本日読み終わったのは「名画を見る眼」(高階秀彌、岩波新書)。昔のように電車の中で一定期間読むという習慣が無くなって、なかなか読書タイムが取れない。時間があっても眼が疲れ易くなってすぐに目を閉じてしまうようになったことも読書が続かない要因となっている。特に揺れる電車の中や、外の太陽の光のもとではいっそう厳しい。読みたいという熱意と気力が衰えていることも大きな要因であることは否定できないが。
この書も結構時間がかかった。しかし多くの美術の啓蒙書の中で書かれていることの原点のようなことが書かれている。いくつかはすでに聞いたり、教わったことがあり、その出展や根拠、ネタはこの書なのか、と合点した個所がいくつもある。
それほどまでにこの書の影響は大きかったのだろう。私ももっと以前に眼をとおせばよかったと反省している。
全15画家の15作品が取り上げられている。西洋の油彩画の創始者でもある15世紀前半のファン・アイクの作品「アルノルフィニ夫妻の肖像」(1434)からはじまり、19世紀後半の近代絵画の革新者エドゥワール・マネの「オランピア」(1863)までを取り上げている。
本日は電車の中で最後の3作品(ターナー「国会議事堂の火災」(1835)、クールベ「アトリエ」(1855)、マネ「オランピア」(1863))を読んだ。
ターナーについて「印象派の先駆者であり、近代への扉を開いた重要な芸術家であるが、他面、ロマン派的心情を多分に備えた伝統主義者でもあった」「印象派の先駆と云われるのは、風景を見事な色彩によって抒情的に描き出したからであるが、色彩そのものから言えば、マネやピサロの四季サイトは本質的に違っている。印象派のように科学的な光学理論に基づいたものではなく、特異な映像世界から生まれたものであるからだ」と評している。
クールベについては「市民社会を告発する社会主義的作品のために19世紀における最初の反逆者のひとりに数えられているが、表現技法上から言えば、まだまだ伝統的であって、反逆者でも革新者でもない。従来の表現をすっかり変えてしまう近代絵画の革命は、マネによって幕を開ける。クールベは思想的には急進派であったが、画家としてはルネサンス以来の絵画の表現技法を集大成してそれを徹底的に応用した伝統派であった」としている。
マネについて「19世紀の絵画を近代絵画の方向に大きく推し進めた革新者であった。自ら革命家であろうとしたクールベよりも、市民社会のなかで自己の地位を保とうとしたマネの方が結果としていっそう革命的であったのは皮肉な話である。マネ以降近代絵画が三次元的表現の否定と平面性の強調という方向に進む」と記載してある。
ターナーとクールベとマネの評として、とても魅力的な指摘だと感じた。この指摘を反芻しながら絵画の歴史を辿ってみたいと思った。
「続 名画を見る眼」を引き続き読むが、この本はモネの「パラソルをさす女」(1886)からモンドリアン「ブロードウェイ・ブギウギ」(1943)までの14人の画家の14作品を取り上げている。