Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ユスラウメ

2017年10月04日 23時33分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日多磨霊園を訪れたら、我が家の墓の敷地に植えてあったユスラウメが枯れていた。葉が一枚も無くなっていた。枝を折るとポキポキと音を立てて折れる。4月に訪れた時は威勢よく葉が茂っていたし、若い枝が真っ直ぐに気持ちよくの伸びていた。植えて10年位であったろうか。あまりに元気よく幹が太くなるので、すっかり根付いたと思い、喜んでいた矢先である。

 敷地の反対側にあるレンギョウはあまり元気がなく、毎年葉が縮れて少なく、花もわずかしかつかない。今年も背が伸びず、地面に這いつくばるようにやっと生きている感じである。敷地の奥に植えたナンテンは元気そのもの。隣の敷地に枝が入らないように行くたびに切り詰める。元気が良すぎるのもよくない。

 どちらも来年に別のものを植える算段をした方が良いようだ。さて、何の木を植えるか、意外と難しい。あまり繁茂するのは隣の敷地に被さるのでよくない。椿などはチャドクガが嫌われるので、これも避けたい。

 畳4枚ほどの敷地の墓地というのは、今時では贅沢と云えば贅沢である。父親によれば戦前、青山墓地の端っこに古くからあった墓が、道路の拡幅に伴い代替えとしてこの多磨霊園に移転させられたという。広くなったようだ。今から思えば、随分と得をしたのかもしれない。

 周囲には、三島由紀夫(本名:平岡公威)、竹内好、岡本一平・かの子・岡本太郎、そして樺美智子の墓もある。
 しかし何よりも春のサクラが見どころである。

月見

2017年10月04日 19時58分31秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 一時間ほど前に帰宅。横浜も多磨霊園以上に寒いくらいの気温でびっくり。腕をまくっていた長袖を急いで元に戻した。歩いている人の中にはもうセーターを着ている人もおり、その姿に違和感を感じなかった。
 横浜駅で早めの夕食を済ませて家についてみるとちょうど月が団地の東から見える位置に達していた。雲が多いもののかえって月を楽しむ風情がある。雲と月との掛け合いは月見日和と思われる。

★此の秋は膝に子のない月見かな      鬼貫
★月見つつありければ声遠かりき      加藤楸邨


 第1句、現代ならば季語が二つあると排斥させられる句なのだろうが、しかし風情のある句だと思う。亡くなったのか、あるいは成長してもう膝には乗らなくなったのか。喪失感の度合いは違うが、その喪失感がいい。亡くなった子と断定するよりも、断定しない方がかえって響いてくる。秋の寒さが身に染みるように‥。
 第2句、叙景のことばは「月見る」だけ。「声遠かりき」で月見の時節の透明感のある大気の様子がよく伝わる。高島野十郎の月の絵を見るような気分である。坂本繁二郎の描いた月も思い出したが、あの月はこの句の印象とは違いがあるような気がする。具体的には文章にはうまく書き表せない。

衣更え

2017年10月04日 11時04分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
今日から衣更え。半袖、半ズボンではさすがに寒い。多磨霊園は横浜より少し気温が低い。
あわてて長袖、長ズボンを出してきた。急に替えても暑苦しく感じるので、薄手の柄物のシャツと、夏用のごく薄い生地のズボン。
妻に言わせると、一般的な人と、暑いも寒いも5度以上差があるとのことである。本人は全く自覚はなかったが、最近意識するようになった。
他の人より早めに半袖、半ズボンになるし、長袖、長ズボンになるのは遅い。そして長ズボンは夏用である。さすがに雪の日は、厚手の生地の長ズボンであるけれど。
冬用のコートも薄手のものでないと着ない。コートの下に着るインナーは、単独でしか利用しない。冷たい風がインナーをすり抜けて冷気を感じるの心地よい。ゴワゴワ、モコモコは体を動かせないし、すぐに汗をかいて不快である。

しかし、結局は長袖を折り返して肘上まで。半袖と同じになってしまった。

父と子

2017年10月04日 01時45分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 父と子の関係はこの詩のようにたとえられる。この詩の核は第2連か、最後の3行か。このふたつは入れ替えが可能のように思える。子どもに拒絶される父親というものがいる。否、父親というのは、そもそもそういうものだ。きっとシェークスピアも、政治家も、武者も聖人も、マルクスも、そして隣の父も、悩んでいる。「吉野弘詩集」から、「生きる」所収の詩である。

  父

何故 生まれねばならなかったか

子供が それを父に問うことをせず
ひとり耐えつづけている間
父は きびしく無視されるだろう。
そして 父は
絶えねばならないだろう。

子供が、彼の生を引受けようと
決意するときも なお
父は やさしく避けられているだろう。
父は そうして
やさしさにも耐えねばならないだろう。