大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 三十二

2011年10月30日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。如月八日は呉服之間では針供養が行われました。この日ばかりは針仕事を休み、裁縫の上達をお祈りいたします。
 あれから、瀧山様は何もおっしゃいませんが、千代が瀧山様にお叱りを受けたと、隅々にまで広まり、瀧山様に睨まれては大変とばかりに、千代にお声を掛けてくださる方が減ってございます。
 噂の主は、田丸様、智瀬様、なお様でございます。御火之番の福巻様がおっしゃっておいででした。
 ですが、反面、美緒やおてふの方様の事をお知らせくださる方もございます。
 御三之間のゆみ様ともよ様にございます。御三之間のお役目は、御三之間以上の居間の掃除、御年寄、中年寄、御客会釈、御中福詰所の諸事や、御台様のお目覚めを触れ回るります。お住まいも御年寄様の長局に御同居にございますれば、他が知り得ぬ話もお知りにございます。
 ゆみ様とは、潔癖なお方で、将軍様が御台様以外の女子と情を交わすなどもってのほかとお考えで、中々に難しい御性質にございます。
 そして、何より御自身よりも上位のお女中を嫌悪されており、千代は格下の御火之番だったことが幸いしたのやも知れませぬ。
 もよ様は、言うなればゆみ様とは真逆にございます。いつかは将軍様のお目に止まり御側室にならんと懸命にございます。
 その反目し合うお二人が、どうした事か、別々にはございましたが、同じ事をおっしゃっておいででした。
 兄様。これより千代はお勤めにございますれば、続きは明日。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 三十一

2011年10月29日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。やはり瀧山様は、千代が何故、おてふの方様を捜しているのかをお尋ねにございました。
 千代は、城下で御親切にして頂きましたお礼を申し上げたいと申しましたが、瀧山様はお顔をしかめると、美緒を捜していたのではないのかと、お言いになられ、千代は寸の間息が付けませなんだ。
 咄嗟に、御本人からは、お美緒様と伺っておりましたが、そのお方がおてふの方様になられた由聞き及びました。とお答えしたのですが、瀧山様は剣呑なお顔で千代を睨みました。
 そして、美緒という女中は、流行病いにて亡くなったが為、遺体を御実家にお返しすることは適わなんだ。てふという名の者はおらぬ。将軍様には御側室などおらぬ故、何かの間違いであろうと、おっしゃいましてございます。
 千代はそれ以上のことは何も言えませなんだが、美緒と千代の出生をお調べになられれば、分かってしまうやも知れませぬ。いえ、瀧山様なれば既にお調べの上やも知れませぬ。
 ただひとつ、美緒と千代の里親となってくださったのが、違うお武家様だったことは幸いにございました。
 瀧山様のお部屋を辞して直ぐに、智瀬様が寄って来られ、御自身は何も申していないが、田丸様に問い質されたのだ。田丸様が千代を良く思っておられないのだ。とおっしゃっておられました。
 千代には智瀬様の御真意が分かり兼ねまする。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 三十

