大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

のしゃばりお紺の読売余話55

2015年01月31日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「おとっつあんは、読売が売れさえすればそれで良いのかい」。
 「その通り。読売が売れてなんぼだ。つべこべ言わずに、朝さんに挿絵を描いて貰いな。そうさなあ、佐助とおえんの道行きが良い」。
 庄吉の頭の中にはすっかり話が出来上がっているようだ。こうなると何を言っても無駄。死んだ者に泥を着せても良いのかなどと言おうものなら、死んだらお仕舞ぇ。そう言うに決まっているのだ。
 お紺は、渋々朝太郎のやさを訪い、これまでの経緯を話すと、驚いたことに朝太郎は快諾するのだった。
 見るからに髪はそそげ、無精髭もちらほら。お紺には、寝起きの朝太郎が未だ夢の中のように思えてならなかった。
 「ちょいと朝さん。寝ぼけているからって、いい加減に答えて貰っちゃ困るよ」。
 すると朝太郎は、耳迄避けそうな大きな欠伸をしながら、着物の襟から右手を入れて、左の肩をぼりぼりと掻いている。虚ろな目は少しばかり赤くなっており、昨晩飲み過ぎたようだ。
 「寝ぼけちゃいねえよ。んにゃ、例い寝ぼけていたって、一度引き受けた仕事はやり遂げるぜ」。 
 「どうしてさ。嘘を描くんだよ。それにおとっつあんたら剥きになっちゃって可笑しいったらないのさ。だってそうだろう。いつもなら、真を書くのが読売だって言っているじゃないか」。
 そう、いつもなら、庄吉がいの一番に佐助が命を絶った訳を調べる様に言うのに、そのことには全く触れようともしないばかりか、おえんとの繋がりも薮の中であるにも関わらず、奇麗だともてはやされてきた茶汲み娘が、死を選び心ならずも死に切れず、日本橋の欄干に晒され、貧困からお店の若旦那に収まった佐助が死んだ。そんな二人っが死に急ぐ世の中、銭も器量も寄る術の無い多くの者はどうしたら良いのだ。そう結ぶと言うのだ。
 「嘘にも二通りあるのが分かるかい」。
 朝太郎は付いていい嘘もあると言う。
 「二通りだって、世の中には真と嘘しかないんだ。嘘が幾つもあったらたまらないよ」。
 「違げえねえ。だけどよ、嘘も方便ってな諺もあるくれえだ。それに、今度の件では嘘を読売にする訳じゃねえだろう。真をこう真綿に包み込むだけさ」。
 「そりゃあ、そうだけど」。
 お紺は唇を尖らせる。その口先を右の手でぐいと引っ張る朝太郎。
 「痛いじゃないか、何するんだい」。
 「鳥の嘴みてえな顔は器量良しが台無しだぜ」。
 ぽっと己の耳迄が赤くなったようで気恥ずかしいお紺。己が器量良しだなんて思ってもいない。むしろ、十人並みに少し欠ける程度だ。だが、こんな仕草で言われると、何だか自分が奇麗な娘になれたような気がするから不思議だ。
 (あっ、これが付いても良い嘘ってことなのか)。
 人をいい気分にさせるたわいもない嘘である。だが、人の生き死ににたわいもない筈がない。




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のしゃばりお紺の読売余話54

2015年01月29日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「そりゃあ酷ぇ男だけどよ、見抜けねえ女もなんだなあ」。
 「だけどおとっつあん。これっぽっちも男に縁のない女がだよ。初めて甘い言葉を囁かれたら、そりゃあ、ぞっこんにもなるってもんさね。それに、直次郎ってえのは、大層な男前だって話だもの」。
 「だからよお。そのお律ってえのは、芸者にもなれねえくれな御面相だったんだろ。だったら尚更、そんな男前が手前ぇに惚れるもんかってなもんだ」。
 庄吉の言い分も最もであるが、それでも夢を見てみたいのが女って者だ。そんな女心が庄吉には分かるまいとお紺は溜め息を洩らす。
 「で、そのお律の話は仕舞ぇなんだな」。
 「あい。お仕舞いさね。直次郎ってえのはそういう悪だったってことさ」。
 「んで、お前ぇは何が言いてえんでい」。
 「佐助って人の周りを幾ら聞いても、相対死をするようなお人じゃないって言うのさ。だから、直次郎が関わっているんじゃないかって思ってさ」。
 「おきゃがれ。そんな屁理屈で読売が拵えるけえ」。
 至極最もな庄吉の意見である。だが、こういった時の女の勘を分かっていないと、お紺は憤懣遣るせないのだった。そしてこの勘がそう的外れでもなかったのである。
 「いいけぇ、お紺。耳の穴かっぽじってよっく聞きな。お前ぇの話じゃあ、佐助は三國屋の婿養子に入えることを躊躇ったんだろっ。だったら、直次郎の不始末を三國屋が尻拭いする変わりに、佐助は婿養子になった。恋仲だった佐助とおえんは無理矢理引き離されたって筋書きが妥当ってもんだ。これならお涙頂戴で江戸っ子の好いた話になるって寸法だ」。
 だから、それで読売をでっち上げろと佐助は言う。
 「そんな、おとっつあん。だったらおえんが太助を取り合ってお町と遣り合ったのは、どう説明するんだい」。
 「そんなもへったくれもねえ。んっとにお前ぇは分かっちゃいねえなあ。だからよ、佐助との仲を引き裂かれて、拠り所を見付けたのが太助だったが、これまたお店の名に引き裂かれたってな話にしてみろ、娘っ子たちの好きな話に仕上がるってもんよ」。
 誰もが羨む器量良しも分限者も、ほんのひと握りである。そしてそれは羨望であると同時に時には妬みにもなるものだ。
 そんな器量良しでさえ、思ったとおりにはならないという話ならば、若い娘が飛びつく筈。身に余る縁組にひと悶着あったなら、これは老若男女を問わず興味をそそる話である。これで売れると、庄吉は大喜びなのだ。





