大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 六十 第一部完

2011年12月06日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。年が明けましてございまする。小島の叔父様が、兄様に刀を強請られたと笑おておいでと、のぶ様からの文で知りましてございます。
 のぶ様も、大層兄様の御身を案じておられまする。
 師走の頃、瀧山様は大奥を御去りになられてございます。
 その前の日にございました。瀧山様のお局に呼ばれ、姉様の行方を教えて頂きましてございます。
 やはり、公武合体の犠牲になったのでございます。家茂様に降嫁される静寛院宮様へのお気遣いにございました。
 瀧山様は姉様にも、千代にも頭を下げ、お謝りくだされましてございまする。
 ただ、姉様の行方も分かりました今、千代もお勤めを
辞退致しましてございまする。
 姉様もお連れし、多摩へ戻る所存にございまする。ですから兄様。兄様も早く、お戻りくださいませな。
 京へは勤王の志士たちが大勢集まっておられると聞き及びまする。
 お別れのご挨拶をと勝様の元赤坂のお屋敷に伺いました折り、何やら、土佐の脱藩浪士のお方がおられました。大層面白いお方で、坂本龍馬様とおっしゃられました。京にも大分滞在なさっておいでとのお話でしたが、兄様とはご面識はないようにございました。
 京も広いのでしょう。
 千代はこれから、姉様がおられます神奈川の扇ガ谷は英勝寺へと参りまする。
 これより先は、兄様へ真に文を書く事が出来ます故、兄様と身近になれるような気がしておりまする。
 兄様。戦とは何なのでしょう。どうして同じ日の本の人同士が殺し合わなくてはならないのでしょう。戦を好まなかった家茂様が、総大将にならねばならなかったのですか。
 兄様。これより先、徳川様は大変な渦に巻き込まれて行くのでしょう。千代も天璋院様、静寛院宮様を裏切ったようでもあり、心苦しゅうございまするが、千代の望む道は、家族が誰ひとりとして、この戦に巻き込まれる事のない平穏にございまする。
 兄様。どうかお聞き届け頂けぬものにございましょうか。


 第二部 告知
 慶応三年、幕府の大政奉還、坂本龍馬暗殺、王政復古の大号令。そして慶応四年の鳥羽伏見の戦いから、江戸城無血開城。戊辰戦争へと突入。
 この時、天璋院様、静寛院宮は…。怒濤の幕末を千代はどう迎えるのか。兄様はとは誰なのか。舞台は、神奈川へと移ります。


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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十九

2011年12月05日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。瀧山様の御様子が忙しなく、毎日中奥へと出向いておられましたが、ついに、千代が恐れていた事が起こりましてございます。
 瀧山様は、御役目を御辞退致しましてございまする。お部屋の局の染嶋様、仲野様を伴われ、御実家の川口へと戻られるそうにございます。
 十四代様が御逝去なされた事が理由にございまするが、やはり慶喜様にはお仕えしたくない御様子。
 これにて、大奥総取締の御役には、初瀬が就かれるのではと、皆は噂しております。
 初瀬様は天璋院様の御付きの御年寄にございますれば、この動乱の時には適任かと思われまする。
 千代の方は、瀧山様がお城を去られる前に、どうしても姉様の行方をお伺いしなければなりませぬ。
 御役目の引き継ぎでお急がしいようにございまするが、それでも伺うつもりでおりまする。


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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十八

2011年12月04日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。勝様に、おてふの方様の事を伺いましてございまする。
 勝様は、大きく目を見開かれ、大層に驚かれておりましたが、それよりも更に驚く事をお伝え致しました。
 千代が、おてふの方様と思われる美緒の妹だと。
 暫しの間、勝様は御思案なさっておられましたが、今は仕来りがどうのといった世の中ではないと申され、また、千代の瞳が兄様に良く似ておられる故、嘘をも見抜くであろうと、お話くだされました。
 おてふの方様は、やはり家茂様の御内儀にございました。御目見え以下の御広座敷のお勤めなれど、家茂様がお庭をお散歩の折りに、お目に止まったようにございまする。
 瀧山様様が、御側室なれば、御中臈様からお選びになされませと再三申し上げましたようにございまするが、家茂様はお聞き入れになられず、姉様を召されたそうにございます。
 表のお役人の勝様が、このような込み入りましたお話をお知りなのは、姉様が身籠りましたからにございます。
 ですが、折しも公武合体で和宮様御降下が決まり、既に子を身籠った側室がいるなど、天子様に申し上げる事も出来ずに、姉様は城を出されたそうにございます。
 姉様の居場所は、勝様にもお分かりになられぬ御様子なれど、兄様、姉様は生きておいでにございます。千代は心底安堵致しました。
 全て、御老中水野忠精様、瀧山様に任されたようにございますれば、早々に瀧山様に伺ってみる所存にございまする。
 兄様、御案じ召されるな。勝様が御承諾にありますれば、千代の身が剣呑な事にはなりますまい。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十七

