大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 二十五

2011年12月31日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 それから暫くして、歳三は新入隊士を引き連れ、京へと向かった。時を前後して、八郎の遊撃隊も上洛する。
 千代の周辺も、静かになっていった。
 「戦が起きないように、歳三が京で働いているのです」。
 のぶの言葉が何よりの慰めであった。
 だが、慶応四年。静かな正月を迎えた多摩に、怒濤の知らせがもたらされるのだった。
 「ついに戦だ。鳥羽伏見で、戦が始まった」。
 千代が知った時には、鳥羽伏見の戦は幕府軍の敗戦。新撰組も、遊撃隊も江戸へと敗退の途中であった。
 江戸へと帰還した新撰組は、その後、甲陽鎮撫隊と名を改め、甲府へと出陣。その折りには再び、佐藤家を訪れたのであった。
 「兄様。伊庭様は、遊撃隊はどうなさったのです」。
 「我らものような状態だ。詳しくは知らぬが、遊撃隊は箱根に布陣すると聞いている」。
 「箱根でございますか」。
 「千代、これは天下分け目の戦だ。四方や箱根へ参ろうなどとは思うてはおらぬだろうな」。
 それが、千代と歳三の今生の別れであった。言わずもがな、八郎とは仮祝言から後、再び相見える事のないままであった。
 土方歳三、明治二年五月十一日、函館は一本木にて銃弾に倒れる。享年三十五歳。
 伊庭八郎、木古内での戦闘中、敵の銃弾を受け、函館で療養であったが、同じく明治二年五月十二日陣没。享年二十七歳。
 奇しくも両名は五稜郭内に隣併せに葬られたのであった。


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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 二十四

2011年12月30日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 八郎との縁が流れ、四カ月。時は紅葉の季節に入っていた。時の流れが、これ程遅いと感じた事のない千代。来る日も、来る日も、ぼんやりとやり過ごしていたのである。
 そんなある日、佐藤家の女子衆の手が入り用だと、手伝いに向かった千代。
 「のぶ様、大層な御馳走ですね」。
 「そうよ。今日は大切なお客様ですからね」。
 日野で陣屋を営む、佐藤家には参勤交代のあった時代には、大名家が宿泊をしていた名家である。そこで大切な客と告げられ、身が引き締まる思いの千代であった。
 空が茜に染まる頃であった。
 「兄様、源三郎様も」。
 「千代、息災だったか」。
 「兄様も」。
 歳三の笑顔の後ろには、信じられない顔が。 
 「伊庭様。如何して」。
 「千代さん、お久しゅうございます」。
 新入隊士募集の為、江戸へ戻った歳三。上洛の命令が下った遊撃隊の伊庭八郎と、江戸で顔を合わせていたのである。
 「千代さん。上洛の命が下りましたので、お別れに参りました」。
 今更顔を出せる筋合いもないが、別れは告げたかったと八郎。
 「上洛とは、戦になるのですか」。
 「そうかも知れません」。
 八郎は、これ程早く、時が動くのであれば、千代と夫婦にならずに良かったと言う。
 「あなたを悲しませるところでした」。
 「そのような事を知らされ、私が悲しまぬとお思いですか」。
 縁はなかったが、思いは別である。千代は、漸く遠くなりつつあった八郎の面影が、しっかりと目の前にある事で、その思いに確信を抱く。もはや、家や身分などに逃げる事なく、己の思いのたけを訴えるのだった。
 「伊庭様。お命を、お命を大切にしてくださいませ」。
 「それでは、武士として働けませぬ」。
 「武士でなくとも構いませぬ。私は…、私の為に生きてお戻りくださいませ」。
 「千代さん」。
 「お待ちしても、よろしいでしょうか」。
 
 「だがな、こんなじゃじゃ馬を嫁にしたいとは、伊庭殿も粋狂なお人だ」。
 「じゃじゃ馬なればこそです土方様」。



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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 二十三

