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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書8月号」その1

2024年08月02日 20時59分18秒 | 読書

 先日届いた岩波書店の「図書8月号」を忘れていた。本日はリュックを軽くすることも考えてこれを持参で出かけた。
 横浜駅近くのオフィス街にあるいつもの喫茶店まで歩いた。猛暑の予想であったが、33.9℃と少しばかり低い最高気温。別に涼しく感じたわけではないが、喫茶店では眠気に襲われなかった。そして暑い季節のウォーキングのあとは短い文章のほうがいい。

 本日目を通したのは、次の10編。

・【表紙】ああ、あの美しかった川は      加藤清允

・哲学の真剣勝負              野矢茂樹

・「もはやない」状況と「まだない」状況    酒寄進一
私たちが生きている今は「まだ1928年ではない」のか、それとも「もはや1928年ではない」のか、どちらだろう。私は今を「無為に過ごし、ケストナーのように「焚書」に立ち会いたくはないと切実に思う。

・物語を語らぬ絵本             木下眞穂
「戦争は、自分がどこて怖れられ、歓迎されるのかを、よくわかっている」「戦争は、何も知らない人たちの柔らかな夢に入り込む」――。『戦争は、』の一文一文すべてが、今の状況をなぞっていることに戦慄を覚える。

・女性落語家増加作戦             柳亭こみち

・プッチーニが聴いた「越後獅子」       桂小すみ

・ウンガレッティの“俳句”と感性       ディエゴ・マルティーナ

・反対語から考えを深める           塩瀬隆之
「平和の反対語は?」と尋ねられたら、何という言葉を思い浮かべますか?最初にうかぶ言葉の一つは「戦争」ではないでしょうか。しかし、私達戦争を直接に経験していない世代は、戦争についてちゃんと理解できているとは言い難い。・・そう考えると実は私たちは平和というものを考える土台を、そもそもちゃんともっていないのではないでしょうか。

・世の中疎む? 親しむ燈火なのよ       前田恭二

・船戸与一さんの場合             山田裕樹

 最近、この図書の各編の論点が私の思いと少しかけ離れていると思えるものが多くなっているように感じる。少しばかり期待しすぎる点や、素直に読めない論稿が多くなっている。時代への対処の仕方や、状況への判断にズレが生じているのかもしれない。刺激が少なくなっているという言い方が当たっているかもしれない。
 ただし、もうしばらくは読み続けてみたいとは思う。


「老いのかたち」(黒井千次)  再読

2024年08月01日 22時19分44秒 | 読書

   

 本日は猛暑にはならなかったものの最高気温は32.6℃。やはり暑かった。7月中は実に40万歩近くも歩いていたこともあり、昨日から本日は少し休養。
 お疲れ気味の時は、長い文章の本はやはり敬遠。黒井千次の「老いの〇〇〇」シリーズの最初の「老いのかたち」を引っ張り出してきて、喫茶店で涼みながら少しだけ目を通した。すでに拾い読みをいくつかしているが、4年近く前のことなので、とぎれとぎれの記憶しかない。ということで、初めから読んでみた。
 このブログにも2022年頃に感想にならぬ感想を書きかけで終わらせてしまっていた記憶がある。

 2005年から2009年まで、作者が73歳から77歳までのエッセイである。私も今月初めには73歳、この文章を作者が書いたとき、身の回りで感じたときと同年齢である。

 昔拾い読みしたときは何となくピンとこなかったが、どこか切実に共感できるようになった。

 本日は最初の6編を読んだことの報告だけにさせてもらい、感想なりは後日。


「「川の字」文化の深層心理学」 2

2024年07月26日 20時01分43秒 | 読書

   

 昨日・本日と喫茶店での読書は「「川の字」文化の深層心理学」(北山修・萩本快編、岩波書店)。
 この本は、これまでに「まえがき」、「序としての随想」、「第Ⅰ部「「川の字」文化と心の問題」の第1章~第4章、第Ⅱ部「「川の字」文化から臨床を問い直す」の第5章を読み終わった。
 精神分析は知識はないので、なかなか理解できないところも多々ある。慣れるしかないようだ。