2011年12月03日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。ついに慶応二年の師走五日に、一橋慶喜様が、二条城にて十五代将軍様の宣下をお受けになったそうにございます。
 これにて、大奥は一層ざわついてございます。
 九日には宮様が、御出家なされ、静寛院様とお名をお改めにございます。
 これにて、大奥には、十三代家定様の御正室天璋院様、御生母本寿院様。十四代家茂様の御正室静寛院様、御生母実成院様と、高貴な方々皆様が御出家あそばされ、大奥は火の消えたような寂しさにござます。
 慶喜様は京に非せられます故、御正室の省子様も大奥には入られない御様子にございまする。
 省子様は、天下人となられました慶喜様御正室に非せられ、大奥での御権勢も欲する侭かと思いまするが、先々代、先代様の御正室様、御生母様がおられます大奥に入られますよりも、お心安らかにございましょう。
 慶喜は、関白一条忠香の照姫様と御婚約をなさっておいでにございましたが、御婚儀直前になられ、照姫様疱瘡に罹患され御変貌なされましたが故に、代わりにお輿入れなされました美賀子様にございます。
 忠香様の御養女となられ、省子様とお名を変えられてございます。
 慶喜様との間には五人のお子をなされたそうにございますが、皆様御夭折なされました由。
 身に詰まされまする。
 この度の騒動を一刻も早く収められた慶喜様が、江戸にお戻りになられ、以前のような華やかな催しで台所様をお迎えしとうございます。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十六

2011年12月02日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。千代が何故勝様と御対面相なりましたのかは、兄様のせいにございまする。
 また、兄様のお怒りのお顔が目に浮かびまする。兄様は昔から、良くお怒りになられましたが、勘気は命取りにございますよ。
 兄様はご存じにございますか。多摩の田舎では兄様は裏で、ばらがきと呼ばれておりました。
 あの棘の多いばらにございまする。美しいが棘がある。余りに兄様を言い当てているので、千代も幼いながらに、笑ってしまった覚えがありまする。
 勝様は、兄様がお元気な事をお知らせくださりましたが、千代が知らぬ間に、京では随分危ない事なさっておいでにございますれば、千代は胸を潰してございまする。
 そして、兄様が会津様に、千代が大奥勤めをしているとお話になられましたのでしょう。その事を松平容保様が案じ、勝様に申され、千代の昨今を兄様にお知らせする為にございました。
 兄様がお忙しい中、千代の事を気に掛けてくだすっていた事が嬉しゅうて、勝様の前で涙を零しそうになりました。
 ですが、兄様は泣き虫の女子は嫌いにございますれば、耐えましてございます。
 兄様、勝様が御立派なお方に非せられます。徳川様に無くてはならないお方かと。ですが、兄様。
 僭越ながら御意見させて頂きますれば、勝様は決して兄様たちを良くは思っておりませぬ。
 お心をお許し召されませぬよう、お願い申し上げまする。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十五