2011年10月28日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。千代が大奥へ御奉公に上がるご報告に、一度甲良屋敷でお会い致しました折り、兄様に御馳走になりました蕎麦がおいしゅうございました。
 あの折りに、兄様は千代の話ばかりを聞いてくださり、御自分事はおっしゃいませなんだが、既に上洛はお決めになられていたのでしょうか。
 なれば、千代にも一言おっしゃって頂きたく思います。
 のぶ様が年賀の文をくださりました。そこには、兄様の御様子も記されてございました。短い年賀の挨拶なれど、年賀を認める事が出来るなら、万事順調なのだろうと。
 兄様は京で何をしておられるのですか。それは千代には言えない事にございますか。
 申し訳ございませぬ。本日は千代は些かざわついておりまする。それも、この後、瀧山様に呼ばれております故。
 何故かは分かっております。御右筆の智瀬様が、御右筆頭の田丸様、御切手書のなお様に、千代がおてふの方様を捜していると申し上げてしまわれたのです。
 それも、千代は、親切にしていただいたお礼を申し上げたいとお話致しましたのに、智瀬様の上役であられます田丸様が、眉を潜めたことに端を発し、千代の事は、田丸様から御年寄の三保野様を通して瀧山様の知るところとなったようにございます。
 御右筆様は、諸記録、書状などを書き記し、諸大名家からの献上物を検査し、御年寄様に差し出すことがお役目にございますので、御年寄様とも近うございます。
 なお様も御切手書のお役目から、顔が広うございます。御切手書とは、長局と御広敷の堺にある七つ口は、奥女中たちの買い物口で、御用達商人や、お女中の親族などの出入り口にございます。ここに入る者も出ていく者も御切手が必要で、その御切手を書きながら、七つ口を監視するお役目にございます。 
 このお三名が大層仲がよろしく、常に何か面白い噂話を捜しておいでのところに、千代が引っ掛かってしまっただけの事にございます。
 兄様、千代をお守りくださいませ。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十九

2011年10月27日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。文久四年の年が明けてございます。おめでとうございまする。兄様はどのような年をお迎えにございましょう。
 のぶ様からの文によりますれば、兄様から、伯父樣方や、我が父にも文がありました由。御壮健なれば幸いにございます。
 大奥では、年始之御祝儀が行われました。本来なれば表にて年始御礼を終えた将軍様が、御台様と御対面をされ、御目見え以上のお女中がお祝いのお言葉を申し上げますが、将軍様が御上洛中にございますれ、宮様へお祝いのお言葉を申し上げましてございます。
 千代たち御火之番のお役目には、暮れも正月もございませぬが、元日ばかりは、お掃除はお休みとなります。皆様、正月のまったりとした陽射しを暫し楽しまれておりました。
 二日はお掃除初め。御読初め、御裁初めなど初めて尽くしの日にございまする。将軍様がおられますれば、御台様との姫初めの日にもございまする。これは、千代とした事が、恥ずかしゅうございまする。
 三日は、御三家様、御三卿様の奥方様が、年頭の御挨拶に参られました。
 この三が日の間には、あちこちのお局で、羽根つきや、鞠つき、かるたなどが催されます。
 七日は若菜之御祝儀。町家の七草粥にございます。朝の膳は白粥にございます。将軍様、御台様が対面の場にて、上臈様より熨斗目をお受け取りになられますが、御年は宮様のみにてございました。
 そして、十一日には御鏡開き。御三家様、御三卿様から献上されましたお餅が、女中全員に配られました。表では具足開きなそうにございます。
 このように、大奥では、何事もなかったかのように年始のお行事がすみましてございまするが、将軍様にあかれましては、大坂、京とお忙しく廻られておいでのことと存じまする。
 何でも、将軍様の警備はまた、あの壬生狼の新撰組がなさると伺い、千代は驚いておりまする。新撰組とは、それほどに会津様の御信任が厚いのでしょうか。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十八

2011年10月26日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。歳暮のお祝い、御松飾り、除夜と慌ただしいお行事が続くのが大奥の決まりにございます。
 除夜には女中一同が言上を述べますので、瀧山様を拝顔する機会もございましたが、大勢の中での御質疑は憚られました。
 それに今は将軍家におかれましても、難儀な時にございます。今暫くの後に、落ち着かれましてから、瀧山様に伺うつもりにございます。
 歳暮のお祝いとは、将軍様、御三卿様、御台様、姫君様の間にて、贈り物が取り交わされます。将軍様から御台様へは、御側衆がお使いとなられます。
 ですが、御年は将軍様御不在にあらせられます上に、先達ての火災で、華やかさに欠けてはございましたが、それでも、御進物を台車に乗せ、その先に付けた紐を引く、お女中の姿が長いお廊下で見られました。
 通年ですと、紙垂を付けた七五三縄が飾り終えますと、お納戸払いが行われ、御台様からお女中へのお召し物のお下がりが賜わされるのが恒例にございますが、こちらも御年は、御松飾りはそれぞれに借りのお住まいをなさっておられるお屋敷で行われ、お納戸払いは、火事で焼けてしまいましたので、行われませんでした。
 それでも年は明けます。
 東の空に、茜色の日が昇りますれば文久四年にございます。どうぞ、天子様と将軍様が手を取り合い、より良き日の本の国をお治めくださいますよう、千代は願っております。
 長州様とも今一度お話になられればよろしいかと。女子の浅はかな望みにございまする。兄様、お笑いにならないでくださいませ。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十七