水木しげるの短編から 2

2024年07月24日 23時12分16秒 | 読書

 本日も頭は暑さでお疲れ状態。読書に自信がなく、「水木しげる厳選集 異」(ヤマザキマリ編、ちくま文庫)をリュックに入れた。(申し訳ない言いかたで、著者の水木しげる氏には失礼します。)
 とはいえ、選択は間違っていなかったと思う。頭のなかが少し涼やかにおさまった。読んだのは「きつねの座布団の巻」(1975年)、「屁道」(1969年)、「猫の町」(1967年)。いづれも私は初めて読むのだが、1960年代後半というのを実によく反映している、と感じる作品である。
 たぬきの睾丸に描いた顔の妖怪など、多分当時も大人には顰蹙ものだったのだろうが、週刊の少年漫画雑誌掲載ということに笑いが止まらなかった。
 「屁道」もオナラの達人めざして茶道・武道と同じく「道」にしてしまう仙人や哲学者もどきの老人が登場する。ナンセンス漫画的だが大人の「まじめさ」を虚仮にした辛辣さが匂う。これも週刊の少年漫画雑誌掲載。
 「猫の町」は逆に大人向けの漫画雑誌掲載だが、前2作よりもほのぼのとした大人の童話的な要素が強い。大人向けの作品のほうは辛辣さがなく、救いが見えている。

 一人で入った2軒目の喫茶店でアイスコーヒーの氷が融けるまで、こんなことを考えて、楽しんでいた。


読了「西行 歌と旅と人生」

2024年07月18日 12時18分21秒 | 読書

   

 「20.西行から芭蕉へ」、「21.文化史の巨人・西行」、「おわりに」に目を通し終わり、「西行 歌と旅と人生」(寺澤行忠、新潮社)を読み終えた。
 芭蕉の西行の歌を念頭に措いた句について、これまでは知らなかった多くの指摘があり、参考になった。
 しかし芭蕉は西行の歌や生きざまに何を見、何を汲み取ろうとしたか、何を捨象したか、判らないところがある。芭蕉という俳人について自分が理解できていないことの証左であるのだろう。

 「通常の社会生活を断念ないし放棄した人間が、かえって同時代ならびに後代に、きわめて大きな影響を与えたことは、歴史上の一種のパラドックスとも言うべく、単に和歌史の上のみならず、思想史、文化史の上で、稀有の存在・・」(21.文化史の巨人・西行)

 この結語については、これまで幾度も違和感を記載した。時代や社会との格闘・軋轢、政権上層部との意識的な接近と緊張感こそが、西行説話の源である、という私の持論は手放したくない。


水木しげるの作品

2024年07月17日 22時14分50秒 | 読書

 本日も雨に遭遇してしまった。夕刻近く外に出たら大きな雨粒が落ちてきた。次第に激しくなり、5分後には傘に叩きつけるように降り始めた。傘を持参していなかったらびしょ濡れになるところであった。失敗はザックカバーをザックの中に入れていたのに、すっかり忘れていたこと。中の本が少し濡れてしまった。大事には至らなかった。

 本日は昨日とは違い、一人居酒屋。ハイボール2杯を冷奴ひとつで。安く飲んだ。直前に有隣堂で購入した水木しげるの「厳選集 異」(ヤマザキマリ編、ちくま文庫)の中から2編程を詠んだら眠くなってきたので、本を綴じた。水木しげるは1970年頃から時々読んでいた。好感の持てる作品が多かった。

★「一番病」 現役時代の自分を思い出してしまった。上昇志向はなかったが、労働組合の役員として、多分に上昇志向のバイタリティーと同じようながつがつとした人生であったことは否定できない。
★コケカキイキイ 顔に似合わず“実力闘争”も辞さない体制へアンチを取り続ける妖怪。妖怪の出自は国に捨てられた老婆、親に捨てられた赤子、飼い主に捨てられた猫、宿主が死を迎えているシラミの生きる執念が合体して結実したもの。現代にもよみがえらせたい気がする。

 1969年、1970年の作品である。あの時代を彷彿とさせる。時代を象徴した作品群に敬意。

 


「西行 歌と旅と人生」 7

2024年07月15日 20時48分41秒 | 読書

   

