大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 10

2015年04月29日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第一章 罠 ~佐々木愛次郎~

 八方塞がりとは正にこの事。愛次郎は不覚にも正座した膝に置いた拳に涙を落としてしまった。
 「佐々木はん、あんさん、お国は確か摂津国どしたなあ」。
 「はい。摂津国の大坂です」。
 「そうどしたら、あぐりを連れてお逃げよし」。
 「駆け落ちをしろと申されますか」。
 「そうどす。あんさんの気持ちがほんまもんどしたら、あぐりは差し上げまひょ。それともお武家はんに未練がおまっか。うっとこは堅気の八百屋どす。なんが悲しゅうてかいらしい娘を妾にせなならへん。なあに三年もすれば熱りも冷めるでっしゃろ。ほなまた顔を見しておくれやす」。
 愛次郎は目を閉じ深く頷いた。
 「なら、お逃げよし」。

 「山野君、佐々木君はこのところ芹沢さんと密なようだね」。
 いち日と開けずに芹沢一派に呼び出されている愛次郎は、この頃隊士の誰が見ても一派に組み込まれたかに思えていた。だが、それにしても顔色は冴えず、稽古にも身が入らない様子である。
 稽古の後、山野は沖田に呼び止められていた。
 「はい。私もおかしく思い、尋ねたのですが、何でもないと言うばかりでした」。
 「ふーん。芹沢さんに無理難題を押し付けられていなければ良いんだけどなあ」。
 「ですが、少し前に芹沢先生のお伴で烏因幡薬師の見世物小屋に出向いたことがあります。その折り、芹沢先生の無体を、押し止めたのは佐々木君です。芹沢先生の難癖なら、どうとでも切り抜けるのではないでしょうか」。





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富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 9

2015年04月27日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第一章 罠 ~佐々木愛次郎~

 七月に入り、愛次郎はあぐりも元を訪った。
 「佐々木はん、お久し振りどす」。
 あぐりの顔にぱっと花が咲いたような笑みが溢れる。
 「あれから、ちょっとも来ーひんから、うちを嫌いにならはったと思ってはったんえ」。
 「いや、そんな嫌いになんかなるものか」。
 それだけ言うのが精一杯で、それ以上言葉を続ければ涙が溢れそうだった。とてもあぐりには言えない。愛次郎はあぐりの父親に話をすることにした。
 「で、あんたはんはどない思ってまっしゃろか」。
 「私は、私は…。芹沢先生の命には逆らえないのです」。
 堪えていた熱い固まりが胸から込み上げていた。
 「その芹沢はんゆうお人の言い分はわかりまひた。けどあぐりはうっとこの大事なひとり娘や、妾なんぞにでき道理がありまへんやろ。わしがそう言うとったと言うておくれやす」。
 「至極ご最もにございます。ですが、どのような災いがあろうか」。
 芹沢の凶暴さをあぐりの父親は知らない。あぐりを差し出さなければ家屋を焼き払うなど朝飯前なのだ。
 この頃、芹沢一派は、大商人に押し借りを繰り返し、支払わないと大暴れをするといった有様だった。
 愛次郎の懸念はそこにもあった。己ひとりが打ちのめされて済むなら、幾らでも打たれよう。だが、それで事が収まった試しはない。
 だがここで芹沢の凶暴性を話したら、増々あぐりを差し出すことを拒むだろう。あぐりにとっても悪戯に怖い思いをさせてしまう。




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富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 8

2015年04月25日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第一章 罠 ~佐々木愛次郎~

 途方に暮れるとは正にこのこ以外にあるまいと、愛次郎は同じことを堂々巡りに考えていた。
 「佐々木君、このところ、得意の柔術にも身が入っていないようだが、何かあったのかい」。
 声を掛けてきたのは、愛次郎よりも数カ月ばかり早くに入隊していた、加賀藩脱藩の山野八十八であった。
 「山野さん。いえ、何でもありません」。
 愛次郎は、柔術の達人であり、この年の4月16日には入隊間もないにも関わらず、会津藩主・松平容保への上覧試合に抜擢され、佐々木蔵之介と組んで柔術を披露したほどの腕前なのだが、このところ心ここに非ずで、組み伏されることが多かった。
 そして、愛くるしい愛次郎の笑顔が消えて久しいのだ。山野は二十二歳と愛次郎よりも年上であるが、愛嬌のある童顔で、ひと皮の目を更に細めてにこにことしいると、ともすれば年若にも見える。
 「そうかい。なら良いんだが。このところ元気がないようにも見るんでね」。
 「いえ、少しばかり稽古に付いていけないだけです」。
 「うん。それなら稽古を重ねるしかないか」。
 この時、山野に打ち明けていたら、自体は変わっていたかも知れない。山野は温厚な性格で面倒見も良い。だが、入隊間もない愛次郎には、誰を信じて良いのかさえも分からなかったのである。下手に話をして芹沢の耳にでも入っては大変なことになる。そんな恐怖心に支配されていた。
 日々憔悴する愛次郎に相反し、芹沢の苛つきは増していった。もはや日延べはできないだろう。






