Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜美術館「賛美小舎」-上田コレクション展

2013年04月21日 23時01分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほど横浜美術館におもむいたおり、コレクション展も見てきた。6月16日までの会期で『「賛美小舎」-上田コレクション展』。
 若手美術家の可能性を支援しようと夫婦で集めた45作家360点以上の作品が10の公立美術館に寄付されたらしいが、横浜美術館は最多の175点を収蔵しているとのこと。今回は36作家146作品が展示されている。
 説明書きにあった「日本文化(民族)の根底には賛美の心がある」と日本だけに限定しているがそれはまずいんではないの、とちょっと腰が引けてしまったり、列島の文化は単一民族ではないんだよ、と一言いいたくなるが、いい作品があればそれはそれで素直に鑑賞しようと思う。



 私には理解できない作品も多くあった。またなかなかとまどったものもあった。今回特に心に残ったのは、川崎麻児(かわさきあさこ、1959年生まれ)という作家。上田コレクションの解説にもあるとおり、このコレクションの契機となった作家らしいが、「沈思黙考」という言葉がぴったりの作風だ。じっくりと静かに心を落ち着けて鑑賞できる数少ない現代アートという感じた。この「沈思黙考」は私のいつも心に座らせている言葉でもあるので余計に気になった。

   

 掲げた作品は「静かの海」という作品。静かな海ということなのか、月面の「静かの海」からながめた地球なのか判然としない。月と思われる天体の周りのもやもやが雲だと解釈して、私は前者と思った。波の描写に心惹かれた。静かに何かを考えさせる内省的な絵だと思う。月の光と思しき光の柔らかさと、それが波に反射する様子がとても静謐だ。現代美術のどちらかというと精神を気ぜわしく刺激する傾向とはまったく正反対の指向を好ましく感じた。
 この他に「赤い月」という作品も撮影したかったが、ガラスの額物に入っていて室内灯が反射し撮影者の姿が入ってしまうので撮影は断念した。他に「砂の海」も同様に断念した。この3作品、とても気に入った。
 その他に名作再訪という名のシリーズは井伏鱒二「黒い雨」、堀辰雄「風立ちぬ」、壺井栄「二十四の瞳」、田宮虎彦「足摺岬」など10人の作家の作品の東京新聞の挿絵原画などがあった。しかしこれはちょっと通俗的過ぎるような、一般受けする心象に流されてしまっているように感じた。しかし画面はとても静かで落ち着いている。

 他には石原友明・武田州左(たけだくにさ)という作家も惹かれた。
 ともに残念ながら写真の撮影をしなかった。この次の機会に撮影してここに追加で掲げようと思う。


「熱々 東南アジアの現代美術」展感想(その2)

2013年04月21日 21時18分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 前回、「東南アジアの」現代美術」展の感想を記載した。他のブログを検索していたら、作家や作品が偏っていないか、ラオスが抜けているのはどうしてか、などの指摘があるブログがあった。ベトナム・カンボジアが少ないことも気になった。これについては私も同じ感想をもった。
 ただし、1回の企画展でしかも規模の大きな横浜美術館でもこれ以上の作品を網羅して展示するのは限界があることは考慮しなくてはいけないとは私ははじめから考えていた。ラオスの作家や作品が無いということについては、私も残念だと思う。 シンガポール美術館の収蔵品に該当作品がないのか、あるいはならやむを得ないのだが、主催の「公益財団法人 横浜芸術文化振興財団」や横浜美術館からの「残念ながら」というコメントはなかった。意図した取捨選択が無いことを願うしかない。ラオスについては国家そのものが、かなり財政的にも厳しい現実があることは承知をしている。しかし美術の「ラオスの今」を体現する作家はいないことはないと思う。
 私はひとつの企画展にすべての要素を放り込むことは困難でもあるし、全体が見渡せることなどありえないと感じている。網羅するには国別に、あるいは個々人の作家にスポットを当てるしかないと思った。それだけ東南アジアの美術の現代は当然にも膨大で、あらゆる要素・傾向があるはずだ。それをひとつの枠に当て嵌めて全体を俯瞰するというのはとても困難なものがあるようだ。もしもそれが可能だとしてもどこかに齟齬は、もしくは掬い取れないものが、あると思う。
 普段目にすることのない企画、限界も問題もあるだろうが、目にする機会があったこと自体を素直にありがたいと思うことにしている。

 さて、私がシャノン・リー・キャッスルマン(シンガポール)の「東南アジアの屋台車」について着目して写真を一枚ブログにアップしたら、友人のSさんから
『「東南アジアの伝統的ストリート文化」と解説されていたようですね。これは、面白いですね。‥、この「屋台」への着目の面白さは、「伝統的ストリート文化」というより、庶民の「したたかな」生活感の一つの象徴にあるのではないでしょうか。ちょっと、そこに着目するのも、いいなと思った』
とのコメントをメールでいただいた。
 さすがSさん、わかっていらっしゃる。私も同じ思いでアップしたので、早速本日雨が上がった14時に横浜美術館までウォーキングがてら出かけた。5枚組みの写真作品なので他の4枚も撮影してきた。(ただし、テレビで三国連太郎の追悼番組が放映されていたので、出発は1時間半遅れてしまった。そしてとても寒かった。)
 4回ほど訪問した韓国でも屋台は市場などで道に溢れていた。しかし日本と同じく、多分道路法などで規制されているらしい。市場以外は見かけなかった。日本では道路法で特に歴史的な行事以外は認められなくなっている。福岡では屋台が有名だが、やはり困難になっていて、かなり減ったと聞いている。交通事情や衛生上のことを考えると存続はやはり、かなり困難な状況だと思う。横浜でも横浜駅西口の川沿いのおでんの屋台も一代限りとなり、順次撤去・営業停止となっている。確かに食器も簡単な洗浄しかしないし、洗浄した水を川にそのまま捨てている。便所も路上だから衛生上・美観上の問題点は多い。決して安くはない。しかしファンは多い。雰囲気を愛する人も多い。

 屋台車の作品と説明は次のとおり。展示されているのは5点組み。それぞれがどの都市なのかは示されていない。