大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

浄瑠璃坂にみる大石内蔵助の真意 ~忠臣蔵の真実 2 ~

2013年05月31日 | 武士(もののふ)に訊け~真の武士道とは~
 とにかく浅野家の質祖倹約が、災いした。前回の勅使饗応役の折りの総費用は700両。だが、時代は変わったのである。上野介は、倍の1400両を申し出たのだが、浅野側はそれを拒否。
 幕府の対面を重んじる上野介との間に溝ができた事は否めない。
 元禄14(1701)年3月14日。「この前の遺恨を忘れたか」。内匠頭はそう言い放つと、脇差しを抜き、上野介に斬り掛かるが、この遺恨に関しては内匠頭のみが知る事となる。
 そして内匠頭の即日切腹。しかも大名であるにも関わらず、預け先の陸奥岩沼藩の第2代藩主・田村右京大夫建顕の芝の屋敷の庭先で切腹をさせられるのだ。この切腹に関し、田村家側では屋敷内に場を設える向きを申し出ているが、幕府から却下されている。
 庭先と座敷。大名に庭先での切腹など有り得ない事であった。これは当時の作法において、大きな違いがあるのだ。
 浅田次郎氏の「壬生義士伝」をご存じだろうか。吉村貫一郎に武士の情けとして、切腹の場として座敷を与えている(吉村貫一郎に関しては後に)。
 かくして内匠頭の罪状を知った浅野家家臣たちは、「喧嘩両成敗」を言い放つのだが、内匠頭は上野介との喧嘩故に腹を斬らされたのではなく、城内においての刃傷は切腹といった定めにより腹を斬ったにすぎない。
 なぜなら、歴史を紐解くと、内匠頭以前にも江戸城での刃傷事件は3件起きており、1名は切腹、1名は自刃。残りの1名はその場でなます斬りにされている。そして3家共に改易の沙汰が下っている。
 この史実を、武士なら誰もが知らない筈はない。むろん浅野家もだ。

寛永4(1627)年 
加害者 猶村孫九郎(小姓組)
被害者 木造氏、鈴木氏
場所 西ノ丸
結果 鈴木死亡
裁定 猶村孫九郎は切腹、改易。木造家改易

寛永(1628)5年
加害者 豊嶋刑部少輔明重
被害者 井上主計頭正就(老中)
場所 西ノ丸 
結果 井上・制止しようとした青木忠精死亡、豊嶋自害
裁定 豊嶋家改易

貞享元年(1684)年
加害者 稲葉石見守正休(若年寄)←春日局の玄孫
被害者 堀田筑前守正俊(大老)
場所
結果 堀田死亡、稲葉はその場で殺害された
裁定 稲葉家改易、堀田家移封  〈続く〉





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浄瑠璃坂にみる大石内蔵助の真意 ~忠臣蔵の真実 1 ~

2013年05月30日 | 武士(もののふ)に訊け~真の武士道とは~
 「忠臣蔵」を知らない日本人はいないだろう。そして、日本人が最も好きな題材が、この「忠臣蔵」と「白虎隊」と言っても過言ではない。
 我々が認知している「忠臣蔵」は、真の武士道だったのだろうか。その真実を検証してみようではないか。

 事の始まりは江戸城殿中において、播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、高家旗本・吉良上野介義央に刃傷に及んだ元禄14年3月14日(1701年4月21日)に遡る。
 浅野内匠頭長矩は、殿中抜刀の罪で即日切腹となり赤穂藩は改易となった元禄時代の一大事件である。
 何故に内匠頭は、上野介に斬り掛かったのか。諸説あるが、ほとんどの場合、浅野家からの付け届けがしょぼかったため、上野介が事有る毎に嫌がらせをした遺恨がほとんどの場合の定説である。
 だが、内匠頭は、天和3(1683)年にも勅使饗応役を仰せ遣っている。と言う事は、勅使饗応役のいろはを知らなかった訳ではない。畳替え、料理、装束などの上野介からの嫌がらせは、後の脚色となる事は必須。
 そうなると、内匠頭は何故に上野介に遺恨を抱いたのであろうか。
 一説によれば、内匠頭が江戸在留中の元禄3(1690)年12月23日に本所の火消し大名に任命され、火消し大名として名を馳せている。
 元禄11年9月6日(1698)に発生した江戸の大火の際、吉良義央は鍛冶橋邸を全焼させて失ったが、このとき消防の指揮を執っていたのは内匠頭ことで、上野介は、内匠頭が自邸を守らなかったことで不興を抱き、後の対立につながったのではないかなど、刃傷の遠因を探る向きもあるが、この大火では、江戸城もさえも燃えているので、上野介が己が屋敷を失った遺恨を抱くとは考えられない。
 次に揚げられるのは、内匠頭が勅使饗応役に任命され、その準備に追われる時期、上野介は幕府の任をおび、京へ赴いている。
 そして折り悪く、恒例の為か風邪が長引き、帰郷が遅れ、内匠頭は上野介抜きで勅使饗応役の準備をしなくてはならなかったのである。
 そして上野介が江戸に戻ってから数日の後、勅使饗応を迎えなくてはならなかった。
 また、内匠頭が前回勅使饗応役を務めてから十数余年、物価も上がれば、諸事情も違っていた。そこを指摘され、内匠頭としては、折角の準備にけちをつけられた感が否めなかったのではないだろうか。
 因に、付け届けがしょぼかったと言われているが、当時、高家に指南を受けるに関しては、付け届け=賄賂は、公然の事であり、高家としては、それも収入の一部であったのだ。〈続く〉




