大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

浜の七福神 134 最終回

2014年08月09日 | 浜の七福神
 「良いかい、こんなもんを世に出してみやがれ。ただじゃ済まねえぜ」。
 涼しい顔の了意を薮睨みにすると、構わずに草紙を破り捨てる万林だった。
 「そんな殺生な」。
 ああと、紙吹雪を手で受けようと座敷を右往左往する了意は、甚五郎人気に肖り、甚五郎とその弟子の文次郎、円徹の西国への旅の様子を草子に認め刊行しようと下書きを携えたのだった。
 「後悔しますよ。これから、東海道名所記や御伽婢子を書くつもりですので、この草紙は、双方を加えた言わば小戦闘です。妖物を書かせたら天下一品と呼び声が上がってから、頭を下げて貰っても遅いですよ」。
 「おきゃあがれ。こちとら天下の徳川家大工棟甲良一門だ。おめえのような三文戯作者に書いて貰わなくとも、一向に構わねえよ」。
 了意が泳ぐような素振りで、紙吹雪を必死に拾い集めていた時だった。
 「おおい、誰かいるかい。親方と円徹が猿若の自身番にしょっ引かれたぜ」。
 庭先から聞こえた声の主は、千住で十手を預かる文七だった。猿若町の岡っ引きの知らせで飛んで来たと言う。
 「親分、どういうことで」。
 縁側に歩み出た万林に、息も切れ切れの文七は、酔って無体を働いた二本差を甚五郎と円徹がまとめて伸してしまい、中村座が大騒ぎになったと、大まかな成り行きを告げるが、目は紙吹雪を追い掛ける僧侶の姿に釘付けであった。
 「如何してこうも、こちらの屋敷はまともじゃねえんだか」。
 と、半ば呆れるような口振りであったが、甚五郎、円徹の派手な立ち回りに、中村座は明日からの芝居を打てなくなり、座元と座頭の中村勘三郎が奉行所に訴え出た為、二人の身柄は茅場町の番屋に移される手筈だと手短に語った。
 「親方が勘三郎に向かって、だったら明日までに、芝居を打てるようにすりゃあ文句ねえだろうって啖呵を切っちまって、これから中村座の普請をするってえのよ」。
 「一晩で、中村座を建て直すのですか。これは面白い」。
 くふっと喉の奥で笑いながら、左甚五郎浮世物語が駄目なら、左甚五郎可笑記に変更しようと目を輝かせる了意に向かい、万林の口元は、てめえと動いていた。
 「あい承知。宗心、長谷川の親方んとこに大道具の助を頼んで来な。文次郎は平太夫の旦那に材木を回して貰ってくんな。幸右衛門は親方と円徹の迎えだ。ほかのもんは道具を持って、あっしと猿若町だ。いいな」。
 万林は、紺地に丸甲の文字が染め抜かれた印半纏を羽織ると、沓脱ぎ石に降りた。
 「甲良一門の面子に掛けて明日の朝には、中村座の幕を上げて御覧にいれやしょう」。
   
 地獄を見た男・井上円徹。これより先は、甲良一門でも、甚五郎に代わる器用さと洗練された手腕で、甚五郎の右腕、いや左腕として活躍。九十九里の浜の七福神を祀った、一宮町一宮観明寺の地獄極楽欄間など、今生を離れた地獄極楽の彫りを得意とし、多くの宮彫りを後世に伝えていく。
 一方の関口文次郎。力強い彫りと、屈強な寝殿造りを得意とするが、その欄間の隅には、必ず小さな蝶を配したのが特徴であった。それはまるで、若かりし頃に西国へと旅した、胡蝶の夢を懐かしんでいるかのようでもあった。
 寛永十三年、家光の厳命で、日光東照宮の大造替が行われ、総棟梁に任じられた甚五郎は、後世まで残る名作・眠り猫を彫り上げ、甚五郎の名は不動のものとなり今なお語り継がれている。





ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 132

2014年08月07日 | 浜の七福神
 「お寺の龍の胴が斬られた時に、寺社奉行様がいらしたのです」。
 ふうっと片の力を抜く甚五郎だった。反して文次郎、何が何やら分からず、二人の顔を互い違いに見る。
 「寺社奉行は、近江山上藩藩主の安藤伊勢守重長だ」。
 「はい」。
 「それで、居所が知れたってえんで、寺を出たかったんだろう」。
 こくりと頷く円徹だった。
 「そうまでして、おとっつあんに会いたくねえのかい」。
 甚五郎は、重長は出来た人物だと付け加えるが、円徹は憤る。
 「私も母上も捨てられたのです。その事で、母上は御自害なされた。私は生涯、父とは思いません」。
 瞬時、円徹の眼に龍が宿る。それは、決意の堅さでもあり、また甚五郎としては、円徹に巣食う憎しみや恨みの情念である、その龍を追い払う事が師匠としても務めと、改めて思うのだった。
 「まあ、何時か許せる時もくらあな」。
 「ありません」。
 「円徹。おめえの目の中の闇が晴れるのは、心の底から、憎しみの気持ちが失せた時だ」。
 憎しみを捨てねば、到底宮彫りは出来ない。どちらを選ぶかの時は、未だたっぷりとあると告げる。
 「そう急かなくてもよ、すっと心が軽くなる時ってのは、来るもんだ。さて、江戸に戻るぜ」。
 小さな頭を、ぐりぐりと撫で回す。
 「けえったら、直ぐに日光東照宮の大造替だ。忙しくなるぜ」。
 「親方。それじゃあ」。
 「当たりめえだ。山上藩なんか臭食らえってえんだ。おめえは、あっしの弟子なんだからよ」。
 重長が何か言ってきたら、龍でも虎でも嗾けてやると息巻くのだった。
 「よし、浄念寺の龍はおめえの命の恩人、いや恩龍だ。そのうちによ、いちにんめえの職人になって、仲間を彫ってやんな」。
 「はい…へい」。
 ひとりで背負っていた心の重みを、分かち合える師に巡り会えた円徹の、明るい声が丸亀城下に響き渡るのであった。
 眼に巣食う闇を晴らす光は、手の届くところにあったのだ。白い小石をばらまいたようなうろこ雲が、夏の終わりを伝えていた。
 「信じるも信じねえも、人の生涯なんか胡蝶の夢みてえなもんだ」。
 世の中など、夢と現実との境が判然としないものだ。だからこそ、面白く生きれば良いのだと甚五郎は思う。

