Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日から沖縄へ

2017年10月08日 23時36分20秒 | 山行・旅行・散策
 夜のウォーキングは寝待月を見ながらのんびりと。

★食後また何煮る妻か寝待月    本多静江

 明日は羽田空港に11時半に集合となっているので、家を9時半に出て歩いて横浜駅まで。その後は京急線で羽田空港というコースを考えている。
 飛行機に乗るというのは何回乗ってもなかなか慣れない。一年に一度乗るか乗らないか、という利用なのでやむを得ないのだが、それでも列車なら一度乗ればだいたいは覚えてしまうのに、飛行機は毎回オロオロする。
 飛行機に慣れるということはあまり歓迎したくないと思う。鉄道がのんびりできる。便所に行くの楽だし、通路まで人が立つような混雑でもしていない限り、座りっぱなしで疲れたら自由にある決まることができる。座席にゆとりがあるのもいい。飛行機はあまりに窮屈である。座席の端に座れるならばまだ楽だが、知らない人が両サイドに座ると、席を立つのも遠慮してしまう。景色を楽しむことも窓が小さいので大いに制限される。
 そうは言っても船で沖縄に行くのはあまりに時間がかかり過ぎる。船旅を楽しむだけの時間のゆとりも、気持ちのゆとりも、金銭的なゆとりもない身には、飛行機に頼るしかない。選択肢は限られてしまう。
 一昨年、四年前と同様に普天間基地、嘉手納基地、辺野古、高江を訪れ、今年は渡嘉敷島の戦跡巡りを行う。渡嘉敷島を訪れるのは初めてである。

 横浜に帰ってからは忙しい毎日が待っている。

本日は寝待月

2017年10月08日 20時48分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 3泊4日の旅行中はウォーキングは多分できないと思われる。レンタカーによる移動がメインなので、歩くこともあまり無いようだ。ということで本日は久しぶりにかなり歩いた。午後に約2万5千歩ほど。これから夜のウオーキングは1時間弱歩いてみることにした。このことにたいした意味があるわけではない。
 寝溜めが意味がないように、歩き溜めも意味はないと思われる。しかし久しぶりに大量の汗をかいて気持ちが良かった。
 夕方には西の空を雲が厚く覆い、陽射しはなくなった。太陽が沈むころには寒さを感じるようになった。

 十五の後、月の出は35分から40分ほどずつ遅くなる。翌日が十六夜(いざよい)、翌々日は立待(たちまち)月、居待(いまち)月、寝待(ねまち)月、二十日の月が更待(ふけまち)月。このころには20時を過ぎないと月は出てこない。これ以降月の出るまでの夜の闇を宵闇(よいやみ)というそうである。
 本日8日は、寝待月がのぼる。東京の月の出は19時14分、もう上っているはずだ。

★十六夜や囁く人のうしろより      加賀千代女
★くらがりをともなひ上る居待月     後藤夜半
★更待や階きしませて寝にのぼる     稲垣きくの
★宵闇や女人高野の草の丈        大峰あきら

「十字架の聖ヨハネのキリスト」(ダリ)

2017年10月08日 13時07分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 芸術新潮8月号をめくっていたら、サルバドール・ダリの「十字架の聖ヨハネのキリスト」(1951、ケルビングローブ美術館・博物館蔵)が掲載されていた。ダリの初めて見る作品である。
 脇の解説に記載を見ると、「画家の邸宅のあるポルトリガトの上空から、磔刑のキリストを見おろすという大胆な構図」とある。キリストを上から見下ろす、とは神ヤハウェのことである。
 右下のかなり低い位置からの夕日のような光線に浮かび上がる十字架に貼り付いたキリスト。確かに天上のような高い地点から見下ろした視線に見える。しかし果たして「天上」ほど高いかというとそうでもない。不思議な視点から見おろしている。複数の視点があるのではないか。
 少なくともキリストの頭を見据える視点からすると十字架の縦の線は画面中央に向かうのではなく、もっと上の方に消失点がないとおかしい。あるいは逆に十字架の縦の線を基準にするとキリストの顔が見えなくてはいけない。

 しかも人体はかなり屈強である。筋肉が逞しい。従来の痩せさらばえて疲労困憊したようなキリストのイメージとは違う。十字架の基礎部分が明るく光を放っているようにすら見える。これは何かの推進装置のようでもある。
 下の浜辺と舟と山々と空と雲と思われる風景には、真上からの太陽の光が射している。ところが船の蔭は少し右斜め上からの光線によるものらしい。
 船と人物と山、そしてキリストは鮮明で、きっかりとピントが当たっているが、雲にはピントが合っていない。

 なんとも言えない遠近法と光の処理をみると、ここにダリの思いが込められているように思われる。

 最初の印象では、構図上から私なりに想像を膨らませると、神の目線でキリストを見おろすというよりも、十字架を背にしたキリストがポルトリガトの上空を見おろしながら飛行しているようすを描いた、と見る方が自然なのではないだろうか、と私は感じた。神ではなく、キリスト自身が主役ではないのだろうか。 舟の横の人物がダリ本人とすると、作者の視線は他のダリの作品と同様に分裂している。ダリは常に自分をどこかで客体視している。
 ダリの背負う十字架という飛行体の背景は闇である。飛行体ならば雲が十字架の背景に描かれてしかるべきである。背景の闇は、時空を超えて飛行するキリスト教という幻想・幻影の象徴と見ることが出来そうだ。
 牽強付会、強引、飛躍しすぎ、穿ち過ぎといわれそうだが、制作された1951年というと人間の宇宙への関心が、米ソの軍事的な緊張関係にともなうミサイル開発への関心とともに、高まっていた時期でもある。1957年にソ連によって大陸間弾道ミサイルや人工衛星がはじめて成功し、日の目を見る。そんなことを考えてしまった。
 その次に思い至ったのが、上半分の十字架のキリストは天にいる神ヤハウェのいる場所へ昇天している途中の姿なのか、と感じた。下半分の風景は下界、人間の住む世界の象徴として描かれたのかもしれない。
 しかしそれにしても十字架上のキリストの姿が異常である。昇天の途上とすると、これを描いた視点はどのような視点なのだろうか。
 さらにその次に思い至ったのは、教会の祭壇の上に飾っている十字架上のキリストを教会の天井付近から見るとこのように見えるのかもしれないと思った。この場合は動いている十字架ではなく、固定してある十字架とキリストである。下半分の風景は、人間の営みが行われる世界の象徴であることは変らない。
 この3番目のとらえ方が一番無難と云えば無難かもしれない。しかし一筋縄ではいかないダリのことである。どこかであざ笑っていることてあろう。