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当山の山門から入った左側に薬師堂があります。
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樹齢二百余年の老松から彫りだした 「厄除薬師如来像」
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薬師堂横にその由来が書かれています
以下、その由来
享保17年(1732年)、四国、中国は全域にわたってイナゴによる大不作にみまわれ、水害、干害も相次ぎ、農民の生活は困窮していった。高松藩では郊外に草屋数か所を設けて粥を施し、薬草を栽培して民の病苦を救った。
当寺においても御救小屋を設け、飢民に施すため粥を用意したが、悪病流行し、毎日のように死者が続出した。この状態を憂えた住職は自ら薬師如来を刻み、衆生救度に尽力した。以来、悪病流行するたびに、薬師如来は信仰され続け、いつの頃からか、眼病にも霊験あらたかであるとして信仰を集めた。(地方史による)
明治時代終わり頃、薬師堂が朽ち果てたため、薬師如来像を本堂に安置、それ以後、その存在さえ忘れられるようになっていった。
昭和58年秋、庫裏東南に自生していた樹齢二百余年の老松が松食い虫の被害で枯死したため、これにて薬師如来像を新しく刻み老松の二百余年の樹齢にちなんで長生を願う「厄除け薬師如来」と名付づて、再度おまつりした。
また、薬師堂の東5メートルの地点には樹齢三百余年の老松があったが、昭和59年2月松食いの被害のため伐採、この松を記念して、昭和59年8月薬師堂を建立した。