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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

ついた餅も心持ち 第六十話  完   

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 豊島町に住む江戸の禁裏大工棟梁・左甚五郎は、上野東照宮完成後、讃岐高松藩の客文頭領になるも同年すぐに死亡。享年五十八歳。

 善兵衛はその後、郷里の近江国坂田郡宮川に戻ることなく、甚五郎の跡を引き継ぎ讃岐高松藩に従事。
 明暦三年(1657)の明暦の大火で焼け落ちた際、万治三年(1660)の神田川御茶ノ水の拡幅工事で、江戸城の普請に参画するも、西の丸地下道の秘密計画保持のため命を狙われ、江戸幕府の若年寄・下総古河藩主・土井利隆の庇護の下、下総古河に逃れる。
 その後、寛永十年(1633)より彦根藩領となった下野の国・佐野の天応寺増築に三代彦根藩主の井伊直澄の命で加わり、その地で生涯を閉じたと伝えられる。 
 近江国坂田郡宮川の大森家には、「最初に産まれた男児は近江国坂田郡宮川に戻し大森家を継がせること」を条件に善兵衛の継承放棄は許された。
 大森善兵衛の名を伝える資料はほとんどないが、佐野の善兵衛として現存する記録は現存する。
  
 万治三年(1660)、御家改易となった近江宮川藩では、多くの家臣が浪々の身となった。小納戸方の岡崎一馬のその後は、近江を去ったとしか伝えられていない。
 同じく、御家改易で、婚家を出された千代姫は仏門に入る。そこには同じく髪を下ろした早苗の姿もあった。

 日本橋呉服町に店を構える大店、太物問屋の恵美須屋の一人娘ひさは、回船問屋の二男を婿に向かえ、相変わらずの様子。
 永富町の表長屋大工棟梁平造の娘・みつは、婿を取り、後に二男、三女に恵まれる。江戸は何度も火事に見舞われるが、いつでもいの一番に愛用の包丁を持ち出していた。 
 西横町の裏長屋。入れ替わり立ち代わり、住まう人は違えども、今日も威勢のいい声が聞こえている。

 そして不忍池で不敵に泳ぎ回った龍は今なお、上野東照宮で、自由に動ける日を待っている。

 お仕舞い。
 長い間おつきあいくださいました皆さんありがとうございました。
 文中登場する実在の人物は、なるべく年代や年齢を合わせましたが、話の流れ上、どうしても誤差が生じている部分もあります。ご了承ください。

 次は幕末を舞台に構想をねっておりますので、準備が整いますまで、お待ちください。


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ついた餅も心持ち 第五十九話        

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 東照宮社殿唐門前と参道には、諸国大名が東照大権現霊前に奉納した五十基の銅燈籠が並んでいる。それもこれも改易を恐れた大名家からの幕府へのご機嫌伺いで、特に、関ヶ原以降に徳川に従った外様は必死の思いだ。

 そして、ついに社殿始め、普請の終結を見る日がきた。
 唐門に彫り上がった四体の龍。甚五郎作は言うに及ばず、善兵衛の昇り龍も、今にも天へと駆け昇勢いである。全てを終え、
 「甚五郎親方、わたしを信用してくださいましてありがとうございます」。
 善兵衛は達成感に酔っていた。
 「なあに、利き腕が使えねえ大工なんぞ、普通なら追い出しているところだが、お前さん、元々は左利きだろう。その左の指先のたこで、分かったさ。よくも騙してくれたもんだ」。
 甚五郎は、「彫り上がらなければ腹を斬る」のとたんかを信じたのではなく、左指のたこを見て、善兵衛に彫り続けることを許したのだ。万が一、本当に腹でも斬られたらえらいことだが、左手も使えるなら間違いないだろうと、愉快そうに笑っていた。
 「親方、お気づきでしたか…はい。わたしは両の手を使えます」。
 善兵衛は甚五郎の鋭さに感服すると同時に、深い感謝を抱いた。
 「正真正銘、お前さんが左甚五郎になったな」。
 
 上野東照宮の造営が完成したその日から、上野忍ばずの池で毎夜水浴びをする二体の龍の姿が目撃されるようになった。
 御番書には相次いで、龍の目撃談が届けられる。しかし、実際に龍などがこの世に存在するものかと、北町奉行の石谷貞清は自らも夜っぴいて、忍ばずの池を監視した。すると、どこからか二体の龍が現れ、池で水浴びをしているではないか。その一体は天へ昇ろうかと、もう一体は水面へ潜ろうかと思案しているようでもある。
 捕り方が大声を挙げそうになるのを制しい、提灯の明かりを消して見ていると、漆黒に龍の瞳と鱗がきらきらと実に美しい。
 二体の龍は朝日と共に、東照宮の方面に消えた。石谷貞清はここぞとばかりに龍を追いかける。すると、龍はが、唐門に静かに入っていくのを己が目ではっきりと見たのである。
 夢うつつの空言ではない。早々に東照宮の御坊に尋ねると、左の昇り龍は大森善兵衛。右の下り流は左甚五郎作だと言う。
 石谷貞清は左甚五郎、大森善兵衛両名を呼びつけ、子細を伝える。すると、甚五郎。
 「あい分かりました」。
 と、上野東照宮に赴き、自身の龍を釘で打ちつけた。習って、善兵衛も打ちつける。甚五郎曰く、
 「これで、もうお騒がせすることはありません」。
 その日を境に龍の目撃談もなくなった。だが、動くほどの龍の噂は、関八州ならず、全土に広がり、いつしか利き手を斬られて左手で彫った善兵衛が左甚五郎を言われるようになった。
 左甚五郎の残した作品は多々あるが、その人物像は、不明だ。伝説上の人物だろうとさえ後年、こうして、多くの人の総称として左甚五郎の名が伝わったのだろう。

