大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

一樹の陰一河の流れ~新撰組最後の局長 二十四

2011年07月07日 | 一樹の陰一河の流れ~新撰組最後の局長
 「植村殿、本日は願い事があります」。
 相馬主殿は身を引き受けてくれた大工の棟梁・植村甚兵衛の前で居ずまいを正す。
 相馬が島に来て約半年。相馬が己から願いを言い出す事が無かっただけに甚兵衛も身構える。
 「何でございましょう」。
 「はい。子どもたちも増え、屋敷が少々手狭に成りました故、増築をお許しいただきたい」。
 そして相馬は自らが引いた図面を甚兵衛に差し出すのだった。
 「ほう」。
 図面を手にした甚兵衛は、己の目を疑った。
 「相馬様は、大工の心得がおありで」。
 「いや、植村殿の仕事を手伝わせて頂いたおり、見た図面を参考い致しました。お恥ずかしながら素人でございます。おかしなところは手直しくださいませ」。
 「とんでもない。お見事です。これ程斬新な図面は見た事がありません。大工としてこのような屋敷を建ててみとうございます。こちらからお願い申し上げます。是非とも、建てさせてください」。
 お辞儀をする甚兵衛に相馬は、
 「そもそも植村殿の屋敷ではありませぬか」。
 と、苦笑するのだった。
 作業は相馬が率先し、甚兵衛の弟子たちを指揮する形で進められた。若い大工たちもとても素人とは思えぬ相馬の手腕に目を見張る。また相馬の人と成りにも感服するのだった。
 そして、相馬の居ぬ場で甚兵衛に、
 「とても戦を生業にしておられたお方とは思えねえ」。
 この刑罰は新政府の過ちでは無かろうかと誰もが思い始めていた。
 
 相馬の引いた図面の洋風建築が出来上がると物珍しさも加わり、更に寺子屋に通う者が増える。
 硝子は当時高価な物でもあり、島には無く、細木を組んだ簾の様な窓であったが、窓というものを初めて目の当たりにした村人は、木枠を開けたり閉めたりを楽しんでいた。
 
 時は明治四年(1871)初秋。とは言え、まだまだ蒸し暑い頃である。
 蟋蟀の声が一風の清涼感を運んでくる中、開け放した窓からは月の光が程良い灯りとなって差し込んでいた。
 月明かりを頼りに相馬はこの日も記録を綴っていた。その横顔を見ながら団扇で風を送るまつ。
 「相馬様には大切なお方は居られるのですか」。
 まつはこれまで決して口にはしなかったが、気掛かりでならないその事を相馬に告げた。
 寸の間、困惑の表情を向けた相馬に月明かりが陰影を映し出す。
 「父母ですか。わたしの様な重罪人を出し、父母が如何なる暮らしをしておられるか、思うだけで胸が痛みます」。
 まつはたまらず、相馬の胸に飛び込むと、
 「相馬様は罪など犯しておりません。ただ、時が、時勢が違えただけ」。
 そう涙するのだった。
 「けれどまつは、その御時世に感謝して居ます。こうして相馬様に巡り会えた」。
 相馬は、まつの両肩に手を当てそっと身を引き離すと、
 「我が身は罪人故、まつさんもその様なことを考えてはいけない」。
 そう言うのだった。
 だが、まつは添えずとも生涯相馬の身の回りの世話をすると引き下がらない。
 「それでは植村殿の会わせる顔があり申さぬ」。

 数日の後、その植村甚兵衛から正式にまつを嫁に迎えて欲しい旨、相馬に知らせがあった。
 「まつは既に二十三。年増の娘ではございますが、これも何かの縁。貰ってはくださいませんか」。
 「わたしは流人でございます。嫁を娶るなどその様な」。
 相馬は堅く辞退するが、
 「お言葉ではございますが、相馬様は終生遠島の御身。島で生きて行かれるならいずれは嫁を娶りましょう」。
 ならばまつをと甚兵衛は言う。相馬はすっと息を吸い、
 「わたしはこれまでに多くの戦友を失いました。皆、志途中で若くして命を亡くしています。今となってはその菩提を弔う事が務めと心しております」。



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