2011年12月29日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「千代、おまえは、その伊庭様をお好きなのかい」。
 「父様」。
 「お前は、身分の事しか口にしない。好いているのだろう」。
 眉間に深い皺を刻んだ忠兵衛に、千代は父の本意を知るのだった。
 「父様が駄目だとおっしゃいませば、このお話はなかったものとなります」。
 そうではあるが、やはり親としては娘は可愛い。出来る事であれば、思いは遂げさせてやりたいのが本音である。増してや、まれに見る良縁である。だが、八郎が武芸の達人で幕臣だという事が、気に掛かるのだった。
 「千代、良く聞きなさい。彦五郎さんは千人同心のお家柄。徳川様に何かあれば戦に望む覚悟もあろう。だがな、当家は、先祖代々の百姓なのだ」。
 いつ何時、戦が勃発するか、分かったものではないこの自制。武家に嫁がせるのは、やはり気が進まぬと語る忠兵衛だった。
 「分かりました。では、お断りください」。
 「千代、それで良いのか」。
 「元より、千代はこの御縁。諦めております」。
 すくっと立ち上がったまま、外へと飛び出した千代の頭上では、今宵ばかりは雲に隠れて欲しい満月が、その涙をくっきりと写し出すのであった。

 「千代、何を言い出す。忠兵衛さんが難を示しているなら、わしが説き伏せよう」。
 こんな良縁はほかにない。父親の反対など押し切ってでも、己が仲人をしてやると、彦五郎が息巻く。
 「そうではございません。姉様もお亡くなりになられました上は、千代だけでも、父様、母様のお側にいたいと思います」。
 「馬鹿な。娘は何時かは嫁に行くものだ」。
 忠兵衛の頑固頭を、打ち砕いてやると、彦五郎。
 「お前さん。それよりも千代さんの気持ちです」。
 彦五郎の妻であり、歳三の姉ののぶは、未だ薄らと赤い千代の眼に気付いていた。
 「千代さん。それで良いのですか。諦め切れるのですか」。
 「のぶ様。これが定めと思うております」。


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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 二十二

2011年12月28日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「歳三が直参に、お取り立てになっぞ」。
 この年の夏の始め、新撰組は、幕府直参に取り上げられ、ついに徳川家の家臣としての身分を手に入れたのである。
 その文は、直ぐに歳三から伯父の佐藤彦五郎の元へと、もたらされた。そして今、その文を頭上高く翳し、走って来たのも彦五郎である。
 「近藤先生は、両番頭次席という、将軍様に御目見得の許された御身分におなりだ」。
 ぐずぐずと嬉し泣きの彦五郎。文を手渡された千代の父の平忠兵衛も、目を丸くし読みふける。
 「これは御出世なされた。あのばらがきだった歳三がなあ」。
 「違いない。奉公先を二度も追い出された歳三が、今や幕臣」。
 二人は感慨深げに、歳三の昔話に花を咲かせるのだった。
 傍ら控えていた千代。歳三の事ではあったが、何やら遠い世界の話のようであり、ただぼんやりと聞き流していた。
 「千代、お前もこれで、何を恥じる事なく伊庭様の元へ嫁げるな」。
 彦五郎の言葉に、手にした湯のみを落とし掛けた千代。それは忠兵衛も同様であった。
 「伯父様。何を申されます」。
 「歳三は立派な幕臣だ。お前も歳三の養女として嫁げば、伊庭様へ引けを取る事もない」。
 「そうではなく、如何して伯父様が」。
 「いや、彦五郎さん。千代、何の話なのか、わしにはさっぱりだが」。
 そこで、彦五郎が話を引き取るのだった。
 上野で千代から別れを告げられた伊庭八郎。明くる日には、試衛館へと彦五郎を訪ねたのだった。
 「もし、千代に決まった相手がいないなら、是非とも嫁に欲しいとおっしゃってな」。
 「ですが、伊庭様とでは御身分が違い過ぎます」。
 「だから、こうして知らせに来たのではないか。歳三が徳川様のお抱えとなった今、何も気にする事はないと」。
 「いいえ。伊庭様は、練武館の御嫡子でもあられるのですよ」。
 「それなら思い違いだそうだ」。
 八郎は、心形刀流宗家・伊庭家の嫡子ではあるが、練武館では、力のある門弟が養子となって流儀を継承することが、定めらており、剣術よりも漢学や蘭学に興味のあった八郎は、縁者の伊庭軍平秀俊の元へと養子に出されていると告げる。
 「そんな訳で忠兵衛さん。近いうちに伊庭様が正式にお見えになりますので、よろしくお願いします」。
 困惑の中にも、どこかそわそわと落ち着きのない娘の横顔を見ていると、口には出せないが、胸のざわ付きを覚える忠兵衛だった。