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残念無念の歴史のお話

2013年05月30日 | 武士(もののふ)に訊け~真の武士道とは~
 ご無沙汰いたしております。このところ多忙につき、新作をアップさせることがままなりません。わたくしの拙い物語をお読みくださっております皆様にお詫び申し上げます。
 暫くの間は、歴史上の納得のいかない話などを、コラム形式でご紹介していきたいと思います。飽くまでもわたくしの個人的主観による意見・感想になりますので、賛否両論あろうかと存じますがご容赦くださいませ。
 では、もう暫くの間お待ちくださいませ。
 何とぞ宜しくお願い申し上げます。

ひじ傘雨 最終章 4 最終回

2013年05月16日 | ひじ傘雨
 時は明治が進もうとも、世の中の動きに見放されたかのようにひっそりと浅草蔵前に佇む浄念寺。何時しか、居場所を失った御霊や妖たちの集いの場へとなっていった。
 「ええい。五月蝿いぞ。ここは寺だ。酒なぞ呑むな。騒ぐな。おおい六助、目付であろう。どうにかせい」。
 「ですがね、あっしはあの世の御霊の目付でして。妖は範疇の外でさ」。
 「だったら、牛御前様。この者たちを追い払ってください」。
 牛鬼と六助の姿は、常に瑾英の傍らにあったそうな。ひじ傘雨は、妖や御霊を連れ去る事は忘れていたようである。浅草蔵前化用山浄念寺。大正の大地震や昭和の戦火にて家屋は崩壊するも、木造阿弥陀如来立像な難を逃れ、今も本堂に安置されている。
 
 鹿内主税 
 慶応三年新撰組に入隊。鳥羽・伏見の戦い前後大坂にて脱走。堀家へ戻ったのか否か。その後の記録はない。
 天海勝之進
 慶応三年新撰組に入隊。鳥羽・伏見の戦いを経て江戸に帰還し、会津戦争へと転戦。慶応四年葉月の母成峠の戦いに敗走後、仙台にて離隊。後の医師になったと伝えられる。
 中島登 
 慶応三年新撰組に伍長に就任。土方歳三と共に転戦後は、榎本武揚ら旧幕府海軍と合流して蝦夷地へ渡り、明治二年皐月、弁天台場にて降伏。その後は、青森、弁天台場にて謹慎を経て、明治三年静岡藩お預けの後に放免された後は、浜松に定住し、様々な商いを試みる。
 山本満次郎 
 旧幕府より諸役御免、名字帯刀の特権を取り上げられた事で、特権を継続するように申し入れるも、時代の変遷と共に、訴訟相手が新政府に変わった。明治政府相手に裁判を行うも敗訴となり、明治四年弥生二十一日、東京より多摩へ帰る途中の旅館にて、割腹自殺を遂げる。
 河鍋暁斎
 明治元年、徳川氏転封とともに静岡へ移る。明治三年神無月、上野不忍池の長酡亭にて開催された書画会にて、新政府の役人を批判する戯画を描き、政治批判をしたとして逮捕の後に投獄。翌年の出獄後は、安愚楽鍋や西洋道中膝栗毛の挿絵を手掛け、ウィーン万国博覧会など世界へと進出し、明治十七年、改めて狩野永悳に入門し、狩野派最後の絵師を継承した。
 札差大黒屋
 江戸幕府崩廃業人追い込まれた中、明治元年師走、浅草蔵前の一帯が大火に見舞われ、これを機にほとんど没落していった。札差大黒屋の主・惣右衛門も根岸の寮に隠居し、跡を嫡男宗太郎が継ぐ。
 大黒屋宗太郎
 横浜に牛鍋屋・大黒縄のれんを開業の後、牛鍋が廃れ始めると早々に洋食屋へと商いを変えるが、明治十九年に突如隠居し、弟の正二郎に店を譲ると、ついぞ行方が分からなくなったが、子爵家の跡を継いだとも伝えられる。
 堀直明(晃仙)
 戊辰戦争で早々に新政府に与した事から、功績を評価され、新政府から賞典禄として五千石を下賜され、明治二年の版籍奉還で藩知事となるも、明治四年の廃藩置県で免官となり、明治十年、元来の姓であった奥田姓に復姓し、明治十七年のは子爵となる。だが僅か二年後の明治十九年長月十八日に東京にて死去。享年四十八歳。
 瑾英
 蔵前の化用山浄念寺の住持となり、明治を生き抜く抜くが、幾年過ぎようが、浄念寺からはおかしな奇声が聞こえたり、住持が空に向かい警策を振り冠るなどの、奇行も見られたと伝えられる。
 そして大正十四年に八十一歳の大往生を遂げると、時は夏であったにも関わらず、浄念寺境内の椿の老木が、血のように赤い花を咲かせたと不思議がられている。
 そして、瑾英と共に浄念寺を去った牛鬼、瓦町伝助親分の下っ引き六助、天社土御門神道の泰権の行方を知る者はいない。

