある。横浜市域もまもなく雨の区域から外れると思われる。レインアイよこはまの画面では私の住む区域は0.1~1.0ミリの雨の区域に含まれている者の、実際にはベランダから手を出しても降っていない。
 これで雪害・路面凍結の心配や、雪掻きの支度はしなくて済んだ。

 本日は午後から打合せが組合の会館である。2時間くらいであろうか。雪掻きをした後、或いは雪で団地内の樹々が折れたりしていたら、この打合せに出られなくなる。ヒヤヒヤしていた。

 雪の降る日の夜の街灯を見るのが私は好きである。闇の中に街灯の周囲だけが明るく、その明るい光の部分だけに雪が見える。
 むかしの街灯ならば金属の円錐形の傘を被り光も円錐形に広がって暖かい光である。蛍光灯ならば雪が柔らかく見える。今はやりのLEDだと、暖かみは無い。光が固く、しかも雪を柔らかくは包んでくれない。
 街灯の光の中を通過する雪は、周囲の雪よりも光を吸収して柔らかくなっているのではないか、などと思うこともある。

★雪掻きのまばらと見えて総出なり    宮津昭彦
★生きる幅だけの雪掻き雀舞う      庄司たけし
★街灯の中だけ突如雪生まれ       菅原 涼
★家ぢゆうの暗がりふやす雪卸      永田耕一郎
★雪積る灯りの中だけ果てしなし     遠藤誠三