2011年10月25日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。暮れも押し迫った二十七日、将軍様はお城を後に、御上洛の途にお付きになられた由にございます。大層冷え込む朝にございました。
 お戻りは、来年皐月の末とか。長きに渡るお役めにございます。
 千代はお屋敷が再建されまするまで、御火之番の、見廻りは、夜間の再建途中のお屋敷に相成りました。木枯らしの吹く夜などは、大層寒くございます。
 兄様、宮様が、御婚約をなさっておられました有栖川宮様との仲を裂かれ、公武合体の為に江戸に下られたお話は有名にございますが、紀州藩主慶福様であられました時分に、薩摩藩主島津重豪様の息女にあられます茂姫様との御婚約が相整っていたそうにございます。
 公武合体の名の下に、悲恋があったのは、宮様だけにはございませんでした。ですが、将軍様、宮様の仲睦まじさは、歴代の御正室に仲でも軍を抜いておられるそうにございます。
 以前、美緒はてふと言う名の御中臈様ではなかったのかと、兄様にお知らせをいたしましたが、そのてふ様とは、単に御中臈様ではなく、将軍様のお手付きだったそうにございます。
 宮様がお輿入れなさる以前の、御側室にございます。ですが、その御側室様のお姿は何処にもありませぬ。もちろん、千代の捜している美緒と、同じお人なのかも分かりませぬ。
 もし美緒がおてふの方様にあらせられますれば、今何処でどうしておいでなのでしょう。宮様をお迎えするに辺り、どこぞの寺にでも入れられたと考えるのが自然にございますが、これ以上のことを口に出すお方はおりませぬ。
 思うに、瀧山様に直に伺うのが最良かと。
 万が一、千代が美緒と同じように、ある時忽然と姿を消し、生家には、病死とのみの知らせと遺髪が届きましたら、兄様。千代をお捜しくださいませ。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十六

2011年10月24日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。本来なれば師走十三日は、御殿の煤払いと畳替えの日にございますが、先の火事で、未だ避難中にございます。お屋敷の再建が先にございます。
 そんな折りにございました。二十七日の将軍様御上洛御出立に、御生母にあらせられます実成院様が異を唱えてございます。
 将軍様は、お心お優しいお方にはございまするが、お身体がお弱く、このところはお風邪を召され、お熱もあられるとか。
 実成院様は、将軍様の御身に何かあれば一大事。京へは、御老中主席の板倉勝静様が名代にて上洛されよと、お申しにございます。
 普段、滅多に御政務にお口出しなさりませぬ、実成院様にございますれば、余程の事と思われまするが、大奥総取締の瀧山様は、老中と言えども、徳川の家臣。いち大名に将軍家の名代なぞ勤まらぬと、一喝してございました。
 されば将軍家お身内の、尾張様か、紀州様にと実成院様も食い下がられましたが、徒労に終わりました。
 このお話をお耳になされました宮様も、大層お心を痛め、実成院様をお見舞いになられたそうにございます。
 反して、天璋院様、瀧山様は、江戸では宮様への遠慮もあろうかと、御上洛の間に将軍様に御側室をお考えにございます。
 宮様のお子がお生まれになりませぬので、致し方ないとは申せ、女子に取りましては悲しい事にございます。
 御側室の候補は、宮様のお輿入れに際し京からお下りになられ、今は将軍様の上臈御年寄であられます花園様が、お公家様の姫君を差し遣わすとの評判にございます。
 将軍様の御側室のお話になりましたところ、御右筆の 智瀬様が、耳を疑うような事を言い出したのでございます。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十五

