大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎~ 相惚れ自惚れ方惚れ岡惚れ三

2011年07月26日 | 縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎
 由造にこう言われると、早くも加助は由造の意見に賛同する。
 「あっしもそう思うねえ」。
 豊金の主人の金治である。今日は、納豆を卵で巻きたかったのだろうが、上手くいかずに、ぐちゃぐちゃに崩れた卵巻風の皿を差し出す。
 「お節と言やあ、始末屋と言ったぐれえに有名な婆さんが化粧をしてたんだろ。そりゃあ、お前に惚れたね。しかし、お節も女だったってことさ」。
 節が、髪結いの銭も勿体ないと自分で結い上げていることは近所では知らない者はいない。その節が化粧をした顔など誰も目にしたことはなかった。
 「そう言えば」。
 千吉は、嫌なことを思い出していた。
 「鹿の子を…髷に薄紅の鹿の子を巻いていた」。
 「薄紅の鹿の子だって」。
 由造は、「ほれ見たことか」と言う。金治も、「あっしも女房の紺とは十八年が離れてるんで、まあお節の気持ちも解らなくもねえが、あの器量じゃなあ」。加助も、「お節さんなら、それなりに食い扶持も自分で稼ぐんじゃないか」。と皆人ごとだと思い勝ってなことばかりだ。

 「お節さんが色狂いした」。
 川瀬石町裏長屋でも評判になるくらいに節の様子が変わっていった。だが悲しいかな若作りのその姿は、端から見れば滑稽なのだが、とかく本人は気付かない。見兼ねた、古い付き合いの長屋のおかみさんたちが指摘しても、「あたしは若く見えるから」。と取り合わないのだった。
 そこに考えが及ばない濱部が、「お節さん、最近見違えるように綺麗になった」。など輪をかけてしまう。
 そして二日と開けずに千屋に顔を出すと、「桜を見に行きたい」。「浅草寺にお参りしたい」。「上野の不忍池は綺麗だろう」。の手この手で千吉に誘い水を浴びせるのだった。
 その度に千吉は商いを理由に断っていたが、千吉が誘いに乗らないと解ると、今度は、「障子の立て付けが悪い」。「棚を作りたいと」。と男手が必要な事を言ってくる。これまでの商いの付き合いもあるので無下には出来ないものの、千吉は内心うんざりしていた。
 「お節さん、あたしは力仕事は苦手でね、長屋ならほかにも男手はあるでしょう。なんなら加助に声をかけようかね。加助なら本職だもの」。
 「意地悪」。
 節は下駄の先で土を少し蹴って、拗ねた様な仕草をして走り去った。
 (しかし、あたしはお節さんを惚れさせるようなどんなことをしちまったのかねえ)。
 千吉にはとんと覚えが無い。
 「兄さん。どうするつもりなんで。あたしはあんな年の離れた姉さんなんぞ嫌ですからね」。
 妹の奈美に言われるまでもなく、いやそれ以上に嫌なのは千吉だ。

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