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のしゃばりお紺の読売余話53

2015年01月27日 | のしゃばりお紺の読売余話
 お〆が梅華に直り、見習の仕舞い子として座敷に上がる様になったのは十三の年。お律は二十三の大年増となり、既に所帯を持つことも諦めていた。
 その頃になると、梅華には兄を名乗るまた別の男が頻繁に訪うようになったのである。ただ、さわは、この兄を快く思っておらず、梅華に引き合わせないので、自然、勝手口に居るお律に言付けをする。
 その兄は、銭の他にお律にも紅や簪などを携えてくれる上に、滅法界男前なのである。役者にもあそこまでの色男は稀だろうとお律は思う。
 そんな兄に、「お律ちゃん」と呼ばれると、心の蔵がうち震えるのだった。気が付いた頃には、鏡を覗く回数が増え、それまでしたこともない白粉をはたいて紅を引いていた。
 棒手振りや、番太からは、「お律ちゃん。この頃奇麗ぇになったねえ」と、浅黒い肌に粉をふいた様な白子をからかわれているのも分からず、本当に奇麗になったような気がしていたのである。

 ここで庄吉のちゃちゃが入る。
 「ちょっと待っつくんな。お紺、お前ぇの話じゃ、佐助の相方は茶汲み娘じゃなかったのけぇ。さっきから聞いてりゃ、ちっとも茶汲み娘が出てこねえじゃねえか」。
 「そう先走んないでよ、おとっつあん」。
 これから話すところなのだと、お紺はぷーっと頬を膨らませる。
 「そのよお、すったもんだは、良いから早く肝心の話をしつくんな。こちとら江戸っ子でい。気が短けえのさ」。
 「だけど、佐助さんの人となりを知るのに避けては通れない話なんだよ」。
 「お前ぇは真に分かっちゃいねえ。人となりなんてもんは後から付いてくるんだ。んにゃ、面反可にどうとでも書けるってもんさ。先ずは何があったのか。次にどうしてなのかだ。お前ぇのさっきからの話は、そのどっちでもねえのさ」。
 すっかり話の腰を折られたお紺。庄吉は、面白ければ話をでっち上げるなんて朝飯前なのだ。こういうところが実の父といえど、嘆かわしいとお紺は常日頃から思っている。
 「じゃあ、かいつまんで話すよ。直次郎がお律に手を出して、自分の情婦にしておいて、岡場所に売り飛ばしたって話さ。それを知った梅華は、大層心を痛めて、お律の行方を探したけど、見付からなかったんだって」。
 直次郎は、所謂女に喰わせて貰っている遊び人。玄人に情夫きどりでいるうちは良かったのだが、次第に素人娘に手を出して、岡場所に売り飛ばすことに味をしめていったのだ。




