大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

新政府の生け贄にされた赤報隊・相楽総三 ~薩摩藩の裏切り 32 ~

2013年07月31日 | 武士(もののふ)に訊け~真の武士道とは~
 新政府軍は信濃各藩に赤報隊逮捕の命令を下し、2月17日、中山道と北国街道(北陸道)との分岐点である追分宿で赤報隊は小諸藩などに襲撃され惨敗を喫する。
 また、別の記録では、「軍議があるから出頭せよ」との命令で下諏訪の東山道総督府に出頭したところ、うむもいわさず逮捕されたとも伝わっている。
 そして相楽総三以下の赤報隊の幹部は、取り調べもないまま、3月3日、下諏訪効外で処刑されたのだった。
 赤報隊は江戸の市街を焼き払ったり、伊勢長島藩主・増山正修から軍資金という名目で三千両を強奪するなどの行為も行っており、清廉な部隊とであったとは言い難いが、ならば戊辰戦争で新政府軍が奥羽越で行った陵辱や略奪行為はどうなのだと言いたい。
 二番隊は新政府の帰還命令に従い京都へ戻り、後に徴兵七番隊に編入されるが、三番隊は各地域での略奪行為が多く、桑名近辺で多くの隊士が処刑された。
 これが、赤報隊のあらましであり、一方的な被害者と受け止められるが、新政府の生け贄とされたのだろうか、実際に相楽総三の人物を追ってみよう。
 相楽の本名は小島四郎左衛門将満。下総相馬郡の郷士・小島兵馬の四男として江戸・赤坂に生まれる。小島は名立たる分限者であり、経済的にも恵まれ、四男でありながら兄たちが養子に出たり早世した為、家督を継ぐことになっており、何不自由なく育ったのだ。
 また、国学と兵学を学び、若くして私塾を開き多くの門人を抱えるなど、文武に才にも長けていた。
 何事もなければ、恵まれた生涯を送る事が約束されていた相楽だったが、23歳の時に尊王攘夷活動に身を投じ、ここから彼の運命が大きく変化して行く。
 小島家から五千両もの資金を与えられ関東方面の各義勇軍の組織化に尽力。元治元(1864)年の天狗党の乱にも参戦。言うなれば革命家としての道を歩み出すのである。
 また、薩摩藩・西郷隆盛、同・大久保利通らと交流を持ち、慶応3(1867)年には西郷の命を受け、江戸近辺の倒幕運動に加わる。だが、実際には倒幕運動とは名ばかりの掠奪や暴行などのであった。
 これは大政奉還によって徳川家を武力討伐するための大義名分を失った薩長が、江戸の幕臣を挑発し、戦端を開く口実とする為であり、言うなれば相楽は、西郷の駒として利用されたに過ぎない。この策は功を奏し、屯所を襲撃された庄内藩が、薩摩藩邸を焼き討ちする、江戸薩摩藩邸の焼討事件が起こり、鳥羽伏見の戦いのきっかけとなる。ただ、さすがの西郷にとっても焼き討ちは想定外であったとみえ、狼狽の色を隠せなかった記録が残っている。
 そして慶応4(1868)年1月、戊辰戦争が勃発と同時に赤報隊を組織し、年貢半減令を掲げて東山道軍先鋒として出発。だが、それから僅か1週間後に新政府の方針は180度変更し、年貢は従来道理と決定が下されるのだ。
 下諏訪宿にて官軍参謀・進藤帯刀により捕縛された相楽総三は慶応4(1868)年3月、同地にて処刑される(享年30歳)。
 この知らせを聞いた妻・照は、嫡男・河次郎を総三の姉に託し、自刃。後に相楽の首級は、生前交流のあった諏訪藩士であり国学者・飯田武郷によって盗み出され、秘かに葬られた。
 そして明治3(1870)年、下諏訪に相楽塚(魁塚)が建立される。昭和3(1928)年になり、孫・木村亀太郎の長年の尽力が実を結び、名誉が回復され、ここに晴れて偽官軍の汚名が撤回され正五位が贈られ、翌昭和4(1929)年、靖国神社に合祀された。
 生前親しくしていた薩摩藩・大山巌、土佐藩・板垣退助らが、相楽の名誉回復に動く事はなかった。以前、板垣退助が幕吏に追われた時、相楽は、赤坂・三分坂の自邸に匿った事もあったにも関わらずである。「情けは人の為ならず」。この意味を理解していない日本人が何と多い事か。嘆かわしい限りである。〈次回は、長州藩江戸藩邸没収事件〉



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2 コメント

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赤報隊、上州無宿実五郎。 (吉田 悟)
2013-12-22 15:47:53
初めまして、私の母の祖母の父は、上州大和屋一家二代目市川実五郎です。上州で赤報隊に賛同し農民の側に達、年貢半減、残納年貢免除の運動を展開しましたが、尾州藩草奔隊、百三十人に和田宿を包囲され、首謀者として射殺されました。つい最近までこの事実を知りませんでした。実五郎の真実をもっと調べてみたいです。
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お返事遅くなりました (管理人)
2014-01-22 20:00:37
貴重な資料をお寄せ頂きありがとうございます。しばらく、更新もできず、確認もできず、申し訳ありませんでした。わたくしも、上州大和屋一家二代目市川実五郎様について調べてみます。
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