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富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 7

2015年04月23日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第一章 罠 ~佐々木愛次郎~

 「遠縁の娘にございます。私が京に不慣れ故、案内をしてくれています」。
 「ほう。遠縁のねえ」。
 懐から出した手で顎を撫でる芹沢。視線は、舐めるようにあぐりの肢体に粘り着いていた。
 「だったらどうだい。俺たちも案内して貰おうじゃねえか」。
 「先生、何ぶんにも子ども故、局長のお気に召すような所は知りませんので、ご容赦ください」。
 気が付けば芹沢の側近である水戸派の新見錦、副長助勤・平間重助・平山五郎・野口健司。そして気脈を通じ急接近していた副長助勤の佐伯又三郎にぐるりと取り囲まれる形となっていた。上背もあり割腹の良い芹沢を筆頭に、小柄だが横暴で傲慢な新見、花火の事故で左目がつぶれ隻眼となった平山、短慮な佐伯など、ひと癖も二癖もある面々である。
 先程までの紅潮とは一転、あぐりの顔からは血の気が引いて立っているのがやっとの有様である。
 
 愛次郎が芹沢に呼び出されたのは、嫌な予感に苛まれ、眠れない夜を過ごした翌日のことだった。
 芹沢は、前置きもなしにいきなり切り出す。
 「昨日の娘、確か遠縁と申しておったな」。
 「はい」。
 芹沢と対峙するのは初めてである。それすら緊張を隠し切れない愛次郎に、「やはり」といった悪い予感が当たったのだ。
 「気に入った。俺の妾にする故、連れて参れ」。
 後は、どう取り繕ったのかも分からないまま、愛次郎は芹沢の部屋を後にしていた。
 あぐりの元へ向かうのを、いち日延ばし延ばしにしていると、平間、平山辺りから矢のような催促がある。芹沢の言い付けには逆らう訳にはいかず、かと言って同じ屋根の下であぐりが芹沢に組み伏されるなど、到底耐えられるものではない。






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富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 6

2015年04月20日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第一章 罠 ~佐々木愛次郎~

 二人は寸の間見詰め合い、そしてころころと笑うのだった。
 「でも、お稽古の時は忘れておくれやす。愛次郎はんが怪我しなはったら悲しおす」。
 祇園杜に近付くに連れ、次第に人が増え、ともすれば人の波に押し流されそうになる。愛次郎は、そっと手を伸ばし、あぐりの柔らかな手に触れた。一瞬、ぎくりと手を強張らせたあぐりだったが、直ぐに愛次郎の逞しい手をぎゅっと握り返すのだった。如何にも初々しく微笑ましい若い二人だった。
 「団子でも食べて行こうか」。
 「へえ」。
 ふと立ち寄った団子屋が坂道を転がり落ちるきっかけになろうとは思いもしなかった。
 非毛氈の敷かれた床几に肩を並べて座って団子を頬張っていたその時だった。祇園の茶屋から出て来た芹沢一行と出会したのは。
 愛次郎が寸の間、しまったといった困惑の表情を浮かべたのを芹沢鴨は見逃さなかった。
 「芹沢先生」。
 愛次郎はすかさず立ち上がると深々と挨拶をする。
 「お前は、確か…」。
 「はい。佐々木にございます」。
 だが芹沢の目は隣のあぐりに注がれている。不穏を隠し切れない愛次郎だった。
 「今日は、祇園祭見物かい」。
 「はい。非番ですので、京を見知っておきたいと思いまして」。
 「そうかい、それで連れは、お前の女か」。
 芹沢の目は獲物を捕らえた禽獣のように、ぎらついている。



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富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 5

