Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりにウォーキングで汗をかく

2016年03月16日 22時47分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は12時から14時まで正味1時間50分歩いて約1万5千歩、10キロほどのウォーキング。かなり汗をかいて気持ちのいい運動が出来た。曇りで陽射しが少ししかなかったものの風が無く暖かく感じた。いつもよりは少ない歩数であったが、スピードはそれなりに出ていたと思う。腰の具合も異常はなくて、ホッとした。
 自宅でシャワーとコーヒータイムののち、15時から横浜美術館を往復した。往路は電車を使い、帰路は歩いた。往復1万歩ほど。19時近くに家に着いた時はそれなりに汗ばんでいた。

 横浜美術館の今年度のコレクション展は3回目である。3回とも共通して「いいな」と思う作品と、行くたびに新しい発見と、いづれもそれなりに楽しい。前回ほど感動はしなかった、という経験はあるが、気に入った作品が次の時に気に入らなくなる、ということは経験はしていない。
 以前に気に入った作品に対するときは、「前回はここが気に入ったけれど、今回はどこが気に入るだろう」ということを思いながら作品を見つめるようにしている。そうすると、新しい発見をしようということに意識が集中して、前回気に入ったことについてはあまり意識は向いていかない。それが「気に入らない作品の仲間入りにしよう」ということに繋がらない原因かもしれない。新しい発見が無ければそのまま次の作品の前に移動してしまう。あまりひとつの作品にこだわって見ていると全体を見渡せなくなるからだ。

 明日は朝10時から2時間の講座がある。今日のように寝坊はしていられない。

横浜美術館でコレクション展など

2016年03月16日 21時45分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は横浜美術館に行ってきた。すでに見ている「村上隆のスーパーフラットコレクション」展と、「横浜美術館コレクション展2015年度第3期」を再度目にしてきた。

      

 「村上隆の‥」では、展示の最後のコーナーにあったアンセルム・ライラの2007、2009、2006年作のいづれも「無題」という作品。
 大胆な色も面白いが、無秩序な紋様なようでいて不思議な緊密性を感じる。計算されつくされた紋様ないし形だと思った。いつまでも眺めていたい衝動が湧いてきた。こんな気分は最近の彫刻作品では初めて味わう気分であった。
 作られた年はそれぞれ違うが、展示されているのと同じ並び方が私は一番気に入った。左から緑、赤、銅の色合いも惹かれた。



 コレクション展では、ジョルジュ・ブラックの「画架」(1938)がまず今回は印象に残った。私の好きな画家のひとりであるジョルジュ・ブラック。1882年に生まれ、1963年に亡くなったブラックにとってはこの年は50歳。このころの特徴を備えたブラックならではの作品ということである。私は鮮明で明確な色彩の面、色の対比へのこだわりなど感じる。
 茶色の不思議な形、椅子の木目の不思議な魅力、背景の黒に描かれたグレーノ紋様、パレットに残る不思議な形、瓶にいけられた紫色の植物の冷たい色合い、槍のように天地を貫く棒のような黒く強い線。どれもが見ていて飽きない。

   

 マックス・エルンスト「子供のミネルヴァ」(1956)、ギュスタープ・モロー「岩の上の女神」(1890)も大いに目をひいた。
 二人共まだ語る知識もない。作品を見て大いに心を動かされたことは残念ながら記憶には無いが、しかしいつも引っ掛っている画家である。いづれ語れるように多くの作品に接して勉強したいと思っている。特にモローはジョルジュ・ルオーの師でもあり、興味を惹かれる。


佗助(わびすけ)

2016年03月16日 11時45分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 最近はブログにアップする文章を午前中に書いてから、講座を聴きに出かけたり、美術館・博物館に出かけたりしている。この午前中の文章がサブメインの記事である。CDの感想であったり、絵の感想であったりのパターンになっている。夕方から夕食後にかけて、講座の感想だったり、美術展の感想だったりする。これが一応メインである。最後に22時過ぎに日録風に記事を書いている。
 本日はかなり朝寝坊をした。記事を書くエネルギーも湧いてこなかった。

 3月も中旬になって、風邪もやっとのことで治り、腰痛もおさまり、これまでよりは多少暖かくなったので、久しぶりにウォーキングに出かけようと思っている。急にあまり長く、早く歩いてもまずいので、2時間未満のコースを想定していつもの道を歩いてみたい。
 と思っているうちに雲が出てきて、陽射しが隠れてしまった。天気予報どおり。



 「時には本の話でも‥」に白い佗助の写真が掲載されていた。思わず次のようなコメントを書かせてもらった。


 佗助というと、「「もうひと花を‥」という執着心が湧いたら、それは前の花よりももう一回りも二回りも、さらにもっと小さく控え目なものを考えた方がいい。その方が深みがある」という趣旨のことを国語の先生が云っていたと記憶しています。ミッションスクールでしたが、言っていることは(日本的)仏教観の世界ですね。

佗助のいまひとたびのさかりかな  中村若沙


 ここで「国語の先生」とは、確かもう亡くなった先生だったと記憶しているが、自信はない。別の先生だったかもしれない。直接聞いた授業の時はそのまま受け流していたようだが、大学生の時、なんのきっかけだったか、ふと頭に浮かんできた。言葉の趣旨は鮮明に思い出したが、どんな教材の時だったか、何年生の時だったか思い出せない。そのもどかしさとともに未だに記憶している。直接聞いた時からの記憶ではなく、ふと思い出した時からの記憶である。ひょっとしたら直接聞いたことは無かったのかもしれない。そんないい加減な記憶だが、未だにこの言葉は頭に残っている。
 記憶とは不思議なものである。
 そして「佗助のいまひとたびのさかりかな」の句はたまたまこの記憶に沿った句であることに気がついたのはいつのことだったか。数年前に歳時記をめくっていて気がついた。侘助は侘助とも書く。私は「佗助」という字が理由はないが好きである。

 佗助の花と椿は違うのだが、見た目にはわからないのでネットで検索した結果をまとめると、佗助の特徴としては、
1.花は一般に小さく、一重・猪口咲きのものが多い。
2.雄しべが花粉を生じず、同時に雌しべも結実しにくい。
3.やや早咲きの傾向。
4.花に強い香りを持つ。
5.子房に毛がある。
6.花色が紫を帯びた桃色、赤、白になるものが多い。

 名前の由来はよくわからないらしいが、「佗び数寄」によるという説や、「佗助という茶人が好んだから」という説などがある。
 薄田泣菫が随筆『侘助椿』の中で以下のように書いているという記述にであった。
「この椿が侘助といふ名で呼ばれるやうになつたのについては、一草亭氏の言ふところが最も当を得てゐる。利休と同じ時代に泉州堺に笠原七郎兵衛、法名吸松斎宗全といふ茶人があつて、後に還俗侘助といつたが、この茶人がひどくこの花を愛玩したところから、いつとなく侘助といふ名で呼ばれるやうになつたといふのだ」
 これも近代以降の伝聞による記述だから、本当のところは?にしておいた方が良さそうである。