 本日は「18.示寂」と「19.西行と定家」を読み終えた。

 有名な西行の一首を引用している。

願はくば花の下にて春死なむ その如月の望月の頃    (山家集)

 著者も記す通り、西行の死よりも10年も前に編まれた「山家集」所収であるから、所謂辞世の歌ではない。
 しかし実際にこのような時節に亡くなったという。1190(文治六)年2月16日、73歳での死である。

 西行の死に接して交流の深い歌人の歌が並べられている。
願ひおきし花の下にて終わりけり 蓮の上もたがはざるらむ  俊成
望月の頃はたがはぬ空なれど 消えけむ雲の行方悲しな    定家
君知るやその如月といひおきて 詞におくる人の後の世    慈円

 このようにして西行伝説は生まれていった。著者も「日頃の願いを詠み置いたものと解釈」「誠実に生きた人生の、まさに大団円というべき終焉」(18.示寂)と記している。

 しかし私は、昨日のようにこの「願はくば花の下にて・・」の一首にも、「現実過程」と「西行の理想」の落差、どろどろとした現実に苦闘する西行の像をより強く想像してしまう。
 現役時代も、退職後も日々の人々との軋轢や、組織のしがらみの中でもやもやしながら、深夜にふと「死ぬときくらい、こんな死に方にあこがれるな」と漏れ出てくるため息に似た「願はくば花の下にて・・」ではないだろうか。
 たまたま終焉がそうであったとは、うらやましいのひとことである。大団円などとは違うのではないか。

 実は、昨日引用した歌についても慈円の哀悼歌を引用している。
風になびく富士の煙の空に消えて 行方も知らぬわが思ひかな     西行
風になびく富士のけぶりにたぐひにし 人のゆくへは空にしられて   慈円

 定家も慈円も知っていたのではないだろうか。西行という人格が伝説化されるだけの力があること。その根拠は、死が日常化しているような災害と争いの時代に、現実の政治的な諸関係の格闘の中で、ふと漏れたため息のような歌群を作り続けたこと。武家と貴族・天皇、源・平・奥州藤原の複雑な関係を豪胆にかつ手玉に取るように躱し続けた力技が多くの人をひきつけていること。
 これらが合わさって臨終の様が伝説化されていく必然について十分承知していたと思われる。定家の「紅旗征戎 我がことにあらず」(明月記)という強い決意ながらも、定家自身は後鳥羽院政に振り回され、承久の乱に遭遇し、御子左家の家の確立に奔走せざるを得なかった。
 そんな定家と西行は似通っているという視点を私は持っている。西行は「我がことにあらず」とは言わなかったが、遁世しつつ現実過程を正面から引き受けたように推量している。それが最晩年では奥州への旅となり、頼朝との駆け引きであったのではないか。

 こんな思いを数十年ぶりに思い出している。


「西行 歌と旅と人生」 6

2024年07月14日 21時41分22秒 | 読書

   

 「西行 歌と旅と人生」の「16.神道と西行」、「17.円熟」を読み終わった。

 西行の最晩年の歌として有名な歌がある。

風になびく富士の煙の空に消えて 行方も知らぬわが思ひかな  (新古今集)

 この歌について「(慈円は)西行自らが、この歌を自嘆歌の第一にしていたという事実を伝えている。この歌によって、歌いたいものを歌い切った、という強い思いがあったのではなかろうか。西行の歌人としての生き方を締めくくる生涯の絶唱」(17.円熟)と記載がある。

 私もこの歌がとても気に入っている。しかし私は、「歌いたいものを歌い切った」という断定には与したくはない。歌自体からは「煙の空に消えて 行方も知らぬ」という句からはどこか諦念のような、あるいはもどかしさすら漂ってくると私は感じている。
 人間、そんなに「やり切った」という満足感というのは生涯の末近くなったという自覚のある時に訪れてくる感慨であろうか。あったとして「ここまでだったか」「時代は自分の思うところには行きつかない」という諦念の方が私には大きいような気がする。
 その私の気持ちをさらに強くするのは、次のエピソードがその後に起きているからである。