ついた餅も心持ち 第五十八話        

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 浅草諏訪町にある近江宮川藩・堀田家の中屋敷に戻った早苗は、千代姫に使えていた。
 千代姫は、
 「どうであった。早苗の思い人は健在であったか」。
 早苗は、婚儀に難色を示す千代姫をなだめるために、国元で、この世には定められた運命があると、説得する折り、自身の適わぬ恋の話をしていたのだった。
 早苗も善兵衛同様、物心ついた時から、善兵衛に思いを寄せていた。善兵衛からの申し出があれば、士分など、捨てても惜しくはなかった。
 だが、一向に善兵衛からの申し出がないまま、すっかり年増となった今、早苗は女としての幸せを捨てる覚悟で、千代姫の婚家までの共を申し出たのだ。
 「はい。ご壮健にありました」。
 そう答えるだけで、久し振りに会った善兵衛を思うと胸が痛くなる早苗。
 「早苗、今からでも遅くはない。その者に嫁いだらどうじゃ。わらわは、寂しいが、早苗が幸せになってくれた方が、嬉しいのじゃ。ほとんどの女子は定められた者を夫としておる。せめて早苗だけでも好いた者と幸せになってたもれ」。
 「姫様。もったいのうございます。されど、早苗は姫様のお側でいつまでもお仕えいたしとうございます」。

  江戸っ子は気性は激しいが腹には溜めないのが取り柄。二、三日もすると、みつの機嫌もすっかり元通りになっていた。だが、今度は善兵衛の方が、みつを真っ直ぐには見られなくなっていた。それは、恋心ではなく、みつの気持ちに応えられない後ろめたさからだった。
 みつの過剰な親切を避けるようにしてはいるものの、妙にみつが気になっている自分にも気付いた善兵衛。
 そんな時に限って、ことは起こるもので、みつの父親の大工頭の平造が足場を踏み違え、足首を痛めたと知らせを受け、みつは、永富町の表長屋へ戻ることになった。
 善兵衛が江戸に留まるのも後二カ月弱。再び会うこともないだろうと、みつは気持ちの全てを善兵衛にぶつけていた。
 「おみつさん。わたしは決しておみつさんを嫌いではありません。ただ、わたしは、物心ついた時から心に決めているお方がいます。その方にわたしの思いを伝えようがありませんが、わたしはその方が幸せになられたのを見届けてから自分のことを考えたいと思っています。それまでおみつさんを待たせる訳にはいきません」。
 善兵衛の誠実な答えにみつは、晴れ晴れとした気持ちで去って行った。

ついた餅も心持ち 第五十七話      

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 半時の後、早苗が下男を伴って帰って行くと、嘉助たちが一斉に善兵衛を取り巻き、ああだ、こうだの大騒ぎ。善兵衛は這々の体で逃れるが、いつもなら、井戸水で冷たく冷やした手拭いを腕に当ててくれたり、あれこれ世話を焼いてくれるみつが、知らんぷりだ。
 「おかしいな」とは思いながらも己で腕を冷やしていた。
 花火の夜、侠客に負わされた右腕の傷は大分回復したとはいえ、未だ指先に力は入らず、時には無理に力を入れて、うっすら血が滲むこともある。未だ未だ養生が必要だ。だが、思うように動かない右手に見切りをつけて、最近ではもっぱら左を使っている。
 甚五郎親方などは、「左甚五郎の名はお前さんに譲らなくちゃならねえな」と言うほどになっていた。
 
 嘉助たちが、「あんな別嬪見たことない」とか、「やはりお武家のお嬢様は品がある」とか手放しの褒めようなので、みつは大層機嫌が悪い。「おみつさん、お代わりお願いします」と、善兵衛が碗を出しても飯もよそってくれないのだ。こうなると、さすがに疎い善兵衛でも、みつの変化に気がつくというもの。
 「おみつさんに何か悪いことしましたかね」。
 嘉助に聞いてみた。
 「そりゃあ、あれさ。この前のお武家の娘さんよ」。
 「早苗様ですか。早苗様がどうしてですか」。
 「善兵衛さん。本当に分からないんですかい。焼き餅ってやつさ」。
 どうして、一目会っただけの早苗にみつが焼き餅を焼くのか、全く分からない善兵衛。すると、嘉助がこう言った。
 「おみつちゃんはお前さんに惚の字なのさ」。
 いくら父親の平造が、「家の建て直しは済んだので戻って来い」と使いを寄越しても、「善兵衛さんの腕が治るまで」と頑として帰らず、業を煮やした平造が直接迎えに来ても親子喧嘩で終わってしまう。
 「おみつさんがわたしをですか」。
 まさかと善兵衛一笑に付すが、よくよく考えると、思い当たる節がないわけでもなかった。
 「で、善兵衛さんはどうなんだい。おみつちゃんのことをどう思ってるんだい」。
 惚れた腫れたには疎くても、一度知ってしまうと、意識してしまうのが人の常。
 「はい。優しい人だなと」。
 「それだけかい。そりゃあ器量は人並みだけどよ。気っ風もいいし、なんたって大工の娘だ。あっしらの仕事も良く分かってる。いい女房になると思うぜ。それとも、思い人でもいるとか…。さっきのお武家の娘さんか」。
 嘉助はずばり確信に迫ってきた。早苗のことが出た途端、みるみる善兵衛の顔に赤みが指す。言葉より確かな答えに、嘉助は、善兵衛の気持ちを察したが、当の善兵衛は、
 「早苗様はお武家様。ご身分が違います」。
 だが、善兵衛の家柄は、町人であっても名字帯刀を許されている名門。方や早苗は微禄な下級武士の娘である。しかるべき御方を間に挟めば、決して適わない話ではない。
 幼少期は別として、美しく成長した早苗をを見るにつけ、「早苗様ならどんなお家にも嫁げる筈だ」と感じていた。町人の自分の元より、武家との良い縁を望んでいたのだった。それが早苗の幸せだとも信じていた。