2015年04月20日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第一章 罠 ~佐々木愛次郎~

 その時愛次郎は、自分は武家ではなく、摂津国の飾り職人の子であるから、何ら差し障りも無いと話、国元にも文であぐりのことは知らせていたのである。結納こそ交わしていないものの、許嫁として半ば公然となったいたのである。
 だが、浪士組では新参者である。隊では飽くまでも秘密裏であった。
 この日は、祇園祭に連れ立って出掛ける予定であった。摂津国から上京した愛次郎には、初めての京の祭りである。しかも傍らには愛しいあぐりがいるのだ。
 思えばこの時が、愛次郎にとって正に幸せの絶頂だったと言えよう。この日を境に、二人の運命は一転していくのだから。だが、そんな己の運命を知る由もない愛次郎であった。
 「うち、待ち兼ねてはった」。
 化粧を施したあぐりは、京紫に桔梗が描かれた涼やかな一重を身に纏い、いつに増して可愛らしかった。
 その模様に桔梗が可憐なあぐりに良く似合い、愛次郎は桔梗の簪をあぐりに付けさせたいと思っていた。
 「毎日会いたおす」。
 「私もです。ですが」。
 「そないどした。愛次郎はんは忙しない身どすから」。
 「しかし、離れていてもあぐりさんを忘れたことはありません」。
 「ほんまどすか。剣術のお稽古ん時もどすか」。
 「それは…」。
 愛次郎は顔を赤らめ俯く。
 「ほら、嘘を付きはった」。
 「う、嘘ではありません」。





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富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 4

2015年04月19日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第一章 罠 ~佐々木愛次郎~

 「ははは。冗談だよ。早く行きたまえ」。
 一礼をして、逃げる様に足早に去る愛次郎の背に、沖田は直感した。
 「あれは女子だな」。
 「やあ、ええ男はんやなあ」。
 いつの間にか、子守り女たちも愛次郎の背に見入っている。
 「なんだい、さっきまで馬詰君を褒めていたじゃないか」。
 「いややわあ」。
 ぽっと頬を赤らめた子守り女は、色黒で縮れ毛で、背丈も子どもほどしかなく、お世辞にも可愛いとは言い難い娘であったが、好きになるのは勝手である。
 沖田から馬詰名を出されて、さも好き合っている者同士のように、身を捩らせて恥じ入っているのも、些か興ざめであった。
 一方の愛次郎は、沖田に勘付かれたのではないかと少しばかり気にはなったが、そんな思いを吹き飛ばすかのように、あぐりの愛らしい笑顔がぱっと脳裏に浮かべば、自ずと気が急いてくる。
 あぐりは、壬生松原町にある八百屋のひとり娘で、年の頃は十六。美男の愛次郎とは雛のような似合いの器量良しである。
 出会いは愛次郎が芹沢の伴で松原通は烏因幡薬師の見世物小屋に出向いた折り、西洋の五色の鳥を見て、芹沢先生が『あれはそこいらの鳥に色を塗ったものだ。水で洗ってみろ』と管を巻いたのを、『西洋では人も黄金色や茶の髪をして、青い目をしていると聞いております。あのように珍しい鳥がいてもおかしくはないでしょう』と、押し止めたのがきっかけとなり、香具師の新吉が愛次郎の器量を見抜き、八百屋を営む弟の娘・あぐりとめあわせたのだった。
 その後、非番の度にあぐりの元を訪れる愛次郎の人柄に、あぐりの両親も、ゆくゆくは一緒にさせたいと願う様になっていた。
 「お武家はんでは、町屋ん娘は無理でっしゃろか」。
 あぐりの父親にそう聞かれたこともある。





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富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 3