 1186年、鎌倉に辿り着いた西行は頼朝に面談を求められ(頼朝が鶴岡八幡宮で偶然西行を見かけたことになっているが、私は事前に何らかの互いの水面下の折衝があったと当然のように思っている。西行はそのような駆け引きもきちんとこなす人である)、「歌道ならびに弓馬のこと」を下問されている。最初は「弓馬」=兵法のことは「罪業の因たるによって、その事かつて心底に残し留めず、皆忘却しをはんぬ」と断っている。
 幕府を開く直前、平家から取り上げた荘園を500余を得、関東6か国を知行する権力の頂点をめざす武家の棟梁に対して「(兵法のこと)皆忘却しをはんぬ」とは豪胆な言いぐさである。現在に当てはめれば、東京都知事に面談する段取りとなり「あんたの政治に利するようなことなんか言わないよ」と開き直っているのである。たいした度胸である。
 何しろ、平家との人脈が強く、奥州藤原氏との同族という家柄であり、家を継いだという弟は荘園の利害で源氏とは相容れない関係である。首が飛ぶ緊張感が漂う面談である。吾妻鏡の記載は、ひょっとしたら頼朝による西行の連行・取り調べではなかったのかと勘ぐることもできる。

 頼朝が面談を請うたのは、奥州藤原氏の動向、平家の動向というなまぐさい背景がある時期である。出家者であり、政権に近い歌人であっても、この面談の背景は生臭い。結局西行は無理強いする頼朝に根負けする形で「弓馬のこと」を話をしているが、どのようなものであったかは詳らかではない。それほど血なまぐさい政治が、政権に近い貴族や武士・僧侶の周りには渦巻いている。
 だからこそあの西行の歌群が生まれたのである。この有名な吾妻鏡の挿話があるかぎり、「歌いたいことを歌い切った」という境地ということには与したくない。

 二度目の奥州紀行で秀衡から砂金の寄進を得て文覚の依頼を達成した西行は、京都の嵯峨にすむ。「聞書集」の「たはぶれ歌」13首から10首を引用している。私も好きな歌である。ここでは冒頭の1首をあげると、

うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の 声におどろく夏の昼臥し

 この「たはぶれ歌」13首の方が、私には最晩年の境地が漂ってくるように思える。


本日から「「川の字」文化の深層心理学」

2024年07月13日 18時06分52秒 | 読書

   

 「春画のからくり」以降、何を読むか悩んでいたが、昨日2,970円もするので躊躇っていた「「川の字」文化の深層心理学」(北山修・萩本快、岩波文庫)を購入した。
 「西行」ももうすぐ読み終わるので、併行して読むことにした。
 本日は、「序としての随想 北山修」にとりあえず目を通した。
 心理学の本は、読みこなす自信はないが、常に入門書が読みたいと思ってきた。この本の最後の第9頌は「「川の字」文化にみる日本の性と育児」(田中優子)となっており、読み終わったばかりの「春画のからくり」(田中優子)からの流れもあり、興味深い。
 心理学関係の本と言えば、理解できたとは思えないが、みすず書房の中井久夫の評論集を読み続けたのはものの考え方や視野を広げる一助になったことは記憶に新しい。今回もそれを願っている。

 


「西行」から 5

2024年07月08日 20時42分37秒 | 読書

   

 本日目を通したのは、「13.海洋詩人・西行」、「14.鴫立つ沢」、「15.西行の知友」の3編。
 伊勢の海の、白石からなる答志(とうし)島と、黒石からなる菅(すが)島を詠んだ2首
★菅島や答志の小石分け替へて 黒白まぜよ浦の浜風
★合はせばや鷺と烏と碁を打たば 答志菅島黒白の浜
 著者は「明るい海の風景と余裕のあるユーモア」とこの2首を評している。私は万葉の頃からの伝統である「地霊への敬意と挨拶、旅の安全祈願」の範疇に入るものであると感じた。源平の騒乱の時まで、このような短歌の伝統が生きていたという類推は私の思い過ごしだろうか。こう考えないと「ユーモア」にもならない歌なのではないか。

★心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮    (新古今集)
 この1首は、私が初めて西行の歌として教わった忘れられないものである。

 本日は「西行の知友」に取り上げられた歌が、印象に残っている。
 まずは、いっしょに出家した西住の死を悼んだ有名な1首
★もろともに眺め眺めて秋の月 ひとりにならんことぞ悲しき  (山家集)
 こういう月に託した哀傷歌は西行ならでは、ではないだろうか。

