大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎~ 相惚れ自惚れ方惚れ岡惚れ二

2011年07月25日 | 縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎
 「あれ、気付いちまったかい」。
 妙に甲高い声の節をよくよく見れば、赤い紅なんぞをさしている。
 千吉は嫌な予感にぶるると身震いし、
 「それで今日はどんな用件ですか」。
 節は身を攀じる様にして、「小袖を買いに来た」と言うのだった。
 「小袖ですかい。店の框から上がって行李の中を探す千吉だったが、背中から、また嫌な気配が伝わってくる。
 「今はこれしかありませんが、今度仕入れましょう。どんな柄がお好みですかい」。
 節には不似合いな若い娘向けの小袖を見せる。
 すると、節は、明るい色の花模様が欲しいのでこれが良いと胸に宛てがって見ている。この頃江戸では、路考茶、梅幸茶、芝翫茶、利休鼠、納戸色といった辺りが好まれていた。だが節は紅藤、牡丹色、真赭が己には良く似合うので、その色がいいと言う。
 「それはお年からすると派手過ぎやしませんか」。
 と、千吉が言うより早く、
 「だって、あたしは若く見えるから」。
 と頬を朱に染め、しなを作るのだった。

 「いやあ、驚いた。あんなお節さんは初めてだ」。
 煮売酒屋・豊金で、千吉の隣には、いつもの幼馴染み、近江屋手代の由造、大工の加助が興味ないまでも一応話を聞いている素振りをしていた。
 「お前さんたち、もっと真剣に話を聞いておくれ」。
 「だってよ、お節ってえのはあの長屋の婆さんだろう。若い娘ならともかく何が悲しくて婆さんの話をしなくちゃならねえんで」。
 不機嫌そうに酒を煽るのは加助。日がな大工仕事で汗を流し、ようやく一息ついたと思ったら婆さんの話では乗れないのも致し方ない。
 一方、片方の唇を上げて微かに笑みを讃えているのは由造である。
 「お節さん、惚れたな」。
 「惚れたなって、誰にだい」。
 「馬鹿だな千吉。お前さんにだよ」。
 思わず右手にしていた茶碗を放り出した千吉だった。加助も同様。口に含んだ酒を一気に千吉目がけて吹き出していた。
 「馬鹿はどっちだい。お節さんはもう四十を超えてるんだ。おっかさんくらいな年さ」。
 「だけど、男と女に変わりはねえ」。
 男女のことならば、千吉や加助よりはずっと秀でている由造である。その由造が、
 「誰に見しょとて紅かねつけるってね。女の化粧が濃くなった時と、女が己を飾るのに金を惜しまなくなった時は好いた殿御ができたってことさ。それにあの爪に火を点すように始末屋(倹約家)の婆さんが、着物が欲しいってのは、お前さんに会う口実と、お前さんに見立てて欲しい女心だろうよ」。



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