ついた餅も心持ち 第五十六話      

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 「帰ったよ」。
 西豊島町の堂宮大工棟梁・左甚五郎宅に威勢のいい声が聞こえると、弟子たちの帰宅である。
 いつもなら「お帰り」と、真っ先に飛び出してきて、迎えてくれるみつの姿が見えないばかりか、応えもない。弟子たちが、「留守かい」と道具箱を置いていると、のそのそと歩いて不機嫌そうなみつがようやくやって来た。
 「善兵衛さんにお客さんだよ」。
 「わたしに。どなたでしょう」。
 「さあね。綺麗な女の人」。
 それだけ伝えるとみつは台所に消えた。
 「おかしな人ですね。おみつさん何か怒ってるんですかね」。
 首を傾げる善兵衛を見て、嘉助、平次は、「駄目だな」と感じていた。
 客間で待っていたのは、一人の武家の女性。薄紫色の着物がよく似合う。
 「これは、これは、早苗様」。
 一瞬にして善兵衛の顔がほころんだ。
 「善兵衛様、お久しゅうございます」。
 早苗は、指を着いて頭を下げる。いかにも武家の娘だ。
 早苗は、家光に殉死した、元近江宮川藩藩主堀田正盛の末の姫に使える奥勤めをしている。善兵衛とは、幼少時からの旧知の仲、幼馴染みである。
 武家の娘と職人の身分の違いはあるが、善兵衛の大森家は名字帯刀を許され、城や寺社仏閣を専門にした宮工大工であることから、武家の家にも出入りがある。
 「早苗様、どうして江戸に」。
 早苗の話はこうだ。このたび、末の千代姫様の婚儀が整ったため、姫の共をして江戸まで下って来た。善兵衛が江戸にいるのは国元でも知れ渡っているので、会いに来たのだ。
 「善兵衛様がお怪我をなさったと聞いて、お父上もお母上も心を痛めております。お加減はいかがでしょう」。
 早苗は、御年二十五歳。本来なら嫁いで子どもの二人もいよう年頃だが、家禄が低いため、一家の助けに奥勤めに出ているのだった。早苗本人も一生奉公を心に決めているらしく、藩士たちから見合い話が持ち込まれてもそれに応じることがなかった。このたびは、千代姫に着いてその婚家まで共をする。
 善兵衛は早苗がお城奉公に出る日の後ろ姿を思い出していた。そっと見送る善兵衛の涙を六月の冷たい雨が隠してくれたことも昨日のことのように思い出される。
 「早苗様がお城に上がられて、もう十年になりますか」。
 早苗は、「良く覚えてらっしゃいますこと」とこともなげに言うが、実は善兵衛の初恋の相手であった。実は、善兵衛。今も早苗の面影を忘れることができないでいる。
 客間で向かい合い楽しそうに昔話に花を咲かせる二人に、みつはともかく、嘉助、平次、かよまでもが襖の向こうで聞き耳を立てていた。
 「お前さんたち、何をしてるんだ」。
 甚五郎の声に蜘蛛の子を散らすように退散する面々。台所の隅に集まって、二人の仲をあれこれ詮索、やきもきしていた。

ついた餅も心持ち 第五十五話      

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙

 このところ、朝に夕につかず離れず善兵衛の周りをうろうろする輩がいて、善兵衛はすっかり迷惑している。塚本伊太郎こと幡随院長兵衛の子分たちだ。入れ替わり誰かが必ず顔を出すので、一度問い質したところ、龍を彫り上げるまでに善兵衛に何かあってはいけないと守っているつもりらしい。「何か仕出かしたのはお前たちじゃないか」と善兵衛は断ったのだが、「それじゃあきがすまねえ」と離れてくれないのだった。
 この日は、年長の男が上野東照宮の門の外にいた。
 「ちょっとお前さん」。
 男は瞳を輝かせ、
 「おっ、やっと話し掛けてくれましたね。でもあっしはお前さんじゃなくて、又五郎と言いやすんで」。
 「じゃあ、又五郎さん。丸橋忠弥様のことは知ってますか」。
 善兵衛は、又五郎と歩みながら、花火の夜、又五郎たちを制止し、自分を町医者に運んでくれたのが丸橋忠弥なのだと話した。そして、礼も言わないうちに丸橋が立ち去ってしまったため、何としてでも礼を告げたいと。
 しばらく考え込んでいた又五郎だったが、
 「伝馬町牢屋敷だとは思いますがね。ただね、あっしら庶民とお武家様が収容される牢は違ってまして。大牢でしたら伝手がないこともないですがねえ」。
 牢は、御目見え以上の幕臣や御家人を入れる揚屋敷。士分・僧侶を入れる揚屋。百姓町人以下の大牢。女牢の四カ所に分かれていると又五郎は付け足す。
 「ほかならねえ善兵衛さんの頼みだ。ちょいと岡っ引に探りを入れてみやす。だがね、期待なさらないでくださいよ」。
 江戸の町では、追放刑を受けた犯罪者の共同体が形成され、その内部社会に通じた者を使わなければ犯罪捜査自体が困難だったため、軽犯罪者の罪を許し放免し、手先として使ったのが岡っ引(関八州では目明し)の起源である。必然的に岡っ引には博徒やテキヤの親分がなることが多かった。 
 数日の後の夜半、又五郎は、知り合いの岡っ引を通し、牢屋同心に手筈を整えて、善兵衛を呼び出した。
 「なあに蛇の道は蛇でっさ。小ちとばかり銭を握らせときましたんでさ。ささ、丸橋様の元へ参りやしょう」。
 善兵衛は又五郎が予め用意していた牢屋下男の着物に着替え、伝馬町牢屋敷内の丸橋忠弥の収監される揚屋へと向かった。
 突然の善兵衛の訪問に丸橋忠弥は、驚きを隠せなかったが、「律儀なお方だ。いま少し早く知り合うて、よもやま話でもしたかったもの」と目尻を下げた。

 丸橋忠弥は、同年八月十日。鈴ケ森の刑場で家族、門弟らと共に磔刑に処せられた。これは同刑場での初の刑罰でもあった。その中に、まだ十五歳だった甥(兄の子)や老母も含まれており、江戸庶民の涙を誘った。
 先に自害して果てた首謀者・由比正雪の家族も含め、この時、二十六人が磔、七人が斬罪にされたほか、流刑や追放される者も多数いた。
 長宗我部盛親の庶子とも噂された丸橋忠弥の辞世の句は「雲水の ゆくへも西の そらなれや 願ふかひある 道しるべせよ」。
 北町奉行の石谷貞清は、この事件後を引き起こした浪人問題に心を砕き、その救済を推進していった。
 
 「それにしても一族郎党まで死罪になったというのに、密告した裏切り者の奥村八左衛門は三百石を賜って御家人に取り立てられたって。どうにも合点のいかねえ話でさ」。
 又五郎は、怒りを隠せない。
 「八左衛門てえ男は、御老中松平信綱様の家臣奥村権之丞の弟だってえ話だ。こりゃあ、最初から仕組まれてたんじゃないかい」。
 又五郎の親分筋に当たる幡随院長兵衛である。
 「で、又五郎よ、その丸橋忠弥さんの家族は全て死罪になったのかい」。
 「いえ、それが姉さんがいたらしいんですがね。他家へ嫁いでいたので罪には問われなかったんですが、離縁されたって聞いておりやす」。
 「気の毒にな。みんな死んじまって頼れる身内もいねえってえのに。又五郎、その姉さんを探し出してこい。それがおめえの丸橋さんへの恩返しだ。いいな」。
 幡随院長兵衛、情の深い男である。