2011年10月23日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。年の瀬にございます。江戸も大層寒うございますが、聞き及びますところ、京の寒さはこのような生易しいものではなく、足底から寒気が身体を冷やすそうにございます。お風邪など召してはおられませぬか。
 兄様は、屈強なお方にありまするが、慣れぬ土地での油断は禁物にございます。
 このように寒い折りには、千代が未だ幼き日に、兄様に無理矢理湯に入れられた事を思い出しまする。
 兄様は熱い湯をお好みでしたので、熱うて熱うて、千代は、兄様に、「湯に入るぞ」と声を掛けられるのが嫌にございました。千代よりも大分小さかった源之助なぞ、蔵に後ろに隠れたくらいにございます。
 ですが、何故兄様は京に留まられておいでにございましょう。
 長州様の良からぬ噂や、新撰組なる輩の怖い噂が聞こえております。早ようお戻りくださいませ。
 間もなく、将軍様が御上洛の途にお付きあそばされます。この事で騒動がございました。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十四

2011年10月22日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。本丸御殿は再建されぬそうにございます。こう火事が続けばそれも否めませぬ。
 それよりも、前の月に、但馬国生野にて尊皇攘夷派が挙兵したそうにございます。土佐勤王党やら長州様やらが、不穏な動きを見せている様子に、幕府も本丸まで手が回らぬのでございましょう。
 師走に入りますれば、将軍様は再び御上洛なさいます。何事も起こらねばよろしいのですが。
 御右筆の智瀬様は、お役目柄もありましょうが、お人柄なのでしょうか。それはそれは、大奥の内情にもお詳しいお方にございました。
 御自身の奥勤め以前の事柄にも、熟知しておられます。ただ、必ず、他の方のお名前を出して、「聞いた話」と念を押されます。
 これは何か大事に至りました折りに、御自身の身を守る為ににございましょう。でしたら、何もお口に出されない方がよろしいかと、千代は思います。
 千代が、てふと言う名のお女中を捜しているらしいと、お耳にされたらしく、ある日、御右筆のお部屋に呼び出されました。
 智瀬様は御興味を抱いたらしく、お調べくださるとの事にございますが、千代は丁重にお断りを致しました。
 万が一、何故にてふを捜しているのかを、誰ぞに不審がられますれば、智瀬様は千代に頼まれたと言い兼ねないお人にあられますれば。
 智瀬様には、奥勤め以前に、城下でてふ様というお女中に親切にしていただいたので、お礼を申し上げたいと、訳を話しました。嘘にございますが、方便でよろしいですよね。兄様。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十三

2011年10月21日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。霜月は、本来なれば、祝い日の儀式があられました。嬰児のお宮参り、三歳男女の髪置、五歳男子の袴着、七歳女子の帯解きにございます。
 将軍様にお子がおられませぬので、珍しく宴のに月に思われましたが、諸家より献上物が届き、御目見え以上のお女中には、お料理が下賜されました。
 その、同じ十五日にございました。夕刻に、本丸御広敷前の作事小屋から出火し、本丸、西之丸、二之丸御殿が全て焼け尽くされてしまったのです。
 この年になり三度目の出火にございます。西之丸に至りましては、葉月に再建されたばかりにございました。
 それは上へ下への大騒ぎにございましたが、不幸中の幸いな事に、御身分高き皆様は御無事にございました。
 一橋様、田安様、清水様などの御屋敷に難を逃れてございます。
 千代は、お役目柄、最後まで本丸の奥にて、皆様にお知らせをして廻りましたが、このような怖い思いは生まれて初めてにございました。
 無事にお庭に逃れられた折りには、足が震えておりました。
 このような折りこそ、人の本質が現れるもので、出来うる限りの打ち掛けを羽織り、身動きが取れなくなったお方。お役目など忘れ、我先にと飛び出すお方。様々にございました。
 そのような中、天璋院様は上着だけを羽織ると、お女中を促し、何も持たずに静かに屋敷を出たそうにございます。
 宮様は、宮家の姫君として見苦しい死に様は出来ぬと、夜着からお着替えになられての御退出だったと聞き及びます。
 お二方とも、慌てた御様子もなく、お心静かに、お付きのお女中に気を配られながら御立派な御様子にございました。
 ですが、これにて、御右筆様の書き残しし古き台帳なども煤と也果てましてございます。美緒の事も一陣の噴煙と化してございます。
 御右筆の智瀬様は、帳面ひとつも持ち出せなんだ事を、咎められますると、黙って俯いた切り何もおっしゃいませんだが、後に、私たちよりも後まで残っていたお方がおいでと、その方に責務を押し付けたそうにございます。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十二