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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 二十一

2011年12月27日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「千代さん。あなたのお気持ちは」。
 ふっと我に返った千代。寺尾安次郎が語った伊庭八郎生い立ちを思い出すのだった。
 心形刀流宗家・練武館の嫡男であり、幕府に大御番衆として登用されると直ぐに奥詰に抜擢され、現在は、奥詰が改編された遊撃隊の一員であった。
 全ての思いを打ち消すかの如く、頭を横に振った千代。
 「伊庭様、私の生家は多摩の百姓にございます。御身分が違いまする」。
 「身分など聞いてはおらぬ。あなたの思いを尋ねておるのだ」。
 「女御の思いなど、何ものにもなりませぬ」。
 婚儀は、家同士で決めるもの。本人の意向など、毛頭あろう筈もない。それでもそれなりに地位や財産のある男であれば、妾として好いた女御を囲う事は出来る。
 だが、女御の思いが成就するなど、万にひとつもないと千代は考える。
 現に姉の美緒の生涯に、美緒の思いが達せられたのは、死を選んだ事のみであった。
 「私は、大奥へ奉公に上がると決めた折りに、女御の幸せは捨てました」。
 八郎は、そのような回りくどい断られ方をされるとは、少しでも千代が己に好意を抱いていると勘違いしていたと、ふっと苦笑いを浮かべるのだった。
 「確かあなたは、又従兄弟の方を好いているようでした。やはりそのお方と添いたいのですか」。
 「好いていると思っておりました。ですがそれは、幼き頃よりの幻影だったのだと、あなた様が気付かせてくださいました」。
 「千代さん。それでは」。
 恥ずかしそうに俯く千代。だが、やはり好いているだけでは、どうにもなるまい。心形刀流宗家・練武館の嫡男であり、幕閣の肩書きが大きく伸し掛かるのであった。
 「伊庭様、お会い出来て楽しゅうございました。私は、これにて」。
 散り際の桜は美しいが、別れの涙を一層誘う儚さである。頬を流れる涙の筋を掌で拭いながら、文久三年、歳三が京へ立つ前に残したという、豊玉発句集の一句を思い出すのであった。
 ~しれば迷い しなければ 迷わぬ恋の道~



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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 二十

2011年12月26日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「寺尾様がそのような事を申されたのですか」。
 余計な事をと憤る伊庭八郎。その後ろをくすくす笑いながら付いて行く千代。所は、安次郎が言ったとおりに、桜真っ盛りの上野の山であった。
 「でも良うございました」。
 「何がです。真に私が剣術で、あなたを打ちのめすとお思いでしたか」。
 「そうではありませぬ。間もなく多摩に引き揚げる事になりました」。
 叔父の佐藤彦五郎が試衛館を閉め、多摩に戻る事になったと告げる千代。最期にもう一度会えて良かったと。
 「そうですか。それは残念」。
 「私を打ちのめす事が適わずにですか」。
 「馬鹿な」。
 思わず溢れる笑み。
 ひらひらと舞う桜の花びらは、二人の縁にも似通っていた。満開の桜は途方もなく美しいが、わずか数日で身落ちる儚いもの。一時だけの夢物語。
 「桜とは、儚いものにございます」。
 舞い落ちる一枚の花びらを、掌で受けた千代。己の定めを桜になぞる。
 「儚いからこそ美しい」。
 「それでも僅かな間しか、花を咲かせませぬ。一年のほとんどは、誰からも見ては貰えぬのです」。
 「ですが、こうして毎年花を咲かせるではありませぬか」。
 耐え忍んで咲かせた花であれば、尚美しいと八郎は言えば、花など咲かせなくても、時節を問わず愛でられる万年青になりたいと千代。
 「それは、離れていては心が遠ざかると言う事ですか」。
 八郎の真っ直ぐな目が、千代に注がれるのだった。
 「はい。離れておりますれば、日々に疎くなりまする」。
 「あなたもそうですか」。
 「殿方のお気持ちにございます」。
 女御は、揺るぎない思いを抱き続けられるが、男とは身近な者へと目移りを繰り返す者であると。
 「千代さんは手厳しい」。
 「そういった殿方を、多数見て参りました」。
 ほんの戯れ言のつもりであった千代。くすりと口の端を歪ませて見せるが、相反し、八郎の眉は吊り上がる。
 「男が全てそうではありません」。
 「伊庭様」。
 「千代さん、私の嫁になりませぬか」。
 まるで時の流れが、止まったかのようであった。八郎の言葉が、何度も何度も頭の中を駆け巡る。