2011年12月01日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。十四代家茂様の御葬儀は、長月二十三日になりようやく、芝増上寺にて執り行われました。享年二十一歳。お若いお別れにございます。
 家茂様は、そのお血筋だけでなく英明な風格を備えておられ、臣下からの信望厚く、忠誠を集めておいでにございました。
 勝海舟様は、若さ故に時代に翻弄されもうしたが、武勇にも優れたお方に非れますれば、後少しお命がございましたら、英邁な君主として名を残されたやも知れませぬと涙し、家茂様の御薨去をもって徳川幕府は滅んだのだと嘆息なされたそうにございまする。
 その勝様が、神無月十六日に江戸のお戻りになられました。何故千代が存じ上げているのかを申しますれば、御広敷にて、勝様と御対面相なりましたからにございます。
 兄様が、お口をあんぐりをお開けになり、「奥女中は、将軍以外の男と会えぬのではないか」。とおっしゃっている様が目に浮かびまする。
 千代も奥勤めをして初めて知ったのですが、それほど厳しくはないのです。
 現にごさいはおりますし、御年寄りや御表使のお役目なれば、御広敷のお役人とへの応接もございます。
 奥に入れますのも将軍様だけにはございませぬ。御台様や御生母様など、高貴な御身分の方様の御殿医師様のほかに、年に一度の節分の豆まきのお役を仰せ遣った表のお役人、お畳替えの歳のお役人にございまする。
 ただ、豆まきのお役のお方は、大層お年を召されたお方に限られ、お畳替えの際には、奥女中はほかの部屋に籠り、襖を閉めていなくてはなりませぬ。
 それでも、ひと目お役人のお顔を拝見しようと、そうっと襖の隙間から覗いたりするお方もおりまする。
 それは、女子だけの中にあって唯一の楽しみにございますれば、後になり、お役人のご容貌などを噂し合うのでございます。
 兄様。勝様との御対面のお話が逸れてしまいました。千代はこれよりお役目にございますれば、明日また続きをお知らせ致しまする。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十四

2011年11月25日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。大奥は騒動になっておりまする。慶喜様が十五代様になられるなら、お暇を頂きたいと申し出るお女中までおりますそうにございます。
 美緒の行方などを聞いて回れるような次第ではございませぬが、返って人目につきませぬ故、ございの者に頼んで、堤帯が見付かった古着屋に取り入り、売りに来た男衆を調べて貰っておりましたところ、どうやら、ございのひとりだったようにございます。
 その者に話を伺おうにも、おてふの様がお雇いになられていた者とかで、既に暇を出されておりました。
 引き続き、その者の行方を調べて貰おておりまするが、何やら気乗りがしないようにございます。
 千代もここを出る事が適えば、幾らでも城下を調べますのに、口惜しゅうございます。
 長月三日になり、ようやく家茂様の御遺体を乗せた、どんばるとん号が大坂天保山を出港なされた模様にございまする。そして五日には品川沖に入りましたが、そのまま沖泊り。翌六日にようやく浜御殿より江戸城に家茂様がお戻りになられました。
 御遺体と共に、宮様への京土産の友禅が、涙を誘ってございまする。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十三

2011年11月24日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。葉月七日になり、ようやく家茂様の御遺体をお運びなさいます、どんばるとん号という名の船が、神奈川を出港し、大坂に向かわれたそうにございます。
 御逝去は文月二十日にございますれば、二十日間近くも、表のお役人は、何をなさっておいでだったのでしょうか。
 そして翌八日には、一橋慶喜様が将軍名代として参内、天盃節刀を賜ったそうにございます。
 更には十四日、慶喜様が長州大討込中止宣言を発せられ、勝海舟様に和平交渉を命じたそうにございます。
 なれば、家茂様が長州討伐の為に上洛なされた事に意味はあったのでしょうか。
 かの地で、家族にも看取られずに、まだ二十歳のお若い命を散らせた家茂様の御心中お察しするに余ありまする。
 増してや、宮様始め、御生母様にさえ、ひと月もの長きに渡り、御逝去をお隠しになる幕府とは…。
 大奥に家茂様御逝去がもたらされましたのは、みまかられましてからひと月後の葉月二十日にございました。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十二

2011年11月22日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。先の月より大坂に入っておいでにありました、軍艦奉行に再任されました勝海舟様が、大坂城で次期将軍相続案をお話しになられ、家茂様の御遺体を江戸に運ぶお手配をなさったそうにございます。
 その翌日には、宮様が、家茂様御病気お見舞のお品をお送りしたそうにございます。
 家茂様の御逝去を知らずに、お身体をお思いになられ、お見舞いのお品をお選びになられたかと思いますと、宮様がお可哀想でなりませぬ。
 そして家茂様御危篤の報が江戸城表にもたらされたのは、御逝去から五日の後にございました。
 その御危篤の報も知らされぬまま、天璋院様と和宮様は早々にお見舞いのお品をお送りになられましたが、その直後に江戸城表には、御逝去のお知らせが届きましてございます。
 この報は、葉月に入りましても、奥には知らされませんでした。
 五日、一橋慶喜様が長州大討込出征宣言を下された同じ日に、天璋院様、和宮様、本寿院様は家茂様お見舞のお品をお送りにございます。
 もちろん家茂様が御逝去されました直後の、文月二十九日に、一橋慶喜様に徳川宗家相続の勅許降りました事も、奥には知らされておりませんでした。
 全て後に分かった事でございますが、江戸と上方はやはり遠うございます。
 千代がこうして江戸城内で変わらぬ日々を送っている間にも、兄様の身に何か良からぬ事が起きるのではないかと思うと、今直ぐにでも、上方まで参りたい思いに苛まれまする。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十一

