大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十四

2011年11月25日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。大奥は騒動になっておりまする。慶喜様が十五代様になられるなら、お暇を頂きたいと申し出るお女中までおりますそうにございます。
 美緒の行方などを聞いて回れるような次第ではございませぬが、返って人目につきませぬ故、ございの者に頼んで、堤帯が見付かった古着屋に取り入り、売りに来た男衆を調べて貰っておりましたところ、どうやら、ございのひとりだったようにございます。
 その者に話を伺おうにも、おてふの様がお雇いになられていた者とかで、既に暇を出されておりました。
 引き続き、その者の行方を調べて貰おておりまするが、何やら気乗りがしないようにございます。
 千代もここを出る事が適えば、幾らでも城下を調べますのに、口惜しゅうございます。
 長月三日になり、ようやく家茂様の御遺体を乗せた、どんばるとん号が大坂天保山を出港なされた模様にございまする。そして五日には品川沖に入りましたが、そのまま沖泊り。翌六日にようやく浜御殿より江戸城に家茂様がお戻りになられました。
 御遺体と共に、宮様への京土産の友禅が、涙を誘ってございまする。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十三

2011年11月24日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。葉月七日になり、ようやく家茂様の御遺体をお運びなさいます、どんばるとん号という名の船が、神奈川を出港し、大坂に向かわれたそうにございます。
 御逝去は文月二十日にございますれば、二十日間近くも、表のお役人は、何をなさっておいでだったのでしょうか。
 そして翌八日には、一橋慶喜様が将軍名代として参内、天盃節刀を賜ったそうにございます。
 更には十四日、慶喜様が長州大討込中止宣言を発せられ、勝海舟様に和平交渉を命じたそうにございます。
 なれば、家茂様が長州討伐の為に上洛なされた事に意味はあったのでしょうか。
 かの地で、家族にも看取られずに、まだ二十歳のお若い命を散らせた家茂様の御心中お察しするに余ありまする。
 増してや、宮様始め、御生母様にさえ、ひと月もの長きに渡り、御逝去をお隠しになる幕府とは…。
 大奥に家茂様御逝去がもたらされましたのは、みまかられましてからひと月後の葉月二十日にございました。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十二

2011年11月22日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。先の月より大坂に入っておいでにありました、軍艦奉行に再任されました勝海舟様が、大坂城で次期将軍相続案をお話しになられ、家茂様の御遺体を江戸に運ぶお手配をなさったそうにございます。
 その翌日には、宮様が、家茂様御病気お見舞のお品をお送りしたそうにございます。
 家茂様の御逝去を知らずに、お身体をお思いになられ、お見舞いのお品をお選びになられたかと思いますと、宮様がお可哀想でなりませぬ。
 そして家茂様御危篤の報が江戸城表にもたらされたのは、御逝去から五日の後にございました。
 その御危篤の報も知らされぬまま、天璋院様と和宮様は早々にお見舞いのお品をお送りになられましたが、その直後に江戸城表には、御逝去のお知らせが届きましてございます。
 この報は、葉月に入りましても、奥には知らされませんでした。
 五日、一橋慶喜様が長州大討込出征宣言を下された同じ日に、天璋院様、和宮様、本寿院様は家茂様お見舞のお品をお送りにございます。
 もちろん家茂様が御逝去されました直後の、文月二十九日に、一橋慶喜様に徳川宗家相続の勅許降りました事も、奥には知らされておりませんでした。
 全て後に分かった事でございますが、江戸と上方はやはり遠うございます。
 千代がこうして江戸城内で変わらぬ日々を送っている間にも、兄様の身に何か良からぬ事が起きるのではないかと思うと、今直ぐにでも、上方まで参りたい思いに苛まれまする。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十一

2011年11月21日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。慶喜様のお父上様は、水戸の徳川斉昭様にございます。大奥では斉昭様は大層嫌われてございます。それ故、慶喜様が十四代に就けなかったと言われる程。
 それは、十二代家慶様の御簾中として輿入れした楽宮喬子女王付様の小上臈として西ノ丸大奥に入った唐橋様の事にございます。
 唐橋様は、その後、十一代家斉様の御台所であられる茂姫様付きの上臈御年寄となられましたが、水戸徳川家藩主の斉脩に嫁ぐ峰姫付きの上臈となり、水戸徳川邸に入られたのでございます。
  公家の姫君であられ、たぐいまれなるお美しさお唐橋様に目を付けたのが、斉脩様の弟気味であられます斉昭様にございました。ついには唐橋様は斉昭様のお子を宿され、京へ帰洛したのでございます。
 この事から、江戸城の奥女中は揃って、斉昭様を憎んでおります。故に斉昭様のお子であられる慶喜様が大奥に入られるなど、身震いする程なのでございます。
 そもそも、慶喜様を十四代様にとの密命の元、薩摩からお輿入れなされました天璋院様でさえ、家茂様を推挙なさった程にございます。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十