2015年04月17日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第一章 罠 ~佐々木愛次郎~

 「佐々木君、どこへ行くんだい」。
 屯所の八木邸の並びにある壬生寺の前を通り掛った愛次郎に、聞き慣れた明るい声が飛び込んできた。
 「これは沖田さん。京は珍しいのでちょっと見て回ろうかと思いまして」。
 副長助勤の沖田総司は良くこの寺の境内で。近所の子どもたちと遊んでいたのだ。
 「ふうん。そうか、君は非番だったね。だったら君もどうだい」。
 子どもたちは、そんな話をもどかし気に沖田の袖を引く。その子どもたちの後ろでは、子守り女たちが熱い眼差しを送っていた。
 それもその筈、佐々木愛次郎は、隊きっての美男剣士との呼び声が高かったのである。
 十八歳の柔軟な若い肢体に、雪のように肌理の詰まった白い肌に、大きな二皮目にすっと伸びた鼻筋、口元はきりりとしまりきゅっと口角が上がっていた。
 温厚かつ落ち着きが有り、未だ入隊してひと月ではあったが、壬生の女たちの口に上らない日は無いと言っても過言ではなかった。
 「いえ…私は…」。
 「どうしたんだい。約束でもあるのかい」。
 からかうように沖田が、その細い目を更に細めてにやりと笑う。
 「いえ、そんな…」。
 「おや、今日は祇園祭じゃないか。祭りにでも行くのかい」。
 「ええ。まあ」。
 歯切れが悪い。
 「だったら私も一緒に行こうかな」。
 「はい…」。
 愛次郎が、その整った顔に困惑の表情を浮かべるのを面白がる沖田だった。





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富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 2

2015年04月15日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
第一章 罠 ~佐々木愛次郎~

 まずは佐々木愛次郎君から話しましょう。佐々木君は、背丈も高からず低からず。肌は雪のようにしろく、そして何より身体のこなしが敏捷でした。
 目鼻立ちもはっきりと整った、古今東西の美男でしたな。
 性質も温厚で落ち着きがあり、あのまま何事もなく隊におれば、間違いなく重用されていたでしょう。
 可哀想なことをしました。わしらに話してくれておれば…と悔やまれてなりません。

 文久三年(1863年)六月 京都壬生村。
 朝から、刷毛で掃いたような雲が青空にぽかりと浮かんでいた。徐々に暑さが身に染みる季節に変わろうとしている。
 この春、浪士組に入隊を果たした者たちにとって、剣術の稽古はことのほか身に染み、特に副長助勤の沖田総司の荒々しさは尻込みを辞さないほどだった。
 増してや、深夜に奇襲に供えた呼び出しが疲れた身体に打ち打っていたのである。
 だが、そんなことは未だ良いと言えよう。一番堪えたのは、死番と呼ばれる見回りの際、敵が潜む所に真っ先に飛び込む役目だった。
 この時ばかりは、胆が冷え全身が総毛立つ思いでもある。一番に飛び込めばそれだけ己の死も近いということなのだから。
 そしてもうひとつ。新入隊士たちを悩ませていたのが、二つの派閥である。三人の局長を配する浪士組には、芹沢鴨、新見錦の水戸天狗党派と近藤勇の試衛館派があり、静かに反目し合っていた。





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富貴天に在り ~新選組美男五人衆~ 1

2015年04月13日 | 富貴天に在り ~新選組美男五人衆~
序章

 明治三十二(1899)年七月。東京市牛込。
 良い時に来てくださいました。間もなくこの道場を畳んで江戸、いや東京ですな。何年経っても慣れなくていけない。東京は引き揚げることになりましてな。
 それにしても良い世の中になったもんです。先達ても活動写真というもんを観て来たところです。近藤さんも土方さんも若死にしてしまったから、あんな面白いもんを観ることも出来なかったですが、生きていたら、この世の中の変わりようをどう思ったでしょうな。
 ええ、我々はこんな便利な世の中になるのを阻止していたとは思いたくもありませんがな。
 あの頃は、何が正しくて、何が間違っているのではなく、誰もが己の信念を持っていたもんです。誰も間違ってはいなかった。そう思いたいもんですな。
 で今日は何を聞きたいんで。美男五人衆…。はて、そんな者が隊に居たでしょうか。美男と言えば土方さんですが、土方さんではなくてですか。
 山野八十八、馬越三郎、馬詰柳太郎、佐々木愛次郎、楠小十郎ですと。そうですか、彼らが美男五人衆と呼ばれておったのですか。言われてみれば、壬生の娘どもが騒いでいたような気もしますな。
 誰から話しましょうか。確か皆、文久三(1863)年頃、入隊したのではなかったでしょうかのう。未だ新選組を拝命する前の浪士組と呼ばれていた頃じゃった。
 あれは、家茂公が摂津から帰京した折りの、五月の半ば頃でしたな。お伴をさせて頂いていた我らも京に戻った頃か。
 隊にも活気があって、一番良い時期だったように思えます。それから二年後の元治元(1865)年の池田屋で、隊は一躍有名になったのですが、今思えば、その池田屋からはいけない。転落へと脚を踏み出すのですから皮肉なもんです。