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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 十九

2011年12月25日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 八郎の言葉が、何を意味しているのか、暫し返事に迷う千代であった。
 今でこそ、会津藩預かりの新撰組ではあるが、そもそもは壬生狼と陰口を叩かれていた。口さがない者は、人斬り集団とも呼んでいる。
 現に幕閣の勝海舟でさえ、表向きはともかく、その実、快く思っていない事は明らかである。
 新撰組の縁者と知れば、八郎の態度も変わるのではないだろうか。そんな女心が、躊躇させたのである。
 「確か千代さんは御火の番でしたね。それなら、あなたも天然理心流を」。
 江戸城大奥において、御火の番は警備も担う為、武芸に秀でた者が就く役目になっていた。
 「はい。私は山本満次郎先生の道場で習いました」。
 「あの武州下原刀の刀匠の、山本先生ですか」。
 これは頼もしいと、八郎が目を輝かせる。
 「では、次は是非にお手合わせ願いたい」。
 「とんでもございません」。
 思わず顔を赤らめる千代であった。
 「良いですね千代さん。約束だ」。
 八郎は、近いうちに試衛館を訪ねる旨、千代と約定を交わすと、腕を磨いておくように悪戯っぽい笑みを向けるのだった。
 眩しい。人の笑顔を眩しいと感じたのは、これが始めてであった千代。胸の奥がざわ付くのを感じるのであった。
 
 行き掛り上ではあったが、図らずも試衛館に逗留する事になった千代。早々に京での話になる。
 「近藤先生も歳三も元気だったか」。
 それは何よりだと彦五郎。
 「はい。私のおりました間は、何事もございませんでしたが、大変なお役目だそうにございます」。
 「そうだろうな。歳三は、血の付いた鉢金を送って寄越したくらいだ」。
 ふうと溜め息を洩らす彦五郎。
 「叔父様、私は、剣術の立ち合いの約定を交わしてしまいました」。
 千代は、八郎との経緯を語る。すると、今道場に寺尾安次郎が顔を出しているので、稽古を付けて貰えと、暢気に笑うのだった。
 「ほう、伊庭君とですか」。
 千代に話を聞いた安次郎。それは無謀だと、これまた一笑に伏す。
 「伊庭様は、それほどお強いのでございますか」。
 「強いも何も、元講武所の剣術指南方だ。それに、心形刀流宗家の練武館の嫡男。そこでも、伊庭の小天狗と呼ばれてたくらいだ。まあ、男でも相当な腕でなければ適うまい」。
 まあと、大きく開いた口を手で覆った千代。
 「伊庭様は、そのような事は一言も申されませんでした」。
 「大方、からかわれたのでしょう。そういった面のある男だ」。
 からかわれた。言われてみれば出会ったばかりの男の言葉を鵜呑みにし、多摩へ帰らずに、試衛館を訪ねた己の浅はかさを思うと、顔が赤らむと同時に、胸の奥の熱さが急激に冷めていくのを感じていた。
 「まあ、千代さん。そう気落ちなされるな。伊庭君は必ず来ますよ。ただ剣術ではなくこの時節だ。花見にでも行こうと誘う筈です」。
 剣術の立ち合いなど、千代に会う為のただの口実。安次郎は、目を細めるのであった。




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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 十八