2011年10月20日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。神無月一日は、荒神払いにございました。竈祓いのございます。
 明けて二日は、神君家康公の御信頼厚かった、天海僧正様の忌日の法要の行われる、東叡山開山忌にございますれば、お年寄りの方々が、寛永寺に代参なされました。
 将軍様からは、瀧山様。天璋院様からは、初瀬様。宮様からは、仲村様。本寿院様からは、岩尾様。実成院様からは、藤野様にございます。
 黒塗りのお乗物が、平川御門をお出になる様は、まるで絵巻のようにございました。
 ですがここで、序列を競っての諍いがあったのでございます。
 お代参ですので、将軍様、宮様、天璋院様、本寿院様、実成院様が流れにございますが、天璋院様の代参の初瀬様が異を唱えられました。
 十三代家定様御正室で、家茂様の母に当たる、天璋院様の輿が先であろうと初瀬様がおっしゃいましたが、しかるに、当世は家茂様の御時世。瀧山様は譲りませんでした。
 初瀬様とてそれは御承知にございます。瀧山様と争う気など元よりありません。
 瀧山様は、大奥総取締にございます。
 宮様付きの仲村様を牽制しての事にございました。ですが仲村様も、天子様の妹に当たられる和宮様の代参が、薩摩の大名家の天璋院様の後ろなど、お認めになられなかったのでございます。
 そこで、瀧山様が下したのは、宮家をないがしろにしているのではなく、東叡山開山忌は徳川の法要にあれば、徳川の序列で行いたい。
 しかるに家茂様、天璋院様、本寿院様、実成院様、和宮様の順が本来なれば、本寿院様、実成院様がお引きくださっておられる故、御辛抱願いたいとの、お見事な裁定にございました。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十一

2011年10月19日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。長月に壬生浪士たちに会津藩松平容保様が、新撰組という名を授けた由にございます。
 壬生浪士よりも随分と響きの良い名にございますが、漏れ聞こえます話では、局長の芹沢鴨というお方らが、長州藩士に暗殺されたとか。
 何やら京はざわついておられるように思われます。早い御帰国をお待ち致しております。
 福巻様にはっきりと、組になるなど嫌だと申し上げたのですが、千代の知らぬ所で宴などを催し、後になって何故来なかったのだなどと責め立てられたり、千代には心当たりの無い事柄を皆様の前で話され、恥をかかされたりしております。
 板おり様は、夜勤の折りに、見廻りを疎かにするのを、戒めましたところ、お口を利いてはくれなくなりました。それだけならよろしいのですが、お役目の伝達も千代には知らせてはくれませぬ。
 兄様。愚痴にございますが、千代は少しばかり気弱になっております。こうした女子同士のお付き合いが、これまでなかったために、どうしたら良いのか分かりませぬ。
 もちろん、大奥内での事を外には知らせる事はなりませぬ掟もございます。のぶ様にお知らせすれば、御心配を掛けるだけにございます。
 千代も兄様のように強くなりとうございます。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 二十