ついた餅も心持ち 第五十四話      

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 「親方聞きましたか」。
 善兵衛は甚五郎に話しかけた。
 「ああ。お縄になった丸橋忠弥様ってのは、善兵衛さんを助けてくだすったお侍だろ」。
 「はい。わたしは、あの方に未だお礼を申し上げていないのです。何としてでもお礼を申し上げたいのですが、どうしたら良いでしょうか」。
 これには甚五郎にも妙案が浮かばない。何せ、太物問屋恵美須屋の手代だった辰二郎の一件とは訳が違う。丸橋忠弥は将軍家を倒そうとしたのだ。しかも、辰二郎に恩情ある裁きを下した北町奉行の石谷貞清が裁く。
 「一目だけお会いできるように、御奉行様にお願いはできないでしょうか」。
 「お前は…どれだけお人好しなんだ」。の言葉を飲み込んだ甚五郎。
 「石谷様は、公方様にお使えする御旗本。将軍様は主君だ。その主君を打とうとしなすった者に、御政道を曲げてまで恩情はなさらないだろうよ。下手すりゃ、石谷様だってどんなことになるやら」。
 「おっしゃる通りです。ですが、お礼も申し上げないまま丸橋様が罰せられることがあったらわたしは生涯悔やみ続けることになるのですよ」。
 「善兵衛さんよ。お前さんは甘い。丸橋様は天下を引っくり返そうとなさったのだぞ。そんな大事の前にお前さんのことなんぞ、覚えちゃいないさ」。
 「それでもわたしの気持ちが済みません」。
 こういう時、善兵衛は真っ直ぐな瞳を絶対に反らそうとはしない。それは決意の現れでもあり、正直な気質でもあり、相手の脇腹をくすぐるのだった。
 「お前さんのそういったところは好きだぜ。だが、今回ばかりはどうにもなるまい」。

ついた餅も心持ち 第五十三話    

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 慶安4年(1651)七月二十三日。丸橋忠弥が江戸で捕縛される。これが慶安の変の始まりである。
 ことの発端は、三代将軍・徳川家光の厳しい武断政治を批判し、幕府転覆、浪人救済を掲げ軍学者の由井正雪が忠臣になり起こした反乱である。江戸、京都、大阪で同時に決起し、その混乱に乗じて天皇を擁して勅命を得て、幕府に与する者を朝敵とする作戦だった。
 だが、一味に加わっていた奥村八左衛門の密告で計画は事前に露見。その後、二十六日駿府で由井正雪が、三十日大坂金井半兵衛が自害して果て終結を迎えたのだった。
 
 上野東照宮でも、この話で持ち切りだが、ことが幕府転覆を図っただけに、役人にでも聞かれたら大変だと、あちこちでこそこそ話。
 「何でもよ、丸橋忠弥ってえのはそうとうな槍の使い手だったらしく、捕り方はよ、火事だーって叫んで、飛び出て来たところをお縄にしたって話だぜ」。
 「ひでえ、ことなさるしゃねえか。宝蔵院流の槍を受けてやろうってえお侍はいねえのかい」。
 「御奉行様自ら捕り方に行ったってえ話じゃねえか」。
 「で、その御奉行様ってえのはどなただい」。
 「それが、北町奉行の石谷貞清様ってえから驚きだ」。
 「石谷様でもそんな卑怯な手を使っちまうほどの凄腕だったってことだろ」。
 「そんなお人が、浪人になろうとはねえ。世の中おかしくないかい」。
 誰もが思い思いを口にするが、幕府のいささか厳しい武断政治に、庶民も浪々の侍には同情的なようだ。輪には入らず、ただ聞いていた善兵衛だったが、聞き覚えのある名前が二人もでてきたので、つい口を挟んでしまう。
 「ちょっとお伺いしますが、丸橋忠弥様はどうなるのでしょうか」。
 罪人となった丸橋忠弥に対して随分丁寧ないい方ではあるが、元々江戸っ子のべらんめえ口調とは違い、丁寧だったことが幸いして、丸橋忠弥と知り合いか否か問われずに済んだ。
 「そりゃあよ、将軍家を倒そうってんだ。死罪だろ」。
 「まあ、良くて切腹ってとこだろう」。
 善兵衛は、あの日。助けて貰った切り丸橋忠弥に会ってはいなかった。傷を治すことと、東照宮での仕事の遅れを取り戻すことで精一杯で、お礼に伺ってもいなかったのだ。「わたしを助けてくださった方が命を失う」。善兵衛は、最後に丸橋忠弥に礼を言わなくてはと考えていた。

