shuの花日記

山や近所で見かけたお花をエピソードを添えて掲載しています。お花の説明は主にウィキペディア、花図鑑を参考にしています。

2024年4月初旬日本海花紀行(その7)毛越寺

2024-04-20 05:30:40 | 山行・旅行
毛越寺(もうつうじ)は嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁によって開山され、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されている。平成23年(2011年)には「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として、世界遺産に登録されている。度重なる災禍に遭い平安時代に造営された建物はすべて焼失したが、現在も大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されている。

私が毛越寺を初めて訪ねたのは45年前の春先であった。雨に濡れた池中立石(ちちゅうたていし)のモノクロ写真が社内報の表紙に採用された。

45年ぶりに訪ねた平泉の街は、駅前から毛越寺に続く通りが新しくなり、当時とはずいぶん様子が変わっていた。しかし早朝で人気(ひとけ)はほとんどなく、雨上がりの静けさが当時を偲ばせた。
広い駐車場の隅にクルマを駐め、先ずは周囲を歩いた。拝観が可能となる8時30分まで、まだ小一時間あった。


入口近くに若木の趣が残る枝垂れ桜があり、しばし眺めて時間を忘れた。


50羽ほどの鳥の群れが来た。スズメだと思ったがよく観るとアオジだった。群れになってそろそろ大陸へ帰って行く頃のようだ。


毛越寺の東側は観自在大院跡史跡公園として整備されている。その周辺を歩いた。下の写真は不動堂と地蔵尊。
 

舞鶴ヶ池は上から見ると鶴が羽を広げたように見える池で、発掘調査の成果に基づいて修復・再生されている。池の幅は90mで、西側には巨石を用いた石組みがあり、池の中央には中島がある。


一回りして毛越寺の入口に戻ったが、まだ開門までに15分ほどあった。8時30分に定刻通り開門した。


本堂正面の香炉にお線香を献じた。よい香りが漂い心身ともに洗われたような気がした。


本堂は平安様式の建物で、平成元年(1989年)に建立されている。本尊は薬師如来で平安時代の作。本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りに本尊守護の四天王が安置されている。


境内の西側にある開山堂は毛越寺を開いた慈覚大師円仁を祀るお堂。大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置。


大泉が池を挟んで本堂を観る。


現在の常行堂は享保17年(1732年)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建された。堂は宝形造りで須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)が祀られている。


鐘楼は昭和50年(1975年)にもともとの鐘楼が建っていた場所のすぐ東側に再建された。


大泉が池を挟んで本堂などを観る。


東側から観た大泉が池。


四季の美しさを映す大泉が池はこの庭園の中心となっている。東西約180m、南北約90mあり、作庭当初の姿を伝えている。池のほぼ中央部に東西約70m、南北約30mの勾玉状の中島がある。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれている。


大泉が池の中でも東南岸にある荒磯(ありそ)風の出島は、庭園中最も美しい景観の一つと言われる。水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2mの景石が据えられ、庭の象徴として池全体を引き締めている。


45年前に訪れ写真を撮ったのはこの辺だろうか。


記憶は年月とともに定かでなくなった。浄土に近づいたということか。


風もなく波もない、穏やかな朝の時間だけが流れる。


境内に花は少なかった。唯一のサクラだったろうか。


ウメも咲いていた。


境内を囲んでいたドウダンツツジ。


以上毛越寺の様子をご覧いただいた。説明は毛越寺の公式HPから引用させていただいた。

9時半ごろに毛越寺を後にして、伊豆沼に向かった。

撮影:2024/04/07

2024年4月初旬日本海花紀行(その8)南三陸町 に続く
コメント (12)
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