※ 長い間ご愛読ありがとうございました。「ひじ傘雨」はこれにて最終回です。次回作へのご要望などございましたら、ご一報くださいませ。


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ひじ傘雨 最終章 3

2013年05月15日 | ひじ傘雨
 更に更に、颯太の目に写った最期の光景を画に認めた河鍋暁斎が、それを送り付ける。
 罪悪感はなくとも、恐怖で心が引き攣られた時に、宗太郎が手を回した、えげれす領事館から、役目の不備が上役に伝えられる。
 公私共に逃げ道とてなく、追い詰められた吉永は、とても尋常な神経ではいられなくなっていた。
 江戸の世であれば、乱心である。だが、その口から颯太への詫びが語られる事もなかったのである。
 「暫くの間は廃人同然です。これで上総屋さんもご納得くださいましょう」。
 「慈悲深い、瑾英御坊にしては、随分と思い切ったものだ」。
 「これで少しは、晃仙さんみたいになれましたか」。
 ぺろりと舌を出す瑾英。こらっと怒鳴りながらも、頭に触れた直明の手は温かな温もりを伝えるのだった。
 「これで別れだ。瑾英」。
 瑾英のここぞの決断力に、安堵した直明。もはや相見える事もなかろうが、精進せよと永久の別れを告げるのだった。
 「晃仙さん。ではもう東京に来られる事は、ないのでしょうか」。
 「泣くな瑾英。これより先、御仏になるまで涙を流す事は許さぬ。それが僧侶の道である」。
 言われてみれば、直明の涙をついぞ思い出せぬ瑾英だった。
 「晃仙さん、拙僧は、ずっと晃仙さんのような僧になりたかった。余計な事は話さず、お務めには陰日向なく、常に冷静な断を下せる。そんな僧になりたいと、ずっと思っていました」。
 些か照れ臭そうに、目を細めた直明。
 「それは、お前の事ではないか」。
 「晃仙さん」。
 「泣くでない。離れていてもお前は弟だ」。
 涙で瑾英の視界がぼやける中、冷たい雨をひじ傘で遮りながら、再び潜る事のない浄念寺の門を掛け出る直明。
 直明が言うように、明日からは涙を流すまいと固く誓う瑾英。だが、今日だけは、今日この時だけは、生涯分の涙を惜しみなく流すのだった。
 浄念寺の不思議に始まりは、直徴と吉乃が出会った、ひじ傘雨から始まっていた。ひじ傘雨が運んできた不思議は、ひじ傘雨が連れ去るのだろうと、直明の背が豆粒になり、見えなくなる迄、立ち尽くす瑾英であった。




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ひじ傘雨 最終章 2

2013年05月14日 | ひじ傘雨
 すると安芳も毒を吐くの止め、神妙になり、幾人の家臣を養っているのやと、漸く会話らしくなってきたのである。
 「今更だけどよ、お前の兄さんが、大政奉還を進言しといた時に、受け入れていたら、会津戦争は避けられたんじゃないかいと考えちまうのさ」。
 直明の直ぐ上の兄であり、江戸城内で自刃した堀直虎である。安芳は、乱心の上の自刃と記していたが、その実、大政奉還を慶喜に進言したが容れられず、そのために諫死した事を周知していた。
 「惜しい男だったよな、お前さんの兄さんはよ」。
 「いや計り知れぬお人だった。重臣を五十人近くも粛清し、藩政を改革するわ、洋式軍制を導入するわ。本心では戦がしたかったのではないか」。
 「先見の明があったのさ。そうさな、坂本龍馬みてえな面白れえ男だったが、どうにもそういった男は早死にしちまうようだ」。
 安芳曰く、須坂藩十三代藩主・堀直虎、海援隊の坂本龍馬、陸延滞の中岡慎太郎、土佐の岡田以蔵、新撰組局長・近藤勇、同じく副長・土方歳三。誰もが、不思議な力を持った男たちであったと。
 「だからよ、直明さんよお前さんには生きていて欲しいのさ。死に急ぐなよ」。
 「ああ。あんたが、戦のない平和な世の中にしてくれるんだろう」。
 やはり龍虎であった。このような信頼もあるのだと、瑾英はひとつ大人になった気がしていた。
 「さて、吉永久一の件も片付いた。そろそろ信濃へ戻らねばな」。
 「晃仙さん、このまま寺に戻るおつもりは、ないのですか」。
 寺に戻って欲しい。瑾英の本心だった。
 「そうだな。だが、戦で殺生をしてしまった上は、今更御仏もなかろう」。
 何ら恨みもない人を撃ち殺したのだ。仏に仕えられる道理がないと直明。
 「それにな、治長や藤島の面倒を見ねばならぬのだ」。
 直明は、須坂藩を継いだ時より、これが己の定めと揺らぐ事のない、須坂藩最期の藩主としての務めを全うしたいと告げる。
 「瑾英、この度の一件は見事に裁いたではないか。もはや私の力もいるまい」。
 「そんな、晃仙さんのお力がなければ、拙僧ではこうも上手くいったかなぞ分かりませぬ」。
 上手くいった件とは…。
 吉永久一が真を語るまで、朝な夕なに牛鬼が傍らにはべり、涎を流した口から生臭い舌で、その顔をぺろり。
 牛鬼の邪念から逃れようと、酒に逃げれば腹出しが、眠る事も休む事も許さずに踊り続けさせる。
 その酒が抜けぬ内に、六助が火の玉を部屋に灯す。
 更には、天社土御門神道の泰権が結印界を張り、久一を動けぬようにした上で、紙神が颯太の目に写った最期の光景を、写し出したのだった。
 迫り来るのは馬車ではなく、目を血走らせた牛鬼である。久一目掛け突進し、鼻先を霞める辺りですっと消える。追い詰められた久一が安堵する間もなく、それが永久に繰り返されるのだ。牛鬼が飽きる迄。