ついた餅も心持ち 第五十二話  

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 左腕一本で龍を彫る善兵衛。読売でも書き立てられると、職人の鏡として、江戸庶民の支持を受けるようになっていた。
 その日、甚五郎は珍客を迎えた。心当たりは無いが、「通すよようの」伝えても、「こちらで結構」と土間に正座して、いくら「上がれ」と勧めても梃でも動かないとあっては仕方なしに甚五郎は土間の前の上がりがまちに座った。
 「わたしが甚五郎だが、どなたかね」。
 「お初にお目にかかりやす。神田山幡随院の裏に住んでおりやす塚本伊太郎と申します」。
 いずれが龍か虎かの眼光鋭い男同士の火花が散る。
 「で、その伊太郎さんが何のようかね」
 と、甚五郎。すると一枚の読売を前に差し出すと、すぐに手は正座した両の腿に揃え、言い出した。
 「この読売が出てから、どうにも様子のおかしい若い衆を集めて問い質したところ、ことのあらましをしゃべり出し、聞けば聞くほど、一切合切非はこちらにあり、ましてや素人衆に刃物を振り回して怪我までさせておいてそのままだというので、あっしが誤りに参りました。誤って済むことではありませんが、どうかご勘弁を」。
 そして、子細詳しく語り出した。
 「ふむ」。
 「大切なお弟子さんに怪我をさせた張本人を連れてめえりやしたので、お上に突き出すなり、お好きにしてくだせえ。それでも足りねえなら、こうは見えても元は元は唐津藩の武士。今ここで腹を斬らせていただきやす」。
 そう言うと、後方で小さくなっている五人を見た。
 甚五郎は、
 「いえね、腹を斬られたところで、過ぎてしまったことは元には戻らねえ。いいかいお前さん方、良くお聞き。職人にとって利き手は命の次に大切なもんよ。それに善兵衛は今、一世一代の仕事をしている。どんなに辛れえか分かるかい。だけどな、善兵衛は一言もお前さんたちのことは口にしちゃいねえ。それは、理由なんか役に立たねえって知ってるからさ。もしかしたら、善兵衛はこの仕事を最後にもう二度と鑿が握れなくなるかもしれねえ。それも先刻承知の上だ。それが分かったら、いいかい、二度とこんな真似するんじゃないよ」。
 親方のところに大変な客が来てると聞いて、善兵衛も顔を出した。右腕を晒で吊った痛々しい姿に五人はさらに五人は深々と頭を下げる。そんな姿を見た善兵衛。
 「まるで御白州みたいだ」。
 と愉快そうに笑って奥に消えた。
 「塚本伊太郎、感服いたしました。これよりは是非、甚五郎親方、善兵衛さんの舎弟としていただきとうございます」。
 これには甚五郎も参った。
 塚本伊太郎。後に幡随院長兵衛と呼ばれる若き侠客は、この日を境に、かぶいたり、町奴と呼ばれるような行いを慎み、後に庶民に慕われる侠客の頭になっていったという。

ついた餅も心持ち 第五十一話

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 善兵衛は思うように力の入らない右手の中に鑿を握らせ上から手拭いで縛り付つけて彫った。右手がしびれてくると、今度は鑿を左手に持ち替える。慣れない左手では深く彫りすぎないために最新の集中力と注意を必要とし、薄く浅く、少しずつ掘り進めるため、その神経の衰弱振りは尋常なものではない。
 こんな様子の善兵衛に、普請奉行や下野の十一代長野万衛門知保、
信州諏訪の初代立川和四郎富棟らは不安を隠せず、甚五郎にほかの者との交代を進言するが、「棟梁はわたしです。一切の責はこの左甚五郎に」。としか述べず、後は貝のように口を固く結んでいた。
 夜に、腫れ上がった腕を井戸水で冷やした手拭いを宛てがって眠る。みつは、断る善兵衛に食い下がって、夜中に何度も冷えた手拭いを変えることや不自由な生活一切を手伝っていた。それはもう、横しまな考えからではなく、自責の念と、それ以上に善兵衛の男気に人として惚れたからである。

 どこでどう聞きつけるのか、職工以外は入れない上野東照宮内でのできごとが、いつしか江戸の町では、
 「左甚五郎の弟子が右手を落とされて左手で彫っている」と噂が広まり出した。
 「こりゃあ凄げえや。師匠も師匠なら、弟子も弟子。左手一本でも何ら支障無く彫ってるらしい」。
 「鑿を左手に持ち替えてから、凄みがでてきたらしい」。
 左甚五郎は徳川家大工棟甲良であったことから、庶民にとっては雲の上の存在。左利きだったことから左甚五郎と呼ばれているのだが、やはり噂が一人歩きして、右腕を斬り落とされたと信じている者も多いのだ。
 まるで見てきたかのように噂は連日のように江戸っ子の口に上る。
 もちろん、永富町の表長屋、大工の平造親方の耳にもすぐに噂は届いた。
 「親方、本当でしょうか。善兵衛さんが右手を斬り落とされたって話」。
 新吉は毎日、毎日、平造親方に聞いていた。
 「そんなに心配なら行ってきたらどうだい。その目でみりゃあ、一目瞭然じゃねえか」。
 「そうなんですがね。もし、噂が本当だったらあっしは…あっしは…」。
 半べそをかきだす始末。
 「情けないねえ。お前だって一度は、善兵衛さんに負けちゃいねえって意気込んだことがあったじゃねえか。その男が、なんだい、めそめそしてるんじゃないよ。みっともねえ。噂が本当だとしたらだよ。てえした男じゃねえか善兵衛さんていうお人はよ」。

ついた餅も心持ち 第五十話

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 夜明けはそこまできていた。甚五郎は、「今日一日は寝ているように」と善兵衛にきつく継げ、家の戻ってから話をしようとだけ言って仕事場へ向かった。
 みつは、善兵衛の枕元で甲斐甲斐しく介護はしているものの、昨晩から一言も口を開いていない。ただ猫の前の小鳥のように肩を振るわせているだけだ。甚五郎の妻の千代から勧められた食事にも箸をつけず、どうかすれば、みつの方が病人かと思えるくらいの顔色だ。
 
 帰宅後、妻の千代からみつの様子を聞いた甚五郎は、善兵衛と共にみつも呼んだ。
 「わたしのせいで、申し訳ありません」。
 平伏しながら、みつが詫びると、甚五郎は、
 「こうなっちまったことに、どうこう言おうってんじゃねえぜ。どんな理由があったかはどうでもいい。話したくなければそれでいいが、善兵衛さん、お前さんには右腕の大切さは分かってる筈だ」。
 甚五郎は経緯を話させよとはしなかった。だが、それが逆に善兵衛に「甚五郎親方に見限られたのでは」の不安を呼び起こさせる。
 「問題はこれからのことだ。お前さんのその怪我じゃあ、もう無理だ」。
 「待ってください。親方。わたしなら大丈夫です。明日から仕事に戻れます」。
 善兵衛が渾身の言葉を述べるも、
 「最後まで聞きねえ」。
 甚五郎は茶をひと啜りしてからゆっくりとした口調で話し出した。善兵衛の腕が回復してから続きをさせてやりたいが、幕府からの仕事ではそれもできない。ほかの者にいちから彫らせようにも時間が足りない。善兵衛の跡を引き継げる者がいればいいが、掘り筋が違い過ぎてそれも適わない。こう話してから、
 「そこでだ。お前さんと一番彫り筋が似ているのは師匠の清兵衛さんだ。お前さんも辛いだろうが、ここは清兵衛さんに頼んでみてはどうだろうか」。
 「嫌です。わたしが最後まで彫り上げて見せます」。
 善兵衛には、降りる気は毛頭ない。
 「今、ここで無理をしたら、その右手は二度と使いもんにならなくなるかも知れねえんだぜ。お前さんはまだ若いんだ。また別の機会があらあな」。
 最もな意見だが、職人が途中で自分の仕事を放り出すことは最大の屈辱である。
 「どうなっても構いません。後のことなど考えてはいません。今は、立派に龍を彫り上げるそれだけです」。
 「しかしなあ。万が一彫り上がらなかったじゃあ、済まないぜ」。
 「その時は、腹を斬ります。町人とはいえ、名字帯刀を許された大森家の嫡男です。それくらいの覚悟はできています」。
 善兵衛の意思の硬さに甚五郎は続く言葉が見つからなくなっていた。
 「親方。親方があっしゃったんだ。彫り物は、目で彫るもんだって。だったら、わたしの目は寸分の狂いもありゃしません。この右腕が使えないなら左手で彫ってみせます」。
 「良し。任せた。ただし、途中で何があっても誰の手も借りようとは思うなよ」。
 「ありがとうございます」。