2011年11月21日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。慶喜様のお父上様は、水戸の徳川斉昭様にございます。大奥では斉昭様は大層嫌われてございます。それ故、慶喜様が十四代に就けなかったと言われる程。
 それは、十二代家慶様の御簾中として輿入れした楽宮喬子女王付様の小上臈として西ノ丸大奥に入った唐橋様の事にございます。
 唐橋様は、その後、十一代家斉様の御台所であられる茂姫様付きの上臈御年寄となられましたが、水戸徳川家藩主の斉脩に嫁ぐ峰姫付きの上臈となり、水戸徳川邸に入られたのでございます。
  公家の姫君であられ、たぐいまれなるお美しさお唐橋様に目を付けたのが、斉脩様の弟気味であられます斉昭様にございました。ついには唐橋様は斉昭様のお子を宿され、京へ帰洛したのでございます。
 この事から、江戸城の奥女中は揃って、斉昭様を憎んでおります。故に斉昭様のお子であられる慶喜様が大奥に入られるなど、身震いする程なのでございます。
 そもそも、慶喜様を十四代様にとの密命の元、薩摩からお輿入れなされました天璋院様でさえ、家茂様を推挙なさった程にございます。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 五十

2011年11月20日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。文月二十日。御存じでございますね。十四代将軍家茂様が、大坂城にて御逝去されましてございます。
 長州様との戦の途中で、お倒れになった知らせが届くや否や、天璋院様、和宮様から侍医の大膳亮弘玄院様、多紀養春院様、遠田澄庵様、高島祐庵様、浅田宗伯様らが急ぎ大坂へと上りましたが、間に合わなかったのでございましょうか。
 天子様からも、典薬寮の医師であられる高階経由様、福井登様が大坂に下賜され御治療に当たられた由にございます。
 高階様ら漢方の典医様は脚気との診断を下したそうにございますが、西洋医の幕府奥医師様たちはこれをりうまちだとして譲らなかったが為に、お手当が遅れたことがお命を縮めたのでないかといった剣呑な話も漏れ聞こえておりまする。
 御葬儀は、御遺体が江戸城に戻られましてからになりますが、将軍様の御遺言として、徳川宗家の後継者であり、次期将軍として田安家の亀之助様の名を上げられたそうにございます。
 されど亀之助様は未だ御幼少。平穏な時でありますれば何ら差し障りはございませぬが、時が時でありますだけに、表では、水戸様の御子息であられます一橋慶喜様のお名前も上がっております。
 これには、瀧山様始め大奥では皆、難色を示しておりまするが、慶喜様をお嫌いと申し上げるよりも、水戸様嫌いと申し上げた方がよろしいかと思われまする。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十九

2011年11月18日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。やはり美緒の堤帯に間違いございません。僅かながら美緒の好んでいた香の残り香がいたします。
 ごさいの者によれば、振り袖や打ち掛けなどと共に古着屋に卸された由。売った者の、身元は明かしませなんだが、男衆だったそうにございます。
 ごさいの調べでは、一枚や二枚ではなく、まとめて売られる場合は、その娘御が逝去した折りか、お家が潰れた時に限られるそうにございます。
 共に卸された品から、相当なお武家様の物ではないかと古着屋は申していたそうにございますが、ほかの絢爛な衣装に混じり、この堤帯と小袖のみが貧相で、何やら良からぬ気がしていたので、店に飾り売らなかったそうにございます。
 それでも、小袖の方は、どうしてもと、去るお武家の奥方が買い求められたそうにございます。白地に江戸紫の花が美しい小袖にございました。
 美緒の衣装が処分されたのでございます。やはり美緒は、もうこの世には居ないのでしょうか。



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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十八