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ひじ傘雨 最終章 1

2013年05月13日 | ひじ傘雨
 「たった三日だぜい。三日で戊辰戦争も戦った屈強な男が、廃人同然になり、口からは涎を垂らし、寝付いているとはただ事じゃねえ」。
 「拙僧どもは、何もしてはおりませんが。まあ、御仏の酬いにございましょう」。
 「直明さんよ。御仏ってえのは、お慈悲があるもんじゃないのかい」。
 「さて、御仏とは嘘が嫌いでしてな」。
 「恍けるんじゃねえよ」。
 ふふんと笑い合う久一と直明。この二人の関係は、如何程のものであるのかを倦ねる瑾英だった。
 「それとよ、そっちの若い御坊様よ」。
 「拙僧にございますか」。
 あどけない顔をしているが、芯の強さは直明並だと告げる。
 「いえ、拙僧はそのような」。
 「違げえねえ。嘘は許せねえんだろう。この男もさ、江戸城無血開城なんて体の良い話をしておきながら、会津攻めを見過ごす旧幕府に見切りを付けたってんで、新政府軍に鞍替えしたのさ」。
 「だが、その会津を攻める羽目になった」。
 「それは世の流れさ。あのまんまお前さんが、幕府に忠誠を誓っていたら、須坂藩も新政府軍に攻め込まれていただろうからよ」。
 大名も旗本も、誰もが己とその臣下の安泰を願ったとしても攻められる事ではないと安芳。
 そして、わざわざ足を運んだのには、もうひとつ大切な話があると。
 「榎本武揚を知ってるだろう。函館に立て籠って最期まで半旗を翻した男だ。その榎本が、年明けに放免となって、新政府へ出仕させるってえ腹積もりなんだがな」。
 「それは良いではないか。榎本様はご立派なお方だ」。
 「だからよ直明さんよ、お前さんも新政府で働く気はねえかって聞いてるんだよ」。
 大名になっただけでも驚きであったが、維新の交渉役であった旧幕臣の勝安芳とも懇意な様子。そして今、新政府の役人の位置を約定された直明である。やはり雲の上の人ということを、否応無しに思い知らされる瑾英。ふっと短い溜め息を付く。
 「ないな」。
 たった一言だった。
 「そうかい。新政府の鉄砲玉に利用されただけで、終わっちまって良いのかい」。
 これは些か安芳の言い過ぎである。二本差しはなくても、相手は直明である。瞬時に直明の拳が勝の頬に当たると思われ、目を固く瞑る瑾英だったのだが、意外や意外。
 「何度も言ったろう。新政府の為に戦ったのではない。藩を家臣をそして民を守る為だ」。
 四方や大名の世が終わろうとは予想だにはしていなかった。それは己の誤りであった故、行く先のない家臣の面倒は見ていると、思い詰めたような目をする直明だった。