ついた餅も心持ち 第四十九話

2011年03月06日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 男は、福井町の町医者・吉田猪兵衛の元へ、善兵衛を担ぎ込んだ。吉田猪兵衛の診たてでは、塞がるまでなるべく動かさないでいることが一番。これを聞いて、男は、「命に別状無くて何より」と、安堵したのか、後をみつに託して立ち去ろうとする。
 痛みに堪えながらも善兵衛は、名前を尋ねるが、ただ笑って立ち去った。
 吉田猪兵衛は、門弟を左甚五郎宅に走らせた。知らせを受けた陣砙礫型では、嘉助を連れ、自らが直ぐさま駆け付ける。
 「で、どうなんですか。動くようにはなるんですか」。
 善兵衛が痛みで顔を歪める隣の部屋で、吉田猪兵衛はと左甚五郎の声が聞こえてきた。
 「大丈夫。傷はそう深くはないのですが、元通りに動くか否かは分かり兼ねます。まずは、傷口が塞がるまで動かさないことでしょうな。万が一、傷が開くようなことがあれば、動かなくなることも覚悟しなければなりません」。
 甚五郎は腕組みをして目を瞑ったままだ。嘉助が、
 「そんな、あいつは彫り物大工なんです。先生、お願げえします。治してやってくだせえ」。
 と声を張り上げると、
 「静かにしねえかい。先生にあたってどうするんだ」。
 こう言ったきり、また黙りこくってしまった。痛みと熱で気を失っていた善兵衛が目覚めるのを待ち、駕篭に乗せて連れ帰ることにした。
 帰りしなに、運んでくれた御仁の名を、善兵衛は吉田猪兵衛に尋ねた。それによると名を丸橋忠弥といい。元は土佐藩長宗我部盛親の家臣だったが、お家おとり潰しによって、浪々の身となり、お茶の水で宝蔵院流槍術の道場を開いているとのことだった。
 語る吉田猪兵衛自信。父・吉田 政重は同じくは土佐藩長宗我部盛親の家臣。次に入城下山内一豊から、再三仕官を勧めらるが、それを弟に譲り、自身は町医者になったことから、兄の田平左衛共々、医術の道に進んだ経緯を持つ。

ついた餅も心持ち 第四十八話

2011年03月05日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 みつは、知れば知るほど、善兵衛とは不思議な人だと感じていた。それはまた、「惚れ直す」に通じるところでもある。
 気が付くと嘉助たちをすっかり見失ってしまっていた二人。「嘉助さんたちはもう帰られたのでしょうか」としきりに気にする善兵衛に、「どうでもいいじゃない」と喉まででかかっり、飛び跳ねたいような気分で善兵衛について歩いた。
 とんと、軽い衝撃がみつの肩に響いた。この程度なら往来では良くあることで、みつは、「これはごめんなさいな」と軽くやり過ごしたのだが、相手がいけなかった。
 「おい、待ちな」。
 二人の前に立ちふさがる四~五人の男は、一目で渡世人と分かる風体。にも関わらず、おみつが、
 「何だい。謝ったじゃないかい。因縁つけようってのかい」。
 江戸っ子は威勢がいいが、こんな時にはこじれなくてもいい話をこじれさせてしまうのも江戸っ子気風。渡世人相手に一歩も譲らないみつは逞しくもあるが、それよりも困ったものである。
 「ここは天下の往来だ。人と人がすれ違い様に、ちょいとばかり触れ合う何ぞは日常じゃないか」。
 男たちはすでに腕まくりをして、凄んで見せている。「これはまずい」と、慌てて善兵衛が割って入るも、時既に遅し。大分酒も回っているのだろう。男たちの、「許すまじ」の目つきが鋭く突き刺さる。
 善兵衛は逃げ足には自信があるが、喧嘩には全く自信がない。自信がないと言うより、殴り合いなどしたことすらなかった。走って逃げても女連れではすぐに捕まってしまう。ここはひたすら謝るしか無いだろう。みつの前に立って、
 「申し訳ございませんでした。気の強い娘でして、わたしから良く言い聞かせますので、どうぞお許しください」。
 だが、頭を下げようが、詫びを述べようが、男たちの気持ちは修まらず、異口同音にやんや、やんや。
 「えーい。じれったいね。あんたたち江戸っ子だろう。大の男が女相手に寄ってたかってみっともないまねしてるんじゃないよ」。
 みつは善兵衛を押し退けて、大声で叫んでいた。全て水の泡。如何にしたものか。あいにく持ち合わせもろくにない。善兵衛が考えあぐねておると、一人の男が、みつに殴り掛かる。
 「お止めください」。
 その男の腕にを間一髪で押さえ込んだ善兵衛。喧嘩は練れていないが、職人だ。腕っ節は強い。さっきまで低姿勢だった男の予想だにしなかった腕力に恐れを成した男は善兵衛の手を振りほどくと、懐に手を入れおもむろに匕首を取り出した。
 酔狂が過ぎたと年長各の男が、「止めねーかい」と声を張り上げるが、振り回した切っ先が善兵衛の右腕を切り裂いた。低いうめき声を共に、左で右腕を押さえつけるが、指の間から血が滴り落ちる。
 「善兵衛さん。善兵衛さん」。
 名前を呼ぶみつの声が遠くなる。
 「待たれい」。
 一人の武士が現れた。
 「拙者通りすがりの者でござる。いかなる事情があるかは分からぬが、これ以上続けられるなら、拙者こちらの御仁に助太刀いたすが、いかがする」。
 言うなり、大刀の鍔に手を掛け、半身の構えになる。年長の男が、
 「町方の諍いごとだ。御武家様が口を挟むこっちゃねえ」。
 「しかしなあ、多勢に無勢。見てはおられぬ」。
 言うなり、大刀を抜いた。すると、やなり年長の男が、
 「分かりました。御武家様にそこまで言われたら。おい止めねえか」。
 と善兵衛を斬りつけた男を制し、
 「そこのお方、酔った上とはいえ、怪我までさせちまって申し訳ねえ」。
 頭を下げて引き揚げた。
 漆黒の闇の中で、善兵衛の痛々しいうめき声がこだまする。みつは先ほどまでの威勢の良さはどこえやら、ただただ泣きながら倒れ込む善兵衛の胸に顔を埋めている。刀を鞘に納めた男が善兵衛に駆け寄り、傷を見るが、
 「これは医者に診せた方がいい。娘さん。おい、娘さん。知り合いの町医者はいるかい」。
 みつの肩に手を回し、揺さぶるように問い質す。
 「永富町では川向こう。それは遠い。分かった拙者がご案内いたそう」。
 男は、善兵衛の左腕を自分の首にかけ支えて歩き出した。

