大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎~ 俎上の魚二

2011年07月13日 | 縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎
 「いやあ、酷い目に会わされたものさ」。
 翌日、千吉は由造、加助と豊金でぼやくのだった。
 川瀬石町裏長屋に住まう浪人・濱部主善は歳の頃は四十の半ば。己では元は磐城平藩士だったと言うが証は無く、何を生業にしているのやも知れぬが、大酒飲みの大食漢で、それも人の金を当てにするときている。人柄は悪くはないのだが、己が散々飲み食いした分を切合(割り勘)にするのが常で、「これでは割が合わねえ」と今では誰も酒席を共にしないのだった。
 「それで、千吉。幾ら払わされたのさ」。
 「濱部様が既にどれくらい呑まれ、食われていたかは知らないが、酒一合と田楽一本で二百文だ」。
 「二百文もか。それでお前さんは大人しく払ったのかい」。
 由造と加助は顔を見合わせ、「今宵は奢りだ。気兼ねなく呑め」と酒を勧めるが、一夜で二百文の出費はかなり堪えた千吉は、呑むよりも夜具を被って寝入りたい気分である。
 すると金治が申し訳なさそうに、「食べてくんな」と卵巻を三人に差し入れるのだった。
 「だがよ」。
 口を聞いたのは加助である。
 「ゆんべはお前さんたちと逸れてしまったんで、おとっつあんの長屋に戻ったのさ」。
 加助の両親が住まわっているのは、濱部と同じく呉服屋近江屋が家主の川瀬石町の裏長屋。加助自身は元大工町表長屋の棟梁・平五郎方に身を寄せている。
 「おとっつあんが言うには、濱部様はこのところどこぞの札差の用心棒をしなすって、大層な賃金を貰っているって話だぜ」。
 「そう言えば」。
 千吉がぽんと手を打った。
 「思い出した。どうせ与太話だと真に受けてちゃあいなかったが、月に五両稼いだと威勢がいい話をしてなすった」。
 「五両だって」。
 由造と加助は、千吉が酒一合と田楽一本で二百文払わされた時よりも大きく目を見開き、互いに顔を見合うのだった。だがそれも束の間、すぐに頭を横に振ると、
 「それは間違いなくいつもの与太話さ」。
 常識で考えれば、五両も懐にある男が自分の呑み代を切合で年下の者に払わせる筈も無い。
 それどころか最下級の武士の給与が年で三両一分。貧乏武士を卑下する三一侍(さんぴん)と言うくらいだ。
 「そうだろうね。濱部様に五両を払う商人がいるとは思えねえや」。
 千吉も同意するが、そこに金治が割って入り、
 「なんでもよ、女に入れ込んでるって話だぜ。ほれ、ゆんべ一緒にいなすったあの痩せこけた男さ。あの御仁が許嫁がどうのって話してたら、濱部様も言い交わした女子がいると張り合ってたっけねえ」。
 千吉たち三人は、「またか」。と濱部の女に関する話は懲り懲りだった。


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