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ひじ傘雨 第七章 16

2013年05月12日 | ひじ傘雨
 安芳の対応は早く、数日の後に吉永久一との仲立を整えてくれていた。だが、海軍省での身分は低いが、長州の出であれば、後ろ盾があるやも知れぬとの付け加えもあった。そして所は、海軍省のひとつである旧尾張屋敷。
 「はて、御坊様方が、何のご用でしょう」。
 この日は口出しはせぬ故、己で何とかしろと出掛けに直明に告げられていた瑾英。
 目の前の如何にも、権力を笠に着た感が否めぬ、成り上がりの男を前に、嫌悪の思いを強くするのだった。
 「先達て、日本橋の通りで、幼き子を轢き殺したと聞き及びますが」。
 久一の顔が強張る。 
 「それは聞こえが悪い。わしの乗った馬車の前に、子が飛び出して来よったのだ」。
 「では、非はその子にあると申されますか」。
 痛いところを付かれた久一。話を反らしに掛かる。
 「これは驚きですな。御坊様が邏卒の真似とは」。
 御坊様と呼んではいるが、見下している事は明らかである。少しばかり腹の奥が、煮えるような鈍い感覚を覚える瑾英であった。
 「拙僧は、邏卒ではありませぬが、物事の善悪は心得ております」。
 何時にないきりりとした瑾英の物言いに、直明がおやっといった表情を浮かべる。
 「では何をしに参られた」。
 「檀家様のご不信を確かめに参りました」。
 そうかと漸く事情を噛み砕いた久一。だが、それは筋違い、僧の本分は経を唱える事故、その子が一刻も早く成仏出来るよう、寺へと戻れと上から物を言う。
 「はい。あなた様のお人柄が良く分かりましたので、寺に戻りそのように伝えます」。
 「伝えるとな。子の親にか」。
 「親ではございません。寺と言う所には、得体の知れぬ者が数多住み着いております故」。
 若い温厚そうな、味方によっては頼りなさそうでもある僧が、不意に立ち上がり、指差しながら怒声を発したのである。
 安芳の仲立なればこそ、面会もすれば話も聞いていた久一であったが、ここにきて本性を現すのだった。
 「大体、もはや辻駕篭が行き来する、江戸の世でないのだ。往来に飛び出す方が悪い。子の躾がなっていないのだ」。
 この言葉を耳にし、目の玉が飛び出すのではないかと、思えるくらいの怒りを覚えた瑾英。この男には、人の命を奪った事への自責の念なぞ持ち合わせおらぬと確信する。
 ごほんと、直明の咳払いが聞こえ、ようやく己の指先の震えに気が付いた瑾英。
 「では吉永様。真実を語られるまで、身辺にお気を付けくださいませ」。
 胸の前で合掌をする瑾英。些か、気分の良くない久一は、苦虫を噛み潰したような顔で瑾英を見詰めるが、その久一の背後には、牙を剥き、涎を滴らせた牛鬼が控えていた。
 「ぎゃーっ。何者だ」。
 直明と瑾英の背後で、久一の悲鳴が大きく響き渡る。
 「よし瑾英、良くやった」。
 これ以降は、牛鬼やほかの妖、そして六助が集めた御霊が、終始久一を監視すると直明は、片方の唇の端を少し上げるのだった。
 「一体どのような者たちが、監視いえ、脅すのでしょうか」。
 それには答えぬ直明。まあ、通常の人であれば三日で根を上げると、にやりと笑うのだった。
 きっかり三日後、浄念寺に見慣れぬ客があった。
 「お前さんたち、いってえ何を仕出かしたんでい」。
 久一がすっかり使い者にならなくなり、同時に外国からの要請で、賄賂を押収していた事も発覚、罷免になったと告げるのは安芳であった。




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ひじ傘雨 第七章 15

2013年05月11日 | ひじ傘雨
 「おい、そっちの若い御坊様よ、飯でも食っていかないかい」。
 とんだ偽の僧侶に、朝っぱらから大層な願いを申し込まれ迷惑だが、折角来たのだ。朝餉を共に摂ろうと、安芳が申し出る。
 「ですが、その。晃仙さん、これはまいないにはなりませぬか」。
 海軍省からの賄賂となっては、吉永久一を懲らしめるに差し障りはないかと案ずるのだった。
 「気に入った。御坊様よ。たかが飯ぐれえで恩を売ったりはしねえよ。こちとら江戸っ子でい」。
 「その江戸を終わらせた、超本人が良くぬかす」。
 「だったらよ、いち早く徳川を裏切って、会津へ攻め入ったのは、どこのどいつでい」。
 「あんたが、江戸を守る為に会津を売ったんだろうが」。
 「おや、聞き捨てならねえな。そのお陰で藩知事になれただろうが」。
 もうひとつの、戊辰戦争が始まりそうであった。それが、睨み合い、互いに剣呑な表情なら未だ良いのだが、どうにもにやにやしながらの二人が気味が悪い。
 「勝様も、晃仙さんもお止めください。本日はそのような話し合いでは、いえ、愚痴り合いではございません」。
 「違げえねえ。さあ、飯だ。そっちの大名崩れの偽御坊も食うかい」。
 「無論。有り難く頂戴しよう」。
 合掌をする直明だった。
 「なあ、勝とは、肩の凝らない相手だっただろう」。
 そう言われても、どうにも一触即発かといった状況に肝を冷やし、何を食べたかすらも覚えていない瑾英。
 「晃仙さんと勝様は、あのように遠慮のない間柄なのですね」。
 少しばかり、いや大いに言葉を飾ったつもりだったのだが、ぎろりと睨んだ直明。
 「あいつが大っ嫌いなんだ」。
 「ですが、気の置けない間柄に見えました」。
 「それでも嫌いなんだよ」。
 やはり直明は、幼き頃より憧れていた晃仙とは別の人格が顔を出しているとしか思えぬ瑾英だった。