ついた餅も心持ち 第四十七話

2011年03月05日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 夏の庶民の楽しみの一つでもある花火だが、、慶安元年(1648)には幕府が隅田川以外での花火の禁止の触れを出してからは、花火を見るにもわざわざ隅田川まで行かなければならなくなっていた。隅田川では、花火を売る舟が諸大名やお大尽の乗った屋形船の間を漕いで回り、注文に応じて上げる花火なので、庶民は誰かが注文しないことには花火を見ることはできないのだが、
 時には、屋形船の間を行き交う、うろうろ舟を岸から呼んで、餅や酒、冷やし瓜などを買ったりもしながらの夕涼みは人気があったのだ。

 慕っている善兵衛と肩を並べて歩けるだけで、みつの胸は高鳴っていた。のではあるが、どうにもしっとりとした夕涼みとはいかないようで。
 和一、嘉助、平次、庄六。それよりもかよのはしゃぎようだ。
 「おい、おかよさんよ。ちいっとばかし、黙っていちゃくれないかい。お前さんには風流ってもんが分からねえかい」。
 たまらず、嘉助が言う。
 「そっちこそ、さっきから冷やし瓜食べてばかしじゃないかい」。
 どうやら、花火よりも食い気が目的のようだ。
 「そいうや、おみつさん、今日は一段と女っぷりがいいねえ」。
 嘉助にそう言われると、みつは頬を染め、「やっぱりいいお品は違う」とひさに今さっき貰ったばかりの薄い色染めの紗の着物の袂を眺めて悦に入っていた。だが、気付いてほしい当人は、さっきから花火に夢中。一つ上がる度に目を輝かせ、途切れると、「次はまだですかねえ」と独り言を呟いている。
 思い思いの夏の夜。花火を食い入るように見つめる善兵衛。
 「お国が恋しくなったかい。善兵衛さん」。
 嘉助がそう言うと、みつは「はっ」とした。善兵衛は秋にもなれば、近江へ帰ってしまうのだ。半分以上進んだ普請事業も、終わりが見えている。
 善兵衛が江戸を去る、そえrは最初から分かっていたことだったが、とかく人は都合の悪い事柄は打ち消そうとするもので、いつしかみつの頭の中からも、その事実だけがぽっかりと消え失せていた。今にもこぼれそうな涙を押しと留めようと天を仰げば、空に輝く満天の星と、時折上がる花火が美しい。しかし、美しいものはいづれは消えるもの。人の思いもいつかは日々に疎し。整理のつかない心を紛らわすには、まだまだ時間が必要だ。
 「これは美しい花火じゃな」。
 いつしかみつの傍らには、見知ら男が同じように天を仰ぎながら、
 「ながむとて花火にもいたし頸の骨 」。
 一句詠んで、愉快そうに笑う。
 「どうじゃな。娘さん」。
 『ながむとて花にもいたし頸の骨』。花を上を向いてじっと眺めていたら、悲しいどころか、首の骨が痛くて仕方ないじゃないかという意味である。そもそもは西行の詠んだ、『ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそかなしけれ』の『いたく』を、文『痛い』に置き換えて笑いを誘っている。
 頭を傾げるみつに、
 「娘さんも、そんなに上ばかり見ておっては、花火どころではなく、首が痛いじゃろうと思いましてな」。
  首よりも、心が痛い。そう言いたかったが、気の利いた句など浮かぶ筈も無い。
 「さればこそ爰に談林の木あり天の花」。
 いつの間にそこにいたのか、善兵衛がこう返す。すると、男は先ほどにも増して嬉しそうに大笑いしていた。『さればこそ爰に談林の木あり梅の花』。それでも桃の香りは漂ってるではないですか。を『天の花』と花火を表したのだ。
 「お若いの、お見事」。
 「とんでもない。先生の句でございます。失礼ではございまずが、西山宗因先生とお見受けいたします」。
 西山宗因。俳人・連歌師で、全国に多くの門人を持つ談林派の祖とも言われている。奇抜な着想・見立てと軽妙な言い回しを特色とし、飛体または、阿蘭陀流などとも言われていた。
 「良くお分かりで」。
 「はい。わたしは、宮工大工をしております。形に現れるもの造っておりますが、先生のように、形には見えない言葉で心を引き付ける句の力を形に吹き込みたいと思っております」。
 「これは殊勝な。お若いの、そなたこそ名のある方とお見受けしましたぞ」。
 「とんでもない。まだまだ修行の身でございます」。
 「ところで、先生は上方で多くの門下生をお抱えと聞いております。江戸でお目にかかれるとは思いも及びませんでした」。
 宗因は、上野東照宮で左甚五郎が龍を彫ると聞いてはるばるやって来ていたのだ。これまでに甚五郎の逸話は国中に広まっていた。
 宗因はそのことは告げずに、「思いもよらず、愉快な句合わせができた」と去って行った。