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のしゃばりお紺の読売余話52

2015年01月25日 | のしゃばりお紺の読売余話
 お律が全てを理解したのは、それからいち年の後であった。さわの言った素質とは、見目形のことだったのだ。鏡に写る己の顔は、自分では嫌いではなかったが、お世辞にも奇麗とは言えなず、肌の黒さも、若い内は快活に見えるが、白粉を叩いたら、くっきりと線が出来てしまう。とうてい左褄になどなれようもない。
 それはようよう分かってはいるが、もしも、三味線や踊りを習わせてくれていたら、器量の悪さを凌ぎ、真の芸のある芸妓になれていたかも知れない。己の中にある資質をさわに打ち砕かれたかのような思いにうち震えるうちに、そのもしもが、何時しかさわえの恨みに変わっていったのであった。
 そのことに気付いた時には、お律は既に十九。もはや年増と言われる年齢であった。芸妓になさせて貰えないのなら、せめて年増になる前に嫁ぎ先を見付けてくれるのが、女将ではないか。このまま嫁入りも出来ずに、竈(へっつい)とにらめっこで年を取るのは嫌だと、焦る気持ちが更なるさわへの憎しみへとなっていったのである。
 梅華が売られて来たのはその頃だった。当時未だ6つの梅華は、名をおとめと言い、絹の様な肌にくっきりとしたひと皮目、きりりと結ばれた口元の愛くるしい娘だった。
 だがその愛くるしさとは反対に、大層な貧しさの中で育ち、おとめという名ももう最後だという意味でお〆と書くのだと聞かされると、己とはまた違った幸薄さではあったが、同輩を得た様な心丈夫になっていった。
 お〆もお律のことを、「姐さん、姐さん」と慕ってくれたので、憎からず思って可愛がっていたのだが、それも半年も持たなかった。
 飯炊きや雑用をしながらではあるが、お〆は直ぐに三味線と踊りの稽古を始めさせられたのだ。お律が望むもの全てをお〆に奪われたような気がしていた。
 そしてお律の心を掻きむしったのは、お〆の兄の存在だった。親娘程も年の離れた兄は、何かにつけお〆を気配り饅頭や飴などを携えて訪いを入れる。すると、さわの許しを得てお〆は兄と蕎麦を手繰るのだと嬉しそうに出掛けた。
 「ふん。何だい。いちから仕込んでやったのはあたいだよ。たまには、『姐さん。一緒にどうかえ』くらい言えないもんかね。幾ら器量が良くたって、気配りも出来ない娘にお座敷など勤まるもんか」。
 お律はそう嘯きながら、腹の底からお〆が羨ましかった。お律が中井に来て五年。兄弟どころか親もなしのつぶてで、薮入りに戻った時さえもちっとも嬉しそうではないのだ。そして、大きな溜め息と共に、「お前が芸妓になれていたら、家はもっと楽だったのに」と、働きづめに働いて貯めた賃金を手渡してもありがたがらないばかりか、言ってもどうにもならない愚痴でお律を傷付ける。
 「金輪際、親でも子でもない」と、実家に足を向けなくなって久しい。もはや天涯孤独の身であった。いっそその方がすっきりすると思ってはいるが、、目の前で兄妹仲の良い姿を見せられると、それを見せ付けられたと受け止めるくらいに、お律の心は荒んでいた。





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のしゃばりお紺の読売余話51

2015年01月23日 | のしゃばりお紺の読売余話
 お店者は、丁稚、手代、番頭と進み、通いが許される様になってから漸く所帯を持てるのが習わしである。よって四十の坂を越えてから嫁を向かえることも、稀ではなく、未だ二十代の手代の佐吉が、幾ら好いた相手が居たとしても添い遂げるのは無理な話であった。
 「それがねえ、違うんだよ」。
 「違うってえ」。
 庄吉は頓狂な声を上げる。
 「相方は、直次郎の情婦だったのさ」。
 「なんだってえ、兄弟ぇでひとりの女を取り合ったのけ」。
 「もう、おとっつあんの早合点は日の本いちだねえ。良く聞いとくれ」。

 十九のお律は、早くに両の親を亡くし、柳橋の子ども屋・中井の小女として主計(たつき)を得ていた。芸妓ではなく子女だったのは、厳つい身体付きと色黒の肌。下駄のような顔かたちに線を引いた様な目鼻立ちにあった。
 十四の時に中井に連れて来られた時は、左褄の姐さんたちを見て、自分もいつかはあんな奇麗なベベを着てお座敷に上がるのだと思い描いていたが、己より後から連れて来られた娘たちが三味線や踊りの稽古を始めても、お律は何時迄も飯炊きと掃除、洗濯に明け暮れるだけだった。
 そして、当初こそ一緒に飯炊きをしていた娘たちは、稽古を始めると同時に何もしなくなり、お律の拵えた飯を喰い、お律が掃き清めた玄関に下駄を下ろす。
 余りの無体に耐えかねたお律は、十六になろうかという年に女将のさわに「何時になったら踊りや三味線を教えて貰えるのか」と、問い質したことがあった。
 「おや、お前。芸妓になりたいのかえ。可哀想だけど、芸妓になるには素質ってえものがあるのさ。可哀想だけどお前にはそれがないのだよ」。
 一度も踊りや三味線を教えて貰ってもいないのに、素質がないと言われて得心出来よう筈もない。だが、それ以上は聞いてはいけないような気がしてお律は引き下がるざを得なかったのである。