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ひじ傘雨 第七章 14

2013年05月10日 | ひじ傘雨
 その者の乗った馬車の暴走が幼い命を散らしたのだが、件の相手は、子に非が合ったと使いの者に見舞金を持たせただけで、自責の念も感じられないと、瑾英が続ければ、安芳も頷くのだが。
 「それでおいらに、その男を召し出せって言うのかい。それでいってえ誰なんだい」。
 「名は吉永久一と申されます」。
 吉永、吉永と勝は呟くが、どうにもぴんとこないようである。
 「海軍省って一言で言ってもよ、随分と人が多くてね」。
 海軍省だけでも、旧広島・尾張・桑名・一橋・淀の各藩邸を使用していた。
 「勝殿が知られぬ、木っ端役人だ」。
 直明が口を挟む。
 「だったらよ、その木っ端役人に謝らせればいいのかい」。
 違うと首を良くに振りながら直明。
 「瑾英、申せ」。
 「はい。その吉永久一に面会の仲立をして頂きたいと存じます」。
 ふーんと横目で瑾英を見た安芳は、そいつがどこに務めているかを調べればいいのかと聞き返す。
 「仲立だと申したであろう」。
 些か焦れ気味の直明。次第に声が大きくなるのだった。
 「仲立ってえのはよ、謝らせるって事だろう。そいつが悪かったと認めれば良いんだろう」。
 己の言葉が終わるや否や、安芳の表情が険しくなる。
 「正か、斬るつもりか」。
 「そのような事は、明治の世では流行らぬのであろうが」。
 直明の返答にほっと安堵した安芳、大きな溜め息を洩らすのだった。
 「だったらどうしようってんだい。増々分からねえ。金かい」。
 直明、更に首を横に振り、瑾英を促す。
 「脅します」。
 「おい、こりゃあまた物騒な事を言い出す、御坊様じゃねえか。おい直明様よ」。
 海軍大輔である勝の手前、口先だけの詫びを述べるだろうが、そんな体裁ではなく、己の仕出かした事への真の謝罪を貰うだけの事。その為には、幼き目が最期に見たであろう恐怖を味わってもらうと、瑾英は言う。
 「だったらよ、ひとつだけ約束してはくれねえか」。
 命を奪う事はするな。それは相手の為の命乞いではなく、直明と瑾英が罪を被らぬ為だと言う安芳に、深く頷く二人。
 「だが、そいつが再び海軍省に顔を出せるかどうかは、約束は出来んがな」。
 「相変わらず、物騒でいけねえ」。
 目で笑い合う安芳と直明。いずれが龍か虎かは分からぬが、両雄並び立つ姿に圧倒される瑾英であった。




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ひじ傘雨 第七章 13

2013年05月09日 | ひじ傘雨
 それからと、直明は付け食われる。
 「瑾英、私の手助けは無用と言ったそうだな」。
 「あれは、晃仙さんのお手を煩わせたくないが為にございます」。
 慌てて違う、本心ではないと言うが、直明は冷ややかな目を向けるのだった。こういった顔をされると、蛇に睨まれた蛙の如く首を竦めるしかない瑾英。そして直明は、口に出した事は、必ずその通りに行う事も知っていた。
 「無理です。勝様や海軍省のお役人相手に、拙僧には荷が重過ぎます」。
 「颯太を跳ね飛ばしたのなぞ、長州の木っ端役人。臆する事なぞないわ」。
 ともかく勝安芳の元までは同道する故、それより先は任せると、瑾英の背を叩く、いや張り飛ばし活を入れるのだった。
 はははと天を仰ぎながら、安芳は話が分かる男だから案ずるなと、足早に両国橋を渡るのだった。
 「恐れ入ります。勝様は、ご在宅にございましょうか」。
 早朝、寝起き端の突然の僧の訪問に、目を丸くする家人であった。
 「勝にございますか」。
 すいと前に出た直明。
 「拙僧、浅草蔵前化用山浄念寺の瑾英様のお供で参った、直明でございます。勝殿はご在宅と見える。失礼」。
 どうやら安芳の居場所を承知していると見え、家人が止めるのも聞かずに、ずかずかと奥へと上がり込む直明。成す術もなく瑾英はその後ろに従わざるを得ないのであった。
 「勝殿、勝殿。お目覚めか」。
 不躾に開けた襖の向こうでは、今正に着替えを終えたばかりの安芳の姿があった。
 「何でい。朝っぱらからうるせえな。やっぱりお前さんか」。
 奥まで筒抜けであった声から、直明のような予感はしていたが、よもやと思っていたところに本人が顔を現したのである。
 「ところで、そのなりはどうしたい。また坊さんに戻ったかい」。
 「そうだな。誰かさんは、江戸で戦火を避ける事で頭が一杯だったみたいで、こっちは廃藩置県で身ひとつで放り出されちまったからな。それも良いだろうさ」。
 「相変わらず口の減らねえお方だ。ところで、連れの御坊さんはいってえ誰なんでい」。
 直明の後ろでおっかなびっくりに二人のやり取りを聞いていた瑾英に、安芳の目が向けられる。
 「そうだ忘れていた。この御坊様が、用があるのだ」。
 ほら話してみろと、直明は瑾英を前に押し出す。
 「はい。実は拙寺の檀家様のお子が、馬車に跳ね殺されましてございます」。
 「まだ小せえ子かい」。
 それは気の毒にと安芳の眉毛も下がるが、それと己がどう関わっているのかと、先を急くのだった。
 「その相手が、海軍省のお役人にございます」。