ついた餅も心持ち 第四十六話

2011年03月05日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 「暑いね、こう暑くっちゃ、寝不足だよまったく」。
 鍛冶町近くの西横町の裏長屋では、夏は暑い暑い。冬は寒い寒い。が挨拶代わり。
 「そいうやお前さん。平造親方の方は、だいぶできあがったんだろう」。
 こう言うのは、大工・新吉の女房のとみ。
 こちら裏長屋は無事だったが、平造親方の住まいの永富町の表長屋は、先きだっての火事で、焼けてしまい、建て直しの真っ最中。そんなわけで、念願だった上野東照宮での手伝いもお仕舞いになってしまった新吉。未練はあるようだが、これは仕方ない。
 「おう、もう大分仕上がってきてるんで、親方と安治たちはもう住まってるぜ」。
 しばらく仮住まいの小屋での寝起きになるので、「若い娘にそれは気の毒だ」と、平造の娘のみつだけは、豊島町の堂宮大工棟梁・左甚五郎宅に身を寄せている。
 「だったら、おみつちゃんもそろそろ帰って来られるねえ」。
 「それがよお。親方が言うには、よっぽど甚五郎親方のとこが居心地がいいのか、ちょっとも顔も見せねえって話だ」。
 一方みつは、それはそれは居心地がいいどころか、善兵衛と同じ屋根の下で寝起きしているものだから、「いっそのこと、甚五郎親方に頼んで奉公させてもらおうかしら」とまで思い込んでいる始末。
 今日も今日とて、晩に隅田川に花火を見に行こうと善兵衛と約束をして、朝から待ち遠しくて仕方ない。とは言っても、甚五郎の内弟子の嘉助、平次、庄六、和一。そして奥向きの手伝いのかよまで一緒なのは不満だが。
 みつが少しばかり不服そうなのは、よそ行きの浴衣を持って来ていなかったことだ。「そうさね、おかよさんに聞いてみよう」。そうかよを探すと、こちらも晩に供えて真新しい浴衣の袖を通して、踊っているかのようにくるくる回っている真っ最中。障子越しに覗いているみつに気付くと、
 「どうだい」。
 と、しなを作って見せてみる。白地に藍で描かれた朝顔が涼しげだ。
 「ところでおかよさん。ほかにも浴衣を持っていませんか」。
 「そうだったね。あんたは焼け出されたんだものね。待ってな、今探してみるから」。
 かよは押し入れに頭を突っ込んで取り出したのは、赤い金魚がひらひら泳ぐ、とても大人の女が着るような代物ではない浴衣。
 「ほおら、可愛いじゃないかい」。
 とみつに宛てがうが、みつは逃げ腰だ。
 「おかよさん。これはいつ時分に着てたんです」。
 「一作年くらいまでは着てたけど」。
 みつは、「それはあんまりだ」とかよの好意を丁重に断ったものの、ほかに宛も無く、縁側に腰を下ろしてただぼんやりするしかない。
 「おかよさん、朝顔の浴衣をわたしに貸しちゃあくれないだろうか」。
 すると突然、ひさが訪ねて来た。ひさは、日本橋呉服町に店を構える大店、太物問屋の恵美須屋の一人娘である。恵美須屋も先だっての火事で焼けてしまったが、蔵と、店先、帳場はなんとか焼け残り、建て直しと同時にすでに商いも始まっていた。
 当初は、真源寺に身を寄せていたが、そこは大店、庭に離れを建てて、親子三人はそこで暮らしている。使用人たちは、焼け残った蔵に畳を入れたりして、寝泊まりには不自由はなくなった。
 ところで、裁縫の手習い仲間のひさがやって来たりすると、ろくなことが無いのが常。   
 「なあんだ。おひさちゃんか」。
 「なあんだとは何よ。あんたが焼け出されて着るものもろくに無いだろうかと持ってきてやったのにさ。あっ、元々、ろくなもの着てなかったねえ」。
 いつにも増して皮肉たつぷりなひさに、
 「そりゃあ悪うございました。おひさちゃんも馬子にも衣装ってね」。
 「なんですって」。
 「まあ、お嬢様」。
 手代の辰二郎が先の事件でいなくなったので、本日は番頭の仁介がお供である。さすがに仁介に諭されると、ひさも大人しくならざるをえない。
 「これよ。良い品だからあんたにはもったいないとは思ったけど、ひさはもうお嫁入りだから、娘時代の着物は着られないし、どうせ捨てるんなら、くれてやっても同じだしさ」。
 と、仁介を促して、大きな紫の風呂敷包みを縁側のみつの横に置き、結び目を解きながら、仁介はみつの耳元で、「ああいう方ですから正直には言いませんがね。どれがおみつさんに似合うか部屋中引っくり返して大騒ぎだったんですよ」。と、ひさには聞こえない声で、ささやいた。 
 風呂敷の中には、上等な友禅染小袖や、普段着られる木綿の絣、夏らしい涼やかな紗が入れられていた」。
 「おひさちゃん。ありがとう」。
 「おみつちゃんには似合わないだろうけどね」。
 こういった素直になれないところが、ひさらしいとみつは感じていた。今夜花火を見に行くと言えば、ひさも来るだろう。しかし、ひさに知らせないのはいかにも意地が悪い。みつは覚悟を決めて。
 「おひさちゃん。今隅田川まで花火を見にいくのだけれど、一緒に行かないかい」。
 言ったことに少し後悔しながらも、もう後戻りはできない。
 「ふん。ひさは花火が見たくなったら、おとっつあんに頼んで、屋形船を設えれもらうわ。河川をのそのそ歩くなんてそんな貧乏臭いこと嫌だわ」。
 「ああ、憎らしい」。みつは心の中で呟いたが、
 「あら、善兵衛さんも一緒だよ」。
 再度誘い水をかけても、
 「ふーん。それでも行かない。おみつちゃん、楽しんでおいでな」。
 ひさから意外な言葉が返ってきて、みつは驚いた。
 「じゃあね。ひさ帰るから」。
 後ろを向いたひさの髪に、お気に入りの瑪瑙の玉簪がないことに気が付いた。
 「おひさちゃん。玉簪どうしたの」。
 それには答えずにひさは仁介に促されてそそくさと帰って行った。みつは残された包みから一枚づつ手に取っては戻し、手に取っては戻し、ひさに感謝していた。

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