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のしゃばりお紺の読売余話50

2015年01月21日 | のしゃばりお紺の読売余話
 佐助は、直次郎が拵えた五十両もの借財を三國屋が支払い、今後一切直次郎とは関わりを持たないことを条件に、婿養子に直ったのである。
 だが、それからも直次郎の無心は収まる事を知らなかった。
 「直、わたしに自由に出来る銭はないのだよ」。幾らそう言っても直次郎は聞く耳を持たないばかりか、「あんな親の元においらひとりを残して、自分だけお店の若旦那に収まった」。と、恨みがましい。
 己がこうなったのも兄弟のせいで、もし、兄弟が一緒であったなら貧しいながらも、真っ当に生きられたのだと言われれば、哀れを誘う。佐助は自由になるわずかばかりの小銭を与え続けていた。
 五十両は恐らく博打でこさえた借財だろう。様子からして直次郎が真っ当に生きているとは見えなかった。
 それでも佐助は、直次郎に手に職を付けさせようと、請け人となって左官屋に奉公に出したのだが、長続きしないばかりか、元の木阿弥。浅草広小路でふらふらとしているばかりであった。
 そんな折である。佐助が長屋に戻ると、赤子が泣いていた。親子程年の離れた妹が増えていたのである。傍らには昼日中から酒臭い赤ら顔の両親が居た。ただ居ただけで、乳を与えようともむつきを代えようともしない。佐助はこの妹を差配と相談の上、葛西村の農家に養子に出したのであった。
 養子に出した筈の妹が、柳橋の芸者・梅華となっていたと知ったのは、大分後の話である。
 直次郎は、ここにも無心に通っていたらしい。

 「佐助さんってお人は、随分と苦労なすったらしいよ」。
 お紺は、父親の庄吉に佐助の半生を告げた。
 「なら、その弟に銭の無心をされていたのが、原因けぇ」。
 「そう急がないでおくれなおとっつあん。未だ続きがあるんだよ」。
 親にも弟の直次郎にも無心され続け、正に犠牲になってきた佐助の半生。それがお店の入り婿になって漸く身を結ぼうとした矢先に自ら命を絶ったのだ。
 「要するにだな、親ともその弟とも縁が切れなかったんだろう」。
 「あれ、おとっつあん。察しが良いじゃないか」。
 「察しが良いも何も、お前ぇの話を聞いてりゃあ、その佐助ってなお人が優し過ぎるってお見通しよ」。
 庄吉は鼻の下を人差し指で擦る。これは庄吉が得意になっている時の癖である。
 「だけど、何で、相対死なのかは、さすがのおとっつあんにも分からないだろう」。
 「おきゃがれ。ひとりで死ぬのが怖ぇえからに決まってらあな。大方、三國屋の娘と一緒になる前ぇから好き合ってたんじゃねえのかい」。



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のしゃばりお紺の読売余話49

2015年01月19日 | のしゃばりお紺の読売余話
 健気にもおはつは、おしんを背中に括りながら、近くの寺の洗濯女になって賃金を得ていた。その傍ら、貰い乳にも歩き回り、また家の仕事も全て担っていたのである。
 そんなおはつが、忽然と消えた日。父親は博打に負けたと言いながら、大層な量の酒を呑んで明け方近くに帰って来た。どこからそんな金が出ているのか、腹を空かせた子どもには分からなかったが、大人になり、姉はどこぞに売られたのだと理解出来るようになった。それ以降、姉の行方は分からない。
 僅かであって賃金を稼いでいたおはつが居なくなると、未だ七つになったばかりの作太郎が奉公に出されることになった。「奉公に出るには少し早いが、餓えるよりは増しだろう」と、差配が請け人となり、三國屋へ口を利いてくれたのである。三國屋としては当初は厄介者を引き受けたと苦虫を噛み潰したかのような思いだったが、存外に利発で気配りの利く作太郎は次第に気に入られていった。
 残った弟たちは奉公に出られる年派ではない為、差配がそれぞれの養子先を見付けてきたが、丁度中途半端な年の直次郎だけが貰い手がなく、父親の元に残されたのである。
 奉公に出てから作太郎改め佐助が、三年目の初めての薮入りに長屋に戻ると、驚いたことに出奔した母親が戻り、赤子迄授かっていた。初めて知った妹であったが、佐助はこの妹を大層可愛がり、薮入りの際には決まって風車や飴を持ち帰ったものだ。
 だが、この可愛い妹も忽然と姿を消す。その時、佐助はそれがどういうことなのか理解出来る年となっていた。
 末の妹がいなくなって直ぐに、十五になったばかりの直次郎の所在が分からなくなったと聞かされた。
 直次郎はひとり残されてから、浅草御蔵で蜆を拾って売り歩いたり、荷揚げの手伝いをしたりしていたが、九つの時に、浅草の大工の元へ修行に出されていたのである。修行に耐えられなかった為か、妹まで売った親が嫌になったのかは定かではないが、奉公先のない者がまともな世界で生きられようもなく、ご多分に洩れずに悪い仲間に加わると、浅草広小路で揉め事を起こして以後、葛西村へ行ったとも、上州だとも噂されていた。
 そんな直次郎が再び佐助の前に現れたのは、佐助が三國屋のひとり娘であるお美代の婿養子にと懇願されている折りであった。
 「手前のような者が、お嬢様と一緒になるなど、恐れ多いことでございます」。そう、何度も辞退していたが、お美代に絆された三國屋は、ついには、「ならば店を去るかお美代と一緒になるかのいずれかだ」。と、ほとんど脅迫に近い選択を迫っていた時期でもあった。




