それから暫くして、歳三は新入隊士を引き連れ、京へと向かった。時を前後して、八郎の遊撃隊も上洛する。
千代の周辺も、静かになっていった。
「戦が起きないように、歳三が京で働いているのです」。
のぶの言葉が何よりの慰めであった。
だが、慶応四年。静かな正月を迎えた多摩に、怒濤の知らせがもたらされるのだった。
「ついに戦だ。鳥羽伏見で、戦が始まった」。
千代が知った時には、鳥羽伏見の戦は幕府軍の敗戦。新撰組も、遊撃隊も江戸へと敗退の途中であった。
江戸へと帰還した新撰組は、その後、甲陽鎮撫隊と名を改め、甲府へと出陣。その折りには再び、佐藤家を訪れたのであった。
「兄様。伊庭様は、遊撃隊はどうなさったのです」。
「我らものような状態だ。詳しくは知らぬが、遊撃隊は箱根に布陣すると聞いている」。
「箱根でございますか」。
「千代、これは天下分け目の戦だ。四方や箱根へ参ろうなどとは思うてはおらぬだろうな」。
それが、千代と歳三の今生の別れであった。言わずもがな、八郎とは仮祝言から後、再び相見える事のないままであった。
土方歳三、明治二年五月十一日、函館は一本木にて銃弾に倒れる。享年三十五歳。
伊庭八郎、木古内での戦闘中、敵の銃弾を受け、函館で療養であったが、同じく明治二年五月十二日陣没。享年二十七歳。
奇しくも両名は五稜郭内に隣併せに葬られたのであった。
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千代の周辺も、静かになっていった。
「戦が起きないように、歳三が京で働いているのです」。
のぶの言葉が何よりの慰めであった。
だが、慶応四年。静かな正月を迎えた多摩に、怒濤の知らせがもたらされるのだった。
「ついに戦だ。鳥羽伏見で、戦が始まった」。
千代が知った時には、鳥羽伏見の戦は幕府軍の敗戦。新撰組も、遊撃隊も江戸へと敗退の途中であった。
江戸へと帰還した新撰組は、その後、甲陽鎮撫隊と名を改め、甲府へと出陣。その折りには再び、佐藤家を訪れたのであった。
「兄様。伊庭様は、遊撃隊はどうなさったのです」。
「我らものような状態だ。詳しくは知らぬが、遊撃隊は箱根に布陣すると聞いている」。
「箱根でございますか」。
「千代、これは天下分け目の戦だ。四方や箱根へ参ろうなどとは思うてはおらぬだろうな」。
それが、千代と歳三の今生の別れであった。言わずもがな、八郎とは仮祝言から後、再び相見える事のないままであった。
土方歳三、明治二年五月十一日、函館は一本木にて銃弾に倒れる。享年三十五歳。
伊庭八郎、木古内での戦闘中、敵の銃弾を受け、函館で療養であったが、同じく明治二年五月十二日陣没。享年二十七歳。
奇しくも両名は五稜郭内に隣併せに葬られたのであった。
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