2011年12月24日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「そのように揚げ足を取る物言いは、まるで兄様のようです」。
 兄様と口に出し、咄嗟に両の手を口に宛てがう千代。八郎の目がきらりと光る。
 「兄様とは、兄上の事にございますか」。
 「又従兄弟にございます」。
 「ならば、嫁にいけますね」。
 「いいえ、あのような不実な…」。
 「千代さんは、その兄様をお好きなのですね」。
 まだ出会って一時にも満たない八郎に、胸の奥まで見透かされたような気がする千代。この男の計り知れない大きさに、興味が募るのだった。
 「そろそろ参りませんと」。
 楽しい時とは、光陰矢の如し。後ろ髪を引かれる思いの千代であったが、逆に、これ以上知ってはいけないような思いにも苛まれるのであった。
 「確かお国は多摩にございましたね。今より多摩へ戻られますのか」。
 八郎のそれは、深い意味合いはなかったのかも知れない。
 「いいえ、暫くは叔父の元へ、身を寄せるつもりでおります」。
 京での話も伝えたいと千代は、つい口走っていた。
 「市谷甲良町にございます」。
 「それは近い。甲良町と言えば確か、天然理心流の試衛館がありましたな」。
 「御存じですか」。
 「はい。寺尾様がお留守をお預かりしていると聞いております」。
 その時試衛館は、近藤勇の留守を佐藤彦五郎と、幕臣の寺尾安次郎が預かっていた。
 「その試衛館に、叔父がおります」。
 「では、あなたは新撰組と関わりがおありなのですか」。



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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 十七

2011年12月23日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「何を笑っておいでなのです」。
 「はい。甘い物を所望なされたのは伊庭様にございますが、少しも進んでおられませんので」。
 すると、女御は甘い物が好きと決まっているので、思わず口から出てしまったが、実は餡が苦手であると八郎は少しばかり顔を赤らめる。
 「伊庭様、姉様はお幸せだったのでございましょうか」。
 すると、八郎の顔がきりりと勇ましく変わり、それはそれで実に盛観であった。
 「もちろんです。家茂様はそれはそれは慈しんでおられました」。
 ただ、時が悪かったのだと。公武合体に際し、朝廷や公家衆の反感を買わぬ為には、致し方なかったと八郎は告げる。
 「世間では、許嫁との仲を裂かれ、嫁下した宮様をお可哀想と言う声が聞こえますが、家茂公とて同じにございます」。
 てふを出家させた後、家茂は涙していたと八郎は告げる。
 「左様にございますか。でしたら姉様も…」。
 言い掛けて千代は口を閉ざす。幾ら将軍でも、元々好いていた相手ではない。美緒の思いなど微塵も受け入れられずに、側室にされたのだ。やはり美緒は無念だった筈である。そんな思いが、頭の中に渦を巻く。
 「殿方は良うございます。されど女御は、殿方を選べません」。
 「それは千代さんも、そうですか」。
 美緒の話が急に己に向けられ、目を見開いた千代。
 「無論です。親が決めた相手に嫁ぐのが、女御の定めにございます」。
 「では、好いたお方がいたら、どうします」。
 「好いたお方ですか」。
 頭に描いた歳三の顔を、打ち消すように頭を横に振った千代。
 「好いているお方など、おりませぬ」。
 すると、八郎の目が悪戯っぽく光るのだった。
 「そうですか。千代さんは、お好きなお方がおられるのですか」。
 「おらぬと申したではありませぬか」。
 更に八郎は、意地悪っぽい笑顔で、こう言うのだった。
 「好いたお方と申しましたが、千代さんは、好いているお方とお答えになられた」。


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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 十六