 八年の月日が流れた。甚五郎率いる甲良一門は、日光東照宮の大造替の功により、尾張家の上屋敷にほど近い市谷へと拝領地を賜っていたが、甚五郎はその地を市井に貸し出し、自らは江戸府中外の千住北岸に居を移していた。
 そんじょそこいらの旗本など足下に及ばぬ、甲良屋敷は、千住大橋と並んで、宿の目印とされるほどである。
 よって訪なおうと思えば、それは容易い事である。じっとしていても汗が滲み出る薮入りのこの日も、黒の法衣姿に似合わぬ、人懐っつこい笑みを万林にを向けて座す若い僧侶の姿があった。



ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 133

2014年08月07日 | 浜の七福神
 「如何でございましょう。左甚五郎浮世物語と題させて頂きました。戯作は、江戸では未だ馴染みが薄いようにございますが、上方では多く読まれています。庶民の味方として名高い甚五郎親方が主題でございますれば、江戸でも一気に評判になる事間違いありません」。
 僧の名は、浅井松雲了意。浄土真宗の末寺本照寺の住職の子として産まれるも、訳あって諸国を放浪し、仏学、儒学、和学を収め、この時は、京都二条本性寺の昭儀坊に住していると言う。諸国を歩いただけあって、言葉に訛はなかった。
 肘枕で読んでいた草紙をぽんと男の膝元に投げ返すと、万林は胡座をかいた。
 「如何もこうありゃしませんぜ。鶴が空を飛んだの、龍が動いたのってんなら構やしねえが、こんなもんが世に出たら、御坊さんあんただけじゃなく、こちとらも獄門行きですぜ」。
 「勿論、名や藩のところは伏せさせて頂きます」。
 「伏せたところで、粗方は分かるってもんでさ。でいち、寺社奉行はどうしなさる。奉行ったら限られますぜ。それによ、御上を愚弄する事に変わりはねえ。駄目だったら駄目だ。寄りにも寄って、御法度の切支丹にまで手を貸してるじゃねえですかい」。
 「これは戯作。絵空事と知った上で読まれるものです。何なら絵を加えてお伽草紙にしても構いませんよ」。
 「絵空事って言ってもよ、御坊さん、見て来たように書いてなさるじゃねえですかい。それによ、円徹が御大名の御烙印ってえのは何でい」。
 「違いますか」。
 悪びれる風もなく、了意が喰い下がれば、そのしつこさに業を煮やした万林は、声を荒げるのだった。





ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 131

2014年08月06日 | 浜の七福神
 「円徹」。
 「だから、もしあの龍が本当に私を救ってくれたなら、母上も生きたお姿で戻って来てくれると思ったのです」。
 木彫りの龍が動いたのであれば、母の像も動く筈だと、如何にも子どもらしい思いで、甲良一門の門を叩いた円徹だったが、そこに至までの悲しい年月を思うと、
 甚五郎も、文次郎も、掛ける言葉が見当たらないのだった。ただ、両の腕を細い背中に回した甚五郎は、円徹の体を、しっかりと己の胸に抱き締めるしかなかった。
 「随分と苦しんだろうよ。だがな、おめえは、おっかさんを殺めたんじゃねえぞ。おっかさんを、極楽浄土へと導いんでい」。
 「親方、文次郎兄さん」。
 「もう良い。もう苦しまなくて良いんだぜ。おめえはひとりじゃねえ。あっしも文次郎も、それに甲良一門がおめえの家だ」。
 甚五郎、足利家臣の伊丹左近尉正利を父として産まれたが、幼くしてその父を亡くすと、親類縁者の元で厄介者として育った経緯から、武家を捨て、職人道を選んだ己の半生を恨んだ事もあった。
 だが、大名家の嫡男として育つ筈が、突如放り出され、僅か十歳そこいらで、母の介錯までしなくてはならなかった円徹の、苦しさをしっかりと受け止めていたのである。
 「だがな円徹。人は別だ。人には極楽浄土ってえもんがあらあな。その定めを違える事は出来やしねえのさ」。
 「では、母上は龍のように、私の側にはいてはくれないのですか」。
 苦しそうに、溜め息を洩らした甚五郎。
 「だが、おめえのここには生きちゃいる筈だぜ」。
 円徹の胸を、二度ばかり叩くのだった。ひとしきり魂の震えを噛み締めた甚五郎。切り替えの早さも甚五郎ならではの、真顔になる。
 「おっと、情に流されて忘れるところだったぜ」。
 胸に抱いた円徹の体を引き離し、肩に手を置いた甚五郎。
 「おめえ、未だひとつ嘘を付いちゃいねえかい」。
 はたと、首を傾げた円徹。思い当たる節などなかった。
 「じゃあ、言葉をけえよう。あっしに言っちゃいねえ事はね・え・の・かい」。
 「ありません」。
 そうかなあと、腕組みをし、斜め上に目をやる甚五郎。それはまるで恍けるなとでも言っているようである。
 「如何して、寺を出なくちゃならなかったかだよ」。
 あっと、口を開けた円徹。
 「親方、待ってくだせえ。円徹はおっかさんの像を彫りたくて、弟子入りしたんですぜ」。
 寺を抜け出す為の口実ではないと、文次郎は言うが、甚五郎は未だ意地悪そうな目で円徹を見詰める。
 「そりゃあ本音だろうさ。だけどよ、幾らおっかさんの像を彫りたくても、こいつが一度決めた志をそう簡単に違える男だと思うかい、文次郎」。
 言われてみれば最もである。聡明さは僧にしてもそれなりに買われていた筈。そして何より、僧の修行が辛いとは一言も洩らした事はなかった。
 「さあ、全て吐いちまいな」。
 甚五郎の厳しい言葉に躊躇しながらも、円徹は重い口を開くのだった。








ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 130

2014年08月05日 | 浜の七福神
 「おっと忘れるところだったぜい。殿様、春になったらこれを百姓衆に渡してくんな」。
 手にした布の袋を、ぽんと小性に投げる。
 「これは何じゃ」。
 「へい。霜にも負けねえ麦の種でさあ」。
 袋の中身は、種は種でも、木っ端を小さく丁寧に、種の形に仕上げた代物が山と入っていた。
 「まあ、騙されたと思ってよ」。
 困っているなら、藁にも縋れと甚五郎、にやりと笑うのだった。

 不思議なことに、翌年の春に撒いた甚五郎の種は、霜が下りても枯れず、夏も終わり近くになると、高松の畑に小麦色の穂をたわわに実らせ、百姓衆を救ったと伝えられる。
 「元々が奥州の杉の木っ端らしいんで、寒さにゃあ強えや」。

 高松城中庭の池を眺めていた円徹だった。振り向いた顔には案の定、涙が光っている。
 「親方、私は、親方の龍に命を救われた事があります」。
 おやと、甚五郎の眉が上がる。
 「住持様のお使いで、夜に檀家さんの所へ走った時に、辻斬りに合いました。その時、私の身代わりになってくれたのが、御寺の龍だと、住持様がおっしゃいました」。
 もう駄目だと目を閉じた時に、額の直ぐ先で、聞いた事もない鈍い音がしかたと思いきや、己はかすり傷ひつつなく、寺の龍の彫り物が、真っ二つに斬られ血を流していたと、円徹は告げる。
 「おめえ、それであっしに弟子入りしたかったのかい」。
 「最初に言ったように、親方みたいな生きた彫り物をしたかったのです」。
 「だったら、てんから分かってたんだろう」。
 「それを、この目で確かめたかったのです」。
 母の御仏が、己を救ってくれた龍のように、この世に生を持てば、また母に会えると思い描いていたと円徹は正直に話す。
 「おめえ、その小せえ胸に抱え込んでいる物をよ、吐き出しちゃくれねえかい」。
 甚五郎の言葉に、瞬時黙り込む円徹だったが、次第に込み上げる熱い物を押さえ切れずに、大粒の涙をこぼすのだった。
 「母上が御自害なされた。でも、死に切れずに苦しまれて…。私がこの手で、この手で、御命を絶ちました」。
 円徹は、近江山上藩藩主・安藤伊勢守重長の嫡男として生を受けたが、母の身分が卑しかったが為に、重長が正室を迎えるに当たり、外聞が悪いと屋敷を出されたのだった。
 そして、日々気鬱に陥っていった母は、咄嗟に己の胸に刃を突き立てたのである。だが、武家の習わしを知らぬ母は死に切れず、円徹に血まみれの手を差し伸べたのだった。
 母を断末魔の苦しみから救いたく、その喉に刃を突き立てたのはわずか九歳の時であったと思い出す。だが、それは、決して口に出してはならない事だった。






ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 129

2014年08月04日 | 浜の七福神
 「若が麻疹で明日をも知れぬ折りに、わしが申し上げたのじゃ」。
 その時の、何とも悲しそうな重長の目は、今でも脳裏に焼き付いて離れないと、所左衛門。その後、重長は小者を房州まで使わしたり江戸府中の寺社を当たって、松千代の行方を探していたが、龍の一件で浄念寺をおとなった際に出会った円徹を間違いないと確信したと告げる。
 「お顔が、我が殿に瓜二つでござる」。
 所左衛門も確信していた。
 すっと大きく息を吸った甚五郎。
 「あっしには、大名の事情なんかてんから分かりたくもねえが、あいつは、おっかさんの御仏を彫りてえって、あっしの元へ参りやした。今では、立派な甲良一門ですぜ。今更、どうしようとおっしゃるんで」。
 「だが、山上藩家臣の事もお考えくだされ」。
 「へえへえ、多くの家臣を路頭に迷わせたくはねえ。御立派な考えじゃねえかい。だがよ、円徹はどうなるんでい。がきの時分におっかさんを亡くして、引き取り手もねえままによ、寺人入れられ漸くてめえの道を見付けたってえのによ。円徹のここが壊れちまっても、御家が無事ならそれで良いのかよ」。
 拳でとんとんと胸を叩く甚五郎だった。
 「たかが一万石の為に可愛い弟子を差し出せるもんけい」。
 「甚五郎、言葉が過ぎよう」。
 「過ぎたらどうなさる」。
 思わず片膝を立て、脇差しの柄に手を宛てがった所左衛門。
 「林殿、控えよ。殿の御前であらせられるぞ」。
 「甚五郎、この件は余に預からせては貰えぬか」。
 「いいや、成らねえ」。
 「甚五郎、殿に向かって何と申す」。
 高俊の言葉にさえ、首を縦には振らない甚五郎の片意地に、高松藩家臣も嫌悪の表情を露にするが、それでも甚五郎は一歩も譲らずにいた。
 「決めるのは円徹だ。山上藩じゃねえ」。
 「なれば、円徹様にお話くだされるか」。
 途方に暮れる所左衛門の問いには答えず、甚五郎は腰を上げながら一言。
 「伊勢守に伝えてくんな。日光東照宮の大造替へには、甲良一門を上げて伺いやすってな」。
 「では、円徹様も」。
 深く首をうな垂れた所左衛門。そのまま、両の手を畳みに付けて、礼をするのだった。





ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 128

2014年08月03日 | 浜の七福神
 「ですが、林様。年格好が同じだけで、早計じゃあありやせんか」。
 「いや、我が殿が…重長様が浄念寺にて、会われた円徹と申す僧がどうにも気になると、生い立ちを探らせたのじゃ」
 すると、産まれは房州。母は、九十九里の庄屋の娘で、以前武家屋敷に女中奉公をしていた事が分かった。身分ある方の子であれば、敢えて松千代と名付けたが、浜では、幾松を通り名にしていた為に、その後の行方がようと分からなくなっていたのだ。
 「江戸の寺に預けられたと知り、やはり殿が会われた円徹なる僧が、松千代様であろうと、浄念寺へ赴いた時には、既に寺にはおらなんだのじゃ」。
 甚五郎は、円徹が寺に迷惑が掛かると、言い続けていた訳を漸く知る事になった。だがそれは、思いも及ばぬものである。
 「その松千代様が、見付かりやしたらどうなさるおつもりなんで」。
 「無論、我が領内にお連れ申す」。
 「お連れ申すったって、伊勢守様には御嫡子がおられますぜ」。
 「若は、お身体がお弱いのじゃ」。
 所左衛門の額にはうっすらと、脂汗が浮かぶべば、甚五郎の拳が、畳に埃を立てる。
 「おきゃあがれ。大名だか何だか知らねえけどよ、一度はてめえの子を捨てておいて、今度は御家が危ねえから戻れたあ、何処まで都合が良いってんだ。人を何だと思ってやがるんでい」。
 甚五郎落ち着けと、諌める高俊の声など、もはや甚五郎の耳には届くものではない。何が対馬守だ、寺社奉行だと、ひと通り重長を詰る。
 「どうやらあっしは、対馬守を見損なっていたようだ。わりいが、そんな奴の下で働く気にはなれねえ。東照宮の普請はほかのもんにお言い付けになってくだせい」。
 「待て甚五郎。殿は預かり知らぬ事なのじゃ。御家を思うあまりに、この所左衛門が勝手に仕出かした事。この皺腹ひとつで事が収まるなら、この場で腹を斬ろう」。
 「けっ、腹なんぞ斬られたところで、円徹の恨みは晴れるもんじゃねえ」。
 「甚五郎、今、何と…何と申された」。
 あっと、口に手を宛てがうが時既に遅し。怒りに任せて口走ってしまった円徹の名だった。
 「やはり、円徹様であられたか」。
 所左衛門は安堵と緊張の入り混じった顔で、溜め息と共に肩を落とすが、開口一番に、無事で何よりだったとはらはらと涙を流すのだった。
 「わしの早まりであった。御家の事ばかりを考え、あの母子のことなど眼中になかったのだ。わしの一存で、随分と辛い思いをさせてしまった」。
 「おい、もうひとつだけ聞かしてくんな。伊勢守は、如何しててめえの子が産まれたって知ったのよ」。







ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 127

2014年08月02日 | 浜の七福神
 「身分卑しき者には、名も情けも要らないとお考えなのは、御武家様の習いと心得ております」。
 所左衛門は、先刻から膝をぱたぱたと叩いていた扇子の動きを止め、物言いたげな口を鯉のようにぱくぱくと動かし、甚五郎はと言えば、円徹の年に似合わぬ物言いに呆気に取られ、あんぐりと開けた口を閉じられずにいた。
 緊迫した空気を引き取った高俊であった。
 「母の事は話というないと見えるが、その方、父は如何じゃ。父は何を生業とされておる」。
 「父などおりませぬ」。
 「父がおらねば、その方も産まれぬではないか」。
 「捨てられた身故、父は亡き者と思っております」。
 それっきり、ついぞ口を噤んだ円徹。奥歯に力を込め過ぎたが為に、眉間には青筋が浮かび上がっている。その様子に甚五郎は文次郎に向かって顎をしゃくれば、目頭で頷いた文次郎は、円徹を促し座を辞するのだった。
 「さて、林様。どういった訳ですかい」。
 うむと、息を飲み込んだ所左衛門。
 「あの子は名を円徹とは申さなんだか。いや、松千代やも知れぬ」。
 甚五郎の眉がぴくりと動く。
 「どうやら訳ありな様子。話してくだせえ」。
 口籠る所左衛門であったが、このままでは埒が開かないとばかりに、ぽつりぽつりと重い口を開くのだった。
 「もし、あの子が円徹様であれば、我が殿の御烙印であられる」。
 「対馬守様のですかい」。
 うむと唸るような声を発した所左衛門。主君・安藤伊勢守重長が、江戸屋敷の奥向きの女中に子を産ませたが、折り悪く格上の大名家の姫君の輿入れが決まり、姫君の実家への配慮から、重長には告げずに城から出した事を告げる。
 母子の行く末を案じ、それなりに身が立つようにしたつもりではあったが、母がみまかって後、松千代の行方がはたと分からなくなっていたと。
 「風の噂で、松千代様は出家なされたと、聞いておったのじゃが」。




