Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は早出

2015年03月11日 22時52分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は早出のため家を6時に出なくてはならなくなった。これはつらい。私がこんな早い時間に家を出るのは、登山に行くときか、どこか旅行に行くとき以外にはまず考えられない。
 普段は早くて8時位に起きている。お昼前の11時位まで寝ていることもある。大げさに言えば、生れてこの方、「早起き」という言葉とまったく無縁に生きてきた。

 明後日から甲府の近くの温泉に休養を兼ねて2泊する。その直前の日に早出である。現役の頃には1か月位先を見通して「この日は開いているから今の内に休養の予定を入れてしまおう」と決断してもほとんどの場合、結局は前日の夜遅くまで仕事をこなしたり、組合の会合で帰宅が遅くなり、落ち着いて準備をしたことがない。
 夜中過ぎに帰宅して、3時頃までかけてリュックに着替えなどを詰め込んで、2時間ほどの仮眠で新幹線や中央線に乗り込むために起き出さなくてはならないようなときばかりであった。ひどい時には徹夜交渉で、ひとりだけ夜遅く旅館に駆けつけ、夕食を家族とともにできなかったこともあった。父親としてはまったく失格であったと思う。
 朝起きて一緒に列車に乗っても、列車の中では家族との会話も出来ずにひたすら寝ていた。子供も呆れ果てて相手にしてくれなかった。60歳過ぎても同じような旅行では妻には申し訳ないのだが、この調子では一生そのようなことばかりになりそうである。

 本日はこれから担当するブロック向けの退職者会ニュースを印刷してしまわなければいけない。旅行から帰ってから印刷したのでは間に合わない。明日の帰宅も21時位になってしまいそうである。

本日は東日本大震災4周年

2015年03月11日 00時04分11秒 | 天気と自然災害
 私には、忘れることのできない東日本大震災の起きた日である。

 風化、忘却という言葉があるが、昔からこのような災害は人々の記憶に、生のままではないかもしれないが、意識の底にキチンと累積されてきた、と私は信じている。
 私は横浜でこの震災を起こした地震を感じた。その時点から約一か月間、自分が何を見、何を体験し、何を知り、どう行動し、どのように判断し、情報をどのように受取り、どのように考えたか、これを毎年思い出すようにしている。

 東北3県をはじめ北海道から東海までの太平洋岸のような津波や、福島・宮城の原発事故のような体験はしていないが、横浜でも大きな揺れがあり、停電があり、帰宅困難者になり、仕事関連でも液状化の後始末をし、組合活動で被災支援に多少はかかわり、自分の団地の建物の対応に携わり‥という程度のことは体験した。この体験も反芻することにしている。

 記憶というのは、必ず時間のフィルターをとおしている。だから直接の体験が生のまま記憶されているわけではない。どこかで忘却と誇張とが綯交ぜになっている。それは人間の体験の記憶としてはやむを得ないことである。意識的な誇張や忘却を避けながら、時間のまゝに思い出すことを意識して、頭の中で点検すればいいのだ。
 そして妻や子供と時々ふとした対話の中で、そのことを話し合う時間があればなおいいかもしれない。語ることは記憶を更新することでもある。それは伝承としてどこかで活かされてくることもある。同時に自分が社会の中で生きているうちにふとしたはずみで他の人に、それが伝わることもあるかもしれない。敢えて他人に伝えようとしなくても伝わることもあるはずだ。
 何もシャカリキにならなくとも、時間とともに伝わる可能性は常にある、と信じたい。

 まずは、亡くなった方へ思いを致し、その日を思い出すことをしたい。