2011年11月20日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。文月二十日。御存じでございますね。十四代将軍家茂様が、大坂城にて御逝去されましてございます。
 長州様との戦の途中で、お倒れになった知らせが届くや否や、天璋院様、和宮様から侍医の大膳亮弘玄院様、多紀養春院様、遠田澄庵様、高島祐庵様、浅田宗伯様らが急ぎ大坂へと上りましたが、間に合わなかったのでございましょうか。
 天子様からも、典薬寮の医師であられる高階経由様、福井登様が大坂に下賜され御治療に当たられた由にございます。
 高階様ら漢方の典医様は脚気との診断を下したそうにございますが、西洋医の幕府奥医師様たちはこれをりうまちだとして譲らなかったが為に、お手当が遅れたことがお命を縮めたのでないかといった剣呑な話も漏れ聞こえておりまする。
 御葬儀は、御遺体が江戸城に戻られましてからになりますが、将軍様の御遺言として、徳川宗家の後継者であり、次期将軍として田安家の亀之助様の名を上げられたそうにございます。
 されど亀之助様は未だ御幼少。平穏な時でありますれば何ら差し障りはございませぬが、時が時でありますだけに、表では、水戸様の御子息であられます一橋慶喜様のお名前も上がっております。
 これには、瀧山様始め大奥では皆、難色を示しておりまするが、慶喜様をお嫌いと申し上げるよりも、水戸様嫌いと申し上げた方がよろしいかと思われまする。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十九

2011年11月18日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。やはり美緒の堤帯に間違いございません。僅かながら美緒の好んでいた香の残り香がいたします。
 ごさいの者によれば、振り袖や打ち掛けなどと共に古着屋に卸された由。売った者の、身元は明かしませなんだが、男衆だったそうにございます。
 ごさいの調べでは、一枚や二枚ではなく、まとめて売られる場合は、その娘御が逝去した折りか、お家が潰れた時に限られるそうにございます。
 共に卸された品から、相当なお武家様の物ではないかと古着屋は申していたそうにございますが、ほかの絢爛な衣装に混じり、この堤帯と小袖のみが貧相で、何やら良からぬ気がしていたので、店に飾り売らなかったそうにございます。
 それでも、小袖の方は、どうしてもと、去るお武家の奥方が買い求められたそうにございます。白地に江戸紫の花が美しい小袖にございました。
 美緒の衣装が処分されたのでございます。やはり美緒は、もうこの世には居ないのでしょうか。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十八

2011年11月17日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。将軍様の御上洛は、長州様との二度目の戦にございますれば、兄様も御出陣なされるのでしょうか。
 御無事をお祈り致しております。
 千代は本日、大変な物を見てしまいました。御病気にて小石川で御静養中の上臈御年寄錦小路様のお見舞いの帰りにございます。
 通り掛かった古着屋の前に、美緒が奥勤めのお吟味の折りに、締めていた堤帯が掛かってあったのです。
 美緒はそれは大切にしておりましたので、売ったりなぞする筈もございません。
 大奥に上がるには、お吟味がございます。夏なれば堤帯、冬なれば掻取の振り袖を身に付け、御広敷で御年寄様のお目見えを致します。
 この折り、「上々様御機嫌能被偽成御目出度有難がり候」の文字と親と自身の名を書き、二つ折りにして小奉書を袖形と共に御提出致します。
 これは読み書き、裁縫の腕を計る為にございます。
 後に、ひと月もしくはふた月を掛け、身元をお調べになられた後に、御奉公が決まります。
 美緒が晴れがましい顔で、見せてくれた物に間違いございません。
 その場で、古着屋に入る訳にもいきませなんだので、お城に戻りましてから、新参のごさいの者に袖の下を渡し、内密にお調べを頼みました。
 ごさいとは、七つ口の詰所におり外の雑事を勤める男衆にござます。御年寄なら三名、御中福は一名を雇う事が出来ます。むろん、千代にはそのような者を雇う事は適いませぬので、以前千代が持っていた物と似ている故、懐かしいので買って来て欲しい。どのような娘が締めていたのであろうかと、謎を掛けておきました。


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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十七