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ひじ傘雨 第七章 12

2013年05月08日 | ひじ傘雨
 「さて瑾英、参るとするか」。
 「えっ、どちらにでございますか。これより朝課ですが」。
 「朝課なぞ、一日くらい休んでも罰は当たらぬ」。
 「朝課なぞとは、晃仙さんのお言葉とは思えません」。
 あの憧れの晃仙は、もはや矢探れた俗物と成り果てたと、瑾英が悪態を付くが、朝の分も晩に行えば辻褄は合うと、全く取り合わぬ直明。
 「もっと大事な仕事だ」。
 僧にとって経を唱える以上に大事な事とはと、言おうものなら、拳が落とされることは分かっている。ここは素直に従った方が身の為である事は承知している。
 「何をしに行こうと言うのですか」。
 牛鬼が一気に脅かし、死ぬ程の恐れをもたらせば良いのではと瑾英は思っていた。
 「それでは一寸の恐怖に過ぎぬ。予め、脅かしておくのだよ」。
 にやりとする直明の横顔は、真に意地悪そうで、ぞくりと身震いがする思いの瑾英。
 黒の法衣に着替え、金襴地大師衣を掛けた直明。どこからどう見ても凛々しいのであるが、ひとつ気になる瑾英だった。
 「あの晃仙さん、お髪はどうなされますか」。
 ああと、髪を撫で付ける直明。頭を剃り上げていても、髷姿であっても、総髪だとしても、涼やかな顔立ちにはどれも似合っていた。
 「散切りの総髪なれば、問題なかろう」。
 僧の戒律も明治に入り、大分緩和されていた。
 己は、十歳までの稚児髷のほかは、剃り上げた坊主頭のみの瑾英。頭をぺちぺち叩きながら、どんな髪型が似合うであろうかと、思案してみるが、どうにも坊主頭しか思い浮かばぬのであった。
 直明に促され、向かった先は、両国にある勝海舟改め、明治新政府海軍大輔の勝安芳の屋敷である。
 六助の調べで、馬車で颯太を跳ね飛ばしたのは、海軍省に出仕の者である事が分かっていたが、表から乗り込むよりは、旧幕臣の勝を訪ねた方が早いと、面談の申し出もせずに乗り込もうといった策であった。
 「ですが、勝様と申せば、徳川様でもお力のあったお方。今では海軍省のお偉方です。そう容易くお会いくださいますでしょうか」。
 瑾英の言い分は至極最もな事であるが、鼻でせせら笑う直明。
 「会わぬと申せば、玄関先で会うまで待つ。それだけだ」。
 「そうではなく、お忙しいお身体です。屋敷におられるのや否やも分かりません」。
 そう言う瑾英を、きょとんとした顔で見詰める直明。
 「分かっていないのか」。
 「何をです」。
 「だから、こんな朝も早くから押し掛けるのではないか」。
 言われてみれば、粥座も食べずに寺を出ていた。江戸の世であれば、木戸も開いていない刻限である。
 




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ひじ傘雨 第七章 11

2013年05月07日 | ひじ傘雨
 「馬鹿だな。記事にしてください。はいそうですか。とはいかないさ。それに、相手は役人だ。新聞だって損得を考える」。
 「どっちが馬鹿だ宗太郎。新聞とは真実を載せるものだろう」。
 「世の中、それほど甘かないのさ」。
 黙れと、瑾英、宗太郎の頭に拳骨が落ちる。
 「喜之助さん、言い辛いが、宗太郎の伝手でその華族を落としたところで、颯太の恨みとは別の事になってしまいます。新聞は、やはり上から押さえ込まれればお終い。ここはひとつ我らのやり方で如何でしょう」。
 今さっきの牛鬼の様変わりを見た筈。あのような化物に人が食い殺される事を、意図も容易く言い放つ直明に対し、驚きを隠せない喜之助だった。
 「ですが、生きながら食われるのは、御坊様としてお許しになられて宜しいのでしょうか」。
 「旦那さん安堵ください。言葉の綾にございます。晃仙さんは多少、いえ相当に口が悪いのです」。
 瑾英は直明をひと睨みする。ふっと片方の口を上げ、笑みを見せる直明のよこで、
 「真に嫌な物言いにございまする。幾らわらわとて、もはや人を食い殺したりなぞ致しませぬ。第一、血なまぐさくて適いませぬ」。
 口を尖らせた牛鬼に、えっといった表情を送る直明と瑾英だった。
 「あのさ、上総屋さんは何を言っているのだい」。
 事情を知らぬ宗太郎は、きょとんとするが、それが剣呑な話し合いの場を和ませるのだった。
 「瑾英、教えておくれな。人を食い殺すって何の事だい」。
 「聞き違えたのではないか宗太郎。上総屋の旦那さんは、人を食ったような話とおっしゃったのだ」。
 宗太郎、至って単純なれば扱い易い。だが、やはりと言うか当然、気が付いた。
 「そうかな。生きながらって聞こえたような気がしたんだけどな」。
 しきりに頭を捻る宗太郎。
 「宗太郎、お前の方もえげれすの領事とかに話を進めておけ」。
 「はい。兄様」。
 直明に頼りにされたと、満面の笑みを浮かべると、既に剣呑な話は頭から消えたようであった。