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のしゃばりお紺の読売余話90

2015年04月11日 | のしゃばりお紺の読売余話
〈余話〉
 「直次郎兄さんが心を入れ替えるなんて、わっちはどうにも信用出来ないがねぇ」。
 「まあ、そう言うねぇ。今は真っ当に働いているんだ」。
 「何時迄続くことやら。これまでだって奉公先を幾つしくじったことか。どうしても火消しになりたいって、お前さんに頼み込んだ時も、ひと回りも保たなかったじゃないかえ」。
 「今度ばかりは違うさ。あの時だって、一度は逃げ出したのに、火の中に戻って助け出してよぉ、そのまま背負ってお前ぇのとこに運び込んだじゃねえか」。
 「慌ててお医者に来て貰ったっけねえ。どんな気まぐれだったのやら」。
 「そっちは、でえじょうぶなのけ」。
 「ああ、口の堅い信用出来る先生ぇさ」。
 「お前ぇは、直次郎を信用してねえのけぇ。兄さんじゃねえか」。
 「よしとくれよ。あんな奴、兄さんなもんか」。
 「けどよ、生涯かけてお信に償うって言葉に嘘はねえとみたぜ。涙まで浮かべてよ、手えついて謝ったんだ。あっしはもぅ一辺だけ信じても良いと思うがね」。
 「そうやって何遍裏切られてきたことか」。
 「信じてみようじゃないけ。世の中そう捨てたもんじゃねえって、あっしは信じてえんで」。


〈第一巻 完〉


※長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。「のしゃばりお紺の読売余話」第一部はこれにて終了です。次回は、新選組を予定しています。しばらくお待ちください。



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のしゃばりお紺の読売余話89

2015年04月09日 | のしゃばりお紺の読売余話
 朝太郎が差し出した読売には、火の粉をかいくぐって逃げる直次郎らしき男が桜花らき女を庇う姿が描かれ、「道行き」といった文字が踊っていた。
 「こう、これだよ。この男が直次だったよ」。
 「ああ、直次郎だ。親方が木挽屋で風体を聞き出してきたんだから間違いねえ」。
 「じゃあさ、直次郎が面倒を見ているのは、一体誰なのさ」。
 「さあて、人様の目を忍んで暮らしていかなくちゃならねえとなったら、決まってらあな」。
 朝太郎は、ふんと面倒臭そうに鼻を鳴らす。
 「おのぶ…まさか。いや、お信さんかえ」。
 お信は火事で死んだ筈である。よしんば生きていたとしてもお仕置きは免れない。
 「だから、だから。お仕置きを逃れる為に」。
 だが、だからといって直次郎が堅気になってまで面倒を見るものだろうか。
 「朝さん、あたしにはちっとも解せないよ。それに火消しの若頭まで絡んでいるんだ」。
 そう言い掛けてお紺は合点がいった。
 あの時、金次が木挽屋の二階に梯子を掛けてお信を救いに行った時、室内にお信以外の誰かも居たのだ。金次がお信を救い出したのなら、誰の目にも明らかであり、そのまま奉行所の役人に引き渡さなくてはならない。だが、燃え盛る室内から、脱出を試みたなら、あの騒ぎの中だ。人知れずどこかに隠すことも出来た筈だ。
 「朝さん、あたし分かったよ。あの火事の時、金次さんは中の誰かと話たんだ。だから金次さんが面倒を見ているのさ。そうか、そう。でも、直次郎はどうしてお信さんを」。
 「それが男と女ってなもんなんだろうな。お紺坊にゃ、分からねえだろうがな」。
 小娘扱いされてぷっと膨れるお紺。
 「でも惜しいよねぇ。こんな美談を読売に出来ないなんてさ」。
 女衒もどきの遊び人であった直次郎が心を入れ替え、己が苦界に沈めた病いの女の面倒を見ている。これだけで女共はこぞって読売を欲しがる筈だ。
 「ああ、惜しいかどうかは分からねえが、もう首を突っ込むんじゃねぜ。今度の火事は親方の文でかたが付いたからな」。
 「ねえ、朝さん。あたしはいつも何をしているんだろう」。
 走り回っている割には、一歩も二歩も出遅れ、ちっとも読売に貢献している気がしないと、神妙に膝を詰めるお紺に、「漸く気が付いたけぇ」と、返したものだから、朝太郎は頬が赤くなるくらいお紺にぶたれたのだった。
 「まあ、のしゃばりお紺なんだからよ。あちこち首を突っ込んでいるうちに、何がでえじで何がでえじじゃねえか分かってくるってもんよ」。
 「そうかねえ」。
 「ああそうさ。今は無駄だと思うことでも、ずっと後になって役に立つ」。
 朝太郎は赤く腫れた頬をなでながら頷くのだった。
 「なら、あたしもいつかは、おとっつあんみたいになれるかねぇ」。
 「ああ。精進しなよ」。
 「けどあたしは、おとっつあんみたいに、人様が殺められたって聞いたり、火事があったって知ったら飛び上がって喜ぶようなまねは出来そうにもないよ」。
 「だったらよ。そのことを繰り返さねえためにも、読売にして知って貰うのよ」。
 お紺はすっと立ち上がると晴れやかな顔で土間に下りた。そして油障子に手を掛ける。
 「おい、お紺。今度の一件には、もうのしゃばるばよ」。
 朝太郎の叫びのような声を背に受け、一歩踏み出すのだった。