 いよいよ大詰め。円徹の秘密が…。



ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 126

2014年08月01日 | 浜の七福神
 「その方が、手を貸してくれぬと、殿がお困りになられるのじゃ。それに我が領内からは、大森一門も大造替に加わる事が決まっておる」。
 「へえっ。清兵衛もですかい」。
 近江は大森一門の総帥・清兵衛は、甚五郎が京伏見禁裏大工棟・梁遊左法橋与平次の元で修行を積んだ折りの弟弟子であった。
 「甚五郎。この度の大造替を受けねば、真にお訊ね者になってしまうやも知れぬ。まあ、余にとってはそれも構わぬがな」。
 高俊は、領内にて何時まででも匿おう。そう言ってくれている。だが、そんな高俊であればこそ、危うい目に合わせる事は憚られる。渋々ではあるが、甚五郎は膝を打った。
 「へい、承知致しやした」。
 これにて、額に浮かび上がった汗を、漸く脱ぐった所左衛門。大きく溜め息を付いて後、先程から妙に気になる事があると言い出すのだった。
 「して甚五郎。その方の後ろに控えておる、童は何者じゃ」。
 円徹を見た甚五郎。相変わらずのしかめっ面を怪訝に思い、空恍けるのだった。
 「こいつは、あっしの遠縁の子でさ。どうして弟子になりてえってんで、引き取りやしたが、何か」。
 「いや。その方、名を何と申す」。
 甚五郎が座敷に現れた折りから、所左衛門の目には円徹しか写っておらず、言葉を交わしながらも、仕切り円徹に目を配っていたのに甚五郎も気付いていた。
 「へい。徹と言いやす」。
 答えたのは甚五郎である。
 「徹とな。それは真の名であろうか」。
 店人でも職人でも、奉公に上がれば名を変える事はある。所左衛門はそれを訝しがっていた。
 「へい、この世に産まれ落ちた時から、徹でござんすよ」。
 「甚五郎、その方に聞いているのではない。徹と申すか。真であるか」。
 円徹は、緊張の色を顔に貼付けたまま、こくりと頷く。だが、所左衛門の追求は終わらなかった。
 「その方、母はの名は何と申す」。
 甚五郎が口を開き掛けると、所左衛門が黙れと手にした扇で己の膝を打ち一喝。びくりと身を震わせた円徹であったが、それでもはっきりと言い放つ。
 「知りません」。
 「それは妙な」。
 「名もない者が、母ではいけませんか」。
 何やら鬱憤を晴らすかのように言葉を投げ捨てる円徹だった。
 「いや、わしはその方を責めておるのではない。ただ母親の名を知りたいだけじゃ」。
 所左衛門が、取り括ろうとするも、円徹は食入るように上目遣いに所左衛門を睨む目を、寸分も外さずにいた。


 いよいよ大詰め。円徹の過去があきらかに…。



ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 125

2014年07月31日 | 浜の七福神
 観世音菩薩は、妙行寺本堂で長く崇拝されたが、微笑んだと言う記録はついぞ残されていない。
 「観世音菩薩が救う輩がいねえって事は、丸亀藩の御治世が良かったってこった」。

 「甚五郎。随分とゆるりとした旅であったな。余は待ち兼ねたぞ」。
 嫌味のひとつも言いたくなると、西光寺から早々に、甚五郎の身柄を丸亀城へと招き入れた高俊だった。
 そして城内には、甚五郎の到着を首を長くして待っていた、もうひとりの男の姿があった。
 「こりゃあ、林様じゃありやせんか」。
 「林様ではない。何をしておったのだ」。
 「近江山上藩の御家老様が、どうして丸亀にいなさるんで」。
 近江山上藩と耳にし、きりりと唇を固く結んだ円徹。俄に眉根の間に皺を刻む。
 「御老中・土井大炒頭利勝様から、我が殿に厳命が下されたのだ」。
 「対馬守様にですかい」。 
 近江山上藩二代藩主・安藤伊勢守重長は、同時に幕府寺社奉行の要職にあった。
 「日光東照宮の大造替が決まったのだ。それで、我が殿も奉行に命じられた」。
 「それがあっしと、どう関わり合いがあるんですかい」。
 江戸城改築に際し、西の丸地下道の秘密計画保持の為に幕府から命を狙われ、亡命中の筈の甚五郎である。
 「そなたの命を狙うものなど、とうにおらぬわ」。
 「へっ、そうなんで。道理で何処でも剣呑な目に合いやせんでした」。
 甚五郎が江戸を発ってひと廻りの後、一部幕閣が、江戸城の秘密保持の為に、甚五郎の命を絶とうと企んではいたが、それを知った将軍・家光が激怒。かの幕閣を厳命に処したと言う。
 「でしたらあっしは、大手を振ってお江戸に戻れるんですかい」。
 「戻れるのではない。至急戻って貰わねば困るのだ」。
 日光東照宮の大造替の総棟梁への厳命が下ったと、所左衛門が告げれば、甚五郎、へっと背を向け、勝手な事だと怒りを露にする。
 「だから申しておるではないか。家光公の与り知らぬ事だったのだ。その方に詫びておられる」。 
 既に、ほかの弟子たちも江戸に戻っていると、所左衛門は伝える。
 始終をにこやかに見ていた、高俊。
 「余は、甚五郎に高松に留まって欲しいと、願っておったが、将軍家のおぼしとあれば、致し方あるまい」。
 「ですがねえ」。
 ぐずる甚五郎に、平伏する所左衛門。







ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 124

2014年07月30日 | 浜の七福神
 「佐江はんは、もうどうにも成り行きんで 」。
 庄屋であった父が人を信じたが為に、田畑、山林などかなりの財産を失い、庄屋の沽券も人手に渡ったらしい。悪い事は重なるもので、父が心労の余り他界すると、母も後を追うように逝けば、決まっていた縁組みも流れ、もはや身を売るしかなくなった娘の話に金棒引きの声高な話は、嫌が応にも甚五郎の耳にも入るのだった。
 「その前にのお、両の親の七回忌を済ませるげなです」。
 丁度、妙行寺の門から出てきた十七、十八の若い娘を見れば、よそよそしく姿を覗き込むものの、誰も声を掛けようとはしない。そればかりか、娘と道で擦れ違っても、顔を伏せる始末。それが佐江だと容易に分かる。
 「可哀想によ。娘さんの両の親には世話になったろうに」。
 世の無情さを嘆く甚五郎だった。
 「良し、決めたぜ」。
 「親方、何を決めたんですかい」。
 「あの娘さんの親御さんの為に、観世音菩薩を彫ろうじゃねえか」。
 言うなり脱兎の如く、妙行寺の門を潜る甚五郎。観世音菩薩となれば、己の母の像を彫りたい円徹もこれ幸いと後に続く。
 「親方、あっしはひと足先に、御城に伝えて来ますぜ」。
 深い溜め息を洩らした文次郎は、亀山城へと甚五郎到着の知らせに走るのだった。
 突然の甚五郎のおとないに、驚きを隠せない妙行寺の住持であったが、佐江の為に観世音菩薩を彫ると申し出れば、住持も甚五郎の心意気に感服する。増してや名工の誉れ高い左甚五郎である。
 「佐江様も、さぞやお喜びになりましょう」。
 哀れな娘の行く末を慮ってか、住持の目が赤くなっていた。
 甚五郎に許された時はわずか三日。三日の後に庄屋の法要は執り行われる運びとなっていた。
 「円徹。あっしはこの三日で、観世音菩薩を彫り上げる。彫るのは菩薩様でも、彫っている間はこちとら鬼神にならあ。おめえは、黙って横でおっかさんの像を彫ってな。いいな」。
 何時にない、甚五郎の生真面目な言葉であった。こくりと頷いた円徹。こちらも鬼神の弟子らしく、ぐっと奥歯を噛み締める。
 何と何と何と。三日の後の法要には、文次郎の知らせで、妙行寺へと甚五郎を迎えに出向いた、高松藩主の生駒壱岐守高俊までもが参列する運びとなった。
 本堂には、佐江、その妹と弟。甚五郎、文次郎、円徹。そして高俊とその臣下数十人が顔を揃えたのだ。
 甚五郎の彫り上げた観世音菩薩を前に、両の親の位牌を並べ、しめやかに法要は進んだのだが、佐江が焼香し手を併せた時であった。
 一同の目の前で、観世音菩薩がにこりと微笑んだのである。
 「これが、左甚五郎であるか」。
 摩訶不思議な光景を目の当たりにした高俊。これは菩薩の意向と、身売りの決まった佐江を引き取り、然るべき婿を迎え、庄屋の家を復興させる事を約定する。
 観世音菩薩が如何して微笑んだのかは謎であるが、佐江は安堵せいと声が聞こえたと後に語り、高俊には、領民を救ってこその藩主であると叱咤されたと言っていた。
 甚五郎にとって高俊の申し出は、思惑を超えたものであった。単に、佐江の苦しい胸の内を慮って彫った観世音菩薩が、思わぬ見返りを招いたと手放しに喜ぶのだった。
 「観世音菩薩も粋な事をしなさる。いや、粋なのは高俊け」。




ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 123

2014年07月29日 | 浜の七福神
 「それにしても、客がいねえな女将。こんなに寂れていてやっていけるのかい」。
 歩いている人の姿も僅かであった。遍路でいえば、七十七番札所の道隆寺と、七十八番札所の郷昭寺の丁度間くらいの所である。
 「遍路の人もいねえってのは、どういうことだい」。
 ふうっと溜め息を洩らした女将が言うには、前の年から、皐月に入っても霜が下りる寒さで、麦が育たずに名物のうどん屋も成り行かなくなっている有様だと言う。
 「殿様は如何しなすってるんで」。
 「年貢を減らしてくれてはおるげなが、百姓まんでがんには、種は行き渡らんのやわ」。
 種を撒いたところで、また霜が下りれば実は実らないと、女将は眉間に皺を寄せる。
 「やきんよ、水だけで、粘られたらば商いにならんのやわ」。
 面目至極もない文次郎と円徹であった。
 さてさて小半時の後、目覚めた甚五郎。大きな伸びをすると、そのまま一路丸亀城に向う。
 おやっと、思ったのは円徹だ。いつもなら、こういった類いの話の後には、祠を建てたり猫を彫ったりと、何かしら手助けをするものだ。だが、素知らぬ顔ならば、やはり本当に寝入っていたのだろうか。
 それとも、今度は飢饉であった。こればかりは甚五郎の彫り物でも、どうしようもないだろうと思わなくもない。
 いよいよ旅も大詰め、高松藩の城下丸亀に入れば、青々とした空を背に、内堀から天守閣に向かう石垣が、どの角度からも見ても奇麗な弧を描いて反り返る。
 「円徹、あの石垣は扇の勾配って言ってな。東西がおよそ六町、南北八町にもなんだぜい」。
 「それは敵から身を守る為ですか」。
 「さあて、この太平の世の中で、それを言っちゃあお仕舞えだ。おい文次郎、どうしたんでい」。
 文次郎は、石垣の勾配を三日月のようだと足を留め見入っている。
 「どうでい。姫路とは全く違うが、どっちが見事だと思う」。
 「どちっちがなんて、比べられやしやせん」。
 「そうだろう。ならよ造り手の腕も、どっが上なんて比べられねえよな」。
 一気に城に入ろうかという城下町。ここでも飢饉の波紋による嫌な噂を耳にするのだった。





ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 122

2014年07月28日 | 浜の七福神
 下津井祇園神社の向拝柱の獅子の前足は、今なお、薄汚れたひと枚の布を踏み締めているらしい。
 「しかしまあ、あんな潮垂れた布を後生でえじに抱え込んで、何を考えてやがるんだろうよ。あの犬っころは」。
 甚五郎に掛かれば、獅子も狛犬も十把ひと絡げの犬っころである。

 「あっしは、蝶を彫れと言ったんぜ。それを虻なんぞを彫りやがって」。
 神社に虻は似つかわしくないと、甚五郎が少しばかり小言で言えば、偽甚五郎の顔を見ていたら、無性に腹が立って、虻に刺されてしまえと思ったと、舌を出す円徹だった。
 どうにかこうにか、漸く、四国まで辿り着いた甚五郎一行だったが、讃岐は丸亀の港は歩き気力を萎えさせる油照だった
 「こうも暑いと適わねえ。歩き出すめえに茶店にでも寄ろうや」。
 盛夏の街道に、陽の光が容赦なく照り付ける。
 「こんな時によ、冷や酒の一杯でも飲ましてくれたらよ、土蔵付きの家をくれてやるんだがな。なあ、文次郎」。
 「親方、馬鹿を言ってねえで、さっさと歩いてくだせえ」。
 弟子に叱られ、暑い時に暑いと言って何が悪いと、面白くはないが、都合良く峠の辻に茶屋を見付け、床几にどっかと腰を下ろすのだった。
 「おおい、水をくれい」。
 「何言いよん。ここは茶屋やわ」。
 「酒といきてえところだが、真っ昼間っから酒なんぞ飲んじまったら、この若えのに何を言われるか、分かったもんじゃねえからな。水だ水をくんな」。
 「今、お茶を淹れますけん」。
 「馬鹿言ってるんじゃねえよ。この暑いのに茶なんぞ飲もうものなら、あっと言う間にお陀仏だ」。
 「ごじゃ人やのぉ。あんた、江戸の方な」。
 「ああ、そうでい」。
 細めた目で、甚五郎を睨む茶屋の女将に、黙って頭を下げる文次郎と円徹だった。
 そんな事はお構いなしに、一気に湯のみ三杯の水を飲み干した甚五郎。はあっと大きな溜め息を付き、生き返ったと大げさである。
 「一息付いたら、どうにも眠くていけねえ。ちょいと横にならせて貰うぜ」。
 「親方、何をしてるんですかい」。
 文次郎の声にも耳を貸さずに、直ぐに寝息を立て始めるのだった。
 「どうにも、手に負えねえな」。
 隣で、麦茶を啜る円徹も頷く。こうなっては、甚五郎が起きるまで待つしかないのだが、幾らほかに客がいないとあっても、三人が床几に横になるのは憚られると、文次郎と円徹は肩を寄せ合い、女将と話をしながら間を持たせるのだった。






ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 121

2014年07月27日 | 浜の七福神
 あれやこれや、甚五郎を褒め讃える当人。良くまあ己で、ここまで口に出来るものだと、円徹に至っては大きく見開いた目が、今にも転げ落ちそうな程であった。
 「ところでおめえさん、名は何て言うんだい」。
 「へい。江戸は神田永富町のりろくと申しやす」。
 甚五郎の本名である利勝では仰々しいと、利に五の次の六を付けてみた。
 しこたまただ酒を喰らった、利六こと甚五郎のひとり舞台が始まるのは言うまでもない。
 「甚五郎親方。墨はあっしが引きやす」。
 そう言っているのは、真の甚五郎こと利六。
 「親方、下絵はこれで良いですかい」。
 「親方、叩き鑿如きはあっしが入れやす。親方は、仕上げをお願えしやす」。
 親方、親方とおだてながら、すいすいと己で事を運んでしまう甚五郎いや利六。
 左甚五郎の仕事っぷりを見物していた氏子や宿場の者たちも、これには些か様子がおかしいと頭を傾げるのだった。
 すると利六こと甚五郎は、やはり親方の指導が良いと仕事が捗るなどと、言い出す始末。
 偽甚五郎が向拝柱を見上げ、腕組みをして立ち尽くしているだけの中、甚五郎は文次郎に唐草を彫らせ、己は獅子と獏を彫り進む。そしてその傍らでは、これまた鑿を握った円徹。
 「隅っこに、小っちぇえ蝶でも彫っておきな」。
 と、甚五郎に言われ、大喜びであった。
 こうして一日が過ぎ、二日が過ぎる頃になると、見物の人が増えると同時に、偽甚五郎に疑わしい目を送る者も増えていくのだった。
 「でえじょうですぜ。最後の仕上げは甚五郎親方がしなさいやす。真の名人とは、そういったもんで」。
 こうしてたった三日で彫り上がった獅子と獏。感嘆の声が上がる中、宮司が利六こと甚五郎に歩み寄るのだった。
 「さすがですな。越前誠照寺の唐獅子に勝るとも劣りません」。
 深々と頭を下げる。
 おやっと片眉を上げた、利六こと甚五郎。すると宮司は、袖から小さな木彫りの狐を取り出した。
 それを手に取った甚五郎。
 「あの時の」。
 若かりし頃、路銀を使い果たし腹を空かせて旅をしていた折り、鄙びた庵でなけなしの粥を炊いて、振る舞って貰った礼にと甚五郎が彫った狐であった。
 「だけどあん時は」。
 「はい。京で神官の見習いでしたが、今はこうして、下津井祇園さんを任されております」。
 甚五郎に貰った狐が示す道を歩み、思わぬ出世が適ったと、顔を綻ばせるのだった。
 すっかり正体がばれてしまった偽甚五郎はと言えば、すごすごとその場から煙のように消えていたが、そもそも左甚五郎の名を騙った小悪党。
 下津井祇園神社に集まった人の多さに、さぞや賽銭箱にはたんまりと銭があるだろうと、その夜半にこっそりと賽銭箱に手を掛けた瞬時、何処からともなくぶーんと羽音が聞こえ、一匹の虫が頭の上を飛び回る。
 手で払おうが頭に被っていた手拭いを振り回そうが、いかにしても偽甚五郎から離れようとはせず、賽銭箱に手を掛ければ隙ありと見て頬にひと針。
 手で払えばまた頭上に飛び去るが、賽銭箱に手を伸ばせば、頭にちくり。到底銭を取り出す事も侭ならず、勢い退散しようと振り返った時に、目の前には見た事もない大きな犬が行く手を遮る。
 哀れ偽甚五郎は、巻き毛を振るわせて、真っ赤な眼を剥いた犬に大声で吠え立てられ、腰を抜かして敢えなくお縄となったのであった。
 顔は、虻に刺されたように赤く腫れ上がり、潮垂れた一重の前襟は、鋭利な刃物の引き裂かれていた。






ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



浜の七福神 120

2014年07月26日 | 浜の七福神
 「文次郎兄さん」。
 文次郎の気落ち振りに、肩に手を置く円徹。その方は、これ以上ないくらいに落ちているようだった。
 「親方は何を考えているのでしょう。あの偽物を懲らしめようとしているのですか」。
 「円徹よ、親方はあの偽甚五郎を、本物にするつもりさ」。
 「それって、どういう事ですか」。
 偽甚五郎の彫った獅子と獏が出来上がってから、彫り直す腹積もりだと、文次郎は途方に暮れる。
 しかも、どこからどう見ても、あの男は飛騨匠は愚か、大工としての腕もないだろうと付け加えるのだった。
 「彫りだこが、全くねえ。ありゃあ大工どころか職人の手じゃねえ」。
 見れば、文次郎の指先には、幾つかのたこがある。己の奇麗な、細い指と見比べる円徹だった。
 「親方。先に丸亀に行って、また帰りに彫れば良いじゃないですか」。
 円徹は、閃いたとばかりに甚五郎に進言をする。
 「分かっちゃいねえな。あの甚五郎さんが逃げ出してもみろ。あっしが尻尾を巻いたって、世間様に思われちまうんだぜ」。
 「なら、ずっと見張るつもりですかい」。
 詰め寄る文次郎に、またも置屋の主の顔を向けた甚五郎。あの男の室ではどうやら宴が開かれているらしいここはひとつ、酒を呑むついでに弟子入りに行こうと、至って暢気に出向くのだった。
 予想していたとおり、飛騨匠・左甚五郎を名乗る男は、下津井祇園神社氏子たちの歓待を受け、豪勢な宴の真っ最中であった。
 「ちょいと失礼しやす」。
 その輪を分け入り、上座で顔を赤らめた男の前に座った甚五郎。
 「左甚五郎親方が、向拝柱に獅子と獏を彫るとお聞きし、是非とも手伝わせて頂きてえと参りやした」。
 「手伝うとは、おめえさんも堂宮大工なのけ」。
 「へい。江戸で少しばかり」。
 「少しじゃ、てえして力にならねえだろうよ」。
 ふんと鼻を鳴らした文次郎が立ち上がろうとする、その膝を掌でぴしゃりと叩いた甚五郎。
 「そりゃあもう、甚五郎親方の足下にも及びやせんが、こうして同宿になったのも何かの縁。是非ともその素晴らしい力量を拝ませておくんなせい」。





ランキングに参加しています。ご協力お願いします。

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村



人気ブログランキング

人気ブログランキングへ