大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

一樹の陰一河の流れ~新撰組最後の局長 十九

2011年07月02日 | 一樹の陰一河の流れ~新撰組最後の局長
 「何故わたしなどが」。
 相馬主計は、土方歳三の言葉に耳を疑った。ほかにも古参の隊士はいる。もちろん島田魁もだ。それが自分のような新参者に。
 だが、土方は近藤の助命嘆願書を携えた相馬自身の命も危うかったにも関わらず、謹慎が解けた後、旧幕臣から成る彰義隊に参加しながら転戦し、仙台でようやく新撰組に追い付いた。その気概が気に入っていた。
 また、京での刃を振りかざしての戦いはいざ知らず、軍隊として統率する能力に相馬は秀でていたのである。それをいち早く見抜いたのも土方である。
 土方は相馬の方に手を置くと、
 「頼む」。
 そう言うのだった。
 「承知致しました。ただ、わたしが隊長になる日などくるとは思えませんが」。
 「何故だ」。
 「土方さんの身にもしやのことなどあろう筈もありません」。
 すると土方はくすりと笑い、
 「俺だとて生身の人間だぞ」。
 愉快そうである。
 「土方さんの前では鉄砲の弾も恐れをなし、避けて通りましょう」。
 そう信じ切っているかのように、真顔できっぱりと答える相馬に土方はもう一つの頼み事をするのだった。
 「俺は市村を逃がそうと思っている」。
 市村鉄之助。慶応三年(1867)に十四歳にて入隊して以来、土方の小性を務め、ここ函館では添役の一人でもある。流山で局長の近藤勇が捕縛された後、会津、福島、仙台、そして蝦夷地へ土方に従って転戦。だがまだわずか十六歳。
 「それは正しいお考えかと思います」。
 相馬も同意する。
 「会津の白虎隊は哀れであった。俺は子どもが参戦する様な戦に勝ち目はねえと思っているのだ」。
 白虎隊士中二番隊は戸ノ口原出陣するも潰走し、負傷者を抱えながら飯盛山へと落ち延びたが、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を、若松城が落城したものと誤認し、辿り着いた総勢二十名全てが自刃(飯沼貞吉のみは農夫の発見され一命を取り留める)。
 「白虎隊とは、確か市村と同し年代でありましたな」。
 「ああ」。
 と、遠くを見詰める土方は、宇都宮戦で負傷を追い、会津七日町の清水屋にて療養中、後に白虎隊に参加する少年たちに剣術の稽古を付けたこともあった。
 中には親しくしていた者もいた。
 「彼らのまだ幼い顔が未だ脳裏から消えねえ。どうにも市村の顔を見ていると白虎隊を思い出していけねえ」。
 未だ先の長い少年の幼き命と引き換えにするだけの戦いは無い。土方はきっぱりと言うのだった。
 「異存はございません。ただ、市村が承知しますでしょうか」。
 市村は土方を持って「頗る勝気、性亦怜悧」と言わしめした程である。大人なしく戦場を離れる訳は無い。
 「それなら俺に考えがある」。
 土方は既に策を練っていたのである。
 「それでわたしの頼まれ事とはどの様な」。
 どうにも土方の言いたいことは市村の件とは別にあることを相馬は察していた。
 いつになく歯切れの悪い土方の口から飛び出した内容に相馬は目を白黒させながらも、「承知しました」。そう答えるのだった。
 「お前には頼み事がかりで申し訳ない」。
 あの鬼の副長と恐れられた土方が、相馬に頭を垂れた。そして、
 「どうやら俺もそう長くはねえらしい。弱気になっていけねえ」。
 (土方さんはこの戦が負けることを承知しておられる)。
 相馬は確信した。
 「失礼でございますが、土方さんは死ぬるお覚悟でしょうか」。
 相馬の真顔に土方は黙って頷く。そして、
 「こうまで兵力が違って勝てる訳はねえ」。
 「ですが、池田屋の折り、三十人余の不貞浪士の中に近藤局長は単身で踏み込んだと聞いております。人数で勝る新政府軍にも負けるとは決まっておりません」。
 「相馬。時代が違うのだ。戦も違うのだ。今は兵器と人の数で勝敗が決まる」。
 相馬は土方の悲痛の声を耳にすると、涙が頬を伝わるのが自分でも解った。
 「負け戦であっても己の信ずるまま、戦い抜くのが武士の一分。相馬、お前も同じであろう」。
 土方は、相馬になら解る筈と、初めて口にした内容だったのである。
 だが隊の動揺を避けるため、「他言無用」と言葉を締め括るのだった。



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