2011年11月16日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。二ノ丸に小御殿が裁ちましてございます。天璋院様はそちらにお移りになられ、ようやく安堵の表情をお浮かべになられました。
 それも束の間、月が変わり皐月には、将軍様が三度目の御上洛の途につかれました。 
 元々、お身体もお丈夫ではない上に、こうも短い間に三度も江戸と京を行ったり来たりでは、お身体にも触ろうかと押し並べて案じております。
 宮様も、御心痛のあまり床に着き、この度の御上洛をお見送りは致しませんでした。
 これが、将軍様御生母の実成院様のお怒りを買う羽目になってしまったのです。
 ですが、千代には宮様のお心が、分かるような気が致します。お見送りをなさると、もうお帰りにならないような気がするのではないでしょうか。
 宮様は、将軍様の御無事な御帰還を願われ、城内に祠を設け、お百度参りをしておいでです。
 その旨を申し上げ、実成院様のお怒りをお鎮めになられたのが、天璋院様にございました。
 一番反目し合っていた天璋院様と宮様にございます。不思議な事もあるものよと、実成院様付きの御年寄藤野様がおっしゃっておいでにございましたが、実は、これには訳がございます。
 将軍様御上洛に先立ち、芝増上寺にお参りした折りにございます。お庭に出ようとなさいました時、どうした事か敷石の上には天璋院様と宮様将軍様のお履物しか乗っておられず、将軍様のお履物は一段下に置かれていたのでございます。
 天璋院様が眉を潜められる中、宮様は裸足の侭、お庭に飛び降りられ、御自身のお履物をのけると、将軍様のお履物を敷石に並べられたのでございます。
 これには天璋院様も大層感服しておいでにございました。元々天璋院様は、まるで殿方のようにさっぱりとした御気質。これにて、宮様が徳川の嫁としての御自覚をお持ちになられたと飲み込まれたのでございましょう。


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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十六

2011年11月15日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。兄様が江戸に下られているとは知りませなんだ。
 兄様を寛永寺に招いたのは、会津様の意を軍艦奉行の勝様が、瀧山様にお通しくださった由。
 久方の兄様は、前にも増して盛観にござました。千代は、もはやお目に掛かれるとは思うてもおりませなんだ兄様にお会い出来、これ以上の喜びはありません。
 兄様は申しませんでしたが、兄様は新撰組なのでございましょう。会津様がお力添えをくださるなど、それ以外に思いが及びませぬ。
 それに、新撰組の局長は、試衛館の近藤勇様と言うではありませぬか。
 寛永寺にて、兄様が、直ぐにお城勤めを辞めて、「多摩に戻れ」とおっしゃっておられましたが、千代は逆に決意が固まりましてございます。
 本日の兄様のお姿を目にし、既に兄様には、多摩への思いよりも、先を見ておられる御様子。
 兄様はすぐに京へとお戻りになられると申されました。もはや、兄様と同じ時を過ごせぬ事を感じ取りましてございます。
 兄様が、新撰組にて将軍家の為に働かれるなら、千代も、徳川様に生涯を捧げまする。
 上野のお山の桜ももうお終いにございます。千代は蕾の侭散るのでしょう。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十五

2011年11月15日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。御安堵ください。将軍様は、宮様をお裏切りになられるようなお方ではあられません。
 やはり大奥は怖いところにございます。奥勤めを始めた時から、信頼しておりました瀧山様が、実は千代を将軍家の御子を産むだけの道具としていたなど、思いも寄りませなんだ。
 強くならねば、ここでは生きてはいけませぬ。誰にも頼らず、誰をも信ぜず、己の力で道を切り開くのみにございます。
 兄様。またも改元にございます。慶応元年になりました。卯月にございます。
 千代は、明日、将軍様の代参をなさいます瀧山様のお供にて、上野東叡山寛永寺に参ります。
 思えばお城に入りましてから、初めての御城下にございます。
 この月には、二之丸に小御殿が建ち、天璋院様はこれへ移られます。ようやくお住まいも落ち着かれ、以前のような平穏な日々が訪れることを、お祈り致しておりました矢先にございます。
 皐月二十二日には将軍様が、長州征伐の為に、三度目の御上洛を果たすそうにございます。
 将軍様はお身体がお弱く、上洛だけでも辛そうにございます。その上に、戦など。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十四