 西行の知友として有名なのは「寂然」である。
 西行からの「山深み」で始まる10首、寂然からのかへしの10首は末に「大原の里」を配している。
 この計20種の中から私が今から40年以上前にチェックをいれた4首ずつを記してみる。今の選択と変わらないのが不思議だ。
 西行
★山深み窓のつれづれ訪ふものは 色づきそむる黄櫨(はじ)のたちえだ
★山深み岩にしだるる水溜めな かつがつ落つる橡(とち)拾ふほど
★山深み榾(ほだ)伐るなりと聞こえつつ 所にぎはふ斧の音かな
★山深み馴るる鹿(かせぎ)のけ近さに 世に遠ざかるほどぞ知らるる

 寂然
★ひとりすむおぼの清水友とては 月をぞすます大原の里
★なにとなく露ぞこぼるる秋の田に 引板(ひた)引き鳴らす大原の里
★山風に峯のささ栗はらはらと 庭に落ち敷く大原の里
★葎(むぐら)這ふ門は木の葉にうづもれて 人もさしこぬ大原の里

 各10首の中でも、「あはれ」「すごき」「こころぼそき」「かなしき」などの主観的な語を含む歌は取っていない。叙景に徹したようなものにチェックが入っているのが、自分ながら嬉しかった。言葉からおのずと醸し出される感傷が私は好みである。
 そうはいってもさまざまな言葉が宗教的な意味合いを持って使われていたり、言葉がもたらす情感は西行の頃と現代とでは違いがある。私には理解できるものもあるが、理解が行き届かないものもたくさんある。それは現代の言葉の持つ意味合い・情感・喚起力で理解するしかない。


「西行」から 4

2024年07月07日 18時15分03秒 | 読書

 最高気温が来年最高気温の34.7℃となった横浜。神奈川県下では小田原で37.7℃、海老名で35.6℃となったが、そこまでならなかったのはさいわい。
 しかし横浜駅界隈はアスファルトとビルの照返しで、もっと高くなっていたかもしれない。そんな中、怖れをしらず横浜駅まで往復1万歩歩いてきた。途中で塩飴とウーロン茶をコンビニで購入して、ひと息。
 本日は昨日のような不安定な気象状況ではなく、雷雨はない模様。

   

 横浜駅は昨日よりは人出は少なかった。喫茶店では割とゆったりと読書タイム。「西行 歌と旅と人生」の「10.四国の旅」、「11.地獄絵を見て」、「12.平家と西行」までを読み終えた。

 崇徳院鎮魂の作品はいつも惹かれる。
★かゝる世に影も変らずすむ月を 見る我が身さへ恨めしきかな
★よしや君昔の玉の床とても かからん後は何にかはせん        (山家集)

 


読了「老いの深み」

2024年07月05日 21時49分34秒 | 読書

   

 買い物をする前に涼んでいた喫茶店で短時間の読書。「老いの深み」(黒井千次、中公新書)の最後の4編、「鮮度の異なる〈老後の自由〉」、「行事か事件か、転倒問題」、「歳上女性からのいたわり」「西日に感じた宇宙」を読み終えた。

六十代以降の「自由」は、前から自由業を営んできた人の自由と、新しくそれを手に入れた人の自由とでは質が異なる。・・・・定年を迎える人の手に入れる自由は新鮮であるのに対し、長く自由業生活を送った人の自由はもうかなり草臥れているような気がする。・・・・長く自由業を営んで来た人の自由はもう十分に古びており、次第に無為と似たものになってきている。老齢化という変化に助けられ、自由の中にあった危険な棘は失われつつある。老人こそ、自由に気をつけるべきなのかもしれない。」〈鮮度の異なる〈老後の自由〉〉

 この視点は新鮮である。学生時代の友人とつき合う時、やはりサラリーマンであった私などの意識ばかりでつき合おうとすると、会話が成り立たなかったり、意志の疎通に齟齬をきたすことがあった。その原因のひとつがこういうことだったのかもしれない。この指摘も大切な指摘として覚えておきたい。


「西行」から 3

2024年07月04日 10時42分35秒 | 読書

   