2011年12月22日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「勝さん。間に合いました」。
 息を切らせ、走り寄って来たのは、千代と年端も近い未だ二十代半ばの、若い男。
 「伊庭じゃねえか。どうしたんだい」。
 三年前の元治元年、大御番衆として登用されると、直ぐに家茂の奥詰めに抜擢。同時に講武所の教授方を務めるなど、類いまれな才腕を発揮し、慶応二年には奥詰めが改変され、遊撃隊の一員として、将軍の親衛隊を勤めていた。
 「スネル商会から、買い求めましたライフル銃にございます。これを将軍様へお届け願いたい」。
 「そうかい」。
 男子にこう言っては失礼だろうが、見目麗しく、如何にも清秀なるその姿に、千代は、ほおっと溜め息を洩らし、先程から二人の話を聞いていたのだった。
 「ところで勝さん。こちらのお方は」。
 その整った顔が、面差し優しく、向けられると、思わず頬が染まる千代だった。
 「こちらはな、ついこのめえまで奥奉公をしていた千代さんだ」。
 「では、同じ江戸城におられたのですか」。
 このように奇麗な人を見損ねていたとは、やはり江戸城の仕組みは理不尽であると、言い出した八郎に、千代はぷっと吹き出すのだった。
 「お上手なお方にございますね」。
 「当たりめえよ。おてふの方様の妹御だ」。
 「勝様」。
 思わず千代は語気を荒げるが、お構いなしの海舟。
 「伊庭は家茂公の親衛隊だったんだ。おてふの方様の事も承知してらあ」。
 「左様にございまするか」。
 大坂へ向かう海舟を見送った千代に、八郎が甘い物でも食べて行かぬかと水を向ける。
 「ですがお勤めがおありでは」。
 「なあに、将軍様も御上洛中。少しくらいは構いませんよ。それにおてふの方様のお話も伺いたい」。
 その思いは千代も同じであった。



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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 十五

2011年12月21日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「勝様」。
 勝海舟である。奥勤めを辞めた後、挨拶へと、一度赤坂の自宅を訪れたのが、この年の正月。まだふた月程前の事である。
 「おてふの方様には、会えたのかい」。
 大奥へ女中奉公に上がってから、ふつりと消息を絶った姉・美緒の行方を探す為に、自ら奥女中として江戸城に入り込んだ千代。
 海舟の力添えで、美緒が十四代将軍・家茂の側室・てふだった事を知ったのであった。
 力なく首を横に振った千代。
 「姉様は、病いにてお亡くなりにございました」。
 自刃した口にすれば、悲しみが増すだけである。千代は、姉は病いで亡くなったのだ。そう己にも言い聞かすかのようであった。
 「そうかい。そりゃあ残念だったな」。
 海舟の顔も曇る。
 「何もしてやれねえで、済まなかった」。
 「お気持ちだけで、姉も報われます」。
 図らずも、幕閣の海舟にも告げる事が出来た。既に家茂は逝去している。美緒が慕っていた歳三への報告も済ませたところだ。もはや、美緒の遺言通り、自らの生き方を決めようとする千代であった。
 「勝様は、どちらへ参られます」。
 「大坂だ。海軍伝習掛りとやらを命じられちまってよ。えげれすのパークスってえのと、話をしなくちゃならねえんだ」。
 既に十五代将軍の慶喜も大坂にて、仏国公使ロッシュ、英国公使パークスと会見していると言う。
 何やら、世情は慌ただしく巡っているのである。
 「おめえさんは、どうするんだい」。
 「私は、多摩に戻ります」。
 江戸や京の慌ただしさと打って変わり、多摩は政情など何の其処。至ってのどかであった。
 「今日は、あの面白いお方は、御一緒ではないのですね」。
 「ああ、坂本かい。あいつは京だ、長崎だ、下関だって飛んで回っててな。中々捉まらねえのよ」。


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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 十四

2011年12月20日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「それで千代殿は多摩へ帰られるのか」。
 「ああ、俺が今度江戸で隊士を集める折りに、連れ帰ろうと思っていたんだが、京屋の忠兵衛殿が、江戸に向かう用事があると言うので、頼む事にした」。
 京屋忠兵衛とは、大坂天満八軒屋船宿の主で、新撰組の大坂での定宿であった。
 「それで近藤さん。済まねえが、俺が大坂まで送って行きてえんだが、良いかい」。
 
