風が本日も麻からうなりをあげている。雨が今にも振り出しそうな空である。今年の春は例年に較べて風がとても強いと感ずる。春は風が強い季節だが、こんなにも強い風がこれまでも吹いただろうか。雨も多いのではないだろうか。気温が3月は異状に高かかったが、この風も異状ではないだろうか。
本日は朝はかかりつけの病院、午後はみなとみらいホールに「モーツアルトホルン協奏曲全4曲」を妻と聴きに行く。夜は、一人で知人の企画したライブに誘われて参加することになった。
こんなにジャンルの違いがあるコンサートに午後と夜に参加するのは、なかなかない経験だと思う。頭が混乱することは間違いなさそう。
昼の部はいつものみなとみらいホール、今の横浜を象徴するような地区にあるホールで行われる。
夜の部の会場は横浜駅のとなりの東神奈川駅の傍。そう、あの相模原補給廠からベトナムへ搬出される戦車を村雨橋で阻止した戦車闘争の一番の舞台となった場所である。当時仙台から横浜に帰省していて神大の学生部隊と一緒に戦車の下にいたことをあらためて思い出した。
当時飛鳥田横浜市長が陣頭指揮をとっていた横浜駅西口の東急ホテルは、駅舎の再開発で解体されたばかりで、現在はない。
1963年に小学6年のときに横浜市の「健康優良児童」として表彰を受けたときに飛鳥田市長から賞状を直接もらった。1階の赤い絨毯のある貴賓室だった。1972年のこの闘争では連日飛鳥田市長がテレビに映っていた。飛鳥田氏のブレーンの一人として市政の中枢にいたの鳴海正泰氏が東北大出身というだけで、(はっきりいって何の根拠にもならないことは十分承知をしていた)横浜市の採用試験を受けて1975年に横浜市の採用試験に合格して辞令をもらったのが飛鳥田市長。といっても理学部の私には技術系の試験科目はまったく講義を受けたこともない科目ばかり。やむなく事務職の試験を受けるため法学部の友人にアドバイスをもらって夏休み一ヵ月半、行政法・労働法・憲法の関係の書籍を10冊ほど購入して必死になって勉強をした。
そんなことを夕べつらつらと思い出した。
コンサートの感想は、明日以降にアップするしかないようだ。