2011年10月18日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。十三日はお月見の宴。十五日は神田明神の祭礼にございました。
 毎度毎度、同じお顔触れにて、宴を催しておいでなのですが、それでも皆様楽しそうにございます。
 ですが、宴のあった夜は、御火之番の見廻りも一層に張り詰めなくてはなりません。
 それは皆様お酒を嗜われるからにございます。十五日晩は、福巻様と御一緒にございました。
 福巻様は、常日頃、組になろうといおっしゃっておいでですが、それは見廻りの事ではありません。
 仲間を組もうという事にございます。そして己の気に入らぬ者をのけ者のするのです。
 千代はそのような、女子同士の張り合いは嫌にございますが、皆様、どこぞに組している御様子。組に入らねば、陰湿な虐めもあるとかで、以前に、破格の出世を果たしたお方が、お女中たちの悋気を買い、何も喉を通らぬほど、痩せ細っていったと聞き及びました。
 兄様。千代は如何したら良いのでしょう。組などに入りたくはございません。
 西之丸に移られた天璋院様は、祭事の折りにお見えになるくらいで、献上された菊の盆栽を御台様が、御鑑賞になられる観菊の義にも、お見えになりませんでした。
 やはり天璋院様と宮様が、打ち解けられることはないのでしょうか。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 十九

2011年10月17日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。御右筆の智瀬様から、美緒の名を知る事はできませなんだが、長きに渡る書き付けから、美緒はてふと名を変え、将軍様付きの御中臈のお役目にあったことが分かりました。
 ですが、美緒は千代と同じ身分にございます。御中臈になぞなれる筈もございません。現に、てふ様と申される御中臈様もおられません。人違いでありましょう。
 さて、千代は驚いておりまする。兄様は未だ京におられると、のぶ様からの文で知りました。何故京に留まられておいでなのでしょう。
 京はそれほど良き所にございますか。御尊顔を拝したく存じます。
 美緒の行方が知れますれば、千代は御目見え以下の女中にございますれば、来年春の年季明けには、大奥を退出も出来まする。その折りに兄様がおられませなんだら、戻っても寂しゅうございます。
 長月九日は重陽の節句にございました。菊に長寿を祈る日にございます。御台様から御祝儀やお酒を賜ります。中でも、邪気を祓い長生き効果のある菊を酒に漬けた、菊酒は大変珍しゅうございました。
 町屋でも、八日の夜に菊を綿で覆い、九日に露で湿った、の綿で体を拭いて長寿を祈います。菊に関する歌合わせや菊を鑑賞する宴も催されるなど、大切な日にございます。
 兄様のこそ、長寿のために行って頂きたい儀式にございました。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 十八

2011年10月16日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。葉月一日は、八朔のお祝いにございました。このお祝いは、神君家康公が、江戸に入府された日に因んだものにございます。
 尾張様からは鮎、紀州様からは鯛、水戸様からは初鰹が献上になりました。
 元は、百姓が田の神に供え物をして豊作を祈ったことが起源と聞き及びます、なれば千代にとっても大切なお祝いにございます。
 吉原では、花魁たちが白無垢の小袖を着て祝うそうにございます。
 千代は吉原んぞついぞ知りませぬが、粋が尊ばれる江戸で、大福餅のような化粧を施しているのは、大奥の女中と吉原の女郎と言われているのは真にございましょうか。
 十五日のお月見の宴の後、天璋院様が、宮様に新御殿を明け渡し、新築なった西之丸にお移りになられました。
 これにて、これまでの諍いを収めようといった天璋院様のお心配りに思えます。
 ですが、天璋院様が本丸大奥で睨みをきかさなければ、実成院様の御乱行の箍が外れられる気が致します。
 瀧山様の御負担が増さなければよろしいのですが。
 京では、十八日に、会津様、薩摩様と長州様との間に御所にて諍いがあられたと聞き及びます。
 何やら京は物騒にございますれば、兄様はとうに江戸にお戻りの筈。千代は安堵致しております。


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