神奈川県立歴史博物館で2月17日まで開催している「潮風と砂の考古学」展の図録を読み終わった。
展示で印象に残った縄文土器に「北屋敷式土器の深鉢」(東海地方からの搬入品と紹介されている) がある。平塚市内の構之内(かまえのうち)遺跡の土坑から出土したという。鉢の口縁部に6本の突起があり、それがどのような機能や飾りの意味を持っていたのかはわからないが、現代のわれわれにはわからない形である。特に機能重視の私たちには理解が出来ないが、当時の人びとにっては大切な造形だったのであろう。この明確な造形は印象に残った。
さらに藤沢市内の弥生式の若尾山遺跡からでたという手焙型土器も印象に残った。
古墳時代前期の大規模地震による津波や液状化で砂丘などの海岸やそこに近い低地の集落は甚大な被害があったらしい。古墳時代中期には集落の数が急激に減少しているとのことである。これも新しく知った。
横須賀市内の蓼原古墳から出土したという琴弾埴輪もまた印象深い。琴を弾いているらしいのだが、琴の糸が土を3ミリくらいの直径で丸めている。それが数本表現されていた。
鎌倉時代に作られたという和賀江嶋が何故衰退したのか、私の頭の中では謎であった。今回の図録では「和賀江嶋の構築により、鎌倉の港湾機能はより強化下に違いありません。ところが旧くからの港である滑川河口の潟湖は徐々に機能不全に陥ったようです。和賀江嶋が西からの流れをせき止めることによって漂砂が一帯に滞留してしまい、これに伴って潟湖内の離水・湿地化が進行してしまった‥」と記されている。
その他、読み応えのある図録であった。