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のしゃばりお紺の読売余話48

2015年01月17日 | のしゃばりお紺の読売余話
 店からきつく言い渡されているのだろう。当然ながら奉公人たちは、誰から何を聞かれても、商い以外の話はしない。 
 丁稚に銭を握らせて聞き出そうとしていたお紺の宛は外れた。
 日本橋通町は問屋が軒を並べているが、一歩外れれば、小売りの小店が多々ある。お紺は、西へ向かう。すると打ってつけに湯屋の暖簾が目に入った。湯船につかりながら聞き耳を立てるのは、常套手段である。
 「だけどねえ、幾ら何でも相対死なんてねえ」。
 お紺が柘榴口を潜ると、湯船につかっている女たちが案の定三國屋の噂話に花を咲かせているではないか。
 (しめた)。
 お紺はほくそ笑みながら、近くに寄って行く。
 「やっぱり釣り合わぬは不縁の元ってね」。
 太り肉(じし)のおかみさん風の女が頭を捻る。
 「でもさ、奉公人が婿養子に収まって、三國屋の跡継ぎにまでなれたんだよ、何が不満だったのか、あたしにゃ分からないよ」。
 鼻の横に大きな黒子のある痩せぎすの女が、鬼の首を取ったかのように、声を張るので、嫌が応にも耳に入ってくる。
 「そうだねえ、いずれ三國屋が自分の物になるんだもの。あたしだったら、どんな辛抱だってするけどねえ」。
 どうやら佐助の分が悪いようだ。
 「それにお嬢さんが、惚れ抜いて一緒になったって話だろう。それが、外に女を作るなんぞ、罰が当たったんだよ。それに実の弟の尻拭い迄三國屋さんはしたって話だよ」。
 「何だい、実の弟ってえのは」。
 「おや、知らないのかい。これがそうとうの悪でねえ」。
 黒子の女の言葉には悪意が感じられるが、興味深いので黒子の話しに、お紺はじっと聞き耳を立てていた。
 
 佐助の真の名は作太郎と言い、三國屋に奉公に上がった折りに佐助と直った。これは何処の店でも同じである。ただ、三國屋で番頭迄出世する名ではなかった。それは作太郎の出自にあった。
 作太郎が幼い時分は、父は野菜の棒手振りをし、母は居酒見世の女中をしていたが、次第に酒に呑まれていった父は働かなくなり、母の稼ぎで一家の糊口を凌いでいたのも束の情夫をつくって家には寄り付かなくなっていったのである。
 家には十のおはつを頭に、作太郎、直次郎、彦三郎、そして未だ乳の必要なおしんの五人の幼い子が残されたのである。





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のしゃばりお紺の読売余話47

2015年01月15日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「おえんさん、相対死をしなすったのさ」。
 「なんですって」。
 「それで生き残っちまって、日本橋に晒されているって話さ」。
 「まさか」。
 「本当さ。見て来たってえ客が言っていたもの」。
 いちいち驚いた様に相槌を入れるお紺に娘は得意になって話を続けるのだった。
 「なら相手は太助さんかい」。
 「それが違うってな話さ」。
 「違うって、おえんちゃんは太助さんを好いていたんだよ」。
 「だから分からないのさ。何でも、お店の若旦那だってことだよ」。
 漸く確信に迫ってきた。お紺は内心ほっとする。
 「若旦那…。聞いたことがないねえ」。
 「だろうっ。あたしも初耳さ」。
 娘はほかの客など目に入らないくらいに、話に夢中になっていた。ここぞとばかりにお紺は問い掛ける。
 「この見世の客かい」。
 「いいや、知らないねえ。あんたも聞いちゃいないのかい」。
 「ええ。ここ暫くは会っていなかったもんだから」。
 「けど、おえんさんもつくづく縁のないお人だよねえ」。
 確かにそうだ。だが、あれ程の醜態を意に返さずに太助を奪い合ったその直ぐ後で、ほかの男と相対死などするものだろうか。命をとしても良い相手に巡り会えるものだろうか。
 もしかしたら、世を儚んだ者同士がたまたま出会ってしまったのではないか。お紺はそう思い始めていた。すると日本橋の小間物問屋・三國屋の若旦那を探った方が良さそうである。お紺は霰湯を飲み干すと、早々に水茶屋を後にした。
 深川八幡からは永代橋を渡り朱引き内に入る。そして武家地を通り抜けるのが早いが、武家屋敷の回りは人の行き交いもほとんどなく物騒なことから、お紺は両国橋を渡り、両国広小路、横山町を横切って日本橋通町へと向かう道を選んだ。
 浅草迄来れば勝手知ったる地の利。お紺は歩を早めた。三國屋は、通町二丁目の京橋寄りにある。相対死の噂が金棒引たちを引き寄せたのか、まれに見る繁盛振りであった。
 そもそも三國屋は問屋であり、小売りはしていない。店の土間から外へと溢れる人は、皆金棒引きと思って間違いない。
 (あれまっ、間が悪かったかねえ)。
 出遅れたお紺は唇を噛み締めた。