 昨日西行の歌で今回惹かれたものを引用した。追加で3首。西行の述懐の歌に惹かれる時もあるが、今回は自然詠に惹かれている。

★横雲の風に別るゝしのゝめに 山飛び越ゆる初雁の声    (新古今集)
 この1首が定家の有名な「春の夜の夢の浮橋とだえして 峯に分かるる横雲の空」に影響を与えた、という指摘がかかれている。

★白雲をつばさにかけて行く雁の 門田の面の友したふなる  (新古今集)
 この1首は記憶に残っていなかった。

★古畑の岨の立つ木にゐる鳩の 友呼ぶ声のすごき夕暮    (新古今集)
 荒れた畑の傍に立つ多分異様な姿の木、そこで鳩が不気味な声で「友」を呼ぶ。荒涼とした寂しい風景と声に「友」が配され、人との関係を求める西行の孤独感が醸し出される。自然詠でありながら、述懐・感傷と一体。このあたりが西行の魅力とされるのであろう。

 


「西行」から 2

2024年07月03日 11時40分27秒 | 読書

   

 「西行 歌と旅と人生」を読んでいる。「5.西行と旅」、「6.山里の西行」、「7.自然へのまなざし」まで読み進めた。

 今回は「桜」や「旅」の歌よりも、山里での生活で詠んだ歌や自然詠にどういうわけかとても惹かれている。著作者の引用の仕方にもよるのだろうか。「旅」の歌が少し感傷に過ぎるように思えた。

★きりぎりす予寒に秋のなるまゝに 弱るか声の遠ざかりゆく  (新古今集)
★岩間とぢし氷も今朝は解けそめて 苔の下水道もとむらむ   (新古今集)
★ほととぎす深き峰より出にけり 外山のすそに声の落ちくる  (新古今集)

 どういうわけか新古今集に取られている歌が多くなっている。とくに「弱るか声の遠ざかりゆく」という歌の、秋の深まりとキリギリス(コオロギ)の生命の弱まりを「遠ざかりゆく」という物理的距離に転換していることが新鮮に感じられた。
 一方で山里での生活や、自然詠でも

★山里にうき世いとはむ友もがな くやしく過ぎし昔かたらむ  (新古今集)
★心から心に物を思わせて 身を苦しむる我が身なりけり    (山家集)

などの西行らしい感傷の勝った歌も多数あるのだが、今回はあまり惹かれなかった。


「老いの深み」から 5

2024年07月02日 11時30分07秒 | 読書

   

 黒井千次の「老いの深み」を読んでいて、不思議でもあり、「そうだな」と同意する視点でもある箇所に出会った。「遠景への関心を忘れず」という題がついている。

 欅の巨樹に夕刻に群れる小鳥の大群の描写と、電線に止まる鳥の並び方の決まりを類推する描写があり、次のように結んでいる。
(鳥の並び方は)いわば遠景の中での出来事であり、近景とは切り離された外界の事情で動くものである・・。離れた光景は見るのが面倒で近づきたくないから、その眼を自分のすぐ足もとの衣類や紙屑籠などに向けてしまうのではあるまいか。この面倒臭さ、対象との距離の遠近の感覚が、遠景を遠ざけ、近景ばかりでことをすませようとしているのではないか――。近くの自分が見えなくなるのは困るけれど、しかし遠くの自分が見えなくなるのもまた困る。遠景の中の自分はどこに居て何をしているのか――。せめてその関心くらいはどこかにそっと育てていたい。

 引用の後半部分が何とも不思議な視点である。「外界の事情で動く」「遠景の中の自分」とは何を指しているのか、ふとわからなくなりながら、惹かれた箇所である。遠景・近景の距離を、自己と社会との距離感に置き換えてみてもいいだろう。「遠景」に社会との葛藤にもがく自己を投影すれば良い。
 年齢とともに人の関心は、内向きになりがちである。他からの強い働きかけがないと、社会に対して視線は向けられなくなる。
 私は「そっと育てていく」のではなく、「人との交わりを通して、身の動く限り、近景に目配りしつつ、遠景の中でもおおいに泳ぎ続けたい」と思っている。もがき続ければ、身が動かなくなっても、見続けることはできる。

 私は欲張りすぎるのであろうか。