大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎~ 俎上の魚六

2011年07月17日 | 縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎
 一通り話し終えた由造と同じくらいに、千吉も金治も疲労していた。
 「それはまた大変な御仁だったねえ」。
 千吉はその場にいないで良かったと旨をなで下ろすが、だがそこまで思い込みの激しい親子ならすんなりと帰ったとは思えない。
 「由造、それからどうなったのだい」。
 「ああ、今日のところは鶴二のおっかさんが興奮しておかしくなっちまったんで引き取ってもらったさ」。
 「今日ところはって、話は終わっちゃいないのかい」。
 千吉が目を丸くするが、金治が、「それだけの思い込みならそう安穏には納まらねえだろうよ」。と話を閉める。
 「だがね、二度会っただけで許嫁だと思い込んだほどの男さ、お美代さんが怖いと言い出してな」。
 「そらあそうだろうさ」。
 「旦那様としては、そうそう妾宅に泊まる訳にもいかず、あたしが見張りになっちまったのさ」。
 「ええ」。
 千吉も金治も腰を抜かさんばかりに驚いた。
 「近江屋さんも解らねえお人だねえ。お前さんなんぞが女と一つ屋根の下で寝起きしたら、どういうことになるかなんぞは火を見るより章かだってえのに」。
 由造は実に真面目で物腰も柔らかく、仕事っぷりも評判である。だが、これは近江屋の手代としての顔であり、もう一つにはかなりやんちゃな暴れん坊の側面もある。加えて、呉服町通や川瀬石町界隈の娘で由造を知らぬ者はいないと言われるくらいの面立ち。そして手の早さなのだ。
 現に、お美代に言い寄られたこともあった。だが、流石の由造も主人の妾に手を出すことは憚られると断るが、お美代は諦めてはいないようでもある。
 由造は唇の端を少し上げてにやりとすると、
 「ああ。だからな、旦那様に女子しに泊まってもらったらどうかって申し上げたのさ。相手はあの鶴二さ。気味は悪いが力はねえ。女でもことは足りるだろうよ」。
 だが、近江屋の女中たちはおかみの雅を憚って誰も美代の助けになろうとはしない。そこで仕方なく近江屋が家主の川瀬石町裏長屋を当たったのだった。
 「今さっき、あたしが話をつけてお節さん、お友さん、お竹さんを連れて行って来た帰りさ」。
 「お節、お友、お竹って、あの福無し長屋の行かず後家たちかい」。
 口の悪い金治が吐き捨てるように言う。
 福無し長屋とは、近江屋が家主の川瀬石町裏長屋で、濱部始め住人のほとんどが嫁を娶れない。嫁げない一人者ということから、世間では福の神に見放された、見捨てられた、見切れられた、福無し長屋と呼ばれているのだった。
 名前の上がった節、友、竹もそれこそ大年増だが、一人者でこれまた負けず劣らずのひってん、与太郎。中々に癖のある三人だ。


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