百人一首の各首について、歌の出自、他の歌との関係(本歌取り、類歌)、言い回しの先例、詠み手の運命、当該歌の背景などを解説した本。
京都新聞での連載50回に加筆して出版したとされています(あとがき)。当然に対で紹介されたはずの平兼盛「忍れど色に出でにけりわが恋はものや思うとひとの問ふまで」と壬生忠見「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」の天徳歌合コンビ。平兼盛の方の記事では「まず左方から忠見の『恋すてふ』が詠みあげられました。当の忠見は秀歌ができたと思って、自らの勝ちを信じていたようです。続いて右方の兼盛の『忍れど』が詠みあげられると、忠見は思わずドキッとします。」(117~118ページ)と、壬生忠見が天徳歌合の会場にいたという前提で書かれています。ところがその続きの忠見の方の記事では、「誤解されているようですが、歌合の場に必ずしも作者本人がいるわけではありません。和歌は講師によって詠みあげられるので、本人は不要なのです」(119ページ)、「なお肝心の兼盛と忠見ですが、二人は身分が低かったので、内裏歌合には参加していないというか参加できなかった可能性が高いようです」(121ページ)とされています。書いた時期がずれている(後日加筆)としても、それくらい調整して欲しい。猿丸太夫「奥山に紅葉ふみ分けなく鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」では、現代語訳(意味)は「奥深い山に紅葉を踏み分けてやって来て、鹿の鳴き声を耳にすると、秋の悲しさが身に染みて感じられます」(27ページ)としています。これだと、紅葉を踏み分けたのは詠み手(人)で、この歌は「紅葉ふみ分け」と「なく鹿」の間で切れることになります。私は「紅葉ふみ分け」は「鹿」にかかると考えていたので、えっと思ったのですが、著者は、記事の中では、この歌が菅原道真の「新撰万葉集」では紅葉ではなく黄葉と表記され「古今集」では初秋に配列されていることから、百人一首以前は「萩」と鹿の組み合わせだったとした上で、百人一首では秋の紅葉に読み替えられているという説明をして「なお萩の場合は落葉しませんから、鹿の踏み分け方も自ずから異なることになります」(29ページ)と、踏み分けたのは鹿だという前提で書いています (-_-;)
光孝天皇「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」の君って、光孝天皇を即位させた時の実力者関白「藤原基経のことを指していると解釈できます」(57ページ)だそうな。思い人かと思っていたのですが、興ざめするというか人生の悲哀を感じます。
ついでにもう一首の「君がため」「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」の藤原義孝、21歳で死んじゃったんですね(138ページ)。人生は儚い・・・

吉海直人 角川書店 2017年4月28日発行
京都新聞での連載50回に加筆して出版したとされています(あとがき)。当然に対で紹介されたはずの平兼盛「忍れど色に出でにけりわが恋はものや思うとひとの問ふまで」と壬生忠見「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」の天徳歌合コンビ。平兼盛の方の記事では「まず左方から忠見の『恋すてふ』が詠みあげられました。当の忠見は秀歌ができたと思って、自らの勝ちを信じていたようです。続いて右方の兼盛の『忍れど』が詠みあげられると、忠見は思わずドキッとします。」(117~118ページ)と、壬生忠見が天徳歌合の会場にいたという前提で書かれています。ところがその続きの忠見の方の記事では、「誤解されているようですが、歌合の場に必ずしも作者本人がいるわけではありません。和歌は講師によって詠みあげられるので、本人は不要なのです」(119ページ)、「なお肝心の兼盛と忠見ですが、二人は身分が低かったので、内裏歌合には参加していないというか参加できなかった可能性が高いようです」(121ページ)とされています。書いた時期がずれている(後日加筆)としても、それくらい調整して欲しい。猿丸太夫「奥山に紅葉ふみ分けなく鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」では、現代語訳(意味)は「奥深い山に紅葉を踏み分けてやって来て、鹿の鳴き声を耳にすると、秋の悲しさが身に染みて感じられます」(27ページ)としています。これだと、紅葉を踏み分けたのは詠み手(人)で、この歌は「紅葉ふみ分け」と「なく鹿」の間で切れることになります。私は「紅葉ふみ分け」は「鹿」にかかると考えていたので、えっと思ったのですが、著者は、記事の中では、この歌が菅原道真の「新撰万葉集」では紅葉ではなく黄葉と表記され「古今集」では初秋に配列されていることから、百人一首以前は「萩」と鹿の組み合わせだったとした上で、百人一首では秋の紅葉に読み替えられているという説明をして「なお萩の場合は落葉しませんから、鹿の踏み分け方も自ずから異なることになります」(29ページ)と、踏み分けたのは鹿だという前提で書いています (-_-;)
光孝天皇「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」の君って、光孝天皇を即位させた時の実力者関白「藤原基経のことを指していると解釈できます」(57ページ)だそうな。思い人かと思っていたのですが、興ざめするというか人生の悲哀を感じます。
ついでにもう一首の「君がため」「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」の藤原義孝、21歳で死んじゃったんですね(138ページ)。人生は儚い・・・

吉海直人 角川書店 2017年4月28日発行