大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

一樹の陰一河の流れ~新撰組最後の局長 十八

2011年07月01日 | 一樹の陰一河の流れ~新撰組最後の局長
 当の土方歳三は、「この大事な戦の最中に何を下らぬ」。こちらも怒りを露にするが、それでも「今の己は陸軍奉行並」。そう言い聞かせ沈着を装っている。
 「大川さんの言い分も最もだ。瀧川さん、今後はわたしの命に従って貰いたい」。
 一方的に言われ、瀧川は物言いたそうであるが、それを土方は、
 「しかし、瀧川さんの奇襲には驚かされ申した。さすが連戦の武人。ここぞの思い切りが良い」。
 そう瀧川を持ち上げ、さらに自らも鳥羽伏見の戦いの折りには白兵戦に出たが勝ち目が無かった。それを思えば大した才覚だと褒める。
 一方の大川には、
 「飽くまでも司令官の命に従うことは戦いの場には必須。その意見は御最も」。
 そう顔を立てるのだった。
 そして、
 「新撰組には、役所を堅く相守り、式法を乱すべからず、進退組頭の下知に従うべき事。という法度があります。正に御指摘のとおり」。
 そう付け加えた後、大川、瀧川に向かい、
 「私の遺恨ありとも陣中に於いて喧嘩口論仕り間敷き事。も大切な法度でござってな」。
 不敵な笑みでそう言うのだった。
 これには大川も瀧川も声が無い。

 「やはり土方さんは流石ですね」。
 土方が去った後、大野は相馬に話し掛けた。
 「ああ。だが白兵戦を仕掛けるとは戦慣れした瀧川様とは思えぬ」。
 事実、鳥羽伏見の淀堤において、土方の命で白兵戦に出た永倉新八隊に所属していた相馬は、この銃撃戦の中、白兵戦の無益さを思い知らされていた。
 「何でも、敵に殺された者の遺骸はそれは無惨に傷付けられていたそうです」。
 「そうか」。
 相馬は傷ましい遺骸を数知れず踏み越えていた。それは大野とて同じ。
 暫しの沈黙が続くと相馬は急におかしなことに気付くのだった。
 「そういえば、大野君とは、同じ土方さんの添役でありながら、戦のことしか話したことが無かったな」。
 大野は、元唐津藩士であり、戊辰戦争が勃発すると、藩主・小笠原長行に従って会津へ入る。そして己の旧友の越後長岡藩の筆頭家老・河井継之助の元へ身を寄せ、長岡藩が中立堅持の末、新政府軍との開戦に至る現場に居合わせた。
 そして会津七日町の清水屋で怪我療養中の土方を訪ね戦況を報告したことがきっかけで新撰組に入隊したが、箱館政権の下、土方の添役となり、新撰組とはほとんど行動を供にしたことが無かった。
 一方の相馬も、ほかに隊士が居るにも関わらず抜擢された大野のことは気にはなっていた。
 大野は、「今日はお特別に」と前置きし、京での新撰組を知りたがっていた。
 「強かったんでしょうね」。
 相馬もそうは聞いている。だが相馬が入隊した折りには、新撰組の剣客としての力を目の当たりにしたことは無かったのだ。
 隊最強と謳われた沖田総司はすでに病いに臥せり、天然理心流宗家四代目・試衛館総帥の近藤勇も高台寺派の残党に右肩を射抜かれ、戦線離脱。
 それでも創成期からの名うての井上源三郎、永倉新八、原田佐之助、斉藤一は在隊していたが、今、この函館には島田魁のみである。 
 (新撰組は動乱の世の幻ではなかった)。
 相馬は己の脳裏を過る思い出が走馬灯のように駆け巡りながらも、それが真実ではなかったかのような遠い昔に思えるのだった。
 そして相馬は、確信していた。
 (この戦は負ける。蝦夷共和国など日本国の中に自立した国家を新政府軍が認める訳は無い。幾ら戦っても多勢に無勢、幾らでも兵士が送り込まれて来るだろう。我らが最期の一兵になるまで戦うか、新政府軍が愛想を尽かすかだ)。
 
 「土方さんはこの戦、勝てるとお思いですか」。
 相馬は土方に一刀両断にされることも覚悟でそう問うた。
 だが、土方は刀に手を掛けることも無く、口の端を軽く上げると、
 「勝てぬだろうな」。
 そう言うのだった。相馬は頭を強く打たれた面持ちだった。
 「勝てなくとも、ほかに行き場所がねえんだ」。
 こんな土方の寂しげな表情は初めてだった。
 「相馬、お前も同じ思いであろう」。
 ならばなぜ脱走しないと土方は畳み掛ける。
 「わたしは新政府も蝦夷共和国も無いのです。ただ、長州憎し」。
 相馬はきっぱりと言う。すると土方は愉快そうに笑い、
 「長州に一矢報いるか。俺と同じだな」。
 土方にも新撰組創成期の尊王攘夷の思いも、勤王も佐幕も無い。もはや、転戦に次ぐ転戦で己の生きている証を立てているのみだった。
 そして、土方は、「自分亡き後は新撰組を率いて欲しい」。そう相馬に託すのだった。


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