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のしゃばりお紺の読売余話88

2015年04月07日 | のしゃばりお紺の読売余話
 そら始まったとお紺は独りごちた。人は自分より優れたところのある人をやっかむものなのだ。さしずめ、色男の働き者の亭主を持っているのが気に喰わないらしい。
 「そうだ、あんた。そのお峰ちゃんって人かも知れないなら、声を掛けてごらんよ。その人だったら、思い出すかも知れないよ」。
 「あたしがですか」。
 「そうさ、幼馴染みを探しているんだろ」。
 「ええ、まあ」。
 「じゃあ、百聞は一見にしかずだよ。自分の目で確かめてごらんな」。
 お紺は長屋の女房たちが遠巻きに見る中で、件の部屋の前に立った。何だか二階に上げられて梯子を外されたような気分である。
 「ご免なさいよ。あの、開けますよ。よろしいでしょうか」。
 「どなたさんで」。
 背後から低い男の声が聞こえ、お紺は伸ばしかけた手を引っ込めた。
 あれだけ囃し立てた女房たちは、我関せずとばかりに井戸端で野菜を洗ったり、自分のやさに戻ろうとしたり、お紺とは目を合わせようともしない。
 ゆっくりと振り返ると、成る程苦みばしった色男がそこにいた。窶れた頬に掛るほどけた鬢さえもが色気を感じる。直次こと直次郎に間違いないだろう。こんな男に情けをかけられたら、誰だって舞い上がってしまうだろうとお紺は思った。
 「ここはあっしのやさですがね。あんたさんはどちらさんで」。
 「これは申し訳ございません。あたしは人を捜していましてね」。
 人捜しと言った途端、直次の顔色が変わり、切れ長の一皮目に鈍い光が宿った。
 「前にここに住んでいたお峰ちゃんという人なんですが、何か知りませんか」。
 「お峰さんですか。あっしらは越して来たばかりなんで」。
 「そ、そうですか。失礼しました」。
 
 「全く胆を冷やしたよ」。
 お紺は、先程のあらましを朝太郎に話して聞かせていた。
 「んで、それが直次郎だとすると、女は桜花だって」。
 「だってそうとしか思えないじゃないか」。
 「そらあ違うな。桜花は、もう借宿で商売を始めてるぜ。何でも女郎に悋気されて火事騒ぎまで引き起こさせたってんで大層な繁盛振りだとよ」。
 「えっ、朝さん。何でそんなこと知っているのさ」。
 「お前ぇが下らねえことであくせくしている間によ、親方がちゃあんと調べて、ほれ、もう刷り上がってらあな。今頃は、あちこちで売りに出されてるぜ。お前ぇ、読売を売りに行かねえで、大目玉だぜ」。