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ひじ傘雨 第七章 10

2013年05月06日 | ひじ傘雨
 「颯太の件は、口出しは出来ないが、その役人は元々粗暴が目立ち、外国人の間でも評判が良くないので、その何だっけな、外国人からの要請でお役御免にしてくれるって約束したんだ」。
 晴れやかに言ったは良いが、言った側から腕で頭を庇う宗太郎。
 「馬鹿、拳骨を落としはせん。お前にしては上出来だ」。
 「本当ですか、兄様」。
 初めて直明に褒められ、形相を崩す僧宗太郎だが、以外な声が喜之助から漏れた。
 「兄様とは、では皆様は全てご承知なのですか」。
 これは直明、宗太郎の二人にも驚きだった。
 「やはり旦那さんはご存じでしたか」。
 瑾英は、眉を八の字にする。
 「吉乃が私に嫁いでくれた折から、好いたお人がいることは分かっていました。それでも私は構いやしませんでした」。
 月足らずで産まれた子は、己の子ではないとしても、上総屋で生を受けた命。上総屋の総領息子だと詮索はしなかったと喜之助は言う。
 「実の父親よりも、先に私の指を握ったのです。私の子に間違いありません」。
 そして須坂藩のお家騒動の折りに、堀家からの使者が訪れ、事は明らかになったが、それでも颯太は渡せぬと抗ったと喜之助は振り返る。
 「兄様は、俺と颯太坊を、堅苦しい大名の跡取りになぞしてはならぬと、ご自分で継いでくだすったのさ」。
 「宗太郎、過ぎた事を掘り返すな。それでは喜之助さん、どちらを選ばれます」。
 直明の言葉に、深い溜め息を洩らす喜之助。命を欲するか、世間的に地位を奪うかの選択である。
 「地獄か、生き地獄にございましょう」。
 苦しめてやりたいのは当然ではあるが、再びこのような事が怒らぬ為に公にする策はないものやと、喜之助は言う。
 「でしたら、新聞がよろしかろう」。
 この年に、東京日日新聞、郵便報知新聞が刊行されていた。
 「東京日日新聞でしたら、浅草の日報社です」。
 ここからも近い故、直ぐにも知らせに行こうと瑾英。
 


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ひじ傘雨 第七章 9

2013年05月05日 | ひじ傘雨
 直明、すかさず六助に声を送れば、こちらはぷかりぷかりと宙に漂い御霊の証とする。
 「お内儀をあの世へと連れて行ったのも、この者です」。
 「吉乃をですか」。
 「宗太郎の身体に入り込み、その侭、颯太の側にいたいと、お内儀には大分手こずらされました」。
 「では、あの時、颯太の父親だと言い張っていた大黒屋さんの若旦那は、吉乃だったのですか」。
 今はもう笑い話と、直明も瑾英も首を縦に振る。
 「では、吉乃は迷わずに成仏出来てはいなかったのですか」。
 夫たる己の知らないところで、妻が迷惑を掛けたと謝る喜之助に、吉乃も颯太も、このような善人に巡り会えて幸せな事だと、改めて思う瑾英だった。
 「喜之助さん、信じて頂けましたか」。
 真っ向から攻められぬ相手ならば、この者たちの手を借り、地獄へと引きずり込むのも一策であると直明は断言する。だが、人ひとりを地獄へと送れば、それなりの見返りもあるが、覚悟は出来ているかと。
 「お願いします。この命を差し上げ、我が身は地獄へ落ちようとも、再び颯太に会えなんだとしても、この口惜しさは晴らして頂きたい」。
 深々と頭を垂れた喜之助の、後ろの襖がずいと開いた。
 「おおい、瑾英。俺だ宗太郎だ。戻ったぞ。おおい」。
 「ちっ、宗太郎か」。
 また面倒が顔を出したのかと、直明は舌打ちをする。
 「なあんだ。みんなして集まって、あれっ兄様まで」。
 「今は真面目な話をしているのだ。お前は他所へ行っていろ」。
 邪見な扱いに頬を膨らませるのが常の宗太郎だが、この日ばかりは腕で柱にもたれると、上目遣いに薄ら笑いを讃える。
 「いいのかな。俺を除け者して」。 
 「生意気な奴だな」。
 「兄様、今はお江戸じゃないんですよ。文明開化の時代です。えげれすの領事ってな偉いお方に話を通しておきました」。
 どうだいといった、したり顔の宗太郎である。
 「その、えげれすの領事が何をしてくれるのだ」。
 それなんだと身を乗り出した宗太郎。





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