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のしゃばりお紺の読売余話46

2015年01月11日 | のしゃばりお紺の読売余話
 娘は、白けた顔。いや、何度もおえんについて聞かれたのだろう。またかといった顔付きにも見えた。そして、お紺の問いには答えずに、聞き返す。
 「幼馴染みって、初耳だねえ」。
 お紺を疑っている様子は、急にぞんざいになった言葉遣いから伺え知れた。
 「ああ、おえんちゃんは、余り自分のことは話さないからねえ」。
 話していたら辻褄が合わなくなる。第一、おえんが子どもの頃、何処に住まわっていたかも知らないのだ。だが、おえんが無駄話をしないといったところは的を得ていたようだ。茶汲み娘にしては口が重かったらしい。
 「しかし、おえんちゃんが水茶屋で働いているって聞いた時は、驚いたよ。だって、おえんちゃんはお愛想ひとつ言えないだろう」。
 すると、娘は乗ってきた。
 「そうなんだよ。気の利いたことも言えないどころか、あれじゃあまるで愛想無しなんだよ。だけど、あの器量さ。おえんさん目当ての客は多かったねえ」。
 娘の言葉遣いが急に親しみを増した。
 「その中に、ええっと誰だったか、確か火消しも居ただろう」。
 「あれ、知ってなさるのかえ」。
 多きな目がくるりと動いた。
 「おえんちゃんから、所帯を持つって聞かされていたんだけどねえ」。
 お紺はさも残念そうにふうっと肩で息を付いた。
 「あたいもおえんさんは、太助さんを真底好いていると思っていたのさ。だけどねえ」。
 (そうだ、太助だった)。
 「まあ、あちらさんにも事情が有ったのだろうさ。ご縁がなかったてこった」。
 お紺はしたり顔で言う。
 「けどおかしいんだよ。太助さんを好いているものだとばかり思っていたんだけどねえ」。
 「どういうことだい」。
 「おや、知らないのかい」。
 びっくりしたように目を見開いた娘は、一段と可愛らしい。
 「太助さんを諦め切れずに、頭の娘さんと取り合ったのは知っているよ」。
 娘は大げさに頭を横に振る。そして右の手で、宙を掴む様な素振りを見せ、心かしか声色も高くなったようだ。
 「そうじゃなくてさ、あんた、本当に知らないのかい」。
 「えっ、何かあったのかい」。
 お紺は空とぼけてみせる。すると待っていましたとばかりに娘の舌は滑らかに滑り始めた。



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のしゃばりお紺の読売余話45

2015年01月11日 | のしゃばりお紺の読売余話
 お涙頂戴に仕立て上げ、江戸っ子たちの同情を買えば売れると、庄吉は踏んでいる。はなから茶汲み娘のおえんと佐助の悲恋にしようとの腹だ。好き合っていた二人だが、佐助は店の跡取り娘との縁組を断れず、二人は泣く泣く別れなければならない。だが、別れるくらいなら、いっそ共に逝こうとした。庄吉には、そんな筋書きが出来上がっているのだ。
 だがお紺には、そうは思えなかった。おえんが取り乱しながらも火消しの太助を取り合っていたのは、ついこの間である。こんな短い間に相対死をするほどに、深い仲になれるものだろうか。
 反面、庄吉の考え道理なら、またも家名に好いた男を奪われたことになる。ならばいっそ共に死のうという考えもあるだろう。
 庄吉は、このところ商いを太くしている三國屋の名を利用し、婿養子の苦悩を調べ上げろと言うが、お紺にはおえんが気掛かりで仕方ない。それと、梅華の行動も気になる。表向きは庄吉に従う振りをしながら、おえんの周囲に探りを入れることにした。
 おえんの勤める水茶屋は、深川八幡境内の水茶屋八幡である。見世には、見目麗しい若い娘が三人、甲斐甲斐しく動き回っていた。非毛氈を敷いた床几には、娘目当ての男たちばかりである。この時になって、お紺はせめて重蔵でも誘ってくれば良かったと後悔したが、後の祭りだ。何やら場違いな思いは拭えないが、大層喉が渇いた振りをして、床几の端に腰を下ろした。
 程なくやって来た茶汲み娘は、年の頃十六くらいだろうか。透き通る様な肌に黄八丈と赤い前垂れが良く栄える。大きなくりくりと動く一皮目で見詰められたら男たちの紙入れの紐も緩もうというものだ。
 お紺が、霰湯を頼むと、娘は卒なく話し掛ける。
 「姐さん、初めてでしょう。おひとりでお詣りですか」。
 「ええ、ちょいとばかりお願いごとがあってね」。
 客の顔を覚えているのか。
 「初めてだって良く分かりましたね」。
 「はい。商売ですから」。
 茶汲み娘は、しなを作っているばかりではないようだ。
 「こちらにおえんちゃんが居る筈なんだけど」。
 思い切っておえんの名を出すと、娘の顔が急に曇り出し、訝し気な目をお紺に向ける。
 「いえね、おえんちゃんとは幼馴染みなんですよ。あたしは神田家移りしたもんで中々これなかったんだけど、思い立ってお参りがてら来てみたって訳でね」。
 自分でも中々嘘である。
 「姐さん、生憎おえんさんは居ませんよ」。
 「居ないって、辞めたのかえ」。