2011年11月13日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。やはり美緒はおてふの方様だったのでしょうか。おてふの方様のお姿も消え、美緒は遺髪が戻されたのみにございますれば、二人とも、忽然と姿を消した事だけは明らかにございます。
 元治二年の年始之御祝儀が西之丸の仮御殿にて行われました。将軍様が御座しての年始之儀は、千代にとりましては初めにございましたが、やはり将軍様がおられますと、宮様初め、天璋院様、御生母の実成院様のお顔も明るくございました。
 京では、新撰組が西本願寺を本陣に据えられた聞き及びます。
 幾ら京都守護職にあられます、会津様お預かりと言えども、浄土真宗本願寺派の本山を、戦を生業とする方々らが住まいとするなど、本に恐ろしい世の中にございます。京がどのような事になっているのか、町家の方々は御無事にございますか。
 千代が御表使の御役目に就きましたのは、瀧山様の御配慮にございました。
 と申しますのも、宮様には御子があられません。朝廷と幕府との御子を設けるのが、この御婚儀の定めにございましたが、御世継ぎがいないことには、徳川家も安泰とは言えませぬ。
 それ故、将軍様には御側室を持つようにと、瀧山様っは再三、将軍様に御進言あそばしておられました。
 ですが、将軍様はそれはそれは宮様を慈しんでおられ、側室など不要とのお考えにございます。
 これまでも将軍家は、御養子ににて続いております故、他家からの御養子でも構わぬというのが、将軍様のお考えにあらせられます。
 そこで瀧山様は、将軍様のお好みであられる、女子を御目見え以上のお女中に配しておられです。
 その中に千代も含まれておりました。何故に千代がと思い頭を働かせましたところ、美緒と似ているところがあるからではないでしょうか。
 美緒は幼き頃より、器量良しとの評判にございました。一方の千代は、兄様と木に昇ったり、川で魚を捕まえたりと、似てもに似つかわぬ女子にございますれば、器量を褒められた事はありませなんだが、それでも美緒は、三つ違いの実の姉にありますれば、立ち居振る舞いなど、似通っているようにございます。
 お分かりでしょう。瀧山様は千代を御目見え以上のお女中とすれば、将軍様のお目に止まるとお考えにございました。 



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十三

2011年11月12日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。京では長州の方々が御所へと押し寄せ、大変な戦があった由にございます。
 蛤御門、天王山での騒ぎは、御広敷のお役人から子細に聞いてございます。
 会津様も御病気を押しての御出陣だったとか。何事もなく、良うございました。
 正かこの平穏世の中で、戦が起きようなどと、誰が予想した事でしょう。
 長州の皆様方も、これにて思いとどまってくださり、これまでのように徳川様と仲良くしてくださればよろしいものをと思って止みませぬが、天子様に於かれましては、長州追討の勅命を出されたそうにございます。
 兄様。長州様を滅ぼす事に寄って、この戦は止むのでしょうか。
 もはや江戸のお城も、美緒の事など切り出せぬほどに、揺れておりまする。
 ですが、将軍様付きの御中臈のたち様から、思いも掛けないお話をお聞きする事が出来ました。
 将軍様付きの御中臈様は、御側室候補にございます。それ故、見目麗しく御家柄の良きお方が選ばれてございます。
 同じ御中臈様でも御台様、御生母様などのお付きのかたは、本来は御側室に上がる事はありませぬが、将軍様の御意思によっては、そのような事もあるそうにございます。
 たち様は、おてふの方様を存じておりました。他言無用の御触れが出された為に、口に出すお方はおられなくなったそうにございます。
 おてふの方様は、小柄で愛おしいお方だったそうにございます。
 宮様との公武合体が決まります前の、許嫁であられた姫様に似た可憐なお人であられたと。
 将軍様のお側で御役目を果たすうちに、自然と御寵愛を受けるようになられたそうにございます。
 ですがある朝、おてふの方様御生涯の報がもたらされるや否や、お乗物が一台、平川御門から出て行かれ、そのままおてふの方様の姿は消えたそうにございます。
 それが美緒であったのか、美緒だとすれば何故、御中臈にまで出世したのかは、お知りにはなられませんでした。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十二

2011年11月11日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。文月に入り早々に西之丸の仮御殿が竣工され、将軍様がお移りになられました。
 千代は将軍様付きの御表使にございますれば、これより西之丸にての御役目となりました。
 兄様は、郷里への文をまめに認めておられるとか。詳しくは書かれておりませなんだが、御壮健、御活躍の御様子を、のぶ様がお知らせくださいました。
 千代の事も、案じてくださっておられると書かれており、大変に嬉しゅう思います。
 ただ、兄様はもは帰郷するつもりはないのでは、といった疑念ものぶ様は抱いておられる様子。加えて千代までもが、一生奉公などとは言えませぬ。
 本日は瀧山様の御指示にて、御広敷のお役人様にお会い致しました。何もかもが灰燼と化しました故、仮とは申せ西之丸にも入り用な物が多うございまする。
 瀧山様の手足となる御役目にございますれば、これまでの御役目よりも、大層に難しいものにございます。
 将軍様には、朝の総触れにて御尊顔を配すのみで、御言葉なぞ、交わせようもございません。
 それでは、千代は一生奉公に上がった意味がございません。
 お城から出られず、懐かし郷里へも戻れず、千代の選んだ道は間違いだったのやも知れませぬが、既に後戻りも出来ずに、ひとりになれば自ずと涙が頬を伝わります。
 兄様にお会い出来ないことが、何よりの心残りにございます。千代は幼き頃より、兄様の嫁御になりとうございました。
 兄様にとりましては、千代は小さな女子だったやも知れませぬが、美緒と兄様の取り合いをしたのを覚えておられまするか。
 ですが、兄様には既に許嫁もおありにございます。
 兄様、平の父にも、文をお書きくださいましてありがとうございます。
 千代は、又従兄弟であります兄様と、佐藤の伯父様の屋敷で過ごした日々が楽しゅうございました。
 千代は、これより先の人生、その思い出だけで生きられるものでしょうか。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十一