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のしゃばりお紺の読売余話87

2015年04月05日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「ご亭主は、今はどちらへ」。
 「そこの湯屋の焚き付けをやっているよ。朝っぱらから夜まで良く働く亭主でねえ、暇を見付けちゃ戻って女房の飯の支度や廁に連れて行ったりと見上げたもんだよ」。
 だったら直次と直次郎は別人だろう。あの女衒にも劣る直次郎が、風呂炊きの仕事を真面目にする筈もない。いや、桜花の為なら…。
 お紺は暫しあらましを整理してみた。そうしなければ、お紺も混乱を来す展開なのだ。そこにお信を助け出せなかった金次が絡んでいる。
 (ああっ、ちっとも分からない)。
 「あのう、おかみさんの方ですがね、もしお峰ちゃんなら愛嬌のある丸顔なんですが」。
 「それがさ、顔に火傷を負っちまったってんで、手拭いで隠してるもんだから」。
 「あたいは見たことがあるよ。顔の火傷の痕はそうは目立たないけど、丸顔じゃなかったなあ。どちらかと言えば顎の張った顔だったねえ」。
 若い女房が口を挟む。
 「ならお峰ちゃんじゃないみたいだわね」。
 これでお紺が聞き込みをする理由がなくなった。これ以上詮索しては、こちらが疑われる。だが、一度口火を切った女房たちの噂話は尽きることはなく、新参者のお紺に自慢話を聞かせているようでもあった。
 「湯屋で聞いた話だけど、背中の火傷の痕が酷いらしいよ。それで仕舞湯を貰って亭主が入れているんだってさ」。
 「わっちも聞いた話だけど、訳ありの夫婦らしいよ。それで湯屋の焚き付けなんかやってるってさ」。
 「聞いた話だけど」。自分の逃げ場を確保して噂話や、悪口を言う、こういった人間はお紺は苦手であった。読売の為でなければ直ぐさまこの場を離れたい。
 「あのう、先程からここでこんなに噂話をしていちゃ、中に丸聞こえじゃないですか」。
 お紺は話の腰を折ったつもりだったが。
 「そんなら大丈夫さ」。
 「でも」。
 「お頭がいかれちまってるんだよ」。
 「あんたは本当に口が悪いねえ。お頭がいかれちまってるんじゃなくて、惚けになっちまってるんだよ」。
 「惚けになっちまったらお仕舞いさ。あんな良い亭主のことも覚えちゃいないのだから」。
 「勿体ない話だよ。あの亭主だったらあたしが変わりたいもんだよ」。





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のしゃばりお紺の読売余話86

2015年04月03日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「女房の名は解らないけど、亭主は直次っていってねえ。これがまた滅法界良い男っぷりなんだよ」。
 「直次。直次と」。
 直次郎に間違いない。お紺の読売で鍛えた勘がそう確信した。だったら今夜具に包まれているのは桜花なのだろうか。だったら辻褄が合うではないか。火事騒ぎの中、足抜けした桜花を匿う為に、こんな裏長屋にひっそりと暮らしていると。
 「だけどさあ、可哀想だよね。女房の方は、大やけどを負って、寝たきりってえ話じゃないか」。
 「やけどですか」。
 「ああ、何でも火事に巻き込まれたって話だよ」。
 「火事でやけど。何時、何時の火事でしょうか」。
 つい話を急ぎ過ぎた。こういう場合はゆっくりと向こうが話し始めるまで相槌だけで待つのが得策と、父の庄吉から教わっていたが、聞かずにはいられなかったのだ。
 ふと、女房どもの目に疑りの光が宿る。
 「あんた、どうしてそんなことを知りたいのさ」。
 「いえ、つい先達てもこの近くで火事があったって聞いたものですから…」。
 「ああ、岡場所の火事だろう。あれじゃあないよ。小火程度だったらしいんだけど、元々脚が悪かったんで逃げ遅れたんだと」。
 「脚が悪いのですか」。
 「そう聞いているけど」。
 明らかに女房どもの声の音は低く変わっていた。それは、お紺を訝しがっているに違いなかった。
 「お峰ちゃんも、軽く片方の脚を引き摺るんです。何でも赤ん坊の頃に框から落ちたとかで、ああっ。やっぱりお峰ちゃんじゃないかしらん」。
 お紺は大げさに言ってみた。
 「急にお峰ちゃんに会いたくてしょうがなくなったのですもの。これは神仏のお導きだわ」。
 「あんたが言う、お峰ちゃんなら、見舞ってやっておくれと言いたいんだけどね、火事の時に記憶を失っちまったって話だよ」。
 「記憶を…」。
 「それにね脚は引き摺る程度なんてもんじゃなくて、ひとりじゃ歩けやしないのさ」。
 片方の脚で支えて立つのがやっとで、寝たきり。面倒全ては亭主の直次が見ていると言う。更に、そんな亭主の顔も覚束ないのだと。




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