 「千代、おめえ、その、何だ。京までは中島と二人で来たんだろう。中島とは、その、何だ」。
 「何ですか兄様。何がおっしゃりたいのですか」。
 「だから、その、中島とはどうなってるんだ」。
 大きく振りかざした、千代の右手が宙に舞う。おっとと、それを除けた歳三。
 「おめえはその男勝りを何とかしろ」。
 「兄様が、嫌な事をおっしゃるからです。殿方が皆、兄様みたいだとお考えなら、大間違いです」。
 「そうさな。幾ら何でも中島が、こんなじゃじゃ馬に手を出す訳はねえ」。
 「それを申されるなら、鬼の副長の縁者に、手を出す殿方などおりませぬ」。
 違いないと笑う歳三に、千代は真顔でこう言うのだった。
 「兄様、姉様の事はもはやどうにもなりませぬが、琴様は、何処へも嫁がれずに兄様をお待ちでおいでです。どうか不義理はなさならいでくださいませ」。
 その侭、淀川河口から船で江戸へと向かった千代。その思いを、海の藻くずとする。
 「兄様。お別れにございまする。これより千代は、姉様の御遺言に従い、己の道を歩みまする」。
 千代、淡い初恋との別れのときであった。
 江戸は永代橋へと船が入れば、嫌が応にも目に入る江戸城。わずか数カ月前まで過ごした、懐かしくもある城だった。
 「ああ、江戸に戻ったのですね」。
 少しばかり力が抜ける千代。もはや己の生きる所は多摩しかないと、早々に内藤新宿から甲州街道を八王子へと向かおうとすると、聞き覚えのある威勢の良い声が耳の届くのだった。
 「おおい、おめえは御表使の小山いや、千代さんじゃねえかい」。
 小山は千代の大奥での名であった。



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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 十三

2011年12月19日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「ばれちまったのか」。
 「申し訳ありません。ただ、千代さんって、土方さんに良く似ていて、察しがいいと言うか」。
 総司が、如何にも済まなそうに不首尾を詫びる。
 「ちっ。いってえ何時、美緒を嫁にすると約定したって言うんだ」。
 「良く思い出してみてください。佐藤さんの屋敷で共に暮らした事もあったのでしょう」。
 「そう言われてもな、俺が亀店の奉公に出される前だから、俺が十四、美緒は八つ、千代は六つだぜ」。
 頻りに、首を捻る歳三だった。
 「歳三、その時に、嫁にしてやると言ったのではないか」。
 「近藤さん。立ち聞きとは人が悪い」。
 立ち聞きも何も、あのように大きな声では、玄関先まで筒抜けだと勇。
 「聞かせて貰ったが、やはりその時に約定したのではないか」。
 「だとしても、がきの頃の戯れ言だ。それを二十年近くも経って持ち出されてもなあ」。
 幼い頃には、良くある話だと歳三は言う。
 「私は、言った覚えはないが」。
 「近藤さん」。
 「土方さん、私もないですよ」。
 「総司、てめえ」。
 
 「それで兄様は、思い出されたのですか」。
 「ああ、思い出した」。
 歳三は、八木家へ千代を訪ねたのだった。
 「確か俺が十四か五の時だ。確か柿の木に上って、彦五郎さんに叱られた後、美緒が俺を慰めて、大きくなったら嫁になってやると言った」。
 「それで、兄様は何と答えたのです」。
 「美緒は村一番の器量良しだから、年頃になれば良い縁があると申した」。
 そんな事が合ったのかと、千代は二人の思い出の中に己の姿がないことが、無念でならなかった。だが、ここで知らなかった事とは言えず、さも承知している風に、歳三の話に合わせるのだった。
 「それで姉様は」。
 「俺の嫁になる聞かなかったので、俺も嫁に貰ってやると言った。ああ、言ったよ」。
 半ばやけっぱち気味の歳三。頭の後ろで腕を組むと、そのままごろりと仰向けに倒れるのだった。
 「なれば、その約定を違えて、琴様と言い交わしたのは何故です」。
 「千代、もう勘弁してくれよ。がきの頃の話だぜ」。
 「それでも、姉様は覚えていたから、苦しまれたのです。女御とはそういった者なのです」。
 「おい、千代、おめえ泣いてるのか」。
 慌てて半身を起こした歳三。そのまま、千代に顔を近付け覗き込むと、袖で隠した頬が紅潮する千代であった。



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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 十二