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のしゃばりお紺の読売余話44

2015年01月09日 | のしゃばりお紺の読売余話
 女を描かせたら滅法巧い朝太郎の筆が振るわないとなれば、残念ではあるが、腕は落ちてもほかの絵師に頼むしかない。それが読売なのだ。
 そんなお紺の胸中を察したかのように、朝太郎はこう付け加えた。
 「今度の相対死を読売にするなら、あたしは、今後二度と描かないよ」。
 何処へでもほいほいと出掛け、どんな難しい場面も事無気に描く朝太郎が、ここまで頑なことは初めてである。
 「朝さん。どうしちまったんだい。お前さんらしくもない」。
 「あたしらしいって何さ。あたしは、あたしだよ」。
 「だって、断るなんて初めてじゃないか。訳を聞かせておくれな」。
 「訳かい。訳は、女の悲しい顔は描きたくねえのさ」。
 (悲しい顔)。
 お紺の胸の奥が抉られる様に痛む。おえんを哀れんではいたが、悲しい女だと思ってはいなかった。言われてみれば、その通りかも知れない。
 好いた相手を親方の娘に奪われ、妻の居る男と死を選ぶもおのがひとり生き残ってしまったのだ。
 「もしもさ、双方共に死んだのなら、幾らでも描くってもんだがよ、残りの年月を、生き恥を晒していく者んを、これ以上辱めることもあるめえ」。
 朝太郎の言い分は最もである。お紺とてそう思ってはいる。だが、読売が稼業なのだ。父の庄吉であれば、迷わず朝太郎を切り書き立てるだろう。この騒ぎは庄吉の耳に入っているのだろうか。入っていなければ、曝しの期間さえ過ぎれば似面絵は描けなくなる。むしろ、そうなって欲しいという願いも芽生え始めていた。
 だが、そうは問屋が卸さなかった。庄吉は何時になく張り切っていたのである。
 「何だって朝太郎のやつぁ、描かねえってか。だったらほかの絵師に頼みゃあ良いだけさ。お前ぇも、朝の御機嫌ばかり考えてねえで、三國屋の回りや、その茶汲み娘の回りを聞いてきやがれ」。
 庄吉に一喝されたお紺。庄吉の読売魂は認めるが、こういう情に流されないところは好きではない。最も、情に流されるなとも常日頃から言われてはいるのだが。
 「けどおとっつあん。三國屋さんに睨まれたらどうする」。
 「三國屋ごときが怖くて、読売をやってられるか」。
 四角い顔の真ん中に胡座をかいた鼻を膨らませている。
 「良いか、三國屋の婿養子がどうして死んだかが重要なんだ」。





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のしゃばりお紺の読売余話43

2015年01月07日 | のしゃばりお紺の読売余話
 お紺は日本橋へと足を伸ばした。金棒引きたちの輪をかき分け、前に出ると、その潮たれた哀れな女の姿を目の当たりにし、息を飲んだ。
 先達て、町火消しを取り合っていたおえんだったからである。その惚けた様子からは、あの時の威勢の良さが微塵も感じられない。
 (どうして、また)。
 お紺は胸が締め付けられる思いだった。父親之庄吉に言わせれば、お紺のこういった感情が、「甘い」らしい。どんな場面に出会しても、眉ひとつ動かさないのが読売の書き手だと言うのだ。
 お紺は口に出したことはないが、人としての感情を金具裏捨てなければ読売は書けないのかと、庄吉に問いたい。大方、「当たり前だ」。と言われるのが落ちだろうが。
 おえんの細い肩が、お紺の胸を締め付ける。

 「お断り。そんな似面絵なんかまっぴらご免だね」。
 朝太郎は、おえんの似面絵を拒否する。
 「そんなこと言わずにお願いだよ」。
 「幾らお紺ちゃんの頼みでも、読売の為でも、嫌なものは嫌なのさ」。
 「どうしてそんなに嫌なんだい」。
 朝太郎は片眉をつっと上げると、口をへの字に曲げる。
 「あたしは、奇麗えなものしか描きたくないのさ」。
 「だけどこれまでは、火事場だって巾着切りだって、そうそう板場泥棒だって描いたじゃないか。それが今度に限ってはどうしてそんなに嫌なのさ」。
 「そりゃあ、火事で逃げ惑う人を描いた事もあるさ。でもそれは何処の誰とも分からない様にして、あたしの頭の中で思い巡らせた絵に、こんな事は繰り返しちゃならねえって戒めを込めているのよ。だけど今度ばかりは、いけねえ。どん底の人ひとりを可笑にしちゃなんねんのさ」。
 何時になく朝太郎のきつい目付きが、本気を物語っている。
 「これからは死ぬよりも辛い思いをするんだ。これ以上辱める事もないだろう」。
 「分かっているさ。あたしだって胸が潰れそうだったよ。だけど、嘘偽りのない真を伝えるのがあたしらの読売じゃないのかい」。
 お紺は、おのれがとんでもない悪人もしくは意地悪な人間に思えてならないが、それでも事実を伝えるのが、庄吉の言うところの読売なのだと自身にも言い聞かせていた。非情にならなければ出来ない商売なのだ。