2011年11月17日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。将軍様の御上洛は、長州様との二度目の戦にございますれば、兄様も御出陣なされるのでしょうか。
 御無事をお祈り致しております。
 千代は本日、大変な物を見てしまいました。御病気にて小石川で御静養中の上臈御年寄錦小路様のお見舞いの帰りにございます。
 通り掛かった古着屋の前に、美緒が奥勤めのお吟味の折りに、締めていた堤帯が掛かってあったのです。
 美緒はそれは大切にしておりましたので、売ったりなぞする筈もございません。
 大奥に上がるには、お吟味がございます。夏なれば堤帯、冬なれば掻取の振り袖を身に付け、御広敷で御年寄様のお目見えを致します。
 この折り、「上々様御機嫌能被偽成御目出度有難がり候」の文字と親と自身の名を書き、二つ折りにして小奉書を袖形と共に御提出致します。
 これは読み書き、裁縫の腕を計る為にございます。
 後に、ひと月もしくはふた月を掛け、身元をお調べになられた後に、御奉公が決まります。
 美緒が晴れがましい顔で、見せてくれた物に間違いございません。
 その場で、古着屋に入る訳にもいきませなんだので、お城に戻りましてから、新参のごさいの者に袖の下を渡し、内密にお調べを頼みました。
 ごさいとは、七つ口の詰所におり外の雑事を勤める男衆にござます。御年寄なら三名、御中福は一名を雇う事が出来ます。むろん、千代にはそのような者を雇う事は適いませぬので、以前千代が持っていた物と似ている故、懐かしいので買って来て欲しい。どのような娘が締めていたのであろうかと、謎を掛けておきました。


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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十七

2011年11月16日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。二ノ丸に小御殿が裁ちましてございます。天璋院様はそちらにお移りになられ、ようやく安堵の表情をお浮かべになられました。
 それも束の間、月が変わり皐月には、将軍様が三度目の御上洛の途につかれました。 
 元々、お身体もお丈夫ではない上に、こうも短い間に三度も江戸と京を行ったり来たりでは、お身体にも触ろうかと押し並べて案じております。
 宮様も、御心痛のあまり床に着き、この度の御上洛をお見送りは致しませんでした。
 これが、将軍様御生母の実成院様のお怒りを買う羽目になってしまったのです。
 ですが、千代には宮様のお心が、分かるような気が致します。お見送りをなさると、もうお帰りにならないような気がするのではないでしょうか。
 宮様は、将軍様の御無事な御帰還を願われ、城内に祠を設け、お百度参りをしておいでです。
 その旨を申し上げ、実成院様のお怒りをお鎮めになられたのが、天璋院様にございました。
 一番反目し合っていた天璋院様と宮様にございます。不思議な事もあるものよと、実成院様付きの御年寄藤野様がおっしゃっておいでにございましたが、実は、これには訳がございます。
 将軍様御上洛に先立ち、芝増上寺にお参りした折りにございます。お庭に出ようとなさいました時、どうした事か敷石の上には天璋院様と宮様将軍様のお履物しか乗っておられず、将軍様のお履物は一段下に置かれていたのでございます。
 天璋院様が眉を潜められる中、宮様は裸足の侭、お庭に飛び降りられ、御自身のお履物をのけると、将軍様のお履物を敷石に並べられたのでございます。
 これには天璋院様も大層感服しておいでにございました。元々天璋院様は、まるで殿方のようにさっぱりとした御気質。これにて、宮様が徳川の嫁としての御自覚をお持ちになられたと飲み込まれたのでございましょう。


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百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~ 四十六

2011年11月15日 | 百花繚乱 夢の後 ~奥女中の日記~
 兄様。兄様が江戸に下られているとは知りませなんだ。
 兄様を寛永寺に招いたのは、会津様の意を軍艦奉行の勝様が、瀧山様にお通しくださった由。
 久方の兄様は、前にも増して盛観にござました。千代は、もはやお目に掛かれるとは思うてもおりませなんだ兄様にお会い出来、これ以上の喜びはありません。
 兄様は申しませんでしたが、兄様は新撰組なのでございましょう。会津様がお力添えをくださるなど、それ以外に思いが及びませぬ。
 それに、新撰組の局長は、試衛館の近藤勇様と言うではありませぬか。
 寛永寺にて、兄様が、直ぐにお城勤めを辞めて、「多摩に戻れ」とおっしゃっておられましたが、千代は逆に決意が固まりましてございます。
 本日の兄様のお姿を目にし、既に兄様には、多摩への思いよりも、先を見ておられる御様子。
 兄様はすぐに京へとお戻りになられると申されました。もはや、兄様と同じ時を過ごせぬ事を感じ取りましてございます。
 兄様が、新撰組にて将軍家の為に働かれるなら、千代も、徳川様に生涯を捧げまする。
 上野のお山の桜ももうお終いにございます。千代は蕾の侭散るのでしょう。



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