2011年12月18日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「それなら、如何してひとりの女御を慈しめないのです」。
 「それが男と言うものです」。
 「沖田様もでございますか」。
 「いえ、私は、その…そう器用な方ではありませんので」。
 総司の照れ笑い、が可愛いと思える千代。だが、肝心の歳三はと言えば、十七の時に、江戸伝馬町の木綿問屋亀店に奉公に上がり、女中を孕ませたと、大分縁者の間で物議を醸し出した事を、千代は大人になってから聞いていた。
 そしてこの度は、許嫁の琴に文のひとつも寄越さず、京の女御と遊びほうけている。増してや、姉の美緒との約定など、覚えている素振りもないのである。
 「土方さんは、いつ何時命を落とすかも知れない己を、待たれるのが心苦しのだと思います」。
 「えっ。どういった事でしょう」。
 「私もそうですが、常に死と背中合わせです。刃を抜いた折りに心残りがあっては、臆して思うような働きが出来ません」。
 常ににこやかに、軽口を叩いていた総司が瞬時に引き締まるのだった。
 「では沖田様も、兄様も、死を覚悟しておいでなのですか」。
 「ええ。まあ、私の場合は…」。
 言い掛けた総司の横顔に、京の西日が赤みを差す。そう言われてみれば、総司の顔色の悪さが気になる千代だった。
 「千代さん。そう急いて帰らずとも、土方さんが、思い出すまで待っても遅くはありませんよ」。
 「それが既に気に入りませぬ。忘れておいでだなんて」。
 「では、私にだけ教えてください。土方さんは、あなたの姉上に何を告げたのですか」。
 大凡の察しは付いているが、はっきりと耳にしたい総司。
 「分かりました」。
 「分かってくださいましたか」。
 「はい。沖田様が如何して私を誘ったのかがでございます。兄様に頼まれたのでしょう」。
 思い倦ねた歳三が、いっその事千代から聞き出した方が早いと、総司を送り込んだのだと千代は指摘するのだった。



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百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~ 十一

2011年12月17日 | 百花繚乱 仇桜 ~時の流れの中で~
 「千代さん」。
 朝早くから八木邸に顔を見せたのは、沖田総司。
 「あなた様は」。
 「沖田です。沖田総司」。
 「その沖田様が何か」。
 「そうですね。まずはあなたが京で退屈しないように、何処ぞに連れ出そうかと思いまして、次に、土方さんへの誤解を解きたいと」。
 「誤解ではありませぬ。兄様は」。
 「さあ、まずは東山へでも足を伸ばしましょう」。
 「いいえ。私は本日多摩へ戻ります」。
 昨日京に着いたばかりで、幾ら何でも女御の足で、とんぼ返りは無理だと、有無を言わさず総司は千代を連れ出すのだった。
 「京は寒いですからね。温かくして出掛けましょう」。
 壬生からの道々、総司は、あれが二条のお城、こちらが御所と、まあ良く口が滑る。反してむっつりと口を閉ざした侭の千代。さすがに、清水寺への道すがらの二寧坂、産寧坂、石塀小路は風情があり、千代の顔も自然とほころびるのだった。
 「そうそう千代さん。あなたには、笑顔の方が似合っていますよ」。
 きっと睨む千代。えへへと総司は舌を出すのだった。
 「千代さん、土方さんの事を怒っているのですか」。
 「怒ってなどおりませぬ。ただ見損なっていだけにございます」。
 「やはり怒っているではありませんか」。
 それは悋気だと言ったものだから、千代に頬を思い切り張られる事になるのだった。
 「痛い。気が強いところは、土方さんにそっくりだ」。
 「これは失礼しました」。
 考えるよりも先に手が出た事を詫びる千代。清水の舞台で、深く頭を下げるのだった。
 「ねえ、千代さん。土方さんはいい加減に女遊びをしているのではありませんよ」。
 その証しに、幹部で妾を囲っていないのは己と土方のみであると、総司は告げる。
 「沖田様は分かりますが、兄様が…信じられませぬ」。
 聞き捨てならないと総司が言い返せば、誠実そうに見えると、逆に褒められ満更でもないのだった。
 「真ですよ。土方さんは休息所を持っていませんから。ですから毎日、屯所にいるので、こちらは気が抜けません」。
 京の寒空に、笑い声が舞い上がるのだった。



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