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のしゃばりお紺の読売余話42

2015年01月05日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「とんでもない、初耳だったそうさ。見た事も聞いた事もないって」。
 「なら、梅華姐さんの知らないところで…」。
 と言い掛けたお紺だったが、言い終わらないうちに言葉を被せられた。
 「兄さんってえのは、そりゃあ真面目で、とても情婦を持つ様なお人じゃないってさ。姐さんも訳が分からないって」。
 茶汲み娘がどうなったのか、喉迄出掛かっていたが、自身番の遣いで来た事になっている以上、それを聞く訳にはいかない。どうやったら話を持っていけるか、お紺は思案していた。
 「水茶屋の娘さんなら、さぞや奇麗えなお人だったんじゃありませんか」。
 「さてね、気になるなら日本橋まで行ったらどうだい。今頃はさらされているさ」。
 心中で生き残った者は、さらされた後に、へと身分を落とされるのだ。厳しい沙汰である。それだけ、心中が多かったとも言えるのだが、これはもう生き地獄である。
 ただし、頭にまとまった金子を支払えば、身分を奪回出来るのだが、そもそも心中を試みる程に行き詰まった者にそのようなまとまった金があろう筈もない。
 小女は、話に夢中になり、お紺が茶汲み娘の顔を知らない事に気付いていないようであった。気付かれる前に退散した方が良さそうである。お紺は、直ぐさま日本橋迄飛んで行きたくなったが、梅華とも会ってみたい。
 「梅華姐さんも行かれているので」。
 「いいや、姐さんは、名主さんのとこさ。全く人が良いったらありゃしないよ。その茶汲み娘を見過ごせないって」。
 「なら…」。
 「ああっ。頭に大枚叩く相談に行っているよ」。
 梅華が、茶汲み娘の身分を奪回しようとしているのだと言う。子女は、梅華も人が良いにも程がある。見ず知らずの女の為にぽんと纏まった金を出すのだからと憤慨したかのように、声を強張らせるのだった。
 「見ず知らずなのですか」。
 「ああ、そうさ。だけど兄さんが生き死にを共にする程の女を見捨てちゃおけないって」。
 (やったあっ)。
 お紺は小躍りしたい気分だった。芸妓であれば見栄えも良い筈。梅華の似面絵を大きく乗せて、梅華のきっぷの良さを読売に書き立てれば飛ぶように売れる筈である。これは早々に絵師の朝太郎を押さえなければ。





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のしゃばりお紺の読売余話41

2015年01月03日 | のしゃばりお紺の読売余話
 「そうかえ、けど可笑しいねえ。梅華姐さんから、紙入れを無くしたなんて聞いちゃいないんだけどねえ」。
 小女は訝し気に頭を傾げる。
 「無くしたことに気付いちゃいないんじゃないですかねえ。何せあの騒ぎでしたから」。
 騒ぎがあったか否かも分からないが。
 すると、小女が乗ってきた。
 「あんた、あすこに居なすったのかえ。だったら、どうなったのさ。教えておくれな」。
 先程までの邪見な物言いが瞬時に猫撫で声に変わった。
 「そりゃあ、三國屋さん程の若旦那が相対死なんて」。
 「だろう。何の不満があって、茶汲み娘となんかねえ」。
 (茶汲み娘…。相方は茶汲み娘だったのか)。
 お紺は得体の知れない嫌悪に全身が寒気立つ思いだ。
 「あたしらには分からない、苦労があったんでしょうかねぇ」。
 「幾ら苦労があったって、手代から若旦那になれたんだ。辛抱のしがいだってあろうってもんさ」。
 にしても、その若旦那と茶汲み娘と、梅華の間柄がつかめない。どうして、梅華が事情を知っているなどと、差配は言ったのだろうか。お紺にはさっぱり分からないが、どうにか調子だけは合わせていた。
 「けど、どうして梅華姐さんは紙入れなんか忘れたんだろうねぇ」。
 「詳しい事は聞いちゃいませんが、心付けをお出しになったんじゃないでしょうかねぇ」。
 口から出任せである。だが、これが功を奏した。
 「そうさねえ、兄さんだものねぇ」。
 (兄さん、三國屋の若旦那が梅華の兄だったのか)。
 「姐さんは、兄さんを引き取りに行ったのさ。それを何も御政道通りだって、無縁仏ぬする事もあるまいに」。
 梅華が紙入れを出して、袖の下を渡したのは強ち出任せではないのかも知れないと、お紺は頷いた。
 「梅華姐さんは、相方もご存じだったのですか」。
 乗って来た小女は身を乗り出すように、大きく手を左右に振る。



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