2011年11月10日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。実は千代は、この度の御役目替えを父母はもちろん、千代の奥勤めに御尽力くださいました佐藤の伯父様、のぶ様にもお伝えしておりません。
 兄様のみに、いえ、この千代の日記に認めたのみにございます。
 と申しますのも、瀧山様の部屋子として奥勤めに上がりましてから、瀧山様のお力を持ちまして、御目見え以下の御火之番。そして、御表使と、平常時なればあり得ない御役替えにて出世致しましてございます。
 大奥のお女中の録は、実に高額にございまするのを兄様はご存じにあられまするか。
 御表使となりました千代の録は、御切米十二石、御合力金三十両、十五人扶持ほかに、薪十束、炭六俵、湯の木七束、油三升、五菜銀百二十四匁二分を賜ります。
 これだけでも、目を見張るような大出世にございますが、御表使には、御年寄様御同様、江戸市中に拝領屋敷まで賜ってございます。
 更に、年毎には将軍様、御台様が黄金を三枚づつ下賜くださるそうにございます。
 まるで夢のようにございます。このような高禄となりました代わりに、不幸が起きないかと千代は案じておりまする。
 「千代は、臆病だからのう」といった兄様の笑い声が聞こえてくるようにございます。
 ですが、この出世の裏には、瀧山様のほかに思いも掛けない後押しがございました。
 会津様にございます。千代には全く思いも寄らぬ事にございますれば、兄様のお智恵を拝借致したく思いまする。
 そして、兄様。ここからが兄様にしか、出世をお話し出来ない訳にございます。
 千代は、御表使の御役目に就きましたその時より、一生奉公となりましてございます。
 御目見え以下のお女中たちのような、三年に一度のお宿下がりもございません。
 国元へ戻れるのは、病いを負った時くらいとなりましょう。それでも、親兄弟など近しい親族は、大奥内で対面は出来まするので、御案じ召されませぬように。
 ただ、兄弟や甥などは、九つまでの男の子にかぎられまするので、兄様にお会いすることはもはや構いますまい。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十

2011年11月09日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。会津様がまたも京都守護職の御役目に就かれたそうにございます。
 それよりも、弥生には天狗党を名乗る、水戸藩士が筑波山に挙兵し、皐月には大坂西町奉行所与力の内山彦次郎様が天満橋にて暗殺されたそうにございます。
 世の中が目まぐるしく動いているようにございますが、大奥におりますと、そのような世間の動きが、戯れ言の如くに遠き話に感じまする。
 そのような城外での出来事で、耳を疑いましたのが、水無月五日の京は池田屋での新撰組の話にございます。
 祇園祭の前の風の強い日を狙い、京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉。一橋慶喜様、松平容保様を暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去るといった尊王攘夷の浪士たちの企みを、新撰組が阻んだそうにございます。
 万が一、そのような自体になっておりますれば、徳川様の世はどうなってしまったのやと考えただけでも身が震えます。
 然るに、新撰組とは粗暴な浪士崩れの集まりではないのでしょうか。
 兄様、祇園祭宵山の晩の、三条木屋町の池田屋だったそうにございます。知っておられますか。
 ほかにも京では、暗殺が横行していると聞いております。兄様、そのような剣呑な場に何故留まっておられまする。
 故郷は平和にございます。早くお戻りくださいませ。
 久し振りにお目出たい御報告もございます。蝦夷地にお城が完成したそうにございます。聞くところによりますれば、五稜郭と申すこのお城は、五角形の星の形なそうな。二重のお堀に囲まれ、北の大地の青い空に映え、とても美しいそうにございます。冬ともなりますれば、一面が銀世界となる蝦夷の大地。千代も一度は観てみたいものにございます。



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